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クスノキの嫁入り箱を失った日、私は家族を捨てた
クスノキの嫁入り箱を失った日、私は家族を捨てた
Author: ニタマゴ

第1話

Author: ニタマゴ
「陽菜の嫁入り箱を作るのに木材が足りなかったから、美月のクスノキも使っちゃったよ」

母は、面倒そうに顔をしかめた。

「もう使っちゃったものは仕方ないでしょう。あんたは大きなバッグを2つ買えばいいじゃない。何よ、その不満そうな顔は」

陽菜を囲む家族の背中を見ながら、両親が以前、嫁入り箱を作る兄に念を押していた言葉を思い出した。

「嫁入り箱は、きちんと作ってあげて。娘の一生のものになるんだから」

けれど、その「娘」の中に、私は含まれていなかった。

だったら、私のほうから、この家族を捨てよう。

「お母さん、見て。箱の縁には、クスノキの葉っぱまで彫ってあるの!」

母は陽菜の手を包み込み、少し涙ぐんだ。

「陽菜には、これくらい立派な箱が似合うわ。嫁入り支度はきちんとしておかないと、向こうで恥ずかしい思いをするでしょう」

母は、粗末な嫁入り箱を持たせれば、娘が嫁ぎ先で肩身の狭い思いをすると知っていた。

それでも、私には箱すらなかった。

けれど、嫁ぎ先で肩身の狭い思いをするのが私なら、母にはどうでもよかった。

父も陽菜のそばへ行き、その髪を撫でた。

「嫁入り支度はきちんと整えてある。向こうで何かあっても、無理に我慢するな。つらくなったら、いつでも帰ってくればいい」

つい1週間前、父は私にこう言ったばかりだった。

「結婚したら、もう向こうの家の人間だ。少しくらい嫌なことがあっても、我慢しなさい」

私はリビングの壁際に立ったまま、細かな模様が彫られた箱の留め金を見つめた。握りしめていた拳から、ゆっくり力を抜く。

私だって、あなたたちの娘じゃないの?

私は喉まで出かかった言葉を、のみ込んだ。聞いたところで無駄だった。

子どもの頃から、似たようなことを何度も尋ねてきた。しかし、返ってくる言葉は、いつも同じだった。

「そんなことまで陽菜と張り合うの?」

そのあとに続く言葉も決まっていた。

「陽菜は昔から体が弱いんだから」

「あなたはお姉ちゃんなんだから、少しくらい譲ってあげなさい」

私たちは双子だ。

生まれたとき、私のほうが陽菜より150グラム重かった。たったそれだけで、両親は、姉の私が陽菜になんでも譲るのは当然だと思うようになった。

小学生の頃、家計に余裕がなく、夏のキャンプに参加できるのはひとりだけだった。あのときも、母は言った。

「今回は陽菜に譲ってあげて」

大学生になってから、3か月かけてアルバイト代をため、念願だったミラーレス一眼を買ったことがある。

陽菜がそのカメラを欲しがると、そのときも母は同じことを言った。

「お姉ちゃんなんだから、陽菜に譲ってあげなさい」

結婚式が決まったとき、今度こそ私が主役になれると思った。

少なくとも私の結婚式では、花嫁は私ひとり。さすがに、これだけは陽菜に譲らなくて済むはずだった。

ところが、私の結婚を知った陽菜は、どうしても同じ日に結婚式を挙げると言いだした。

こうして、私のクスノキまで陽菜のものになった。

少し離れたところで、陽菜が母の腕に抱きついて甘えていた。

「お母さん、今夜は鶏肉のピリ辛炒めが食べたい」

母が笑って陽菜の額を軽くつついた。

「もう、食べることばかりなんだから」

結婚したら母の料理を食べられなくなるからと、陽菜はこの半月、毎日のように食べたいものをリクエストしていた。

陽菜は辛いものに目がない。この半月、食卓には陽菜好みの辛い料理ばかりが並んでいた。

私は胃が弱く、辛いものを食べられない。

陽菜が献立を決めるようになった初日の夕食で、私は母に頼んだ。

「お母さん。辛いものばかりだと胃が痛くなるから、これからは辛くないものも何か作ってくれない?」

母は、静かに箸をテーブルに置いた。

「どうせ私が何を作っても、気に入らないのね。毎日みんなの世話をしているのに、文句ばかり言われるんだから」

母のひと言で、私は食事に文句をつける悪者に仕立てられた。

父と兄まで、責めるような目を私に向けた。怒鳴られるよりも、その視線のほうがつらかった。

それからは何も言わず、なんとか食べられるものだけを口にした。

そんなことを思い返していると、兄の声に現実へ引き戻された。

「美月、何をぼんやりしてるんだ。陽菜が食べたがってる料理の材料を買ってこい」

この家で私の名前が呼ばれるのは、買い物や掃除、ごみ捨てを言いつけられるときだけだった。

私は何か言おうと口を開いたものの、結局、小さく返事をした。

「分かった。行ってくる」

その日の食卓には、鶏肉のピリ辛炒めにエビチリ、豚キムチまで並んでいた。

家族が楽しそうに食卓を囲むなか、陽菜はエビを口へ運び、ふと私を見た。

「お姉ちゃん、どうしてご飯しか食べないの?」

陽菜の取り皿には、すでに料理が山盛りになっていた。それでも母は、さらに豚キムチをよそい、横目で私を見た。

「放っておきなさい。毎日そんな不満そうな顔をして。まるで私たちがひどいことをしてるみたいじゃない」

兄も、うんざりしたように私を見た。

「言いたいことがあるなら、はっきり言え。いつまでそんな顔してるんだ」

私は、とっくに伝えていた。けれど、誰も耳を貸してくれなかっただけ。

食事が終わると、家族はそろってリビングへ移った。私だけが台所に残り、赤い油のついた皿を洗った。

リビングから、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。みんなで昔のアルバムを見ているらしい。

やがて父が言った。

「陽菜が嫁ぐ前に、明日みんなで家族写真を撮りに行こう」

洗い物を終えて台所から出た私は、父の言葉に思わず足を止めた。

「お父さん、私、明日はウエディングドレスの試着があるんだけど……」

父はアルバムから目も上げずに答えた。

「じゃあ、お前はそっちへ行けばいいだろ」

父は、まるで当たり前のことのように、さらりと言った。私は返す言葉がなかった。

父にとっては、私が写っていなくても「家族写真」になるらしい。

私は自分の部屋に戻り、扉を閉めた。

スマホには、婚約者の黒瀬航平(くろせ こうへい)からメッセージが届いていた。

【式を1日早めること、ご両親は了承してくれた?】

【うん。海外赴任の話、受けて。私も一緒に行く】

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