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第932話

Author: レイシ大好き
坂井は軽く頷き、一行が中へ入っていくのを見送った。

緒莉の視線とふと交わった瞬間、彼の足が止まる。

どういうわけか、妙に名残惜しさのような感情が胸をよぎった。

そんな自分に気付いた坂井は、思わず自分を殴りたくなる。

自分はマゾなのか?

こんな状況で、まだ女のことを考えるなんて。

そもそも、二人の間に深い関わりなんてない。

こちらから何かを望むことは、絶対にあり得ない。

若さの残る顔に、一瞬の迷いを消すような決意の色が浮かぶ。

彼は、自分がどんな人生を歩むべきか、どんな未来を選ぶべきかをはっきりと理解していた。

緒莉のような存在は、自分の選択肢にはない。

二人はどうしたって相容れないのだ。

そう悟った瞬間、坂井は迷いなくその場を後にした。

鳴り城は彼の居場所ではない。

ここに思い出も残ってはいない。

緒莉と病室で過ごした時間は――

最後の縁だと心に仕舞い込んだ。

緒莉は、坂井さんが微笑みを浮かべながら去っていく姿を見て、彼が完全に手を引いたことを悟った。

そして、自分ももう彼を頼ってここを抜け出すことはできないと理解する。

大きく息を吸い込み、緒莉は警察署の中へと歩みを進めた。

未来がどんな顔を見せてくるのか――

それを確かめたい。

このところの出来事は、すべて彼女の想像を超えていた。

そして、この期間は間違いなく彼女の人生で最も暗い時間だった。

苦々しい笑みが口元に浮かぶ。

だがすぐに心を立て直す。

たとえ人生に叩きのめされても、前を向かなければならない。

生きていくことは続くのだから。

こんなことで自分が倒れると思う?

その姿を見た地元警察官は、背筋に薄気味悪さを感じていた。

彼女はいったいどういう人物なのか。

入ってきた時から表情がおかしかった。

なぜだか、緒莉の精神状態は、隣にいる辰琉と大差がないようにすら見えた。

まさかA国の警察が、わざと二人を送り込んで嫌がらせでもしてきたのか......?

だが考えてみれば、彼らはどちらもK国人で、この鳴り城の出身だ。

外から来た人間ではない。

地元の人々の評判を損なうようなことはないはず。

それでも、どうにも違和感が拭えない。

見れば見るほど、この二人には見覚えがある気がしてならなかった。

とりわけ緒莉――

彼女の顔はどこかで確かに見た覚え
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