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思わぬ罠にかかり

last update Last Updated: 2025-07-17 06:22:40

「いいえ、

私は行くつもりです」

意外な返答に由樹は清江の醜い顔を凝視した。

「正気なの」

信じられなかった。

この前まで自分と同じ気持ちだったのに何があったと言うのか。

こんなどこにでもいる平凡で地味で無気力な女に、

殺害という常識から大それたことができるというのか。

そんな自信はどこから沸いて来るのか。

そもそもただの馬鹿なのか。

「正気です。

あの後家に帰ってから、

やっぱ私は旦那のことを許せないって、

気付いたんです。

殺してやりたいって、

思いました。

この計画に参加するのです。

もし明美さんの旦那さんを上手に始末できたら、

私の旦那もお陀仏になりますから。

あんな男、

とっとと死ぬべきなのよ」

清江の乾燥し切った唇はパタパタ震えていた。

彼女の内面に溢れるヘドロのような負の感情の重さを測り兼ねた。

これほどまでに憎むとはどんな生活を送って来たのか。ただ彼女の息子の件と夫の無関心だけが原因だとは思えない。

「そうですか。

頑張って下さい。

私は一人で抜けます」

由樹はこの件に関して、

もう自分は関係のないこにした。

コーヒーを飲み干してから席を立った。

気になっていたことがあったことを思い出した。

最後に清江に聞いてみた。

「何で私のことを誘って来たのですか」

今日は向こうから誘ったはずだ。

それなのに自分ばかりが質問したような気がした。

「何でもない。

由樹さんの考えを聞けたから」

ボーっとした様子で答えていた。

不快感が尋常ではなく、

なるべく早くこの場から去りたかったので早歩きで背を向けて店から出た。

品川駅から自宅の最寄り駅に到着すると肩の荷が一気に下りた感覚になった。

これで自分は下らない計画とは無関係になれた。

今日からいつも通りの生活に戻る。

隆広といういてもいなくても同じような男と一緒にならざるを得ないが仕方がない。

夫に関しては諦めることができるようになった。

人殺しをすることに比べたら、

彼との生活など屁でもない。

そういう意味では清江たちのコミュニティに入って良かったと思えた。

最寄り駅を出て商店街を抜けて緩い坂道を上った。

もう日が落ちそうな時間帯になっていた。

秋になると日照時間がどんどん短くなる。

日の入り前の太陽の光が坂に沿って立ち並ぶ住宅の影を伸ばして道を暗くしている。

遠くの電柱の影に誰か隠れていると気が付いた。

暗くて
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