ログインフロントガラスに映る花に気づいたのは俺だけだったらいいと思った。 「到着しました。……お疲れさまでした」 路肩に駐車し、サイドブレーキを引いた三井は、すぐに後部座席に目をやる。やってきたスタッフがワンボックスカーのバックドアを開けて荷物を降ろしてはじめた。 目の前には、俺の所属する事務所が入るビル。 「大雅さんの荷物を間違えないでちょうだいよ?」 三井はスタッフに注意を促し、社長に顔を向けた。 「社長もこちらでお降りになりますか?!」 「あぁ、そうだね」 周りに比べてひときわ大きいビルの最上階に、俺が所属する芸能事務所、FLOWSTARS Co., Ltd. が入っている。 社長はふと自分の事務所を見上げた。 「……うちの事務所も大きくなったもんだ」 次に大雅に視線をやり、以前はMIRAIプロモーションという名前だったと話す。 「ちょっと寄ってくか?1週間ばかり留守にしたから、嫁がおはぎをたくさん作って待ってるはずだから」 ……三井も俺も、一瞬黙った。 「あの、奥さまはどうしておはぎを作ってくださるんでしょうね?……社長が出張すると、毎回事務所におはぎのタワーが出来てて、美味しそうで笑っちゃうというか……」 ホホホ……と作り笑いをこぼしながら、三井が言う。 「そんなことないんだけど、俺の好物だと決めつけちゃってるんだよね……!まったく、未来には本当にいつも笑わされるよ」 椎名社長の愛妻、未来さんは少し変わっているが、2人の間の空気が何とも穏やかで、理想の夫婦だと大雅は思っていた。 「おはぎは明日いただきます……」 フロントガラスにはまだ花が映っている。……手を触り合ったのは背の高い男。俺が留守の間に男とお茶してたのはいいとして、どうしてそんなに名残惜しげにいつまでも見ているんだ?! 「……あら、」 社長が車を降り、バックドアも閉められて、後部座席に大雅を乗せて走り出そうとした三井が声を上げる。 「あの、大雅さん……花さんじゃありません?」 「いいから。そのまま自宅に向かって」 花だって、男を見送っていたことを知られたくないだろう。 怪訝そうな表情で振り返る三井に、前を向くよう言って、大雅は少し休もうと目を閉じた。 「……あ、ちょっとジムに寄ってく」 走り出して少しして、声を上げる大雅を、眉間にシワを寄せた三井
「……連絡先って、」それを聞いて私にどうしろというのだろう。「会いたいって、花に。……なんか髪も切って久しぶりに小ざっぱりしたみたいだし、この機会に会ってきたら?」「美容室代を払ってくれたのは大雅さんだよ……化粧品も服も…全部大雅さんがプレゼントしてくれたものなのに?」「それは普段の花を労ってのプレゼントでしょ?……いろいろ真相がわかる前に、会っておいた方がいいような気がするけど?」確かに……そうだ。それに、あの日何も言わずに彼を避けて、傷つけたかもしれないと思ったのは一度やニ度ではない。大雅が帰ってくるまであと3日……明日から週末金曜日と土日が続く。春希を瑠璃に頼める今が、チャンスなのかもしれない。「花……変わらないね」震える指で連絡をしてみると、哲平はすぐに都合をつけてくれた。落ち合ったのは、当時よく一緒に行ったイタリアンレストラン。奥の窓際の席が好きで、空いていればかならず座っていたテーブルに彼はいた。「あの……当時は何も言わずに、ごめんなさい」着席する前に、花はまず頭を下げた。「父が失踪して母が亡くなって……会社のことと自宅のことでキャパオーバーで、誰のことも信用できなくなって。本当に、あの当時は何も言わずに避け続けてごめんなさい」謝罪しながら気付いた……私はずっと、哲平くんに謝りたかったのだと。彼はそんな花に笑いかける。「いいからまずは、座りなよ」自分の席から立ち上がり、迷いなく花の肩に触れ、椅子に座らせる。それはとても自然で優しい温もりだった。「それとなく状況は耳にしてたよ。確かに、花の口から聞きたいと思ってたけど……時間がたって、今話してくれるなら嬉しく思う」これだけ時間が経っても話を聞きたいと言ってくれる哲平に感謝の気持ちが湧き上がる。……同時に、離れていった友人たちと彼を一緒にしてしまった自分の人を見る目の無さに絶望した。「父の失踪は、本当にある日突然のことだったの。……父の会社に勤めてたけど、理由はまったくわからなくて、それは役員たちも同じで。それで家に帰ってみたら……まとまったお金と、売れそうな高額商品がことごとく無くなってた。それで、父は自分の意思で会社と家族を捨てたって理解するしかなかった」程なくして母が倒れて亡くなった話は、哲平も瞳を潤ませた。弟の家庭教師として家に出入りしていたあの
「お召し物まで変わると……別人のようなレディに変わりますねぇ」スザンナさんに見送られ、ショップから出てきた私に、ドライバーさんは携帯のカメラを向けた。Vサインをして見せたのは、彼女との話が深刻すぎて、落ち込んだ気持ちを隠すため。「それでは、次のお店に向かいますね」大雅さんに指示をされているらしく、花を乗せ、ドライバーさんは車を走らせる。ほどなくして、バッグにしまった携帯がメッセージの着信を知らせた。『よく似合う。さすがde.san.Jalenoのスザンナさんだな』「え……さっき撮った写真、大雅さんに送っちゃったんですか?」「あ……そのように指示を受けておりまして。申し訳ありません」ついでに車内の様子も録画してあり、それも送信済みだと聞かされ、花は思わずあたりを見渡す。「あ……!カメラ、あれ?」「ホホホ……さようでございます」トロピカルな車内を演出してもらった時……ノリノリで踊った気がする。……しかも着替える前だからタマネギのTシャツで?「やだ……っ恥ずかしい」顔を覆う花に、追い打ちをかけるメッセージが届く。『カメラ、見つかっちゃったか。……すべて俺の指示だからドライバーを責めないように』花は見つけたカメラに絆創膏を貼ってやった。『全部見られてたなんて恥ずかしいです!』『ごめん』だいたい、私の様子を見て何が面白いというのか……こちらでは連日、大雅さんと共演している花園ミミさんの熱愛疑惑がワイドショーを賑わせているというのに『私はきっと、大雅さんにとって動物園のパンダなんでしょうね』癒し……とかじゃなくて娯楽。気まぐれに結婚して、利用されて。あの、開かずの間で見た遺影を思い出した。『そのあたりの話については、帰国したら時間を作る』『疑問に、答えてくれるんですか?』『……答える』どうやら、大雅さんも決意を固めたみたいだ。『だから今日は楽しんで欲しい。化粧品のことはよくわからなくて、同僚の女優に聞いたコスメショップを紹介するから』同僚の女優……花園ミミさんのことだ。『はい。ありがとうございます』大雅さんは今、噂の女性と一緒にいるんだな。ドラマの撮影なんて、私には想像できないような毎日を送っていて……本当に、私はどうしてあんなスターのそばにいられるんだろう。「もう……違うって!アイシャドウはまず、明るめの色を
「ここが、大雅さんオススメの……」「はい。さすが大雅さんです。おしゃれな服が置いてありそうでしょ?」磨き抜かれたガラス張りの外壁が美しい、誰もが知る高級ブランド店。……の、隣の店に入っていく花。味のあるTシャツや季節外れのコートも売っていて、履き潰されて逆に履き心地の良さそうなスニーカーも置いてあるリサイクルショップ。「探しがいがありそうです……」「いやいや、花さん!そちらではなくて、」慌てて連れ戻され、高級店の方に向け、背中を押された。「大雅さんの趣味なんだと思いますよ?……ホホホ」de.san.Jaleno……シンプルで質の高い、着心地のいい服を作っているブランドだ。母と一緒に子供の頃から訪ねていたのは銀座の本店だったが、よく似た店構えで懐かしさがこみ上げる。「いらっしゃいませ、マドモアゼル」ガラスドアを開けると、ウッド系の落ち着いた香りと共に、洗練された雰囲気の女性が私に向かって笑顔を向けた。マドモアゼル、の言い方に覚えがある……50代くらいの女性……本店の店長だった人だ。確かお名前はスザンナ伊藤さん。「もしかしたら、KOSAKAコーポレーションの、花お嬢様では?」「はい。花です。……お久しぶりです」「まぁ、大きくなられて……」最後に来店したのはいつだろうかと話ながら、スザンナさんはハッと何かを思い出したようだ。「あの、もしかして……俳優の鈴里大雅さんからのご紹介だというのは、」「……私です」花は唇に人さし指を立てた。「……あぁ、ここに転勤になって良かったわ!また花お嬢さまをコーディネートできるなんて!」「スザンナさん、お嬢さまというのは……」「あらやだ!私ったら、もうすっかり大人の女性でいらっしゃるのに」……とはいえ、大学を卒業するまではよく来ていた。就職してスーツが必要になって、別のブランドに行くことが多くなったのを思い出す。「鈴里さまは当店のメンズブランドのアンバサダーを務めていただいたご縁で、よくご利用いただいてるんですよ」「そうなんですか……私、何も知らなくて」このブランドのメンズ服は、父も好んで着ていた。……銀座の本店には両方置いてあって、家族で来ると父と弟、母と私に別れたものだ。スザンナさんはこちらの希望を聞きながら、骨格や肌色を見て、的確に服を選んでくれた。「鈴里様からは、一式揃え
「それじゃ行ってきます!……花は今日1日、有意義に過ごしてね!」 「うん、ありがとう!夕飯は美味しいの作っておくから!」 瑠璃が春希をプールと動物園がセットになった、子供ランドに連れ出してくれることになった。 保育士仲間と3人で、春希の他にもう1人5歳の男の子を連れて行くという。 瑠璃が私にも、少しのんびりする時間を作ってくれた、というわけだ。 とはいえ、春希と過ごす時間にまったくストレスはなく、癒しの時間ですらあるのだが…… 「そういえば長いこと、美容室に行ってない……」 贅沢できないようになってから、ずっと自分で適当にカットしていた髪だったが……花園ミミのサラサラヘアを見て、少しは綺麗になりたくなった。 だから瑠璃の申し出はとてもありがたかったのだ。 春希の外出は、もちろん大雅も許可してくれてのこと。 『春希を預けたら、家事に勤しむとかしないように』 家にいたら絶対そうなってた…… メッセージのラリーはずっと途切れず続いていた。 『あの、大雅さんの落書きされたパネル、外そうと思ってました』 『あの鼻毛の?』 『そうです。勢いよく飛び出してるヤツ』 春希がいると危ないので、ずっと手を付けられないでいた。ふと目に入ってそうメッセージしてみたら、意外なことを言われのけぞってしまう。 『俺の顔忘れて欲しくないから、そのままにしておいて』 え……鼻毛付きの顔をインプットしたままでいいのでしょうか。 そしてさらに意外な提案までされてしまった。 『美容室へでも行ってきなよ。それで……化粧品とか服でも買いに行ったら?』 ものすごくハッとした。 私はそんなにみすぼらしかったかと思ったから。 『はい、そうします……』 『権堂に運転手をさせる。こちらから伝えるから、時間は何時頃がいい?』 権堂、という名前に嫌な胸の高鳴りを覚え、慌ててメッセージを送信する。 『いえ。権堂さんは結構です。タクシーを飛ばして行ってきていいですか?』 『その方がいいならもちろん』 本当はタクシーが使いたかったわけではもちろんない。けれどこれで、権堂さんは大雅さんに何も伝えていないということがわかった。 あの……恐ろしきファンのこと、留守中にご飯を食べて風呂に入り、大雅さんの服を着てリラックスし
『大変申し訳ありません。……大雅さんの言いつけを破ってしまい、入るなと言われていた部屋にうっかり入ってしまいました。本当に、申し訳ありません』……これを、海外で仕事中の大雅さんに送ったら、彼はどう思うだろう。秘密にしておきたいものが白日のもとに晒されたのだ。……当然、動揺もするだろう。「やっぱり今は……何も言わないでおこうか」もしかしたら動揺して、セリフを間違えてしまうかもしれない。……セリフだけじゃなく、もし街中を歩くシーンでもあって、行く道を間違えて迷子になってしまったら……花は打ち込んだ携帯のメッセージを消し、リビングのソファでお昼寝中の瑠璃を見つめた。反省しきりだった瑠璃。さすがに遺影があれば、簡単に踏み込んでいい話ではないことは察してくれたらしい。……聞かれたところで私も何も聞かされていないのだけど。一緒になって意気消沈する春希を、花は慌てて励ました。「私も、この部屋のことは何も知らなくて。でも……ちゃんと説明してもらわなくちゃって思ってたの」いいきっかけができた!……と言って、3人で部屋のドアを閉めた。ランチの冷やし中華を食べ終わり、デザートのあんみつも食べて満腹になった2人は、すっかり安心してお昼寝中というわけだ。……けれど花は眠れなかった。開かずの間で見た黒いリボンの遺影。優しげに笑う人は、とても綺麗な人だったことを思い出す。年齢は多分30代。あの人が春希の母親で、大雅さんが唯一愛した人だったとしたら……胸がキュッと苦しくなった。私は、あの女性の代わりとしてここにいるんだろうか……余計なことを考えるのをやめたくて、携帯で最新のニュースを検索してみる。「大型台風が発生したとか竜巻とか雹とか……」洗濯物を外に出して干すことが趣味の花にとって、気になることの上位に翌日の天気がある。大雅さんが留守の間に、ベッドパッドを干すとか枕を干すとか洗うとかしておきたい。そんなことを考えてネットニュースを開いてみれば……「わぁ『鈴里大雅、海外ロケで輝く!』だって……」……そんな記事を見つけてしまえば、やっぱり姿を見たくなってしまうというもの。トップ画にはすでに、白いシャツとサングラス姿で街を歩く大雅の写真が使われている。開局50周年記念ドラマに出演・VÉLOURSの鈴里大雅(30)画面をタップしてみると、他にも何







