LOGIN「すごい、これがファーストクラス……!」
「ごろごろできるぞ。ドア付きの個室だからな」喜びの声をあげる沙織に、塔矢奏多が満足そうに答える。ノーマン・ギゼルの依頼を受けて、二人はハリウッドに向かうところだ。本来、呼ばれているのは沙織だけだ。通訳兼、責任者兼、案内役として、奏多は自腹で付いてきたのだ。この日のために大きな案件をいくつも片付け、役員たちに仕事を振ったことを沙織には話していない。「一流シェフのコース料理が食べられるぞ」「わ、パジャマまである!」沙織は、フルフラットベッドに座って、周囲をきょろきょろする。先日、瀬名大地と思う存分話をした。間接的に、大地からも好意を伝えられたのだが、不思議に拒否感はなかった。朝霧司や、奏多が沙織に絶対好意を持っている、と大地は言った。順を追って説明されると、沙織も冷静に納得した。毎日一緒に食事をとるのも、無料で弁護活動をしたり水族館に誘うのは、確かに好意がなれければあり得ない。自分が対象「すごい、これがファーストクラス……!」「ごろごろできるぞ。ドア付きの個室だからな」喜びの声をあげる沙織に、塔矢奏多が満足そうに答える。ノーマン・ギゼルの依頼を受けて、二人はハリウッドに向かうところだ。本来、呼ばれているのは沙織だけだ。通訳兼、責任者兼、案内役として、奏多は自腹で付いてきたのだ。この日のために大きな案件をいくつも片付け、役員たちに仕事を振ったことを沙織には話していない。「一流シェフのコース料理が食べられるぞ」「わ、パジャマまである!」沙織は、フルフラットベッドに座って、周囲をきょろきょろする。先日、瀬名大地と思う存分話をした。間接的に、大地からも好意を伝えられたのだが、不思議に拒否感はなかった。朝霧司や、奏多が沙織に絶対好意を持っている、と大地は言った。順を追って説明されると、沙織も冷静に納得した。毎日一緒に食事をとるのも、無料で弁護活動をしたり水族館に誘うのは、確かに好意がなれければあり得ない。自分が対象だと思わなければ、沙織でも納得できた。ただ――自分にそんな価値があるとは思えない。しかし、そんな沙織に大地は言った。「わからないから、とりあえず距離を取るのはダメです。嫌だと思ったら離れればいいんです。ゆっくり考えましょう。後悔というのは、後で悔やむことですよ」自分が混乱しているからといって、傷つけるわけにはいかない。大地の言葉が、自分に甘いことは分かっている。それでも、無理やり答えを出すことは失礼なことだ。今は無理なく、自分らしく過ごして、自分の気持ちで決めよう。「今の沙織さんは、未だ傷が癒えていない状態です。4年も結婚していて、はい次にはならないなら、仕事を楽しみながらゆっくり考えてください」そう言ってくれた大地は、本当に優しいと思う。「すごい……飛行機に乗ってるとは思えない……。こんな高級な体験、そうそう出来ないよね」一通り出てきた上級なコース料理を、空の景色をお供に堪能する。ノーマン・ギゼルはどんな人物だろう。日本にいる間、ノーマン・ギゼル
「司くんに、また二人で出かけたいって言われて、私、すぐに意味がわからなくて――」沙織の話は、朝霧司とは大学の先輩後輩だという話から、塔矢奏多と幼馴染で、前の夫から放り出されたときに助けられた話まで、ごったになって流れてきた。若者が多く、にぎわっている店で良かった――大地は内心、自分のチョイスを褒めた。沙織から電話で話を聞いたとき、沙織はやっと大地の下心に気が付いたのだと思った。だから、今日はフラれる覚悟で来たのだ。しかし、沙織の話を聞く限り、沙織の気持ちが定まったようには聞こえない。おそらく、高山隼人との離婚が、かなり沙織の重圧になっているのだろう。そうでなければ、もう少し早く気が付いたはずだ。沙織の自己肯定感は、時に低い。沙織の作った調香からはみじんもそうした気配がないのだが。本来の芯の強さを、隼人が離婚の際にへし折ったのかもしれない。今更ながら、隼人が憎い。「まだ、離婚したてだし……前の夫のことだって、結婚記念日までずっとわかってなかったのに……選ばないといけないことなのか、って。でも好意を持たれていたら、無視するのは酷いことだし……もう自分のことがわからなくて」「まあ、今無自覚に俺もフラれてるんですが、沙織さんのためにならいくらでも都合のいい男になりますよぉ」沙織の戸惑ったような顔から、はっと表情が変わる。「もしかして、瀬名さん……!?」「まあ、もしかしないんですけど。いいんです。お話からして、塔矢さんにも朝霧さんにもこの話と気持ちを打ち明けていないってことですよね? だったら、最初に聞けたのが俺で嬉しいんです」「それでも、私……!」「都合のいい男ってのは、言葉が悪いですね。そーですねぇ、確かに俺は沙織さんのことが好きなんですけど、親友にもなりたいんです。だから、塔矢さんたちに話しにくいけど、男の意見が聞きたい! みたいなときはこうして話してください」きっと、塔矢奏多や朝霧司は、そう割り切って話せるタイプではない。大地の強みは、この軽みだ。沙織と出会って一番、日数が浅い自分。それでも、こうして困りごとを相談されるほどに
「司くんに、また二人で出かけたいって言われて、私、すぐに意味がわからなくて――」沙織の話は、朝霧司とは大学の先輩後輩だという話から、塔矢奏多と幼馴染で、前の夫から放り出されたときに助けられた話まで、ごったになって流れてきた。若者が多く、にぎわっている店で良かった――大地は内心、自分のチョイスを褒めた。沙織から電話で話を聞いたとき、沙織はやっと大地の下心に気が付いたのだと思った。だから、今日はフラれる覚悟で来たのだ。しかし、沙織の話を聞く限り、沙織の気持ちが定まったようには聞こえない。おそらく、高山隼人との離婚が、かなり沙織の重圧になっているのだろう。そうでなければ、もう少し早く気が付いたはずだ。沙織の自己肯定感は、時に低い。沙織の作った調香からはみじんもそうした気配がないのだが。本来の芯の強さを、隼人が離婚の際にへし折ったのかもしれない。今更ながら、隼人が憎い。「まだ、離婚したてだし……前の夫のことだって、結婚記念日までずっとわかってなかったのに……選ばないといけないことなのか、って。でも好意を持たれていたら、無視するのは酷いことだし……もう自分のことがわからなくて」「まあ、今無自覚に俺もフラれてるんですが、沙織さんのためにならいくらでも都合のいい男になりますよぉ」沙織の戸惑ったような顔から、はっと表情が変わる。「もしかして、瀬名さん……!?」「まあ、もしかしないんですけど。いいんです。お話からして、塔矢さんにも朝霧さんにもこの話と気持ちを打ち明けていないってことですよね? だったら、最初に聞けたのが俺で嬉しいんです」「それでも、私……!」「都合のいい男ってのは、言葉が悪いですね。そーですねぇ、確かに俺は沙織さんのことが好きなんですけど、親友にもなりたいんです。だから、塔矢さんたちに話しにくいけど、男の意見が聞きたい! みたいなときはこうして話してください」きっと、塔矢奏多や朝霧司は、そう割り切って話せるタイプではない。大地の強みは、この軽みだ。沙織と出会って一番、日数が浅い自分。それでも、こうして困りごとを相談されるほどに
園村エリカにコーヒーをかけられて以来、沙織が調香室を出るときは人がつくことになった。沙織は、必死に辞退したのだが、がんとして奏多が譲らない。しばらくの間だけ、となんとか説得したが、沙織にアイスコーヒーをかけるのは園村エリカくらいだ。沙織を見張るより、エリカを見張ったほうがいいと思う。しかし、沙織以上に奏多が怒っているので、沙織は怒る気が失せてしまった。「手が滑った」を信じるほど愚かではない。しかし、同列でやりあうのもどうかと思っていた。傷ついた様子や、気に病む雰囲気を出せば、エリカの勝ちだ。「こんな感じかな?」残業をしながら、沙織は奏多用の香水の研究をしていた。仕事中の奏多と、沙織といるオフのときの奏多と、雰囲気はかなり違う。沙織の理想では、どちらの奏多でも違和感がないイメージの香水だ。強さをレザーで、柔らかさをラベンダーで、紳士的なところをモスで。香水業界で、ラベンダーの香水は、実際少ない。ムスク、ローズ、バニラ、などの主軸は山のようにあるが、ラベンダーはひとつ間違えると消臭剤になりかねないので、バランスが難しいのだ。男らしく、それでいてツンツンしすぎない香りを作っていく。一つの香水をとっても、着用者の肌タイプで香りは自在に変化する。奏多は、沙織の作品を愛用しているので、沙織は奏多の肌タイプを完全に把握していた。「あとは、寝かせるだけか……」作りたての香りは、調和するまで落ち着かない。スマホにはロックしてあるが、調香ノートにもロックしてある。普段なら、パソコンにもデータを同期させているが、これは商業用ではない。パソコンには入れずに、完成させた香りを冷暗所に寝かせた。 「でも、これは誕生日パーティーに渡す、誕生日プレゼントだし……ネックレスのお礼は別の方がいいのかも?」朝霧司と、瀬名大地には、副調香師になった沙織へのプレゼントの返礼をしてある。「あっ……二個作ればいいか! ラベンダー香水と合わせると、更に完成する寝香水にして……!」香水好きには、風呂香水や寝香水と呼ばれるものがある。風
――なぜか、ドキドキしてしまった。沙織は、結局タクシーに乗らずにトボトボと帰り道を歩く。朝霧司との水族館は、とても楽しかった。まるで、大学時代に戻ったような気がした。それでも、あの時に感じた司からの熱。――向き合って答えを出しなさい。母からの言葉が、響く。それでも、高山隼人から受けた傷が遠く響く。4年一緒にいて、簡単に物のように捨てられた。まだ、男という生き物について信じることが怖い。***「プレゼントありがとうございます、香水のサンプル入れと万年筆、めっちゃ使いますよ」「喜んでくれてありがとう……その、瀬名さん。ちょっとお話が」疲れて、風呂あがりにぼうっとしていた沙織の元に瀬名大地から電話が入る。奏多の態度、司からのアプローチを相談しかけると、慌てたように大地に遮られた。「ちょ、ちょっと待ってください! こういうことは、会って話しませんか?」聞き上手な大地に甘えそうになったが、日程をのばすとノーマン・ギゼル氏の仕事と被ってしまう。「じゃあ、この日の夜か、こっちの日に……」大地はすぐに予定を合わせてくれた。こんなに突然の話でも、嫌な顔ひとつしない。――彼女とかは、いないのかな。考えたが、今聞くことはしなかった。***翌朝、塔矢奏多のところにおもむくと、キッチンから甘い香りがした。今日は、奏多がフレンチトーストを焼いてくれたらしい。今までは沙織が作っていたが、奏多の腕前は上がっている。少し焦げていたが、フレンチトーストはしっかり乳液に浸っていて甘かった。お腹いっぱいになった沙織の顔を覗き込む奏多の顔に、昨日の不機嫌さはない。――もしかして、気にしすぎたのかな。「気に入ったのなら、明日も焼こうか?」「毎日はさすがに……ね? そういえば奏多のキッチンにホットサンドメーカーがあったよね。明日はそれで何か焼こうか」「そんなもの、あったか? やり方を覚えたら、また俺のレパートリーが増えるな」笑った顔が、子供時
「……出かけるのか?」沙織が玄関を開けたのと、チャイムが鳴るのは同時だった。ちょうど、塔矢奏多が沙織の部屋を訪れた時にドアを開けてしまったようだ。「うん、ちょっと水族館に」「――ひとりで?」「司くんに誘われて……」奏多の切れ長の目が、一瞬大きく広がった。舌打ちこそしなかったものの、整った眉が下がる。幼馴染でなくとも、奏多の機嫌が悪くなったのは明らかだ。奏多のほうは、沙織を映画に誘おうと沙織好みの映画を予約してしまったところだ。チケット代は惜しくないが、おしゃれした沙織が朝霧司と出かけると思うと不快だ。 ***「気を付けろよ」複数の意味で、よくよく念押しした奏多は沙織を見送った。何か包みを持っているのも、正直気になった。食事のときに、副調香師になって司と瀬野大地からもプレゼントを貰ったと言っていた。――まさか、朝霧が本命か?嫉妬する権利はないと分かっていて、奏多の心は焼き焦げた。沙織の心が欲しい。沙織の笑顔が欲しい。毎日食事をしていて、出社と退社も一緒。充分、沙織の近くにいることは分かっている。それでも、心の底から沙織が欲しかった。他の誰にもやりたくない。この望みが叶うのなら、喜んで会社を捨ててもいい。ステータスも、なにもいらない。どうしたら、この望みは叶うのだろう。****「ごめんね、お待たせ」水族館の前で、沙織は司と合流した。羨望の視線が、ちくちくと沙織を刺す。スタイルがよく、知性的な面差しの司はそれなりに目立つ。女性から品定めのような目線を浴びて、沙織は苦笑する。奏多といるときは、もっと激しい視線がくる。そういえば、瀬名大地も系統が違うイケメンだ。見栄えのいい相手といると、それに慣れてしまう。「待っていませんよ、時間通りです。僕が少し早すぎたようです」にこり、と司が笑む。「荷物、持ちましょうか?」「あ、これは……その、大丈夫