Chapter: 第42話 新しい(曲者)メンバー 姫川四葉は、肉の缶詰が入った小箱を持って男女共同ルームをうろうろしていた。 先日、御厨沙良が病気のために長期入院する旨と不知火カガリをオフィリア05部隊の隊長にすることが放送された。 カガリの隊長職は、御厨が戻る間なのかずっとなのかは分からない。 それでもお祝いに、何かしたかった。 「不知火マジで空気読まねえよなぁー、とうとう隊長かよ」 「いやまあ、じゃあSランク二回倒せんの? って言われちゃそりゃ無理だけどさあ。テンポおかしくないか?」 「生島司令に気に入られて、ちょっと贔屓感じる~」 「分かる、五月だよ? 入隊して一年も経たないやつがねぇ……」 「ま、利点があるとしたらテレビにめっちゃ映ることかな。オフィリア05部隊が最近ダントツニュースで流れるもんな」 「いやいやオフィリア05部隊に配属されなくてよかったぁ。あんなスピード出世と比べられたくなーい」 四葉は、意図してカガリへの妬み声を聞かないようにする。 入隊してからずっとこうだ。 むしろ、数は増えている。 以前は阿部と霧山が、二人がかりでそういう雰囲気からカガリをシャットアウトしてきたが、最近はカガリがいようとおかまいなしな気がした。 「けど、本部からお茶の水基地に左遷になって、不知火の部下になってる人可哀そうじゃないか? 准尉で本部勤務ならエリートコースなのに」 「それな……。しかも二十ちょいでしょ、絶対エリート」 「雨宮准尉だっけ、何かミスでもしたのかな」 「俺本部勤務に一度でもなったら、他支部なんか行きたくねーなー」 聞きたくない。 防衛高の時代は、ここまでじゃなかった。 男女共同ルームでカガリを待つのを止めようかと、四葉は思い始めた。 男子寮の中には入れないが、寮母に荷物を頼むことも出来る。 会うことは諦めて、男子寮のほうへ行こうとす
Last Updated: 2026-09-12
Chapter: 第40話 思わぬ危難の訪れ② 会議室には緊張感がみなぎっていた。 駆け付けた夜坂司令と、嶽村副司令は顔色が白くなった鬼山とカガリに言葉を無くす。 後から榎木少佐が入ってきて、中から部屋に鍵をかけた。 「私のことは気になさらず。録音機の代わりだと思ってください」 そういって、一人で部屋の隅に腰かける。 鬼山がまず、ソラから切り出された事実を説明して、司令を呼んだことを説明した。 当事者のソラだけが、わたがしのようにふわふわと低空を舞っている。 「富士山麓にも|地球外生命体《ヴォイドフォーク》……? しかも不知火少尉の側の人間……?? どういうことなの、オペレーションルームが捉えられない|地球外生命体《ヴォイドフォーク》がいるということ……?」 椅子は出されていたが、榎木少佐以外全員が部屋をうろうろと歩く。 深呼吸してカガリが座ると、ソラがその膝にちょこんと座った。 「ソラ、富士山麓には異界防衛軍の基地がある。それは知ってるのか?」 『ソラのナカマも、あそこにスコシいル。通信してル』 カガリは頷く。 すると、大声で嶽村が遮った。 「M1,022型異星人は地球と協力する約束だ! なんでこんな大事な話をそちらからしなかったのかね!? 富士山麓にはいつ|地球外生命体《ヴォイドフォーク》が入り込んだんだ!!」 「嶽村副司令、ソラに時間のことを聞くのは無駄です。ソラからすれば、地球にきたのも最近の感覚です」 ソラと話していると、カガリの幼少期も一昨日くらいの意識でいるのだ。 生命体として、人間と同じ感覚を要求するのは時間の無駄だ。 「しかし――」 「今は聞く時間です、副司令」 鬼山が冷ややかな顔で嶽村の腕をつかむ。 静かに立ち上る威圧に、嶽村は無礼な……と呟きつつも黙った。 「富士山麓の基地にきた宇宙人は、ソラはどの異星人かわかる? そいつらは何をした?」 『なまえ、わからなイ。前からいル宇宙人。乗り物にノ
Last Updated: 2026-09-11
Chapter: 第41話 思わぬ危難の訪れ④ 五百雀《いおさき》月子は、御厨沙良の部屋で笑い転げていた。 初の給料が入り、両親にも送金はしたがお年頃としてはそれで終わりたくない。 ケーキを御厨隊長の元に持参し、おしゃれな服を売っているところや喫茶店などの話を聞きに部屋に上がり込んで一時間。 御厨が、彼氏の末元修司とデートにいって店員に親子に間違われかけたことなどを面白く語るので、遠慮なく笑っていた。 「親子って、さすがに酷すぎるよね~? 私何歳だと思われてたのかなー」 「彼氏さんがふけてるとか?」 「えー? 修司さんがー? ないない」 ケーキをつつきながら、恋バナに花が咲く。 そんなたわいもない平和な午後が、不意に破られることになった。 バン、とノックもなしにドアが開いた。 そこには、テレビやグッズで顔を知る本部の鬼山中佐がいる。 「え?」 「御厨少佐、本部に来てもらおう。残念だが、質問には一切答えられない」 冷ややかな顔の鬼山中佐にひっぱられ、御厨がよろめく。 本部からの何かしらの要請ならば、基本的にオペレーションルームから通達がくるものだ。 直接部屋に乗り込まれて、連れ出されることはない。 しかも鬼山は土足だった。 「鬼山中佐、失礼ですが乱暴すぎませんか!?」 思わず声が尖った月子を見返す鬼山の目は、絶対零度だった。 「大丈夫だよ、五百雀《いおさき》ちゃん! なんかあるんだよ」 そもそもここは女子寮だ。 男の鬼山が、しかも最強の男が乗り込んできて騒ぎにならないはずがない。 腕を引っ張られて連れ出される御厨を、女子の歓声が見送る。 ――なにを呑気な。 月子の唇が悔しさのあまり、歪む。 アレはキャーキャー騒がれるようなことじゃない。 御厨本人のも話せないと言われたことを、月子
Last Updated: 2026-09-10
Chapter: 第39話 思わぬ危難の訪れ① お茶の水基地は、五月の新緑に満ちていた。 あれ以来、Sランク|地球外生命体《ヴォイドフォーク》も出現せず、学者がシェルターから飛び出してくることもない。 双子の椎名上等兵がどこまで活躍しているのか、カガリには分からなかった。 今のところ、生島基地司令に呼び出されることも、本部の夜坂司令に呼び出されることもない。 カガリの中で変わったことといえば、カガリのグッズが販売され、お茶の水基地宛てにファンレターを貰うことが増えた。 討伐の任務があると、|偵察ドローン《スカウトオービット》がより接近してくるようになったが、気にしないことにしている。 「おー、おつかれさん。任務かなー?」 「啓心……鬼山中佐、お疲れ様です」 本部についたカガリは、鬼山中佐に速攻で絡まれた。 ぐりぐりとこめかみを攻撃されて、カガリは仏頂面になる。 小さいころは、憧れの兄貴的な存在だった。 こまめに遊んでくれた兄貴は、今や最強となった。 パフィオペディルム型が出現してカガリが暴走した際、手痛い目に入ったことを引っ張り出すような器でないのが、幸いだ。 「そんな他人行儀にしなくったってー。啓心って呼び捨ててた頃はどこ行ったー?」 「任務中だし」 「可愛くないなー、少尉殿は」 「オレに可愛かった時期なんかねぇよ」 本部では、三つ目の異髄力が生まれた後に検査された以来だ。 それより前となると、椎名伊織を護送した時だ。 思えば、討伐依頼はあったものの怪我人を治した記憶がない。 「最近本部は平和なのか?」 「ええ? まあねえ、最近は|地球外生命体《ヴォイドフォーク》の出現警戒アラートも少し減ったな」 鬼山とカガリが並ぶと、カガリのほうが背が高い。 鬼山は少し背伸びをするようにして、小声を出した。 「ここだけの話、俺は嵐の前の静けさだって思ってんのよね」 「……根拠は?」
Last Updated: 2026-09-09
Chapter: 第38話 新型の出現⑵ カガリの報告に、現場も本部オペレーションルームも沸き立った。 動き回る獰猛な顎に突撃することは怖いが、残る一体も空間に固定されている。 「こんなにあっさりと……?」 モニターを見ながら愕然として、夜坂本部司令が呻いた。 カガリがまだ異能防衛軍に入隊する前、別のSランク|地球外生命体《ヴォイドフォーク》が出現した際に、カガリと似た捕獲能力のある鷲塚大尉が同じように固定しようとして失敗した過去がある。 Aランクまでは影の異髄力で食い止めたものの、Sランクの膂力に耐えきれなかったのだ。 以降は、素早く弱点を探って倒す作戦でも鬼山中佐たちは結果を出してきた。 同じSランクのパフィオペディルム型も、不知火名誉中将が最後の力で弱点を暴いたものを鬼山中佐が、後から駆け付けて止めを刺している。 モニターでは、速度で威力をあげた鬼山が、残る一体の|地球外生命体《ヴォイドフォーク》の顎を下から突き破って撃破した。 ぐったりとした二体の|地球外生命体《ヴォイドフォーク》は、空中でこと切れた。 「|偵察ドローン《スカウトオービット》は、良い映像を捉えましたな! これでテレビが盛り上がりますなぁ!」 夜坂司令の隣で、嶽村副司令が小踊りそうなほど喜んでモニターを見ている。 苦々しいが、国が支援しているのだから止められない。 今夜のトップニュースになるだろう。 未知のSランクの|地球外生命体《ヴォイドフォーク》が、隊員が怪我することなく倒されたのだから。 国民たちは勝利に酔い仕入れるだろう。 普段から、|地球外生命体《ヴォイドフォーク》が出現してはシェルターに逃げ込む毎日を送っているのだ。 夜坂司令は、本部に戻る部隊の中から榎木少佐を注視した。 自分の右腕は、間近で不知火カガリの戦闘を見てどう思ったのか。 一機のコープスイングが、本部の方向から離れて飛び去っていく。 米粒サイズになって画面から消えたのは、カガリだった。 援軍として呼ばれたのだか
Last Updated: 2026-09-07
Chapter: 第37話 新型の出現 カガリは司令室を出た。 カガリの懸念――護送任務を知る人間の中におそらく裏切り者がいること――を生島司令に伝えたのだ。 生島は、本部の夜坂司令とうまく連携すると請け合ってくれた。 そして、富士宮支部のほうでは早くも椎名上等兵たちが活躍していると教えてくれた。 久遠揚羽からは、遠回しに元気があるかとメールがきている。 カガリが男女共同ルームになかなか顔を出さないせいで、心配させたらしい。 揚羽も二人部屋を一人で使っているので、夜は寝る前に通話するようになった。 揚羽からの最近の反応は、どこか以前の姉っぽさは薄れているように思うが、まだ確信はない。 それでも、ささくれた心は随分癒された気がする。 霧山についての弱音も、揚羽は全部聞いてくれた。 「――不知火少尉、本部からの入電です。緊急事態につき、本部への援軍要請です!」 基地内で、緊急コールが流れると同時にアナウンスが被さる。 カガリは、疾走して着替えに走った。 今日は出撃のシフトではない。 急いでバイオメタリック・エクソスーツを着用しながら、イヤフォンを耳に着けた。 「不知火少尉、浅草にて新型の|地球外生命体《ヴォイドフォーク》が出現。脅威度判定Sランクと判断されました。神原中佐より、援軍指名ですがいけますか?」 「行きます」 前回、親の仇であるSランク|地球外生命体《ヴォイドフォーク》のパフィオペディルム型には間に合わなかった。 今度こそ、自力で仕留めてみせる。 少尉の位にあった実力があると。 ――しかし、指名……。 神原雪音と鬼山啓心すら、本部判断で現場に放り込まれているのだ。現場が指定したところで叶うとはあまり思えない。 あの神原がどんな判断でカガリを指名したのだろうか。 セイント・テスラを期待されているのなら、無名の新型にはそれは使えない。 新型には、遺骸もデータを取るために必要だ。
Last Updated: 2026-09-04
Chapter: 第30話 ハリウッドの景色『このあと、食事でもどうかな?』 「あの……機内でしっかり食べてきたので、まだ……。あ、ファーストクラスの手配をありがとうございました!」 『いいんだよ、あれくらい』 沙織は、ノーマン・ギゼルの距離の近さに戸惑っていた。 めりっとその空間を引きはがしたのは、塔矢奏多だった。 『沙織は日本人なので、適切な距離をとってもらえますか』 『君こそ、日本人らしく礼儀正しく帰国したらどうだい?』 こげ茶の髪に青い瞳のノーマン・ギゼルは、奏多の頭からつま先まで一瞥する。 『これがサオリのナイトなのかい? 確かに見た目はハリウッドでも通用しそうだが……』 『お褒めの言葉をありがとうございます。私は一介の香水屋の社長なので』 沙織には見えない火花が散っていると、休憩の終わりが通達された。 『サオリ、仕事中のオレを見ていてくれ!』 『わかりました!』 簡単な英語で応じると、ノーマン・ギゼルは笑顔で現場に戻っていく。 この先、ハリウッドスターに合うことはないだろうと沙織は華やかな現場を目に焼き付けた***「まずいな……」 沙織に聞こえないように、奏多はひとり言をこぼす。 非日常な撮影に、沙織は心を奪われているようだが、ノーマン・ギゼルから嫌な気配がする。 ノーマン・ギゼルは売れっ子だが、検索しただけで過去のお相手がたくさん出てくる。 そして、比率的にアジア系と付き合っていることが多い。 ハリウッドであまり浮かないように、とそれなりの服をプレゼントしたが、かえってよくなかったかもしれない。 沙織はブランドを着こなし、首には奏多がプレゼントしたプラチナのネックレスが光る。 ただでさえ、朝霧司と瀬名大地に苦労しているのだ。 そこに財も見た目もステータスもある、ハリウッドスターの参戦は迷惑すぎる。 これは、沙織を一人にしないほうがいいだろう。 ふっと、奏多は逆の立場を想像してみた。 女弁護士に、シゴデキの他社の調香師、ハリウッド女優に迫られる自分……。 ――無駄だな。 どんな選択肢が増えても、
Last Updated: 2026-09-14
Chapter: 第29話 ハリウッドスター「すごい、これがファーストクラス……!」「ごろごろできるぞ。ドア付きの個室だからな」喜びの声をあげる沙織に、塔矢奏多が満足そうに答える。ノーマン・ギゼルの依頼を受けて、二人はハリウッドに向かうところだ。本来、呼ばれているのは沙織だけだ。通訳兼、責任者兼、案内役として、奏多は自腹で付いてきたのだ。この日のために大きな案件をいくつも片付け、役員たちに仕事を振ったことを沙織には話していない。「一流シェフのコース料理が食べられるぞ」「わ、パジャマまである!」沙織は、フルフラットベッドに座って、周囲をきょろきょろする。先日、瀬名大地と思う存分話をした。間接的に、大地からも好意を伝えられたのだが、不思議に拒否感はなかった。朝霧司や、奏多が沙織に絶対好意を持っている、と大地は言った。順を追って説明されると、沙織も冷静に納得した。毎日一緒に食事をとるのも、無料で弁護活動をしたり水族館に誘うのは、確かに好意がなれければあり得ない。自分が対象だと思わなければ、沙織でも納得できた。ただ――自分にそんな価値があるとは思えない。しかし、そんな沙織に大地は言った。「わからないから、とりあえず距離を取るのはダメです。嫌だと思ったら離れればいいんです。ゆっくり考えましょう。後悔というのは、後で悔やむことですよ」自分が混乱しているからといって、傷つけるわけにはいかない。大地の言葉が、自分に甘いことは分かっている。それでも、無理やり答えを出すことは失礼なことだ。今は無理なく、自分らしく過ごして、自分の気持ちで決めよう。「今の沙織さんは、未だ傷が癒えていない状態です。4年も結婚していて、はい次にはならないなら、仕事を楽しみながらゆっくり考えてください」そう言ってくれた大地は、本当に優しいと思う。「すごい……飛行機に乗ってるとは思えない……。こんな高級な体験、そうそう出来ないよね」一通り出てきた上級なコース料理を、空の景色をお供に堪能する。ノーマン・ギゼルはどんな人物だろう。日本にいる間、ノーマン・ギゼル
Last Updated: 2026-09-11
Chapter: 第28話 大地の打算「司くんに、また二人で出かけたいって言われて、私、すぐに意味がわからなくて――」沙織の話は、朝霧司とは大学の先輩後輩だという話から、塔矢奏多と幼馴染で、前の夫から放り出されたときに助けられた話まで、ごったになって流れてきた。若者が多く、にぎわっている店で良かった――大地は内心、自分のチョイスを褒めた。沙織から電話で話を聞いたとき、沙織はやっと大地の下心に気が付いたのだと思った。だから、今日はフラれる覚悟で来たのだ。しかし、沙織の話を聞く限り、沙織の気持ちが定まったようには聞こえない。おそらく、高山隼人との離婚が、かなり沙織の重圧になっているのだろう。そうでなければ、もう少し早く気が付いたはずだ。沙織の自己肯定感は、時に低い。沙織の作った調香からはみじんもそうした気配がないのだが。本来の芯の強さを、隼人が離婚の際にへし折ったのかもしれない。今更ながら、隼人が憎い。「まだ、離婚したてだし……前の夫のことだって、結婚記念日までずっとわかってなかったのに……選ばないといけないことなのか、って。でも好意を持たれていたら、無視するのは酷いことだし……もう自分のことがわからなくて」「まあ、今無自覚に俺もフラれてるんですが、沙織さんのためにならいくらでも都合のいい男になりますよぉ」沙織の戸惑ったような顔から、はっと表情が変わる。「もしかして、瀬名さん……!?」「まあ、もしかしないんですけど。いいんです。お話からして、塔矢さんにも朝霧さんにもこの話と気持ちを打ち明けていないってことですよね? だったら、最初に聞けたのが俺で嬉しいんです」「それでも、私……!」「都合のいい男ってのは、言葉が悪いですね。そーですねぇ、確かに俺は沙織さんのことが好きなんですけど、親友にもなりたいんです。だから、塔矢さんたちに話しにくいけど、男の意見が聞きたい! みたいなときはこうして話してください」きっと、塔矢奏多や朝霧司は、そう割り切って話せるタイプではない。大地の強みは、この軽みだ。沙織と出会って一番、日数が浅い自分。それでも、こうして困りごとを相談されるほどに
Last Updated: 2026-09-09
Chapter: 第27話 男の心「司くんに、また二人で出かけたいって言われて、私、すぐに意味がわからなくて――」沙織の話は、朝霧司とは大学の先輩後輩だという話から、塔矢奏多と幼馴染で、前の夫から放り出されたときに助けられた話まで、ごったになって流れてきた。若者が多く、にぎわっている店で良かった――大地は内心、自分のチョイスを褒めた。沙織から電話で話を聞いたとき、沙織はやっと大地の下心に気が付いたのだと思った。だから、今日はフラれる覚悟で来たのだ。しかし、沙織の話を聞く限り、沙織の気持ちが定まったようには聞こえない。おそらく、高山隼人との離婚が、かなり沙織の重圧になっているのだろう。そうでなければ、もう少し早く気が付いたはずだ。沙織の自己肯定感は、時に低い。沙織の作った調香からはみじんもそうした気配がないのだが。本来の芯の強さを、隼人が離婚の際にへし折ったのかもしれない。今更ながら、隼人が憎い。「まだ、離婚したてだし……前の夫のことだって、結婚記念日までずっとわかってなかったのに……選ばないといけないことなのか、って。でも好意を持たれていたら、無視するのは酷いことだし……もう自分のことがわからなくて」「まあ、今無自覚に俺もフラれてるんですが、沙織さんのためにならいくらでも都合のいい男になりますよぉ」沙織の戸惑ったような顔から、はっと表情が変わる。「もしかして、瀬名さん……!?」「まあ、もしかしないんですけど。いいんです。お話からして、塔矢さんにも朝霧さんにもこの話と気持ちを打ち明けていないってことですよね? だったら、最初に聞けたのが俺で嬉しいんです」「それでも、私……!」「都合のいい男ってのは、言葉が悪いですね。そーですねぇ、確かに俺は沙織さんのことが好きなんですけど、親友にもなりたいんです。だから、塔矢さんたちに話しにくいけど、男の意見が聞きたい! みたいなときはこうして話してください」きっと、塔矢奏多や朝霧司は、そう割り切って話せるタイプではない。大地の強みは、この軽みだ。沙織と出会って一番、日数が浅い自分。それでも、こうして困りごとを相談されるほどに
Last Updated: 2026-09-07
Chapter: 第26話 奏多へのプレゼント園村エリカにコーヒーをかけられて以来、沙織が調香室を出るときは人がつくことになった。沙織は、必死に辞退したのだが、がんとして奏多が譲らない。しばらくの間だけ、となんとか説得したが、沙織にアイスコーヒーをかけるのは園村エリカくらいだ。沙織を見張るより、エリカを見張ったほうがいいと思う。しかし、沙織以上に奏多が怒っているので、沙織は怒る気が失せてしまった。「手が滑った」を信じるほど愚かではない。しかし、同列でやりあうのもどうかと思っていた。傷ついた様子や、気に病む雰囲気を出せば、エリカの勝ちだ。「こんな感じかな?」残業をしながら、沙織は奏多用の香水の研究をしていた。仕事中の奏多と、沙織といるオフのときの奏多と、雰囲気はかなり違う。沙織の理想では、どちらの奏多でも違和感がないイメージの香水だ。強さをレザーで、柔らかさをラベンダーで、紳士的なところをモスで。香水業界で、ラベンダーの香水は、実際少ない。ムスク、ローズ、バニラ、などの主軸は山のようにあるが、ラベンダーはひとつ間違えると消臭剤になりかねないので、バランスが難しいのだ。男らしく、それでいてツンツンしすぎない香りを作っていく。一つの香水をとっても、着用者の肌タイプで香りは自在に変化する。奏多は、沙織の作品を愛用しているので、沙織は奏多の肌タイプを完全に把握していた。「あとは、寝かせるだけか……」作りたての香りは、調和するまで落ち着かない。スマホにはロックしてあるが、調香ノートにもロックしてある。普段なら、パソコンにもデータを同期させているが、これは商業用ではない。パソコンには入れずに、完成させた香りを冷暗所に寝かせた。 「でも、これは誕生日パーティーに渡す、誕生日プレゼントだし……ネックレスのお礼は別の方がいいのかも?」朝霧司と、瀬名大地には、副調香師になった沙織へのプレゼントの返礼をしてある。「あっ……二個作ればいいか! ラベンダー香水と合わせると、更に完成する寝香水にして……!」香水好きには、風呂香水や寝香水と呼ばれるものがある。風
Last Updated: 2026-09-04
Chapter: 第25話 混乱する心――なぜか、ドキドキしてしまった。沙織は、結局タクシーに乗らずにトボトボと帰り道を歩く。朝霧司との水族館は、とても楽しかった。まるで、大学時代に戻ったような気がした。それでも、あの時に感じた司からの熱。――向き合って答えを出しなさい。母からの言葉が、響く。それでも、高山隼人から受けた傷が遠く響く。4年一緒にいて、簡単に物のように捨てられた。まだ、男という生き物について信じることが怖い。***「プレゼントありがとうございます、香水のサンプル入れと万年筆、めっちゃ使いますよ」「喜んでくれてありがとう……その、瀬名さん。ちょっとお話が」疲れて、風呂あがりにぼうっとしていた沙織の元に瀬名大地から電話が入る。奏多の態度、司からのアプローチを相談しかけると、慌てたように大地に遮られた。「ちょ、ちょっと待ってください! こういうことは、会って話しませんか?」聞き上手な大地に甘えそうになったが、日程をのばすとノーマン・ギゼル氏の仕事と被ってしまう。「じゃあ、この日の夜か、こっちの日に……」大地はすぐに予定を合わせてくれた。こんなに突然の話でも、嫌な顔ひとつしない。――彼女とかは、いないのかな。考えたが、今聞くことはしなかった。***翌朝、塔矢奏多のところにおもむくと、キッチンから甘い香りがした。今日は、奏多がフレンチトーストを焼いてくれたらしい。今までは沙織が作っていたが、奏多の腕前は上がっている。少し焦げていたが、フレンチトーストはしっかり乳液に浸っていて甘かった。お腹いっぱいになった沙織の顔を覗き込む奏多の顔に、昨日の不機嫌さはない。――もしかして、気にしすぎたのかな。「気に入ったのなら、明日も焼こうか?」「毎日はさすがに……ね? そういえば奏多のキッチンにホットサンドメーカーがあったよね。明日はそれで何か焼こうか」「そんなもの、あったか? やり方を覚えたら、また俺のレパートリーが増えるな」笑った顔が、子供時
Last Updated: 2026-09-02