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第4話 奏多と沙織

Penulis: 相木ふゆ彦
last update Tanggal publikasi: 2026-07-15 18:32:00

4年前の沙織の結婚式の前夜も、奏多は突然沙織に呼ばれたのだった。

奏多は当時24歳。

父から継いだばかりの塔矢フレグラスを軌道に乗せることに忙しく、それでいて売り上げの決め手にかけるラインナップに苦戦していた。

22歳の沙織は、結婚式に向けて輝くように磨き上げており、奏多には眩しく映った。

それでいて、沙織の隣にいるのが自分ではないことに傷ついていた。

もっと会社が軌道にのってから、声をかけるつもりだった。

ゆっくり時間をかけて、特別な瞬間を重ねて――そうして、ゴールインするつもりだったのに。

高山隼人という、どこの馬の骨とも知らない男に沙織をさらわれた。

大学の合コンで知り合ったというが、幼馴染としても納得できない。

「この調香レシピ、全部預かってほしい。持っていけないの。隼人が、女はそういうことをするべきじゃないって」

書類と、小さなサンプルを渡されて、奏多は立ち尽くした。

沙織は、調香界の伝説的「ゴールデンノーズ」と呼ばれるほどの調香師だった。

いわば、これは沙織の財産でありすべてだ。

どんな微かな香りも当て、バラが入っていなくてもバラの香りがする――そんな一流の調香師の仕事が奏多の手の中にあった。

「奏多なら信用できる。塔矢フレグラスで、もし気に入ったものがあれば商品化してもいい。私の代わりに大事にしてくれる?」

奏多は叫びたかった。

調香は沙織の魂だ。

それを全て否定するやつと、今後を生きていくのか。

沙織の未来も、沙織が作り出すであろう新作のすべてを否定する男。

高山隼人は、沙織にはふさわしくない。

――そんなに、愛しているのか?

沙織の宝物を捨ててまで、一緒になるのか。

口に出しかけた、その言葉を飲んだのはほかでもない沙織の笑顔だった。

我が子のような調香レシピを捨ててまで、沙織はいま幸せそうに微笑んでいる。

奏多は、多くの言葉を飲み込んで、手の中のレシピを握り締めた。

沙織が他の男の元へ行ってしまう。

それでも、奏多しか出来ないことは、沙織のすべてを商品化することだけだ。

***

「前と同じポジションには戻らない。でも……仕事が欲しい」

沙織は、奏多が淹れてくれた紅茶に手を伸ばした。

「どういうことだ?」

「あなたの会社、人手は足りてる?」

奏多は息を呑んだようだった。

奏多はきっと、沙織が元の調香師の仕事に戻ると思っていたのだろう。

それでも、今の沙織には以前のような仕事ができる自信がなかった。

「品質管理部に、アシスタントの空きがある。給料は安い。一番下っ端だ」

「それでお願い」

沙織は笑った。笑みはほんのわずかだったけれど、とても真実味があった。

「このお金で暮らしていくのは嫌。まずは下からやってみたい。自分の力で試してみたいの」

奏多が築いてくれた財産は、まだ自分のものとは思えない。

どちらかといえば、営業から販売した奏多の業績であって、自分の調香師としての仕事は、わずかだ。

奏多の口元が、ごく僅かに緩む

「明日から出社だ。遅れるな」

沙織は、奏多の一階下の部屋に落ち着いた。

奏多いわく、物置き代わりにしているという。

沙織がいてもいなくても、家賃は出しているから関係ないと言われた。

そのうち自分で部屋を探さなくては。

それでも、隼人のところから飛び出してきて、くつろげる部屋があるのはありがたかった。

物置きと言われたわりに、物は少なく、過度な装飾もない。

明日、塔矢フレグラスに出社したあと、空っぽの冷蔵庫に何かいれよう。

それでも、多少は埃っぽい。

奏多から借りてきた掃除道具で、部屋のあちこちを掃除していると小さなノックが聞こえた。

「おい、これ使ってくれ」

こんな夜中に、どこから調達したのだろう。

下着こそなかったが、塔矢フレグラスの制服らしきもの、沙織が着れそうなサイズの服がドアノブにたくさんかかっていた。

足元には、パンプスからヒールまで一そろいしている。

「奏多、あんまり甘やかさないで――」

文句を言おうにも、奏多の姿は見えなかった。

沙織の文句を見越して、置き逃げしたものらしい。

大企業の社長なのに、やることは少し子供じみている。

最悪の結婚記念日――離婚記念日の中、初めて沙織は微かに笑った。

もう笑うことはないと思っていたのに――。

深夜、沙織はスーツケースを開け、隠しポケットから小さなフレグランスのケースを取り出す——奏多にさえ、まだ渡していない、たったひとつのもの。

彼女はそれをそっと嗅ぎ、目を閉じた。

過去の沙織の思い出のカケラは、穏やかに優しく香る。

それを嗅いでいるうちに、沙織のインスピレーションが動いた。

「そうだ……インセンス、ムスク、アンバーを主体にして!」

新しい調香が閃いたのだ。

メモ帳に書き出している沙織は、現状を忘れて夢中になっていた。

そんな沙織のスマホが光る。

二通のメッセージが到着していた。一件は品質保証部への配属通知。

もう一方は、見知らぬ番号からのメッセージだ。

”鮎川先輩、お久しぶりです。離婚の件、お力になりたいんです。――朝霧司”

沙織は知らないことだが、沙織が所属することになっている品質管理部では、沙織の調香レシピから生まれた大ヒット香水の管理トラブルでてんてこまいになっていた。

沙織はふと気づく。

この四年間、置き去りにしてきた自分の人生が、この香りに導かれるように一歩ずつ彼女の元へと戻ってきていることに。

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ブラックコーヒー
沙織さん.そんな唯一無二の才能があるのに使わないなんてもったいない。再スタート応援してます
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