LOGINディリアンの世界が止まったかのようだった。メーガンは言葉を継ぐ。「以前の診断は、当時の極めて危険な状態に基づいて下された結論です。しかし実際には、未だ機能している組織が残されていました。極めて稀で、ほぼ起こり得ないことです。ですが……それが現実なのです」静寂。ディリアンは足元の床が消え去ってしまったかのように、その場に硬直した。これまでずっと、彼はある苦い確信を抱えて生きてきたのだ。セレーネは決して取り戻せないものを失ってしまったのだと。子供たちの命を繋ぐために、彼女の体はあまりにも大きな代償を支払ったのだと。そして今……その確信が崩れ去った。「……危険なのか?」やがて彼は、掠れた声で問い質す。メーガンは誤魔化さなかった。「非常にリスクの高い妊娠です。極めて危険と言わざるを得ません。ですが、厳密な管理下であれば、決して乗り越えられないわけではありません」ディリアンは静かに目を閉じる。彼が感じていたのは怒りではない。ぞっとするほどの、恐ろしい事実への直面だった。そして今、事の次第を説明され、自分が妊娠しているという事実を告げられたセレーネは、その場に縫い付けられたように固まっていた。ディリアンを含むその場の全員が、彼女の反応を待ち受けている。「嘘……」彼女は音にならない声で、微かに呟く。何かを探し求めるように彼女の手が動き、その指先が病院のシーツに触れた瞬間、忌まわしい記憶が容赦なく脳裏に蘇ってきた。夥しい量の血、絶望的な悲鳴、そして内側から引き裂かれるような自身の肉体の痛み。「セレーネ」その声に、彼女はビクッと肩を震わせる。ベッドの傍らに立つディリアンの顔は強張り、その暗い瞳には隠しきれない焦燥感が渦巻いている。二人の視線が交差した瞬間、セレーネは即座に悟った――何かが起きたのだと。「あなたたちがさっき私に言ったこと……」彼女は掠れた声で紡ぐ。「そんなの、嘘よ」ディリアンは口を開きかけたが、すぐに閉ざした。彼女を傷つけずにどう切り出せばいいのか、分からなかったのだ。メーガンが一歩歩み寄り、優しく呼びかける。「公爵夫人――」「やめて」セレーネが鋭く遮った。その声は震えながらも高く、そして激しい。「そう呼ばないで。私を馬鹿にするような話し方をしないで」シー
デイジーが手で口を覆い、恐怖に目を丸くする。リーガンは安堵の息を漏らした。そしてディリアンは、まだ微睡みの中にいる青白い顔のセレーネへと視線を移し、その場に縫い付けられたように立ち尽くす。彼の全身が瞬時に硬直した。メーガンが今しがた放った言葉に呼吸の自由を奪われ、部屋の空気が圧縮されたかのように感じられる。ベッドの傍らに立ち、セレーネの蒼白な顔を見つめていた彼は、やがて眼前の医師へと鋭い視線を突き刺した。「何だと?」静寂を切り裂き、彼は声を荒げる。「ふざけるな。今は冗談を言っている場合じゃないぞ」その響きは単なる怒りではない。その裏側で何かが砕け散る音がした。早すぎる本能的な否定だった。メーガンは少しの間、沈黙した。患者の家族の激しい反応には慣れていたが、今回の自分の言葉が、単なる感情よりもずっと深い何かを刺激してしまったのだと感じ取っていた。彼女は少し肩を張り、怯むことなくディリアンを見据える。「冗談などではございません、公爵閣下」彼女は声を落とし、しかし絶対の確信を持って宣告する。「私は決して、患者の容態でふざけたりは致しません。公爵夫人は……間違いなく、身籠っておられます」ディリアンの顔が瞬時に凍りつく。その瞬間、時間が停止したかのように思えた。扉の近くに立つデイジーでさえ、反射的に息を止める。ダグニーとディヴリオは互いの手をきつく握り締め、彼らでさえも何かとてつもなく恐ろしいことが起きているのだと察知していた。「ありえない」ディリアンは刃のように鋭く、冷酷な声で吐き捨てる。「子宮がないあいつが、どうやって妊娠できるというんだ?」その言葉は重い鉛のように落下し、容赦なく部屋の空気を打ち据えた。メーガンは言葉を失った。怒りからではなく、純粋な衝撃に目を丸くし、ほんの一瞬、呼吸の仕方さえ忘れてしまったかのようだった。彼女は自分の耳を疑うように、ディリアンの顔を直視する。「……どういう、意味でしょうか?」彼女は未だ信じられないというように問い返した。ディリアンは苛立った様子で、厳しく説明する。「セレーネが言っていた。あいつの子宮は壊れ、北部の医者に摘出されたと。あいつに子宮はない」「……公爵閣下」メーガンはようやく口を開き、微かな震えを帯びながらも専門家としての冷静さを保
ディリアンがようやく城へと戻り着いた頃には、夜はとうに深まっていた。まだ完全には閉ざされていない高い窓の隙間から、冷たい空気が別館へと忍び込んでくる。盛大な宴から戻ったばかりの公爵の居室にしては、回廊はあまりにも静かすぎた。ディリアンの足音が重く響くのは、決して疲労のせいではなく、未だ完全には鎮火していない怒りのせいだ。宴での光景――人々の笑い声、値踏みするような囁き声、そして最初から最後まで彼が追い続けていたたった一つの姿が脳裏をよぎるたび、彼の顔は強張り、顎のラインが硬く引き結ばれる。別館の奥にある自室の扉へとたどり着きそうになったその時、彼は彼女の姿を認めた。モルウェンナが一つの大理石の柱の傍らに立ち、まるでその影そのものに溶け込んでいるかのように佇んでいたのだ。暗い色のドレスを纏い、赤髪を綺麗に梳かした彼女の視線は、真っ直ぐに彼へと向けられている。明らかに彼を待ち受けており、それもかなり長い時間そうしていたのだろう。「まさか」モルウェンナが柔らかくも意味ありげな声で静寂を破る。「あなたは奥様とご一緒だと、他に待っている人間のことすら忘れてしまうのかしら?」ディリアンは足を止めなかった。その問いがこれ以上の説明に値しないとでも言うように、ただ短く答えた。「覚えている」彼はそのまま歩き続ける。「『覚えている』、ね」モルウェンナが後を追いすがり、今度は完全に隠しきれない苦味がその声に混じった。「けれど、あなたは気にも留めなかった」その一言が、彼の足を止めることに成功した。ディリアンは数秒間その場に硬直した後、ゆっくりと振り返った。その眼差しは鋭く、冷たく、そして疲労に満ちている。全ての忍耐を使い果たしながらも、どうにか自制心を保とうとしている人間の目だった。彼は無表情に問い質す。「一体、何が言いたい?」モルウェンナは深く息を吸い込んだ。胸の起伏は、彼女自身が認めたくないほど激しく波打っている。再び口を開いた時、その声は微かに震えていた。「ディリアン……あなたにとって、私は一体何なの?」二人の間に、重苦しい静寂が降り下りた。壁のランプが微かに瞬き、長すぎた時間の間ずっと封じ込められていたその問いの証人となっているかのようだ。ディリアンはすぐには答えず、モルウェンナを見つめていた。
セレーネは苦々しく、短く笑い声を漏らした。「あなたの我慢ですって?別の女を宴に連れ込んでおきながら、どの口が我慢なんて言葉を吐けるの?」「黙れ」ディリアンが冷たく囁き返す。「これ以上、皆の前で俺にこんな真似をさせるな。後悔することになるぞ」セレーネは微塵も怯むことなく、両目に怒りの炎を宿して言い返す。「それなら、私を離しなさい」「駄目だ」たった一言。その言葉は重く、絶対的で、一切の交渉の余地を与えなかった。彼らは音楽に合わせて体を動かし、ダンスを続けていた。しかし二人の間に存在するのは怒りと嫉妬、そしてどれだけ深く埋葬しようとも決して死に絶えることのない感情だけだった。周囲では、華やかな宴が続いている。しかし、誰もが一つだけ確信していた――今夜の主役はもはや、音楽でもワインでもダンスでもない。これは、互いに手放す覚悟を決めきれていない夫妻による、声なき戦場なのだと。セレーネが唐突に足を止めた。その予期せぬ動きに、ディリアンも立ち止まらざるを得なくなる。音楽は流れ、客たちは踊り続けているが、セレーネにとってこの場の空気はあまりにも息苦しく、これ以上留まることは耐えられなかった。「離して」彼女は声を落とし、しかしはっきりとした口調で要求する。ディリアンは少し身を屈め、答えた。「ここでは駄目だ」「ここだからこそよ。私はもう、お芝居を続けるのはやめるわ」セレーネは反撃し、今度はありったけの力で手を引き抜いた。「もううんざりよ!」数人がこちらを振り向いた。さざ波のような囁き声が再び沸き起こり、先ほどよりもあからさまに響き渡る。セレーネは気にも留めなかった。彼女は踵を返し、大理石の床にドレスの裾を滑らせて、シュッという硬質な摩擦音を残しながら歩き去っていく。ディリアンはほんの一瞬、遠くから見つめるモルウェンナが思わず息を呑むには十分な間、その場に立ち尽くしていた。そして、ディリアンは彼女の後を追った。側面の回廊へと続く扉が彼らの背後で重々しい音を立てて閉ざされ、宴の音楽と笑い声を完全に遮断する。分厚く、危険なほどの静寂が二人に襲いかかった。セレーネが進んだか進まないかのうちに、ディリアンが彼女の腕を掴み、強引に振り向かせる。「一体、何を考えているんだ?」ディリアン
ディリアンは答えなかった。彼の顎のラインが硬く引き結ばれている。これまでのどんな侮辱の言葉よりも、セレーネが現れたという事実の方が彼を激しく動揺させているのだと、モルウェンナは悟った。ジェイレスが少し身を屈めてセレーネに何かを囁きかけると、彼女はくすくすと笑い声を漏らした。その笑い声は軽やかで、自由で、ディリアンが久しく耳にしていなかった響きを持っていた。モルウェンナはディリアンの腕に添えた手に力を込め、優しく囁く。「彼女のことなんて気になさらないで。今夜のあなたは、私のエスコートなのだから」ディリアンはようやく動き出し、モルウェンナを伴って宴会場を進み始めた。他の貴族たちと挨拶を交わし、短く的確に言葉を返す。外から見る限り、彼は完全に自らを制御しているように見えた。だが、セレーネの姿が視界を横切るたびに、ジェイレスが彼女に少し近づきすぎるたびに、その自制心は徐々に削り取られていった。会場の反対側で、セレーネは振り返ることを拒みながらも、その刺さるような視線を感じ取っていた。ジェイレスが静かに問いかける。「緊張していらっしゃいますか?」セレーネは首を横に振って答えた。「いいえ。ただ……少し疲れただけですよ」ジェイレスは少しの間彼女を見つめ、微かに微笑んで提案する。「それなら、私を盾としてお使いください。一緒に宴を楽しんでいるふりをしましょう」セレーネの口元に薄い笑みが浮かぶ。今夜初めて、彼女の顔に本物の笑みが咲いた。彼らがゆっくりと会場を回りながら他の貴族たちと談笑していたその時、セレーネはついに顔を向け、ディリアンの視線と真正面からぶつかり合った。ほんの一瞬のことだった。だが、互いを傷つけるには十分すぎる時間だった。ディリアンの眼差しは鋭く、言葉にならない欲求に満ちていた。対するセレーネの瞳は穏やかで、冷ややかで、そして……もはや彼に何も求めてはいなかった。その視線の交錯を目の当たりにしたモルウェンナは、胸の奥が締め付けられるのを感じた。彼女はさらに笑みを深め、ディリアンの耳元に顔を寄せて囁く。「彼女、あなたのことを見ていたわ。でも、あなたの元には戻って来なかった」ディリアンは答えない。ゆっくりと手を握り締め、拳を作る。音楽は流れ続け、まるで彼らの失敗をあざ笑っているかのようだ
ジェイレスは微塵の罪悪感も感じさせない薄い笑みを浮かべ、気楽な調子で口を開いた。「確かにここはお前の城だ。だが、今日は公務の話をしに来たわけではないさ」ディリアンのこめかみに青筋が浮かぶ。その怒りは明白だったが、彼は必死の思いでそれを抑え込んだ。大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。まるで、自分に理性を保つよう強制しているかのように。やがてディリアンは、モルウェンナの後ろに数歩下がって控えているスヴェンへと視線を移し、氷のような声で問い質す。「セレーネは、この宴には行かないと言っていたはずだが?」スヴェンは少し背筋を伸ばし、慎重に答えた。「奥様は、出席する気が向くかどうかまだ分からないと仰っていただけでございます」ディリアンの顎の筋肉が硬く引き結ばれる。その返答の中にある何かが、明らかに彼の気に障ったのだ。彼は再びジェイレスへと鋭い警告の眼差しを向け、声を潜めながらも脅迫的に告げる。「帰れ。ここで問題を起こすな」ジェイレスは短く笑い声を漏らして反論する。「私は問題など起こしていないよ。招待されたから来ただけだ。それに、お前も私をそう簡単に追い出すことはできないだろう」スヴェンは唇を固く結び、肩を微かに震わせていた。中立を装おうと必死に努めてはいたが、明らかに笑いを堪えている。ディリアンが反撃しようと口を開きかけたが、その言葉は喉の奥で詰まった。城の扉が開く。セレーネが、そこから歩み出てきたのだ。体の曲線に沿って優雅に落ちるドレスを纏い、綺麗に整えられた髪を揺らしながら。その表情は穏やかだが、ひどく冷ややかだった。彼女はディリアンをたった一度だけ、何の感情も籠もらない短い視線で一瞥し、そのまま彼の横を通り過ぎる。ジェイレスの元へ。ジェイレスは即座に、真の貴族のように完璧で優雅な一礼をして、柔らかく褒め称える。「こんばんは、公爵夫人。今夜のあなたはとてもお美しい」一瞬にして、前庭の空気が重くなった。緊張感が走る。ディリアンが反射的に前に飛び出し、無意識のうちに声を荒げた。「セレーネ、一体どういうつもりだ?」スヴェンの傍らに立つモルウェンナは驚愕していた。ディリアンが今やセレーネの至近距離に立ち、全身を強張らせて感情を爆発寸前にさせているのを見て、彼女は目を丸くする。
オデットの怒声が、部屋に重く残ったまま、ディリアンは動けずにいた。あの声には逆らえない。幼い頃から、ずっとそうだった。「どうして、こんな馬鹿息子を産んでしまったのかしら!」そう吐き捨てると、オデットは背を向けて去っていった。残されたのは、ディリアンと祖母だけ。祖母は小さく息をつく。「この件に関してはね、わたしも、あなたの母と同じ意見だ」その声は穏やかで、芯が強かった。「あなたは、やってはいけないことをした」「お祖母さん」祖母はディリアンをじっと見つめた。ディリアンは低い声で言った。「人の気持ちは、無理に縛れるものじゃありません」祖母は、ふっと
イラルドが去ったあと、セレーネは書類を一つひとつ丁寧に確認した。城を出る日、迷わないために――すべてを理解しておく必要があった。気づけば、外は夕暮れ色に染まっている。控えめなノック音。「奥様。エレアノーラ様と、オデット様が到着されました」イラルドの声に、セレーネはすぐ立ち上がった。「わかりました」玄関へ向かい、丁寧に二人を迎える。応接室へ案内しながら、セレーネはいつも通り背筋を伸ばしていた。義母のオデットは、部屋に入るなり視線を巡らせる。調度品、床、カーテンの皺。ほんの些細な乱れも見逃さない人だ。だからこそ、セレーネは城を常に完璧に保ってきた。
その朝、セレーネは違和感を覚えていた。朝食の席に、ディリアンがいる。しかも、同じ卓に腰を下ろしている。それは、ほとんどあり得ない光景だった。彼が屋敷にいる日でさえ、朝は執務室か自室に籠もるのが常だった。セレーネも、もう近づこうとはしない。どんな言葉も、どんな気遣いも。彼にとっては「邪魔」でしかないと、知ってしまったから。心の傷が、彼女の足を止めていた。「お祖母さんと母上が、後で来る」食器を置き、ディリアンが言う。セレーネは一瞬だけ彼を見た。「わたくしが、まだ療養中だとお伝えしましたか?」「だからこそ、見舞いに来る」淡々とした答え。セレ
その朝、空気は凍えるほど冷たかった。いつも通り、セレーネはディリアンの姿を見なかった。もはや慣れきっている。夫が屋敷に戻らないことなど、今に始まった話ではない。かつては、城の執務が忙しいのだと自分に言い聞かせていた。だが真実を知ってしまった今、胸に残るのは嫌悪だけだった。心の傷はまだ癒えていない。それでもセレーネは、時間が自分を強くしてくれると、必死に信じようとしていた。しかし、その朝は違った。突然、公爵邸に父、モロー伯爵が現れたのだ。「ヴィヴィエンヌに、いったい何を言った?」低く、重たい声。逃げ場のない問いかけだった。「何を?あの娘が、何か