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第5話

Author: Raisaa
食堂の空気が凍りついた。

セレーネの言葉は氷のように落ち、ヴィヴィエンヌの顔色を奪い、ディリアンを立ち尽くさせる。

まるで、初めて彼女を知ったかのように。

「これは、お前らしくないな」

ディリアンが低く呟く。

セレーネは薄く微笑んだ。

「わたくしのほうこそ、驚いておりますわ。ようやく、あなたがわたくしを見てくださったのですから」

「その言い方、恥ずかしくないの?」

ヴィヴィエンヌが堪えきれずに割り込む。

セレーネの視線は平坦だった。

「お二人に合わせているだけですわ。それで動揺なさるのは、なぜでしょう?」

ヴィヴィエンヌは顔を引きつらせ、勢いよく立ち上がる。

そのまま足早に去っていった。

ディリアンもまた、何も言わずに後を追う。

残されたのは、セレーネ一人。

彼女はゆっくりと息を吐き、冷えた微笑を浮かべた。

――ようやく、あの二人のいない食卓で、初めて落ち着いて食事ができる。

最後の一口を終え、桃の果実を静かに噛みしめながら、セレーネは声をかけた。

「イラルド」

「はい、奥様」

イラルドは深く一礼する。

「人を、密かに移動させる手段をご存じでしょうか?」

唐突な問いに、イラルドの動きが止まった。

喉が小さく鳴る。

「それは、どのようなご意図でしょうか」

セレーネの瞳は、静かで、深かった。

「わたくしの部屋で話しましょう」

返答を待たず、彼女は立ち上がる。

イラルドは使用人たちに合図を出し、食卓の片付けを命じてから、セレーネの後に続いた。

執務室。

「イラルド」

セレーネは背を向けたまま、はっきりと告げる。

「わたくしは、ここを去ります」

「奥様」

イラルドは言葉を選ぶように沈黙する。

「ですが、それは――」

「誰にも話さないでください、この件を知るのは、あなただけです」

セレーネは振り返り、鋭く見据えた。

イラルドは息を深く吸った。セレーネは人を信じることは少ない。しかし、今回は彼の心が動かされた。彼はセレーネに本当の幸せを見つけてほしいと願った。

「イラルド。あなたはご存じなのでしょう。わたくしの子供たちが、すべてディリアンによって失われたことを」

イラルドは顔を伏せ、唇を強く結ぶ。

「否定なさらなくて結構です」

セレーネの声は低く、しかし柔らかかった。

「今度だけは、助けていただけませんか?」

イラルドは一度、目を閉じる。

そして、静かに問いかけた。

「どちらへ向かわれるおつもりでございますか、奥様」

セレーネは淡く微笑み、書類を差し出す。

中には、地図。

イラルドがそれを開いた瞬間、目を見開いた。

「これは、非常に遠方でございます」

「ええ」

セレーネは迷いなく答える。

「わたくしは、できる限り遠くへ行く必要があります」

イラルドは深く頭を下げた。

「承知いたしました」

「安心なさったようですね」

セレーネが眉を上げる。

イラルドは小さく、しかし確かに微笑んだ。

その瞳は潤んでいる。

「わたしはただ、奥様がいつか本当の幸せを手にされることを願っております」

その言葉に、セレーネの胸がわずかに温まった。

「何か、準備すべきことはありますか?」

イラルドが慎重に尋ねる。

「いいえ、必要ありません」

セレーネは首を横に振る。

「ですが、奥様の財産のほうが…」

「一銭も持って行きません」

即答だった。

「奥様……」

イラルドは、この城で行われてきた不公平を思い出す。

浪費するヴィヴィエンヌ。

一方で、権利にほとんど触れなかった正妻。

「わたくしは自分の持っている株を、弟さんに売りたいですが、よろしいでしょうか?」

セレーネは静かに言う。

イラルドは驚き、すぐに深く頷いた。

「もちろんでございます。すぐに手配いたします」

「ありがとうございます」

セレーネは柔らかく微笑んだ。

「あなたも、どうか幸せでいてください」

イラルドは一瞬、言葉を失い、深く頭を下げた。

「いつ、ご出立なさいますか」

「五日後です」

「そんなに急いでよろしいのでしょうか?」

「ええ。ちょうど良い頃合いですわ」

三日後、西の国境で戦が始まる。

二日後、ディリアンは出征する。

城の警備が最も手薄になる、その瞬間。

イラルドは拳を握りしめた。

「必ず、すべて整えてみせます」

セレーネは静かに頷いた。

イラルドは深く一礼し、部屋を辞した。

残されたセレーネは、一人、思考の海に沈む。

ほどなくして、控えめなノック。

「どうぞ」

入ってきたのは、モナとデイジーだった。

二人は顔色を変え、突然その場に跪き、額を床につける。

「何事ですか?」

「奥様、どうか、私たちを置いて行かないでください……」

デイジーの声が震える。

セレーネは驚き、すぐに駆け寄った。

「聞いていたのですね」

その問いは、責めではなかった。

二人は涙を流しながら、頷く。

セレーネは彼女たちを座らせ、自らも床に腰を下ろした。

それが、かえって二人を慌てさせる。

「わたくしは根拠もなく人を責めたりしませんわ」

セレーネは穏やかに言った。

「なぜ、わたくしが行くことを、そこまで嫌がるのですか?」

「奥様が行かれるなら、私も一緒に行きます!」

デイジーが泣きながら叫ぶ。

「わたしもです」

モナが震える声で続ける。

「わたくしはあなたたちを雇うお金はありませんよ」

セレーネは正直に告げた。

「構いません!」

デイジーは即答した。

「ご一緒できるなら、それだけで……!」

「伯爵家に残るご家族は?」

セレーネが問う。

モナは唇を噛みしめる。

「皆、伯爵に従う者です、私たちを助けてはくれません」

守る者のいない二人。

セレーネは理解した。

「分かりました」

彼女は二人の頭に、そっと手を置く。

「五日後に出発します。持って行ける物だけ、準備なさい」

瞬間、二人の顔が輝いた。

涙と笑顔が入り混じる。

「ありがとうございます、奥様!」

セレーネは口元をわずかに上げ、しかし声を低く落とす。

「忘れないでください。もし失敗し、わたくしが捕まれば、あなたたちは、死罪ですよ」

現実的な言葉。

だが二人は、一歩も退かなかった。

「両親の名にかけて誓います、奥様」

デイジーが答える。

セレーネは長く二人を見つめ、やがて小さく微笑んだ。

胸の奥が、ほんの少しだけ温かい。

「それでは……計画を、練り始めましょう」

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