Se connecter座敷に戻って紫子さんと色々話をした。あたしに会ったのが初めてじゃないと言ったは鬼子神社であたしが生まれた時に紫子さんがエニシの糸を結び直してくれたからだと知った。紫子さんにはエニシの赤い糸を操る特別な力があったのだそう。
「あった?」 過去の話のように聞こえた。「もう使えなくなってね」 最近衰えてきたと言った紫子さんはいったいいくつなのか。すごく若いようにも見えるし、クロエちゃんの接し方からして絶対年上な感じはするのだけれど、やっぱり辻沢の人たち共通、年齢不詳なのだった。「あたしもそろそろ四ツ辻の世話役を辞めさせて貰おうと思っててね」 四ツ辻には集落の代表を務める世話役という役職ある。村の行事を取り仕切る役なのだけれど、辻沢町役場やヤオマン勢力との折衝を請け負うこともあるのだという。それを代替わりするにあたって候補者を選ばなきゃいけないとなって白羽の矢が当たったのが、「冬凪ちゃん」 まだミユキ母さんには相談してないけれどと言った。冬凪はそれにはまんざらでないようで、「夏波、どう思う?」 そんないきなり言われても困るけれど、「冬凪はどうなの?」「あたしは四ツ辻が好きだから」 いいらしい。それってここに移住して山椒農家を始めるってことなのかな。冬凪の夢だったフィールドワーカーはどうするんだろう。「大学はどうするの?」「行くよ。大学終わったら四ツ辻を拠点にして辻沢を調査するつもり」 そういうところまでちゃんと考えているのが冬凪らしいと思った。あたしなら、ボタンがあったら取りあえずポチッてして何か起きてからどうするか考える。「そこまで考えてるなら、あたしは反対なんてしない」「よかった」 あたしは多分ここに住むことはないだろう。そう思ったら冬凪と一緒に暮らせるのもあと何年もないんだと気づいて、急に寂しくなってなってしまった。「そろそろ帰ろうか」 クロエちゃんが時計を見て言った。それとほぼ同じくして外でボボボボボというエンジン音が聞こえて来た。「迎えに来たみたいだから」 クロエちゃんと冬凪とあたしは、上空の物体が瓦礫の真球と分かったものの、それがどうしただった。あたしたちには何も情報がなかったからだ。リング端末でミユキ母さんに連絡しようとしたけれど圏外でホロ画面はザラついた映像しか映し出さなかった。途方に暮れつつも冬凪が何か知ってるかもと思って聞いてみた。「あれが目的地? あの世なの?」「そんなの、わかんないよ」 冬凪がぬる気味にキレて答えた。 冬凪、鈴風それとあたしの間に沈黙の時が流れる。派手目な制服を着た三人が跨がった石舟はゆらゆらと揺れながら空中にとどまったままだ。あたしたちは真球からの乳白色の光の中で、滴り上がる雨をぼうっと眺めるしかすることがない。「八方塞がりですね」 鈴風が肩を落としてつぶやく。「トリマ、何か他に方法がないか考えよう」 この感じ、一度どっかであったような。デェジャヴ? いや、そうじゃない。これってば、「ユウさんの指だ」「なに?」「クロエちゃんの想いだよ!」 冬凪もあたしが言いたいことが分かったようだった。「ミユキ母さんのビジョン!」「そうそれ!」 鈴風の顔がパッと明るくなって、「スピスピしてきましたね!」 みんな、枯れ葉の海脱出後、途方に暮れた時を思い出したのだ。 あたしはあの時と同じように、ユウさんの薬指が付いた左手を満天を覆い尽くす純白の真球に向けて差し上げた。ガチャ! そんな音はしなかったかも知れない。でもあたしはにユウさんの薬指が真球の中の何かとがっつりシンクロした音が聞こえたのだった。 下界の臙脂色の海から大量の雫が螺旋を描きながらゆっくりと滴り上がっていた。その螺旋の回転が速度を上げだしたのが目に見えて分かる。やがてあたしが生きてきた全ての経験を、全ての知識を、全ての関係を、全ての感情を巻き込みつつ、真球の中心に向かい大きな渦巻きを作りだした。
臙脂色の海から滴り上がる雫は真っ直ぐにエニシの月へ向かっているのではなかった。鬼子神社のすり鉢をなぞるように螺旋を描きながら上昇していた。その螺旋の逆さ雨の中、冬凪と鈴風とあたしが乗る石舟はバモスくんに曳かれて突き進む。運転席のブクロ親方は後ろから分かるほどアクセルを踏み込んでいて、バモスくんの360ccエンジンはもう限界どころか、断末魔の叫びを上げ始めていた。ブクロ親方が童顔の髭面を向け泣きそうな声で、「もう無理かも知れません」 そんなこと言われてもまだ何も起こってないし。 バツン! 突然舳先に見えていた月が石舟の下で、小さくなった鬼子神社のすり鉢が頭上になっていてた。今の衝撃で石舟がひっくり返ったのだった。さらにそのすり鉢に向ってバモスくんが落ちてゆくのが見えた。切れた荒縄をなびかせ回転しながらどんどん小さくなっていく。「マジか!」 鈴風がらしくないリアクションをした。 その後石舟は慣性による縦回転を続けていて、しばらくするとゆっくりと止まった。そこは西山全体が見渡せるくらいで一定の高度はあったけれど、周囲にあの世への入り口があるようには見えなかった。良かったのはバモスくんのように落下しなかっただけで、動力を失って完全に、「ツンだ(死語構文)」 と冬凪。いや、「ツンだ」は死語じゃないだろ。ギリ生きてないか?「マジそれな(死語構文)」 高級スキル死語構文返し。「それな」はもう誰も使わないから生存確認の必要なし。「どうします?」 鈴風があきれ顔で上空の月を見上げながら言った。ここから見えるエニシの月は全天を覆い尽くすほどに巨大だった。満天を占める様子はまるで白天井のドームの中にいるようだった。月ってこんなデカかったか?そういえばなんか変だ。うさぎどこ行った?月の表面はクレーターとかの複雑な地形が模様に見えて、古来よりウサギだカニだ本を読む女性だって言われてるはずだった。でも真上にある月の表面はスベスベでまるで大理石のオブジェのよう。「ねえ。この月、変くない?」「あたしもそう思う。鈴風さんは?」「わたしも思います。これって」 月を見上げていた三人が一斉に、「「「真球!」」」 新爆心地にあった瓦礫で出来た真球だった。こいつがエニシの月なの?何でこんなところに?
定吉くんが豆蔵くんの声に応えて腰を落とし身構える。冬凪も鈴風もあたしも、何が来るか分からないから、定吉くんに倣って体を固くして待った。そして聞こえてきたのは、 プップッピーピー。「「「あーね」」」 漲っていた緊張感を見事に裏切るバモスくんの警笛だった。 でもバモスくんの現れ方はそんなことある? ってくらい斜め上だった。臙脂色の水面の上スレスレを飛んできたのだ。その運転席でブクロ親方が手を振っている。「お待たせしました」 待ってねーし。てか、何しに来た感しかないんだが。 バモスくんは取りすがるひだるさまの鎌爪を避けながら石舟の舳先前に着地した。豆蔵くんが臙脂色の中からもう一本の荒縄を引き出し、バモスくんの牽引フックに結びつける。「発車!」 ブクロ親方が余計なかけ声を口にする。あたしも「ロックイン!」って言っちゃうからその気持ちわかるけども。 石舟とバモスくんとで引き絞った荒縄から大量の水滴が飛沫く。バモスくんの360ccエンジンが悲鳴を上げる。その間もターン待ち知らずのひだるさまが襲いかかってくる。豆蔵くんと定吉くんが片手でシャムシールを振い迎撃する。「う!」 姿勢を低く!豆蔵くんのかけ声で、冬凪、鈴風、あたしは石舟にしがみ付く。体中がメガぞわぞわに襲われる。髪の毛が逆立ち鼻のツンがマックスになる。そして舳先のバモスくんがウイリーして運転席の天井がこっちになった。さらにあたしが全ての感覚から解放されると、ついに十六夜の石舟は空に舞い上がったのだった。 石舟は銀色に乳白色に輝く満月へ螺旋を描きながら上昇してゆく。下を見下ろすと臙脂色の海の中で豆蔵くんと定吉くんがこちらを見上げながらシャムシールを振いまくっていた。その後すぐに大量のひだるさまが押し寄せて二人の姿が見えなくなってしまった。その時、参道
石舟が動き出すと同時に気温が戻って、凍結ひだるさまも動き出す。 豆蔵くんと定吉くんが肩と腕に荒縄を食い込ませ石舟を曵く。豆蔵くんと定吉くんにひだるさまが容赦なく襲いかかってくる。シャムシールを見切った赤黒い襦袢の鎌爪が豆蔵くんの肉を裂く。月光の乳白色に血飛沫が上がる。定吉くんが青灰色の半纏の銀牙を腕で受ける。骨が砕ける音がして臙脂色にシャムシールが沈む。「二人が死んじゃう!」 あたしは銀製フォークを振り上げ、自分の太もも目掛けてブッ刺した。銀製フォークが弾かれて態勢が流される。見ると豆蔵くんがシャムシールをこちらに差し出していた。それで銀製フォークを払ったのだ。「う」 必要ない。豆蔵くんが言った。「う」 これくらいなんともない。定吉くんが肘から先がなくなった二の腕をあげた。そして逆の手で臙脂色の中からシャムシールを掴み出し、自分の腕を咥えた青灰色の半纏の素っ首を刎ねて、笑って見せたのだった。「わたしも闘います」 鈴風が瞳を金色にして石舟を降りようとすると、「う」 お前たちが降りたら神事は終わる。 豆蔵くんに引き止められた。 豆蔵くんと定吉くんはひだるさまの猛攻に耐え、決して荒縄を離さなかった。片腕のない定吉くんなどは荒縄を口に咥えシャムシールを降るっている。それでも限りなく襲い来るひだるさまは少しづつ二人の美しい身体を削って行く。それをみかねた鈴風が舳先に立って二人に降りかかる災忌を防ぎ始めた。あたしは石舟から鈴風の腰に、冬凪はあたしの体にしがみついて落ちないようにするので精一杯だ。鈴風は素手だ。武器を持たない手でひだるさまの銀牙や鎌爪を防ぐので鈴風の手先はすぐにザクザクになってしまう。それでも手先がなくなることはないのはヴァンパイアの再生力のおかげだろう。 でももう限界
臙脂色の海となった境内の真ん中に、冬凪、鈴風、あたしが乗った石舟があった。その長さは4メートル。3人が腰掛けるには程よい長さだけど、やっぱりお尻が痛い。その舳先に結え付けられた荒縄を豆蔵くんと定吉くんが袈裟懸けにし、シャムシールを手にして舞を舞う。豆蔵くんの背中の筋肉がビシビシと音を立てる。競うように定吉くんからもビシビシという音が聞こえ出す。二人は気力を充溢させて波濤を蹴散らし押し寄せる雌雄ひだるさまの大群を迎え撃とうとしていた。 まず赤黒い襦袢のひだるさまがあたしに向かって牙を剥き飛び掛かってきた。いざという時鬼子に発現するため用意した銀製フォークに触れる。そのひだるさま、豆蔵くんのシャムシールに首を刎ねられた。 赤黒い襦袢は紫の煙となって雨散霧消する。こんどは定吉くんが鈴風に取り憑いた青灰色の襦袢の腹を一刀両断、煙にする。豆蔵くんと定吉くんは巧みにシャムシールを操り、次々と襲い来るひだるさまをあしらってゆく。めっちゃ強い。 不思議に思ったのは、周囲の地面はすでに液化しているけれど、あたしたちの石舟も豆蔵くんたちも沈んでいかないことだった。浅瀬? と思ったけれどそうではなさそうだった。攻め寄せるひだるさまはどれも首まで臙脂色に浸かっていて、こちらに飛びかかる時だけ巨大な全身を晒す。だからかなりの深度が予想された。「なんで沈まないの?」 また冬凪に半ギレされるかと思ったら、「豆蔵さんたちがこの世に繋ぎ止めてくれてるっぽい」「う」 そのための荒縄でこれがなければ石舟はあっという間に地獄に落ちてしまうのだと言った。 そうしているうちもひだるさまは間断なく押し寄せる。シャムシールが振るわれる度にひだるさまが千々に散り、周囲を紫煙で染めてゆく。 急に静寂が訪れた。臙脂色の海で無数のひだるさまが微動だにしなくなっていた。水面に冷気が広がり気温が4度下がった感
リング端末が地獄への時を刻む。 0:29:55 0:29:56 0:29:57 0:29:58 0:29:59 0:30:00 突然頭の中がグラついた。意識が何かにぶつかられて外に弾き出された。そのまま宙を飛びまた何かにぶつかって止まった。視界がおかしかった。境内の真ん中にいる豆蔵くんたちが別の方向を向いていた。左手が鈴風を指していた。そして右手では、あたしを指していた。そのときあたしは冬凪だった。冬凪の記憶が押し寄せてきた。あらゆる時空の冬凪があたしの中に入ってきた。あたしは冬凪の全存在になった。再び頭の中がグラついた。また意識が何かにぶつかられた。宙を飛び何かにぶつかり止まった。今度は、右手で冬凪を、左手であたしを指していた。その時わたしは鈴風だった。鈴風のパラレルな人生全てを体験した。わたしは過去から未来の全鈴風だった。そして再びあたしになった。それが何度も何度も繰り返された。永劫続くようだった。でもやがてそれは止まり、あたしはあたしに戻ったのだった。何が起こったのか。あたしは全てを理解したと同時に全てを理解できていなかった。 頭のクラクラがまだ残っていた。「走って! 石舟へ!」 境内を石舟に走る冬凪の姿が見えた。「石舟へ!」 鈴風が走り出す。あたしも遅れないように斜面を飛び降りて走った。走りながらすり鉢の斜面近くの地面が波打つのを見た。地震?違った。境内の地面が液化し出したのだ。月光のせいで暗い臙脂色だけど、ホントは血のように真っ赤な色なんだろう。個体だった表面がどんどん溶けながら中央の石舟に白いの波濤となって迫ってくる。