Mag-log in七組の子どもたちが席に着く。
けれど、誰も口を開かなかった。
互いに視線を交わしては、すぐに逸らす。
皇太子殿下がおられる席で、自分から話し始めるのは差し出がましい。
そんな空気が、自然と流れていた。
静かな時間が過ぎる。
やがて。
「……ヴィクターだ」
低く落ち着いた声が卓に響いた。
皆が一斉に顔を上げる。
「皇太子だ。剣を学んでいる」
それだけ告げると、ヴィクター殿下は周囲を見渡した。
「次」
短い一言。
けれど、その一言で張り詰めていた空気がふっと和らぐ。
「では、私から」
一人の侯爵令息が立ち上がった。
「クラウス・フォン・リーベルトと申します。剣術を学んでおります」
「リリア・エヴァンスです。お菓子作りが好きです」
続いて伯爵令嬢が微笑む。
マルコが燃やそうとしていた書類は、孤児院の応接室へ運び込まれた。 端が焦げてしまったものもあるけれど、ほとんどはまだ読むことができる。「これは……」 エドワード公爵様が一枚ずつ確認される。 私たちも少し離れたところから、その様子を見守っていた。「寄付の記録ですね」 騎士が答える。「先ほど確認した帳簿とは、金額が違います」「どのくらい?」 ヴィクター殿下が尋ねる。「こちらが本物であれば、帳簿に記載されている額の倍近くございます」「倍……」 思わず声が漏れた。 つまり。 もらったお金を、最初から少なく書いていたということ? それだけじゃない。 子どもたちへ贈られた食料や日用品まで売っていた。「随分長く続けていたようだな」 ヴィクター殿下の声が低くなる。「はい。残っているものだけでも、数年分ございます」 私は言葉を失った。 数年。 あの子たちは、そんなに長い間――。◇◇◇「マルコを連れてこい」 エドワード公爵様が命じられる。 しばらくすると、両脇を騎士に挟まれたマルコが入ってきた。 昨日とはまるで別人のようだった。 顔は青ざめ、額には汗が浮かんでいる。「これは君が燃やそうとしていたそうだな」 エドワード公爵様が焦げた紙を見せる。「……」「なぜ燃やした?」「……知りません」「知らない?」「俺は……院長に言われただけです」 その言葉に、ベアトリスが勢いよく顔を上げた。「嘘をつかないで!」「あなたが勝手にやったことでしょう!」
「血の匂いがする」 メイナードの一言で、地下室の空気が凍り付いた。「血?」 私は思わず聞き返す。「うん」 メイナードは棚の向こうを見つめたまま頷いた。「古いのと、新しいの」 エドワード公爵様の表情が険しくなる。「確認しろ」「はっ」 騎士たちが棚の奥へ向かう。 私も後を追おうとしたけれど、メイナードに腕を掴まれた。「シェリルはここ」「でも……」「何があるか分からない」 そう言われてしまうと、何も返せない。 私はその場に残り、騎士たちの背中を見つめた。 やがて。「公爵様」 低い声が聞こえた。「こちらへ」 エドワード公爵様とヴィクター殿下が奥へ向かう。 少しして、エドワード公爵様の声が響いた。「……これは何だ」 今まで聞いたことのないほど冷たい声だった。◇◇◇「ベアトリス」 呼ばれた院長の顔が真っ青になる。「来なさい」「……」「聞こえなかったか」「は、はい……」 ベアトリスは震えながら奥へ歩いていく。 私も気になって仕方がなかった。「メイナード」「だめ」「まだ何も言ってないよ」「行きたいって顔してる」「……」 どうやら全部分かってしまうらしい。 そのとき、奥からヴィクター殿下が戻ってきた。「シェリル」「はい」「来ない方がいい」 ヴィクター殿下までそう言う。 いったい何があるのだろう。 不安になっていると、騎
「地下へ続く階段が見つかりました」「地下?」「はい。しかし、扉に鍵が掛かっております」 私は思わず孤児院を振り返った。 まだ何か隠されているの……?「案内しろ」 エドワード公爵様の声に、ベアトリスが青ざめる。「お待ちください!」 今度は隠そうともしなかった。「地下には何もございません!」「ならば、見られて困ることもないだろう」「ですが――」「鍵を」 短い言葉だった。 ベアトリスは動かない。 エドワード公爵様の表情が変わる。「ベアトリス」「二度は言わない」「……っ」 とうとうベアトリスは震える手で鍵束を差し出した。 騎士がそれを受け取り、私たちは孤児院の中へ戻った。◇◇◇ 地下へ続く階段は、厨房の奥にあった。 狭い階段を下りていくと、ひんやりとした空気が肌に触れる。 先頭を歩く騎士がランプを掲げた。 その先には、頑丈そうな扉がある。 何度か鍵を試し、やがて。 カチャリ。 重い音を立てて鍵が開いた。「開けます」 騎士がゆっくりと扉を押す。 中を照らした瞬間、私は目を見開いた。「……薬草?」 棚いっぱいに、乾燥させた薬草が並べられていた。 一束や二束じゃない。 木箱にも大量に詰め込まれている。 サイラスがすぐに棚へ近付いた。「これ」 一つを手に取る。「昨日のと同じ」「ミアが持っていたもの?」「うん」 私は息をのんだ。 薬草園から盗まれたものと同じ薬草が、どうしてここにこんなにあるの?「購入した
「関係がないのなら」 エドワード公爵様が静かにベアトリスを見る。「なぜ、君が止める?」「それは……」 ベアトリスは口を開いたまま、何も答えられなかった。「確認すれば分かることだ」 エドワード公爵様が騎士へ視線を向ける。「行こう」「はっ」 私たちも公爵様のあとを追い、孤児院の裏手へ向かった。 そこには、一台の荷車が止められていた。 荷台には、大きな木箱がいくつも積まれている。 御者台に座っていた男は、騎士たちに囲まれて青ざめていた。「開けろ」 エドワード公爵様の命令を受け、騎士が木箱の蓋を外す。 中に入っていたのは――。「食べ物……?」 私は思わず呟いた。 小麦。 豆。 干した肉。 ほかの箱には、石鹸や布まで入っている。 どれも孤児院で必要になりそうなものばかりだった。「これは何だ」 エドワード公爵様がベアトリスへ尋ねる。「そ、それは……」「古くなったものを処分するために……」「これが?」 ヴィクター殿下が小麦の袋を見る。 どう見ても腐ってはいない。 布も汚れておらず、まだ十分に使えそうだった。「どこへ運ぶつもりだった」「……」 ベアトリスは答えない。 代わりに、荷車の男が慌てて頭を下げた。「わ、私は頼まれて運んでいるだけです!」「どこへ?」 エドワード公爵様が尋ねる。「町の商人のところです!」「いつも孤児院から品物を受け取って、代金を――」「黙りなさい!」 ベアトリスの鋭い声が響
「でも、この帳簿が正しいなら……」 私はもう一度、薬草の購入記録を見る。 毎月、ほとんど同じ量。 決して少なくない金額だ。「どうしてミアは、薬草を盗む必要があったのでしょう」 ベアトリスの肩がびくりと揺れた。「そ、それは……あの子が勝手にしたことでございます!」「孤児院とは関係ございません!」 すぐに言葉が返ってくる。 けれど、昨日ミアを迎えに来たマルコも、薬草園のすぐ近くにいた。 偶然だと言っていたけれど。 今になって考えると、やっぱり気になる。「昨日の男を連れてこい」 エドワード公爵様が騎士へ命じられる。「マルコだったな」「はっ」「この孤児院にいるはずだ」 その言葉に、ベアトリスが慌てて顔を上げた。「マルコは今日は出ております!」「どこへ?」「それは……町へ、買い出しに……」「何を買いに行った」「食料でございます!」 エドワード公爵様が帳簿へ視線を落とす。「そうか」「ならば戻るまで待とう」「……っ」 ベアトリスは黙り込んだ。 その様子を見ていたヴィクター殿下が、静かに騎士へ告げる。「町にも人を出せ」「食料を扱う店を調べれば見つかるだろう」「承知いたしました」 騎士たちがすぐに動き始める。◇◇◇「薬草はどこに保管している?」 今度はサイラスが尋ねた。「え?」「買ってるなら、あるはず」 ベアトリスの顔が強張る。「も、もちろんございます」「では見せてもらおう」 エドワード公爵様が立
孤児院の子どもたちは、ひとまず食堂へ移されることになった。 医師が来るまでは、一度にたくさん食べさせない方がいい。 そう判断したエドワード公爵様の指示で、まずは温かいスープと柔らかなパンが少しずつ配られていく。 子どもたちは最初、戸惑っていた。「……たべていいの?」「もちろんよ」 私が答えると、目の前の男の子がおそるおそるパンへ手を伸ばした。 一口食べる。 それから、もう一口。 隣の子も。 その隣の子も。 少しずつ食べ始める。 その様子を見ているだけで、胸が苦しくなった。 どうして同じ孤児院の中で、きれいな服を着ている子と、こんなに痩せている子がいるのだろう。◇◇◇「持ってまいりました」 孤児院の職員が、大きな帳簿を何冊も運んできた。 エドワード公爵様が一冊を開く。 ヴィクター殿下とサイラスも、その横から覗き込んだ。「食料費……」 サイラスが数字を追っていく。「多い」「そうなの?」「うん」 サイラスは食堂を見回した。「三十六人なら、十分」 帳簿の数字が正しいなら、少なくとも子どもたちを飢えさせるほど食料が不足しているようには見えないらしい。「こちらにも寄付の記録がありますね」 エドワード公爵様が別のページを開かれる。 町の商人。 教会。 貴族。 たくさんの名前と金額が並んでいた。 思っていた以上に、この孤児院には多くのお金が入っている。「それなのに……」 私は食事をしている子どもたちを見る。 どうして? その疑問は、きっとここにいる全員が抱いていた。「ベアトリス」