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last update Last Updated: 2025-11-06 18:21:01

 それから数日後、陽斗は目当ての資料を探し当てていた。

 それは水濡れの後が色濃く残る、日報の束である。当時、日報が書かれた現地で大規模な洪水が起こり、三ツ星商事の施設も浸水したのだ。水濡れはその痕跡だった。

 陽斗はかなりの精度で資料を絞り込むことに成功したが、それでもまだかなりの量が目の前に積まれていた。

「良くやった、一条君。あとは僕に任せてくれ。自社開発のAIで分析し、内容を精査する」

 蒼也はすぐに最新のスキャナを三ツ星商事に送り届けた。

 陽斗と美桜、蒼也も含むチームのメンバーが手分けして、資料の山をスキャンしていく。

 だが、その結果は思わしくなかった。

 蒼也のチームの技術者から「社長、AI-OCRの分析では、エラーが数千件単位で検出されています」という悲観的な報告が上がったのだ。しかし蒼也は、スキャンした資料の一点を鋭い目で見つめていた。

「いや、待て」

 彼は何か閃いたように、指で顎をなぞる。

「人間は、ランダムな間違いは犯さない。間違いには、必ずパターンがある。そう……例えば、水で滲んだ『3』は、『8』に見える可能性がある」

 彼の推理は、単なる技術論ではなかった。15年前に、洪水災害の疲労困憊の中でデータを再入力したであろう、名もなき社員の心理状態までを、蒼也は正確に読み解いていた。

 そして蒼也は自社の技術者に、的確な指示を飛ばす。

「全データの突合分析を中断しろ。AIに新しい命令を与える。『15年前の、この期間のデータに限り、『8』と入力されている数値を、一時的に『3』と仮定して、全体の再計算を実行せよ』と」

 技術者たちが、大慌てでコマンドを打ち込む。数秒の沈黙の後、モニターに映し出されたグラフから、異常値を示す赤いグラフだけが、すっと綺麗に消え去った。

 ゴーストデータが完全に消滅した瞬間だった。

「やった……!」

「これで間違いないぞ!」

 プロジェクトは最大の危機を脱した。安堵と興奮が、皆の間に流れる。

 蒼也は陽斗に向き直った
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  • ワンナイトから始まる隠れ御曹司のひたむきな求愛   99

     それから数日後、陽斗は目当ての資料を探し当てていた。 それは水濡れの後が色濃く残る、日報の束である。当時、日報が書かれた現地で大規模な洪水が起こり、三ツ星商事の施設も浸水したのだ。水濡れはその痕跡だった。 陽斗はかなりの精度で資料を絞り込むことに成功したが、それでもまだかなりの量が目の前に積まれていた。「良くやった、一条君。あとは僕に任せてくれ。自社開発のAIで分析し、内容を精査する」 蒼也はすぐに最新のスキャナを三ツ星商事に送り届けた。 陽斗と美桜、蒼也も含むチームのメンバーが手分けして、資料の山をスキャンしていく。 だが、その結果は思わしくなかった。 蒼也のチームの技術者から「社長、AI-OCRの分析では、エラーが数千件単位で検出されています」という悲観的な報告が上がったのだ。しかし蒼也は、スキャンした資料の一点を鋭い目で見つめていた。「いや、待て」 彼は何か閃いたように、指で顎をなぞる。「人間は、ランダムな間違いは犯さない。間違いには、必ずパターンがある。そう……例えば、水で滲んだ『3』は、『8』に見える可能性がある」 彼の推理は、単なる技術論ではなかった。15年前に、洪水災害の疲労困憊の中でデータを再入力したであろう、名もなき社員の心理状態までを、蒼也は正確に読み解いていた。 そして蒼也は自社の技術者に、的確な指示を飛ばす。「全データの突合分析を中断しろ。AIに新しい命令を与える。『15年前の、この期間のデータに限り、『8』と入力されている数値を、一時的に『3』と仮定して、全体の再計算を実行せよ』と」 技術者たちが、大慌てでコマンドを打ち込む。数秒の沈黙の後、モニターに映し出されたグラフから、異常値を示す赤いグラフだけが、すっと綺麗に消え去った。 ゴーストデータが完全に消滅した瞬間だった。「やった……!」「これで間違いないぞ!」 プロジェクトは最大の危機を脱した。安堵と興奮が、皆の間に流れる。 蒼也は陽斗に向き直った

  • ワンナイトから始まる隠れ御曹司のひたむきな求愛   98

    (諦めるな。どんなに複雑に見える問題も、必ずどこかに綻びがあるはずだ) 彼は紙の資料探しと並行して、AIが検出した「ゴーストデータ」のパターンを、時系列で徹底的に分析し始めた。 画面には過去20年分の物流拠点の在庫データが、グラフとして表示されている。そのほとんどが正常な範囲で上下している中、問題の東南アジア拠点だけが、ある時点を境に毎年、物理的にありえない量の在庫を計上し続けていた。(このグラフの形。ランダムな入力ミスじゃない。まるで心電図にバグが起きたみたいに、一定の法則で、異常値が続いている。これはどこか大元の計算式か、参照データそのものが汚染された証拠だ) 陽斗は、その「異常が始まった時点」を特定するため、さらにデータをさかのぼっていく。 5年前、エラーは存在する。10年前、存在する。14年前、存在する。 そして――。(……15年前) 陽斗の指がぴたりと止まった。 15年前のデータまでは、異常値は存在しない。しかし、14年と364日前のデータから、突如として、あの「ゴースト」が現れている。「先輩」 隣で同じようにデータを分析していた美桜に、彼は声をかけた。「原因が分かりました。このゴーストが生まれたのは、ちょうど15年前の今日です」 彼はPCの画面を美桜に見せる。そこには正常なデータと異常なデータが、くっきりと分かれたグラフが表示されていた。「この日を境に、何かが起きたんです。システムが入れ替わったか、あるいは何か物理的なトラブルがあって、データの入力方法が変わったか……。デジタルで追えるのは、ここまでです。でも答えは、必ずこの『空白の一日』の前後にあるはずです」「……それは」 美桜は、陽斗の鋭い分析に息を呑んだ。何万という数字の羅列の中から、たった一つの「境界線」を見つけ出した、彼の驚異的な集中力と観察力。 陽斗はまっすぐな瞳で、美桜を見つめた。「俺が、その答えを見つけてきます。15年前の、紙の資料の

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     陽斗の祖父――先代の社長にして今の会長――は、幼い孫に向かってこう語った。『陽斗。これからデジタル化の波が押し寄せるのは間違いない。PCは日々進化して、誰もが使いこなすようになりつつある。近い将来、デジタル上でさらなる革新が起きる可能性は高いと見ている。我が三ツ星商事も、その波に乗ってさらに拡大していくだろう。だがな、陽斗。私は思うのだよ。技術が進歩すればするほど、便利になればなるほど、一つの方法に全てを賭けてしまうのは危険だとね。リスク分散の意味も含めて、古い技術の一部を残しておくのも、悪くないと考えている』(あの慎重なお祖父様が、デジタルだけを過信するはずもない。どこかにあるはずだ) 彼は自分の直感を信じて、ノートPCで会社の巨大な内規データベースにアクセスした。検索窓に普通の社員ならまず入力しないような、古風な単語を打ち込んでいく。「海外拠点」「資料保管規定」「第三分類」「永久保管」 数秒後、一件のファイルがヒットした。それは20年以上前に制定され、今では誰にも参照されることのなくなった、旧式の資料保管規定だった。 その条文の一つを、陽斗の目が捉える。『海外拠点における会計関連の一次資料(日報、輸送伝票等)の原本は、デジタル化の有無を問わず、全て本社地下の第四資料保管室にて、永久保管するものとする』(……あった! これだ!) 陽斗は顔を上げた。その瞳には、絶望の淵から一本の光を見つけ出した者の強い意志が宿っていた。 彼は疲れ果てた表情でうつむいている美桜の元へ、静かに歩み寄る。「先輩。まだ、手はあります」「一条君?」 陽斗は、自分のPC画面を彼女に見せた。そこに表示された古びた社内規定を。「デジタルの記録がダメでも、この会社のどこかに必ず、紙の記録が眠っているはずです。俺が、それを見つけ出します。どんなに時間がかかっても」 その声は静かだったが、確かな決意に満ちていた。 美桜は彼の言葉とまっすぐな眼差しに、失いかけていた希望の光を再び見出すのだった。◇

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     翔の言葉は実に嫌味だ。美桜のリーダーシップと蒼也の技術力、両方を同時に貶める悪意に満ちたセリフだった。玲奈も隣で「こんなことじゃ、本当に先が思いやられますね」と、くすくすと意地悪そうに笑っている。(あの人たち、またあんな言い方をして!) 美桜はぐっと唇を引き結んだ。ここでリーダーである彼女が動揺しては、チームの士気が崩壊してしまう。毅然とした態度で言い返そうとした時、隣に座っていた陽斗が口を開いた。「――原因は、必ずあります。解決策も必ず見つかります。そうですよね、リーダー」 彼は美桜の目をまっすぐに見て、そう言った。その強い信頼に、美桜は「ええ、もちろんよ」と、頷き返す。 けれど原因不明の「ゴーストデータ」という巨大な壁を前に、チームは再び暗礁に乗り上げてしまった。◇ プロジェクトチームの中で、「ゴーストデータ」の原因を追う作業が始まった。だが蒼也のチームからの最終報告は、絶望的なものだった。「デジタルの記録は、15年前のサーバー移行時に、破損した旧サーバーから無理やりデータを吸い上げた記録が最後です。それ以前は、もはや追跡できません」 最新の技術をもってしても、失われた過去のデータは復元できない。会議室は重い沈黙に包まれた。 蒼也の言葉に、誰もが反論できなかった。デジタルの追跡がダメならもう打つ手はない。それが現代のビジネスにおける常識だった。(どうしたらいいの……) 美桜もリーダーとして次の手を考えようとするが、思考が完全に停止してしまっている。手詰まりだった。 しかし陽斗だけは違った。彼は皆が下を向く中、一人だけ何かを考え込んでいた。(デジタルがダメなら……アナログだ。三ツ星商事は、古い会社。どんなにデジタル化が進んでも、ペーパーレス化が叫ばれても、あの世代の役員たちが、重要書類の『紙の原本』を簡単に手放すはずがない。特に海外拠点の会計に関わる書類なら、なおさらだ) 陽斗は三ツ星商事の体質を良くも悪くも知っている。デジタル世代の彼からすれば

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    (賑やかな週末だったわ。一時はどうなることかと思ったけれど、案外楽しかったかも) 美桜は気持ちを切り替えて、今週もしっかりと仕事をこなした。 今日はプロジェクトの中間報告会が行われている。美桜がリーダーに復帰してから、チームの士気は高く、会議室は前向きな熱気に満ちていた。 オンラインで参加している蒼也のチームの担当者が、AIによる第一次分析の結果をスクリーンに映し出した。「こちらが、北米と欧州の物流ルートの最適化シミュレーション結果です。ご覧の通り、AIの予測に基づけば、年間でおよそ15%のコスト削減が見込めます」「おお……!」 と、会議室から感嘆の声が上がった。プロジェクトは順調な滑り出しを見せている。美桜も安堵の息をついた。 しかし蒼也の部下の表情は、なぜか晴れない。彼は続けた。「ですが一つ、深刻な問題が発見されました。東南アジアの、とある古い物流拠点のデータです。こちらをご覧ください」 スクリーンに、新しいグラフが映し出される。その片隅にありえないほどの異常値を示す、一本だけ突き抜けた棒グラフがあった。「なんだ、あれは」「明らかにおかしいぞ」「どうしてあそこだけ、あんなことに?」 会議室がざわめきに包まれる。蒼也がそのざわめきを制するように、口を開いた。「簡単に言うと、AIが『存在しないはずの大量の在庫』が、この拠点にだけ、毎年必ず出現すると予測している。物理的にありえない。我々はこれを『ゴーストデータ』と呼んでいる。このゴーストの正体を突き止めない限り、AIは学習を誤り、使い物にならなくなる」「何だって……」「AIが使えないんじゃ、このプロジェクトが根底からくつがえるじゃないか」 蒼也の言に、会議室の熱気は急速に冷えていった。プロジェクトが深刻な壁にぶつかった瞬間だった。 重苦しい沈黙を破ったのは、翔である。彼は腕を組み、これ見よがしに大きなため息をついてみせる。「なるほどな。やはり最新技術というのは、こういう『想

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