月曜日の早朝。 都会の喧騒が目覚める前の静けさの中、高梨美桜(たかなし・みお)は一人、オフィスの中にいた。 窓の外はまだ夜の色を濃く残している。手元のマグカップからは、淹れたてのブラックコーヒーの香ばしい香りが立ち上っていた。 彼女の視線は、ノートパソコンの画面に映し出されたプレゼンテーション資料の最終ページに注がれている。スライドの右下、フッター部分には、「第一営業部主任・佐伯翔(さえき・しょう)」という文字が刻まれていた。(よし、完璧だ) 美桜は完成したばかりの資料を前に、満足感を覚えていた。この数十枚のスライドを作るため、彼女は休日出勤をして、週末の時間すべてを注ぎ込んだのだ。 緻密な市場データ、多角的な競合分析、それから今後五年を見据えた販売戦略。グラフの一つ文言の一字一句に至るまで、論理的に組み上げられている。 我ながら完璧な出来栄えである。これが翔の声で彼の言葉として語られることで、完成されるのだ。 けれど達成感の隣で、ちくりと寂しさが胸を刺した。この資料に自分の名前は、どこにもない。 三年付き合っている恋人、翔の成功を支えることこそが自分の喜びだと、ずっと信じてきた。その気持ちに嘘はない。 だが、こんなにも完璧な資料の作成者なのに、自分の存在がどこにもない現実は、時折こうして彼女の心を痛ませるのだった。(ううん、いいの。翔の夢を応援するのが、私の役目だから) 美桜は寂しさをコーヒーの苦みと共に飲み下すと、自分に言い聞かせるように小さく微笑んだ。彼の役に立てるなら、それでいい。そう信じて。◇ 重厚なマホガニーのテーブルが鎮座する、三ツ星商事の役員会議室。張り詰めた空気が、高価な革張りの椅子に座る役員たちの厳しい表情を一層際立たせている。 美桜は議事録係として末席に座って、背筋を伸ばしたまま固唾をのんでスクリーンを見守っていた。 壇上には、恋人の佐伯翔が立っている。イタリア製のスーツを颯爽と着こなし、華やかな容姿と自信に満ちた態度で、美桜が心血を注いだ資料を淀みなく説明していく。 彼の巧みな話術は、データを生き生きとした成功への物語に変えていく。当初は懐疑的だった役員たちを一人、また一人と惹きつけていった。(すごい。翔が話すと、データが物語になる) 美桜は誇らしさと、自分がその場にいないかのような疎外感の入り混じっ
Last Updated : 2025-09-16 Read more