Masuk大手商社OLの高梨美桜は、3年間尽くした恋人・翔に手柄を全て奪われあっさりと捨てられてしまう。絶望の夜、自暴自棄になった彼女を救ったのは、彼女の才能と優しさにずっと前から気づいていた、人懐っこい後輩・一条陽斗だった。 「俺は本気です。後悔してません」 一夜の過ちから始まった、正体を隠した御曹司のひたむきな求愛。彼の無償の愛に支えられ、美桜は失った自信と輝きを取り戻していく。 さらには美桜の同級生でIT企業の社長となった如月蒼也が現れて、恋は三角関係へ。 しかし元恋人の嫉妬と妨害が容赦なく二人を襲い――? 全てを失った女性が最高のパートナーと共に本当の自分を見つけるまでの、大逆転シンデレララブストーリー。
Lihat lebih banyak月曜日の早朝。
都会の喧騒が目覚める前の静けさの中、高梨美桜(たかなし・みお)は一人、オフィスの中にいた。 窓の外はまだ夜の色を濃く残している。手元のマグカップからは、淹れたてのブラックコーヒーの香ばしい香りが立ち上っていた。彼女の視線は、ノートパソコンの画面に映し出されたプレゼンテーション資料の最終ページに注がれている。スライドの右下、フッター部分には、「第一営業部主任・佐伯翔(さえき・しょう)」という文字が刻まれていた。
(よし、完璧だ)
美桜は完成したばかりの資料を前に、満足感を覚えていた。この数十枚のスライドを作るため、彼女は休日出勤をして、週末の時間すべてを注ぎ込んだのだ。
緻密な市場データ、多角的な競合分析、それから今後五年を見据えた販売戦略。グラフの一つ文言の一字一句に至るまで、論理的に組み上げられている。 我ながら完璧な出来栄えである。これが翔の声で彼の言葉として語られることで、完成されるのだ。けれど達成感の隣で、ちくりと寂しさが胸を刺した。この資料に自分の名前は、どこにもない。
三年付き合っている恋人、翔の成功を支えることこそが自分の喜びだと、ずっと信じてきた。その気持ちに嘘はない。 だが、こんなにも完璧な資料の作成者なのに、自分の存在がどこにもない現実は、時折こうして彼女の心を痛ませるのだった。(ううん、いいの。翔の夢を応援するのが、私の役目だから)
美桜は寂しさをコーヒーの苦みと共に飲み下すと、自分に言い聞かせるように小さく微笑んだ。彼の役に立てるなら、それでいい。そう信じて。
◇ 重厚なマホガニーのテーブルが鎮座する、三ツ星商事の役員会議室。張り詰めた空気が、高価な革張りの椅子に座る役員たちの厳しい表情を一層際立たせている。 美桜は議事録係として末席に座って、背筋を伸ばしたまま固唾をのんでスクリーンを見守っていた。壇上には、恋人の佐伯翔が立っている。イタリア製のスーツを颯爽と着こなし、華やかな容姿と自信に満ちた態度で、美桜が心血を注いだ資料を淀みなく説明していく。
彼の巧みな話術は、データを生き生きとした成功への物語に変えていく。当初は懐疑的だった役員たちを一人、また一人と惹きつけていった。(すごい。翔が話すと、データが物語になる)
美桜は誇らしさと、自分がその場にいないかのような疎外感の入り混じった複雑な気持ちで、彼の姿を見つめていた。
「――この新規市場への参入リスクについて、具体的な対策は?」
不意に、最も厳しいことで知られる専務から鋭い質問が飛んだ。翔が一瞬、言葉に詰まる。美桜の心臓がどきりと鳴った。
(大丈夫、その質問は想定済み。想定問答集の三ページ目!)
翔が助けを求めるように、一瞬だけ美桜に視線を送る。美桜は誰にも気づかれぬよう、小さく頷いた。すると翔は自信を取り戻し、問答集を探し当てて完璧に回答してみせた。
(よかった……)
美桜は安堵の息を吐く。この秘密の連携こそが二人で築き上げてきた絆の証なのだと、彼女は信じていた。少なくとも、信じていたかった。
プレゼンは大きな拍手で幕を閉じた。
開始当初は険しい表情だった重役たちも、今は大半が笑顔で手を叩いている。「見事だったぞ、佐伯君。次期課長候補の筆頭だな!」
称賛の声が飛び交う。二十代での課長昇進は、この会社としてはなかなかのものだ。
翔は満面の笑みで役員たちに囲まれて、人々の輪の中心にいる。美桜はその輪に加わることなく、遠くから眺めていた。やがて会議が終わり、皆が退室していく。美桜のスマホが震えた。翔からのメッセージだ。
『美桜のおかげだ。ありがとう! 今夜は祝杯だな!』
短い文面と、おどけたキャラクターが敬礼するスタンプ。たったそれだけ。けれど「ありがとう」の一言で、週末を捧げた時間も胸の奥の寂しさも、すべてが報われる気がした。
(この言葉があるから、頑張れるよ)
美桜は自分に言い聞かせる。寂しさを愛情で上書きするように、スマホの画面に向かって微笑み返した。
「三ツ星商事に入社希望を決めたのは、理念に共感したからです」 彩花が言う。「特にホームページに掲載されていた、一条社長の言葉に感銘を受けました。総合商社として物流を担い、世界各地をネットワークを結ぶことで、社会の課題に貢献していく……というものです」「あー、そんなことも言っていたなぁ」 陽斗が軽く笑うと、美桜は眉をしかめた。「またそんな言い方をして。社長を無条件で敬えとは言わないけれど、あまり失礼な態度を取っては駄目よ」「陽斗さんは不思議な人ですね。あれ、陽斗さんの名前も『一条』でしたっけ。まさか社長の親戚とか……?」 彩花の言葉に、陽斗は慌てて手を振った。「ないない。たまたまだよ。そこまで珍しい苗字でもないし」「それもそうですね」 彩花が頷いて、蒼也は少し複雑そうな目で陽斗を眺めた。 4人と1匹の午後は、ぎこちないながらも案外楽しく過ぎていく。彩花が、探るような目で陽斗に話しかけた。「陽斗さんって、かっこいいですね! もしかして、美桜先輩と付き合っているとか?」「俺は付き合いたいんだけどね。先輩はガードが固くて」 陽斗は蒼也を牽制するように、にっこりと笑って答える。美桜はもう気が気でない。 そのやり取りを見て、彩花は兄をキッチンの隅へと引っ張っていった。「兄貴、陽斗さんは手強いよ。美桜さんと付き合いたければ、先手を打たないと。ボヤボヤしてたら取られちゃう」「分かっている。今日こうやって話して、実感したよ」 彩花の囁きに、蒼也は頷いていた。 ケーキを食べ終わった後、彩花が「せっかくだから、この後、4人でどこかに出かけましょうよ!」と無茶な提案をした。蒼也は呆れながらも、美桜と共にいる時間を伸ばしたい一心で、その提案に乗った。◇ 猫のミオはお留守番をしてもらって、4人は町なかを歩いていた。 彩花は口実をつけて陽斗を連れ出して、兄と美桜を2人きりにしよ
「頭脳だけじゃなく、肉体の疲労にも糖分は効きますから。俺も大学時代に部活でよく甘味を食べました。今もトレーニング後は食べますよ」「一条君は、ラグビー部だったと聞いている」 蒼也が言うと、陽斗は笑った。どこか獰猛(どうもう)な笑みだった。「よくご存知で。如月社長は何でもよく調べていらっしゃいますね。やっぱり男たるもの、体は鍛えておかないと。いざという時に大事な人を守れませんから」 大柄で体格の良い陽斗が言うと、迫力がある。 一方で細身の蒼也は、わずかに眉をしかめた。「心外だな。僕だってジムには通っている。何かあれば、女性の一人くらい抱えられるさ」 二人の間に火花が散って、美桜は頭を抱えた。彩花はニヤニヤしている。「えー、何? 二人とも、騎士のつもりですかぁ? いいなー、乙女心がくすぐられちゃう」「彩花。お前は黙っていろ」 蒼也が呆れたように言ったので、その場が少し和んだ。猫のミオが「にゃあ~」と鳴いて、みんな笑った。 それを機に蒼也がキッチンに立ち、コーヒーとケーキを運んできたので、4人はソファに座る。 陽斗が言う。「如月社長は、美桜先輩の高校の同級生と聞きました。思い出があるのはいいことですね。でも、公私混同はどうかと思いますよ」「公私混同をした覚えはない。一条君、君こそどうなんだ? 先輩のプライベートにまでついてくるなど、後輩として逸脱しているのでは?」「いやー。猫のミオちゃんに会ってみたくて。社長の憧れの人の名前をつけた猫だから、きっと可愛いんだろうなと」 陽斗と蒼也の間に再び火花が散る。 美桜はいたたまれない気持ちでコーヒーを飲んで、彩花はそんな彼女の肩をぽんぽんと叩いていた。「陽斗君、彩花ちゃんは三ツ星商事に入社希望なの。2年後には優秀な後輩ができるかもしれないわ」 美桜が話題を逸らすと、陽斗は頷いた。「それは嬉しいな。彩花さん、我が社のどんなところが気に入ったの?」「こら、陽斗君。『我が社』だなんて大げさよ。社長や重役じゃないんだか
「……違う。僕は、いつでも完璧を追求しているだけだ」「はいはい。それで、その完璧なコーヒーを淹れて、美桜さんをおもてなしする、と。……言っておくけど、私は適当なところで帰るからね。後は美桜さんとうまくやってよ? ライバルがいるんでしょ?」 図星を突かれ、蒼也はわずかに眉をひそめる。「余計なお世話だ。そもそも、今日はお前のOG訪問のお礼が目的で……」 ピンポーン。 蒼也の言い訳を遮るように、軽快なインターホンの音が響いた。 マンションの入口モニタに美桜が映っていたので、ロックを解除する。 彩花が「はいはーい、主役のご登場です!」と楽しそうに言う横で、蒼也は一度、大きく深呼吸をした。そして、いつものクールで完璧なポーカーフェイスを貼り付けて、玄関のドアへと向かった。 ドアを開けると、少し緊張した面持ちの美桜が立っていた。 そして彼女の背後から、なぜか陽斗が気まずそうに顔を覗かせた。 蒼也と彩花は、予想外の「招かれざる客」の登場に一瞬固まった。 蒼也はすぐにクールな表情に戻り、「一条君もようこそ」と、大人の対応で彼を迎え入れる。「こんにちは、蒼也君、彩花ちゃん」 美桜の挨拶に、彩花はぺこりと頭を下げた。「こんにちは、美桜先輩。この間はありがとうございました。おかげさまで、改めて三ツ星商事に入社したいと思いました」「そう、それは良かった。あなたのような後輩ができたら、嬉しいわ」「えへへ。……ところで、そちらの方は?」 彩花は陽斗を見る。陽斗はにっこりと笑った。「どうも、初めまして。美桜さんの後輩で指導を受けている、一条陽斗です。如月社長にもお世話になっています」「初めまして。如月の妹の彩花です。よろしくお願いします」 彩花はそつなく挨拶を返しながらも、「おぉ……。この人が例の『ライバル』の人……」などと小
金曜の終業後。オフィスの中は、一週間を無事に終えた開放感で満たされている。 社員たちが飲み会の予定や週末の話をしている中、陽斗が美桜に話しかけた。「先輩。週末はご予定、ありますか? もしよければ僕と、どこかに出かけませんか」「えっと……」 美桜は言い淀んでしまった。週末は蒼也と約束がある。 だが、陽斗にその話をしていいものかどうか。 少し悩んだ後、隠すことではないと思い直して、美桜は口を開いた。「週末は、如月社長のお宅に行こうと思ってるの。妹さんと、猫のミオちゃんに会う約束があって……」「……部屋に、行くんですか?」 陽斗の笑顔が固まって、声が少しだけ低くなった。彼の動揺を美桜ははっきりと感じ取る。慌てて付け加えた。「あ、いや、妹さんも一緒だから! やましいことなんて、何もないわよ!」「なるほど、そういうことでしたか」 その言葉を聞いて、陽斗は少しだけ安堵したように見えた。しかし次の瞬間、彼はとんでもないことを言い出した。「じゃあ、俺もついて行っていいですか?」「えっ!? だ、だめよ! 突然押しかけたら、ご迷惑になるでしょう」「先輩が他の男の部屋に行くの、俺は嫌です。猫と妹さんが一緒でも、心配なんです。お願いです、連れて行ってください」 陽斗のいつになく頑固な表情。彼の子供のような独占欲と、真剣な心配が入り混じった表情に、美桜は「ダメ」と言い切れなくなってしまった。◇ 週末、蒼也の住む、都心の高級マンションの一室。 リビングの大きな窓からは、東京の絶景が一望できる。今は昼間だが、夜になれば素晴らしい夜景が見えるだろう。 蒼也はその景色に背を向けて、キッチンで豆から挽いたコーヒーを、一滴一滴、丁寧にハンドドリップしている。その真剣な横顔は、精密機械を操る科学者のようだった。 ソファの上では妹の彩花が、兄の愛猫である美しいメインクーン――ミオ
「え? どう、って……」「君ほどの手腕があれば、今の会社だけが選択肢ではないはずだ。例えば僕の会社で、僕の隣で、新しいものを作るという未来もある」 彼の言葉は、以前のようなスカウトではなかった。二人の未来を共に歩むという、甘い響きを伴ったパートナーへの誘い。「それは……」 美桜が言葉に窮していると、蒼也は、困らせるつもりはなかった、とでも言うように、ふっと笑みを漏らした。「まあ、焦って答えを出す必要はないさ。……少し、個人的な質問をしてもいいかな」「何かしら?」「美桜さんは、あの一条君と付き合っているのかな?」 直接的な問いに、美桜はどきりとする。「……いえ。付き合っているわけではないわ。ただ、とても良くしてもらって、何度も助けてもらっているから」「そうか。では君の気持ちはただの感謝で、恩返しをしたいと思っていると?」「え……」 感謝しているのは確かだ。けれど、ただの「恩返し」と言われると、違うと叫びたくなった。だが陽斗は大切な後輩で、ただでさえ一夜の過ちという大きな負い目がある。彼に心惹かれているなんて、軽々しく口には出せない。 美桜が答えに詰まっていると、蒼也はそれ以上追及しなかった。「まあ、この話はこれくらいにしよう。それより、妹の彩花が、君のことをすっかり気に入ってしまってね。『美桜さんみたいな先輩になりたい!』と息巻いていたよ」 蒼也は巧みに話題を切り替える。けれど彼の探るような鋭い視線は、美桜の心の迷いを見透かしているようだった。 美桜は心の整理がつかないまま、蒼也の話題に乗ることにした。 少しだけ無理をして微笑みを浮かべてみせる。「ふふっ、嬉しいわ。彩花さん、とても優秀な学生さんだもの。将来が楽しみね」「ああ。ただ、一つだけ困ったことがあるんだ」「困ったこと?」「彩花のやつ、僕の猫の『ミ
プロジェクトが順調に進んでいる、ある平日の昼休み。蒼也に指定されたのは、彼のオフィスにも近い、高層ビルの最上階にあるモダンフレンチのレストランだった。 美桜が到着すると、蒼也は先に席に着いて窓の外の景色を眺めていた。「お待たせしました」 美桜は声を掛ける。すると彼は立ち上がり、極めてスマートな仕草で彼女の椅子を引いた。自然なエスコートに、美桜は少しだけ戸惑ってしまう。「ごめんなさい、遅れてしまって」「いや、僕が早く着きすぎただけだよ。君との食事は、いつも待ち遠しいからね」 冗談なのか本気なのか、クールな表情からは読み取れない。「先日の定例報告会、お疲れ様。君がリーダーとして、あれだけの大所帯をまとめ上げているのを見て、正直、感心したよ」 彼の言葉は社交辞令ではなく、純粋な賞賛の響きを持っていた。「ありがとう。でも、まだまだよ。特にうちの会社の古い体質には、手を焼いているわ。新しいことを始めるのには、いつも大きな抵抗が伴うから」 彼女は、今までも翔が会議で横槍を入れてきたことを、それとなく匂わせた。蒼也は察する。「ああ、何人かいたね。過去の成功体験に固執して、変化を恐れる人たちが。だが君の提示したデータと、一条君のサポートは完璧だった。あの二人の連携の前では、旧世代の精神論など、何の役にも立たないだろう。実際、君たちはあのデータ改竄を見破ってみせた」 彼は、陽斗の能力も正当に評価してみせた。その公平な視点に美桜は感心する。「陽斗君には、本当に助けられているわ。彼がいなければ、私はリーダーとして、ここにいなかったかもしれない」「彼は、君を支える素晴らしいサブリーダーだ。だがプロジェクトのビジョンを描き、最終的な決断を下すのは、リーダーである君の役目だ。僕たち――キサラギ・イノベーションズ――がこのプロジェクトに参画を決めたのは、一条君のためではない。君の、あの卓越した分析能力とビジョンを信頼したからだよ」 蒼也の言葉は、美桜のリーダーとしての自信を強く肯定するものだった。 美桜は嬉しくなって微笑む。
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