LOGIN七年間の冷戦状態を経て、私は両親をお見舞いするために六歳になる息子を連れて帰国した。 空港に降り立った途端、元彼の親友である佐藤宏(さとう ひろし)とばったり出会ってしまった。 「もう七年も経ったんだぞ。結婚式から逃げたこと、いつになったら蓮に謝るつもりだ?」 桐谷蓮(きりたに れん)――宏の幼なじみで、あと一歩で私と結婚するはずだった男だ。 七年前、私たちはホテルで結婚式を挙げていた。 ところが、花嫁入場のタイミングで、蓮は突然式を中断させ、そのまま客席にいた白いドレス姿の女性を引き寄せ、列席者たちに向かって語りかけた。 「雪乃は俺の初恋なんだ。一度はバージンロードを一緒に歩く、そう約束したんだ。 今日の結婚式が終わったら、もう心を入れ替える。だから今のうちに、この約束を果たしたい」 そう言うと、司会者に式の続行を促した。 会場は騒然となり、列席者たちは皆、花嫁である私の醜態を見物していた。 私はしばらく呆然としていたが、やがてウェディングドレスの裾をつかみ、会場を後にした。 蓮は追ってこなかったし、私も待たなかった。 そして今、七年が経ち、息子は六歳になった。 元彼の親友である宏は、今でも私に頭を下げて謝罪し、復縁しろと言ってくる。 私は笑みを浮かべ、息子の手を引いて宏の前に連れて行った。 「太一、お兄さんにご挨拶して。パパの名前を教えてあげなさい」
View More力の入れ方は、骨が砕けそうなほどだった。声は震え、もはや言葉の形を保っていない。「母さん……!なぜ、お前だったんだ?お前が、俺と千尋を引き裂いたんだ!お前が、金で……俺と子どもの父子の縁を断ち切ったんだ!」蓮の言葉は、一つ一つ、歯の間から絞り出すようだった。蓮の母は揺さぶられ、ほとんど立っていられなくなる。顔色は一気に青ざめ、目を泳がせ、息子の苦痛に満ちた視線と向き合えない。空気が凍りつき、響いているのは、蓮の荒い息遣いと、声にならない轟音のような糾弾だけだった。彼女は、ひたすら謝り続けた。あまりにも見るに堪えず、私は颯真に目配せし、先に立ち去ろうとする。だが、私が背を向けたのを見た途端、蓮はなりふり構わず飛びついてきた。私の足にすがりつき、ほとんど崩れ落ちるように、許しを請う。初めてだった。あれほど高慢だった男が、自ら誇り高い頭を下げたのは。跪き、私に振り向いてほしいと懇願し、私に許してほしいと繰り返し、私と颯真が離婚してほしいと泣き叫び、息子を実の子のように扱うと約束した。だが、その必死な姿を前にしても、私はただ、ゆっくりと一歩下がった。そして、蓮に告げる。「蓮、私たちの関係は、もう七年前に終わったの。誰も、ずっと誰かを待ち続けることなんてできない。私には、もう新しい生活がある。だから私と、私の家族を邪魔しないで」そう言って、背を向け、歩き出した。背後から、男の抑えきれない嗚咽が聞こえてくる。私は立ち止まらず、息子の手を、しっかりと握りしめた。私は、私の人生を生きる。……帰宅後、今日起きた出来事は、すべて意識の外へ追いやった。それから三か月後。経済ニュースで、桐谷グループが破産清算に入ったという報を目にする。同時に、桐谷家の跡取り・桐谷蓮が、メディアのカメラの前で錯乱し、スーツを脱ぎ捨て、シャツを引き裂き、よろめきながら外へ走り出し、私の名前を呟き続けている映像が流れていた。蓮が、これから何をしようとしているのか。私は、もう関心がなかった。ところが、ある日、蓮の母が突然、私を訪ねてきた。私の前に跪き、涙ながらに懇願する。蓮を説得してほしい。考え直させ、家業を立て直してほしい、と。そのとき私は、夫である颯真の肩にのんびりと寄りかかり、旅行雑誌をめくっていた。
「いや……お前たちの嘘なんか、信じない!」蓮は明らかに理性を失っていた。目の前を遮る人々を乱暴に押しのけ、鑑定席へ突進しようとする。あの小さな影を狙いながら、口からは狂ったような叫びが止まらなかった。「再検査だ!俺が、自分の目で確かめる!」だが、二歩も進まないうちに、腕を強く掴まれる。抗いようのない力だった。颯真が、蓮の腕を押さえたまま言う。「桐谷さん。そこまで狂ったように、この子が自分のだと言い張るなんて……もしかして、何か持病でもあって、一生、子どもを作れない体か?」「お前……!」蓮は怒りで、気が狂いそうになった。その時、ずっと傍で沈黙していた蓮の母が、突然口を開いた。息子の腕をきつく掴み、興奮で震える声を必死に抑えながら叫ぶ。「蓮、やめなさい!もう、これ以上騒がないで!」目の前で狂ったように暴れる息子を見て、胸が張り裂けそうなほど苦しかった。だが、彼女の心の奥底には、私などが息子にふさわしいはずがないという思いが、最初から根深くあったのだろう。だからこそ、これ以上、息子を巻き込ませるわけにはいかなかった。「母さん、離せ!」蓮は振りほどこうとする。「自分の孫が欲しくないのか?」蓮の母は深く息を吸い込み、大きな決意を固めたように周囲を見回した。そして、颯真と私を順に見てから、最後に息子の顔を真正面から見据え、低い声で言った。「蓮、目を覚ましなさい。七年前、この女は、私から六千万を受け取って、あなたから離れたのよ。こんな移り気な女が、あなたの子どもを産むわけないでしょう!」一瞬、法廷の内も外も、死んだように静まり返った。配信のコメントでさえ、ぴたりと止まったかのようだった。誰もが、あまりに突然明かされた事実に、言葉を失っていた。蓮の体が、目に見えて硬直する。まるで石像になったかのように動かなくなり、やがて、極めてゆっくりと首を回した。彼は信じられないという顔で、母親を見つめる。蓮の母の私への中傷には触れず、震える声で問いかけた。「……母さん?何を……言ってる?お前が、千尋に金を渡して……俺から、離れさせたのか?」蓮の母は、息子の虚ろな目を正視できず、視線を逸らす。焦った口調だったが、そこには、譲れない頑固さが滲んでいた。「蓮、あなたのためを思ってしたことよ。あの子は当時、何も持た
そう言い切ると、私はきっぱりと背を向けた。打算と非難に満ちた二人の顔を、完全に視界から追い出す。……蓮の妨害行為のせいで、この数日間、神宮寺グループの株価は多少の揺れを見せていた。とはいえ、颯真は長年ビジネスの世界で生き抜いてきた人間だ。基盤は揺るがず、この程度の世論の波で根本が崩れることはない。それでも、この件の対応で一日中ひっきりなしに電話を受け続ける颯真を見ていると、胸が痛んだ。この間、メディアは血の匂いを嗅ぎつけたサメのように颯真へ群がり、息子も何度か不審な尾行を受けていた。今どき、ニュースのためなら手段を選ばない人間は少なくない。私は毎日、気が気ではなかった。幸い、蓮は無茶な男ではあるが、「自分の実の子」だと信じ込んでいる子どもを、本当の危険に晒すようなことはしない。ただ、何かにつけて理由をつけ、「自分の息子」に近づこうとし、何度も子どもをこっそり桐谷家へ連れ帰ろうとする素振りを見せていた。いずれにしても、蓮のこうした行動が、私たちの穏やかな生活を確実に乱していることに変わりはない。颯真の目の下に、うっすらと浮かんだ隈を見て、私はついに決心し、口を開いた。「颯真……太一を連れて、親子鑑定を受けましょう。そうすれば、桐谷家も諦めて、もう付きまとわなくなるわ」正直なところ、親子鑑定は、蓮の妄想を断ち切るための最も確実な方法だった。それでも、私がこれまで提案しなかったのには理由がある。安易に鑑定を受ければ、幼い息子に、目に見えない傷や影を落とすのではないかと恐れていた。どんな子どもが、親に自分の血を疑われて、平気でいられるだろう。それにどんな男が、自分の子どもの血を疑われて、平静でいられるだろうか。たとえ、それが疑いを晴らすためだとしても。心の中では葛藤していた。この言葉が、颯真を傷つけるのではないかと。颯真は、一度も私を疑ったことがないのだから。ところが、颯真は私の手をそっと取り、穏やかに言った。「いいよ。君と太一が安心できるなら、俺は何だってする」澄んだ力強い声が、温かな流れのように、私の胸に溜まっていた迷いを一気に押し流した。目頭が熱くなり、私は思わず颯真の胸に飛び込む。颯真は腕を回し、私の髪を優しく撫でながら、静かに受け止めてくれた。……親子鑑定の結果
だが、この展開だけは予想していなかった。蓮が、颯真には敵わないと悟ったあと、世論を味方につけようと動くとは。……あの日の一件で、蓮はもう大人しくなり、二度と私や子どもに関わってこないと、そう思っていた。ところが、わずか一週間後。ネット上で、突然大きな騒ぎが巻き起こった。蓮が、配信を始めたのだ。画面の中で、蓮は涙ながらに訴えていた。声を張り上げ、私と颯真を糾弾する。見事な演技で、視聴者の同情を引き寄せながら、「私たちが、自分の子どもを奪った」と主張した。蓮の話では、私たちは本当に愛し合っていたのに、誤解のせいで七年間も引き裂かれたのだという。そこへ颯真が付け込み、わざと私を誘惑し、家柄を盾にして、私と蓮の子どもを横取りした――そういう筋書きだった。金持ちの家のゴシップは、いつの時代でも格好の話題になる。一方は颯真、もう一方は蓮。世論はあっという間に燃え上がり、ネットは大騒ぎになった。神宮寺グループの株価も、巻き添えを食らう形で、小幅ながら明らかに下落した。蓮は、得意げな笑みを浮かべて、私のもとへやって来た。声には、復讐の喜びが滲んでいる。「千尋、見ただろ。みんな、俺たち二人を祝福してくれてる。後悔してるだろ?今なら、まだ間に合う。俺のところへ戻って来い」私は、浮かれきった蓮の口元を見て、思わず笑いそうになった。後悔?なぜ、後悔しなければならないのだろう。息子は賢くて可愛らしく、夫の颯真は誠実で頼りになり、私を宝物のように大切にしてくれる。私自身の仕事も、順調そのものだ。唯一、後悔するとすれば――蓮と出会ってしまったこと、それだけだった。蓮のくだらない執着さえなければ、私の生活は、穏やかで平和なもののはずなのに。一刻も早く、この茶番を終わらせたくて、私は蓮をまっすぐに見つめた。再会してから、初めて。そして、おそらく最後に。忠告するように、静かに言う。「蓮、もうやめなさい。このままじゃ、最後には完全に笑い者になるだけよ」親切心からの言葉だったが、蓮はそれを、私が弱気になった証拠だと受け取ったらしい。彼の笑みは、さらに深まった。熱を帯びた目で私を見つめ、半ば誘うように、半ば脅すように言う。「千尋、お前を一番愛してるのは、俺だ。今すぐ、あいつと離婚すれば、過去のこと
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