Short
愛は跡形もなく消えゆく

愛は跡形もなく消えゆく

By:  蒼井颯Completed
Language: Japanese
goodnovel4goodnovel
26Chapters
12.1Kviews
Read
Add to library

Share:  

Report
Overview
Catalog
SCAN CODE TO READ ON APP

松本綾乃(まつもと あやの)が妊娠八ヶ月の時、石川隼人(いしかわ はやと)は同じく妊娠八ヶ月の初恋の女を自宅に連れて帰った。 彼女と子供に正当な立場を与えるために、彼は世間に向けてこう宣言した――自分はすでに綾乃と離婚しており、近いうちに初恋の女と結婚する、と。 綾乃には見えていないと思い込み、彼女に離婚届にサインさせた。 それどころか、自分の別荘で初恋の女とベッドを共にする始末だった。 だが、彼は知らなかった。綾乃にはすべてが見えるようになったということを。 綾乃と初恋の女が同時に階段から落ちたその瞬間、隼人は一切の迷いもなく初恋の女の元へ駆け寄った。 その時、綾乃の心は彼女の子供と共に、葬られたのだった。 けれど本当に綾乃が姿を消すと、隼人は取り乱し始めた……

View More

Chapter 1

第1話

Charlene Ross arrived at Goldland Airport after nine o'clock in the evening. Her birthday was that day. Her phone exploded with birthday greetings as soon as she turned it on. They were all from friends and coworkers. However, Thorne Henderson said nothing. Charlene's grin dimmed a bit. It was already past ten when she arrived at the villa. When Latonia, the housekeeper, saw her, she was taken aback. "Mrs. Ross, what... what brings you here?" ""Where are Minnie and Thorne?" Miss Minnie is up in her room playing, and Mr. Henderson hasn't returned home yet.

Charlene went upstairs and gave Latonia her luggage. She discovered her daughter curled up in her pajamas, completely engrossed in whatever she was doing at her small table, and too preoccupied to see her mother entering. "Minnie?" "Mommy!" said Jasmine Henderson, beaming as she glanced up. Then she immediately returned to her task. Charlene embraced her, but she was gently pushed away. "Mommy, I'm busy now." Charlene hadn't seen Jasmine in two months, and a hug didn't seem like enough.

She couldn't wait to see her again. Charlene didn't want to depress her since she could see how focused she was. "Are you making a seashell necklace, Minnie?" ""Yeah!" Jasmine became alert. "Next week is Ms. Hawkins' birthday. These shells were chosen by Dad and me, and we polished them ourselves. Don't they look lovely? A knot formed in Charlene's throat, but before she could say anything more, Jasmine enthusiastically added, "Dad also ordered some other things for Ms. Hawkins.

Tomorrow—" Charlene couldn't contain the sharp pain in her chest. "Minnie... do you know what today is?" "What, huh?" After taking a quick look up, Jasmine made her necklace once more and said, "Mom, please, I mixed up the order of the beads now." It's Charlene; Seeing Jasmine not even bothering to look up, she left the room without a word. Latonia noticed her upset expression.

"Earlier, Mrs. Henderson, I gave Mr. Henderson a call. "I understand," he responded, adding, "I'm tied up tonight and asked you to rest." Recalling what Jasmine had said, Charlene called Thorne. He took a long time to respond, his voice aloof. "I'm still occupied. Let's discuss tomorrow. "Who's that late, Thorne?" In the background came the voice of Vesta Hawkins. Charlene's hold on the phone becomes unimportant; Thorne had hung up before Charlene could say anything. Months have passed since their last encounter.

Although Charlene had been to Goldland, he was unable to return home or even remain on the phone long enough to have a meaningful conversation. She had been used to the frigid, irritable, and distant nature of their marriage, which had always existed. Normally, she would have calmly called him back to find out where he was and to ask if he might come home. But maybe she was too tired to find the energy to do it. After some consideration, she called Thorne again the next morning. In Goldland, it was still her birthday because of the time difference between Goldland and her native country.

She arrived wanting to see Thorne and Jasmine, hoping they could eat together as a family on this wonderful day. That was her annual birthday desire. Thorne did not answer. He sent a message a long time after. [How are you?] Charlene: Want to grab lunch? Would you be able to bring Minnie? The three of us alone.] Thorne: [All right, tell me the location.] Thorne fell mute in silence.

Expand
Next Chapter
Download

Latest chapter

More Chapters
No Comments
26 Chapters
第1話
「石川夫人、検査は終わりましたよ。もともと体が弱いのに、ここまで赤ちゃんを守れたのは本当に大変だったと思います。あと二ヶ月、特に気をつけてください。でないと、赤ちゃんが子宮内で亡くなる可能性もありますからね」「わかりました。ありがとうございます、先生」松本綾乃(まつもと あやの)はうつむき、自分の大きくなったお腹を見つめながら、心の中がひどく冷え込んでいった。「えっ、石川夫人、目が見えるようになったんですか?」医者は彼女の視力が戻っていることに気づき、心から喜んだようだった。「はい、前回の検査のとき、急に少し見えるようになって……先生が妊娠ホルモンの影響かもしれないって」「それはよかったですね。石川様もきっと喜んでらっしゃるでしょう?あれ、今日は付き添いじゃないんですか?」視力が戻ったこと、まだ石川隼人(いしかわ はやと)には伝えていなかった。でも、彼が喜ぶだろうか?……たぶん、そんなことはないだろう。綾乃は笑みを浮かべた。「忙しいみたいです」彼は今、初恋の女と一緒にいるのだ。妊婦健診に付き添う暇なんてあるわけがない。綾乃は手に持った白杖を開いて、診察室を後にした。病院のロビーを通りかかると、綾乃はテレビに映る隼人のインタビューを目にした。「島田美緒(しまだ みお)のお腹にいるのは俺の子だ。俺たちは、ずっと前から付き合ってるんだ」司会者が興味津々に尋ねた。「でも石川様、あなたは既にご結婚されてますよね?」「そうだ。でももう離婚した。近いうちに美緒と結婚するつもりだ。ちゃんとした籍を入れてやりたい」「それはおめでとうございます。お幸せに!」二人は寄り添って、愛し合っている様子でカメラに向かって笑った。「ありがとうございます」綾乃は目を上げ、初恋の女を優しく抱きしめる隼人の姿を見つめた。その目には、深い悲しみが宿っていた。「この隼人って人、本当に一途なんだね。初恋の人のために奥さんと離婚するなんて!」「奥さんのこと、全然好きじゃなかったんじゃない?テレビに奥さんが出たことなんて一度もないし。結婚して五年も経ってるのに、初恋が戻ってきたらすぐ離婚って……奥さん可哀想すぎる」「美緒って、海外であんなことがあって妊娠したんでしょ?あれ、本当なのかな?」「嘘に決まってるでしょ。でも、たとえ本
Read more
第2話
後になって、綾乃の両親は隼人に彼女との結婚を強く迫った。「綾乃は十五年間ずっとあんたのことを好きだったのよ。今や、あんたのせいで目まで見えなくなったんだから、責任取ってもらうしかないわ」石川家もまた、彼に圧力をかけた。「綾乃と結婚しないなら、この家には二度と戻ってくるな!」その結果、隼人は従うしかなく、綾乃を妻として迎え入れた。結婚後、隼人は夫としての責任を果たそうとした。最初は面倒くさそうにしていたが、やがて祝日にはちゃんと綾乃のためにプレゼントを用意するようになった。無言で顔を合わせるだけだった関係も、次第に何時間でも語り合えるようになっていった。すべてが少しずつ、良い方向へと向かっていた――そんな矢先だった。孫の顔を早く見たいと焦った隼人の母が、彼の食事に薬を盛ったのだ。その夜、二人の間には子供ができた。だが隼人は、それを綾乃が仕組んだことだと誤解した。彼女が手段を使って自分のベッドに入り込んだと思い込み、それ以来、彼の態度は一気に冷たくなった。数日前、綾乃は朝起きたとき、なぜか少しだけ光を感じた。興奮のあまり病院に駆け込んで検査を受けると、医者はこう言った。「たぶん妊娠中のホルモンの影響で、視力が戻ってきたんでしょう」視力が戻った彼女は、いてもたってもいられず、すぐにこの喜びを隼人に伝えようとした。だが家に戻った彼女の目に飛び込んできたのは、美緒だった。彼女はソファに座り、水を飲んでいた。隼人はその隣に寄り添い、まるで宝物のように彼女を気遣っていた。「熱くないか?」その優しさ、綾乃には一度も向けられたことがなかった。たった五日――わずか五日で、隼人は綾乃という目の見えない妻の存在をすっかり忘れ、美緒に夢中になっていた。「気をつけてね。インタビューばっかりで疲れたでしょ?」玄関の方から声がして、綾乃は振り返った。そこには、腕を組んで仲睦まじく歩いてくる二人の姿があった。「大丈夫。ただちょっと座りっぱなしで、少し疲れただけ」美緒は隼人の胸にもたれ、当然のようにソファに座った。綾乃はその場に立ち尽くしていたが、二人はまるで彼女の存在など見えていないかのようだった。ふわりと漂う香りに、隼人がキッチンの方に声をかける。「加代バア、今キッチンで炊いてるのは?」
Read more
第3話
あの夜、彼女は隼人と背中合わせに横になっていた。どちらも、先に口を開くことはなかった。お腹が大きくなりすぎて、彼女は常に息苦しさを感じていた。苦しくて体を翻すと、隼人に酸素ボンベを取ってもらおうとした。時々、酸素を吸わないと本当に息が詰まりそうになるのだ。身を返したそのとき、彼女は隼人がベッドのヘッドボードに寄りかかりながら、スマホをいじっているのを見た。相手は美緒だった。文字を打ち合う二人のやりとりはとても楽しそうで、隼人の口元に浮かぶ笑みが、綾乃の胸を鋭く刺した。何を話していたのか、ふと隼人がスマホから目を離し、彼女を一瞥した。綾乃はすぐに目を閉じた。すると隼人は寝室の電気を消して、立ち上がり部屋を出ていった。彼は綾乃が目が見えないから、何も分からないと思っているのだ。だから、あんなにも無遠慮に――隼人が去ったあと、綾乃も立ち上がり、そっと彼のあとを追った。美緒の部屋のドアは少し開いていた。外から覗いた綾乃の目に映ったのは、隼人が美緒のお腹に妊娠オイルを塗ってやっている姿だった。彼は真剣な顔で、丁寧にオイルを塗っていた。すると、突然美緒が身体を起こし、隼人の唇にキスをした。隼人は彼女の手を掴み、荒い息を吐いた。「美緒、ダメだよ。君には赤ちゃんがいるんだ」「大丈夫よ、隼人。先生も言ってたわ、妊娠後期なら気をつければ問題ないって」そう言って、美緒は自分のパジャマの肩紐を引き下ろした。「隼人、私のこと欲しくないの?私、海外に行った五年間、毎日あなたのことばかり考えてたのよ。思い出して、何度も泣いた……あの夜、家出してこっそり帰国しようとしなければ、あんなことには……」言いながら泣き出す美緒の目元に、隼人はそっとキスを落とした。「もういいよ、美緒。ごめん。俺がちゃんと償うから」燃え上がる情欲に抗えず、二人はそのまま絡み合った。その光景を目の当たりにした綾乃は、口元を手で押さえ、指の隙間から涙が溢れ出した。十五年も愛してきた人、五年も連れ添った夫が――自分が妊娠八ヶ月のこの時期に、他の妊婦と関係を持つなんて。信じられず、綾乃は首を振って後ずさった。そのとき、足元にあった植木鉢にぶつかった。ガタンという音に、ベッドの上の隼人が動きを止めた。「今の音、何だ?」「何を怖がってるの
Read more
第4話
スプーンを握る手に力が入り、綾乃はもう食欲がなくなってしまった。「ゆっくり食べてね。私は先に行くから」「えー、ちょっとだけお喋りしようよ」美緒が手を伸ばして引き止めようとしたが、綾乃はそれを力強く振り払った。その拍子に手がテーブルに当たり、美緒のフカヒレスープが床にひっくり返ってしまった。「あっ!」熱いスープが跳ねて美緒の手にかかり、彼女は軽く火傷したようだった。「綾乃さん、何するのよ?ただ子どもの話をしたかっただけなのに」「綾乃、何してるんだ!」騒ぎを聞きつけて隼人が駆け寄ってきて、綾乃を叱りつけた。「美緒はもう妊娠八ヶ月なんだぞ。刺激を与えたらどうなるか分かってるのか?もし彼女やお腹の子に何かあったら、絶対に許さないからな」綾乃は鼻で笑った。「私も妊娠八ヶ月よ。それに目が見えないの。ただの事故だっただけ。それでも許さないって言うの?」「お前……」隼人は自分の口調がきつすぎたことに気づいて、ため息をついた。「……まあいい。目が見えないんだもんな。今回は許すよ。美緒と少し話してやってくれ。初めての出産で不安なんだよ」――は?その言葉を聞いた瞬間、綾乃の胸は鋭く引き裂かれるような痛みに襲われた。美緒が初めての出産?じゃあ自分はなんなの?仕方なく席に戻った綾乃だったが、手にしていたスプーンが床に落ちた。それを拾おうと身をかがめた時、テーブルの下で見たのは、美緒の足が隼人のズボンの裾を絡めている、なんとも艶めかしい姿だった。冷たい視線を向けながら顔を上げると、二人は目の前で情熱的にキスを交わしていた。ただ一緒にご飯を食べるだけ。それなのに、自分の目が見えないからって、ここまでやるのか。綾乃はスプーンをテーブルに叩きつけるように置き、静かに立ち上がった。「ごゆっくり。私は部屋に戻るわ」「待って、綾乃。書類にサインしてほしいんだ」ようやく、隼人が口を開いた。彼は一枚の書類を綾乃の前に差し出し、ペンを握らせた。「なんの書類?」綾乃が顔を下に向けると、そこにははっきりと「離婚届」の文字があった。胸を締めつけるような哀しみが心を覆い尽くす。彼女は手に持ったペンを強く握りながら、心の中で乾いた笑いを浮かべた。こんなに早く……彼は本当に、待ちきれなかったんだ。
Read more
第5話
署名を終えた後、隼人は美緒を連れて店を出ていった。綾乃も部屋に戻り、自分の荷物を整理し始めた。手元の結婚指輪が目障りで、外そうとした。妊娠してから手が一回り腫れてしまい、どうやっても抜けなかった。彼女は購入したジュエリーショップに行って、スタッフに外してもらうことにした。店に入る前から、すでに隼人と美緒の姿が目に入った。「石川様、こちらの結婚指輪は、有名なジュエリーデザイナー、ロバート氏の手によるデザインです。ご覧になってください」「すごく綺麗……隼人、これにしようよ」美緒は待ちきれない様子で手を差し出し、隼人に指輪をはめてもらおうとしていた。綾乃は少し離れたところから、隼人が片膝をついて美緒に指輪をはめる姿を、はっきりと目にした。歓声が上がる中、二人はしっかりと抱き合っていた。綾乃が離婚届に署名したばかりだというのに、隼人はもう美緒と一緒に指輪を選びに来ていたのだ。綾乃は自分の手元の指輪に目を落とした。この指輪は隼人の母が選んだものだった。結婚は隼人の本意ではなく、彼は指輪を選ぼうともしなかったし、ウェディングフォトも数枚、適当に撮っただけだった。本当は綾乃も、こんな日が来ることをずっと前から分かっていた。隼人の心に自分がいないなら、これからもずっといないのだと。「指輪のサイズが少し合っていないようですので、少しお時間をいただければ調整いたします。完成次第、石川家までお届けいたします」「はい、お願いします」二人が指輪を選び終えて店を出てから、綾乃はようやく中へ入った。「石川夫人?」スタッフたちは彼女の姿を見て、顔色を変えた。「いらっしゃったんですか?」「すみません、この指輪を外してもらえますか」スタッフはおそるおそる尋ねた。「もう必要ないんですか?」「さっき見たでしょ?私の夫が、別の女と結婚指輪を選んでたの。彼が別の人と結婚するっていうなら、私がこの指輪をつけてる意味なんて、もうないでしょ」「石川夫人……見えるようになったんですか?」五年前、隼人の母が綾乃を連れてこの店に来たとき、彼女の目はもう見えていなかった。まさか、今日また会って、彼女の視力が戻ってるなんて。「うん」綾乃は手を差し出した。「外してくれる?」指輪を外してもらい、それを店員に
Read more
第6話
「美緒!」隼人の声が耳元で響いた。綾乃は暗闇の中、彼のいる方向へと手を伸ばす。「隼人……助けて……私たちのお腹の子を……」「隼人、怖いよ、痛いよ……早く来て!」美緒の叫び声が綾乃の声をかき消した。すぐに隼人が駆け寄ってくる。綾乃は、せめてお腹の子のために、隼人がまず自分を助けてくれると信じていた。だが、隼人は彼女を素通りし、そのまま美緒のもとへ駆け寄り、彼女を抱き上げた。「美緒、怖がらなくていい、すぐに病院に連れて行く!」「隼人、私も出血してるの……お腹もすごく痛いの……」綾乃は彼のズボンの裾を必死に掴んだが、声はかすれて、まともに言葉も出せなかった。明らかに綾乃の方が重症だったが、元気いっぱいの美緒の方に隼人は意識を向けている。「これがお前の仕業か!」隼人は彼女の手を振り払った。「綾乃、お前には本当に失望した。美緒を受け入れてくれたと思ってたのに、まさかこんな手を使って彼女とお腹の子を殺そうとするなんてな!美緒が海外でどれだけ苦労してきたか、知ってるのか?もし彼女と子どもに何かあったら、絶対に許さないからな!」「私は突き落としてない……美緒が自分で転んで、私まで巻き込んだの……」綾乃は痛みに耐えながらも、必死に言葉を絞り出した。「隼人、お願い……私たちの子を助けて……」八ヶ月間、大事に守ってきた命。綾乃は、その我が子を絶対に失いたくなかった。「それは自業自得だ。たとえ子どもが死んだとしても、それはお前が自分で殺したんだ!」その言葉を残し、隼人は一瞬の迷いもなく背を向けて去っていった。暗闇の中、彼の冷酷な背中を見つめながら、綾乃は目を閉じ、絶望の涙を流す。痛い、体中が痛い。床の下から血がどんどん溢れていく。彼女は這いつくばるようにして、使用人の部屋へと向かっていった。「助けて……加代バア……お願い、助けて……」やっとの思いで離れの使用人部屋にたどり着いた綾乃は、その場で意識を失った。使用人がドアを開けた時、そこには血まみれで倒れている綾乃の姿があった。あまりにも衝撃的な光景に、足がすくんで動けない。「奥さま!?どうしたんですか、奥さま!」部屋の明かりをつけると、目に飛び込んできたのは、リビングから廊下にかけて続く長い血の跡。思わず息を呑んだ。使用人は躊躇う
Read more
第7話
隼人が立ち去ろうとしたその瞬間、美緒が泣き出した。「もう行っちゃうの?ひとりにしないでよ、お願い……一緒にいてくれる?赤ちゃん産んだばかりで、体中がしんどいの……」「わかった、ここにいるよ」隼人はそっと彼女の目元の涙を拭ってやった。「出産したばかりなんだから、泣いちゃダメだよ。目に悪いからね」「うん……一緒にいてくれたら、もう泣かないから」美緒が無事に出産を終えたことに、隼人は安堵の息をついた。だがその直後、彼の脳裏に綾乃の顔がよぎった。――隼人、助けて……私たちの赤ちゃんを……耳元に蘇る綾乃の必死な声。隼人の胸に不安が湧き上がる。あの時、綾乃も確かに怪我をしていた。今、彼女はどうしているのだろうか。そのとき、廊下から足音と看護師たちの会話が聞こえてきた。「まだ帰らないの?夜勤はもう終わったよ」「忙しくてさ。昨夜、妊婦さんが運ばれてきたの。大量出血で、難産だったみたい。小林先生がずっと手術してるよ」「何ヶ月だったの?今の状態は?」「8ヶ月らしいけど、かなり危ないって。今もまだ手術中だって」「かわいそうに……夜中に運ばれてきて、旦那さんもいなかったのよ。来たときなんて、血まみれで、顔色真っ青でまるで死人みたいだった!」その言葉を聞いた隼人の心臓がぎくりと跳ねた。八ヶ月、妊婦、大量出血、難産――そのすべてが綾乃を指しているように思えてならなかった。まさか……まさか、あれが綾乃?そんなはずはない。違う、そうに決まってる。だが、心の中の不安は止まらず、彼は立ち上がり、誰かに確認しようと部屋を出ようとした。「隼人……トイレに行きたいの。手伝ってくれない?」看護師の会話を、美緒も聞いていた。もしあの妊婦が綾乃なら……それは最高の展開だ。綾乃とその子どもが死んでしまえば、自分と我が子は堂々と石川家の正妻と跡取りとして居座れる。美緒の目に一瞬だけ冷たい光が宿り、すぐに消えた。「うん……」なぜだろう。隼人の胸に、言い表せない恐怖が湧き上がってきた。現実に向き合うのが、怖くてたまらなかった。もしも綾乃と子どもに何かあったら――自分はどうなってしまうのか、想像もできなかった。一方その頃、手術室では――綾乃のお腹の中の子どもは、長時間の処置の末、結局助からなかった。
Read more
第8話
「加代バア……」綾乃は加代バアの姿を見るなり、焦った声で問いかけた。「私の子供は?私の子供はどこなの?」「奥様?見えるんですか?」加代バアは彼女が見えている様子に驚きつつも、喜びを隠せなかった。「子供……子供はどこ?」だが、子供の話になると、加代バアの口は重くなった。「加代バア!教えて、お願い!」「奥様……」加代バアは口を開いた瞬間、ぽろぽろと涙をこぼした。これまでの年月、綾乃は彼女たち使用人に優しくしてくれていた。心の温かい人で、美味しいものや良いものがあれば、必ず皆にも分けてくれた。妊娠初期の綾乃の健診には、いつも加代バアが付き添っていた。この子を授かるまでがどれほど大変だったか、加代バアは知っている。初期は昼夜を問わず吐き続け、後期には薬を飲み続け、全身に湿疹が出て、夜もろくに眠れなかった。やっと八ヶ月まできたのに――今、すべてが無に帰してしまった。どうやってそんなことを、本人に伝えられようか。綾乃は瞬きをしながら、何かに気づいたように視線が空ろになっていく。「加代バア、私の子供は?なんで泣いてるの?」「奥様……お子さんは……亡くなられました」加代バアは嗚咽混じりに声を絞り出した。「お医者様が……女の子だったそうです。生まれた時にはもう息をしていませんでした。必死に処置してくれましたが、助けられませんでした……」「何を言ってるの?」綾乃は笑いながら言った。「そんなはずないよ。私の子供は死ぬわけない。あんなに頑張って八ヶ月もお腹にいてくれたのに、死ぬなんて……」「お医者様が言うには、病院に来るのが遅すぎたと……もっと早ければ、助かったかもしれないって……」「そんなの……私の子供は死んでない……探しに行かなきゃ」どこからそんな力が湧いたのか、綾乃は突然ベッドから起き上がった。内臓が元に戻るような激痛に、意識が飛びそうになる。壁に手をつきながら、ふらふらと歩み出すが、すぐに床に倒れてしまった。加代バアはその姿に、さらに大声で泣き出した。「奥様、そんなことしないでください!奥様、ご自分の体の方が大事なんですよ!」「うわああああ!なんで……なんでこんなことに!」その瞬間、心の奥に押し込めていた絶望と悲しみが一気に爆発した。彼女は床に這いつく
Read more
第9話
美緒は自然分娩で無事に出産し、回復も順調だったため、三日間の入院を経て退院することができた。その三日間、隼人はずっと病院で彼女のそばにいた。時々綾乃のことが頭をよぎったが、スマホを開いても誰からも連絡が来ていないのを見て、彼女は大丈夫だろうと勝手に思い込んでいた。隼人は知らなかった。彼のスマホの着信履歴は、美緒によってすべて削除されていたことを。美緒は、綾乃に隼人の心には自分しかいないことを思い知らせて、諦めさせたかったのだ。綾乃も同じ日の午前中に退院した。体はボロボロで、歩くことすらままならないほど辛い状態だった。それでも彼女は意地でも車椅子に乗り、加代バアに火葬場まで連れて行ってもらった。自分の目で、我が子が火葬されるのを見届け、自らその遺灰を骨箱に納めた。火葬場を出ると、空からは小雨が降っていた。綾乃は空を見上げ、心の奥底まで冷え切ったような寂しさを感じた。「加代バア……家に戻りたいの」そう言って彼女は石川家へ戻った。床に残る血痕はまだ生々しく、その夜の記憶が鮮明によみがえる。胸が張り裂けそうな苦しみを抱えながら、綾乃は手すりにすがって、一歩一歩ゆっくりと階段を上った。必要最低限の荷物を鞄に詰めた後、彼女は骨箱と、隼人が隠していた離婚届をテーブルの上に丁寧に置いた。支度を終えると、彼女は階段を下りていった。階下では、使用人たちが一列に並び、綾乃の姿を見るなり、皆が涙にくれていた。「奥様……」「行きますね。これまで、本当にお世話になりました」綾乃は苦しげな声でそう言った。「床の血痕、綺麗にしておいてください。隼人が戻ったら、あなたたちが怒られてしまうから」「わざと掃除してないんです!奥様、旦那様に自分が何をしたか、ちゃんと見せたかったんです!」「そうです!この血の跡、私たちでさえ見ていられないのに……旦那様もちゃんと見ておくべきです!」使用人たちは声を上げて泣き崩れた。綾乃は唇をかみしめ、ついに堪えていた涙をこぼした。「ありがとう……」彼女は涙を拭い、スーツケースを引いて家を出た。五年間暮らした家を振り返り、わずかに目を伏せて、決然と背を向けた。綾乃が出て行った直後、隼人の車が家の前に到着した。彼は美緒を支えながら玄関へ向かい、大声で叫んだ。「誰か
Read more
第10話
最初に目に飛び込んできたのは、一枚の死亡診断書だった。 その下には、白い粉がうっすらと積もっている。 隼人の頭がズキズキと痛み、腕が小刻みに震え始めた。 「これ、なんだ……?」 不安と恐怖が一気に押し寄せ、心がかき乱される。 「隼人、どうしたの?」 美緒が心配そうに駆け寄ってくる。 机の上に置かれた離婚届を見つけた瞬間、彼女の表情がぱっと明るくなった。 綾乃がついに離婚を決意した――これで隼人は自分のものだ! 「美緒、見てくれ……これ、なんだと思う?」 隼人は美緒の手首を強く掴み、必死に訴える。 「わかった、落ち着いて、隼人!」 美緒はそっと箱の中を覗き込み、そこに詰められた白い粉を見て思わず息を呑んだ。 まさか……遺灰!? けれど、その粉はあまりにも細かく、そして白すぎた。 骨灰にしては、妙にきれいすぎる。 美緒は大きく息を吸い込むと、指先で一掴み取ろうとした。 「何する気だよ!?」 隼人が叫んで止めたが、美緒は構わず鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。 その瞬間、彼女の顔が怒りに染まった。 「こんなの骨灰なんかじゃない!ただの小麦粉よ!」 美緒は手にしていた骨箱を床に叩きつけるように落とし、粉が四方に舞った。 「綾乃のやつ、あなたを騙すためにこんなもの用意したのよ!自分の子供を死んだことにして、あなたを苦しめようとしたのよ!なんて酷い女なの……!」 彼女はてっきり綾乃の子供は死んだと思っていたが、まさか、まだ生きていたなんて! それなら、こんなお芝居をする必要がどこにある!? 「本当か……?」 隼人は飛びつくように粉をつまみ、口に入れた。 ――間違いない、これは小麦粉の味だ。 ってことは……綾乃との子供は……まだ生きてる!? 生きてるんだ! 自分はてっきり、我が子を殺したと思っていた……! 隼人は狂ったように階段を駆け下り、使用人の一人を捕まえて怒鳴るように問い詰めた。 「綾乃はどこに行った!?子供を連れてどこに行ったんだ!?」 「旦那様、何をおっしゃってるんですか?お子様は亡くなられたんですよ……病院に向かう途中で、赤ちゃんは窒息してしまって……」 加代バアが怒ったように口を開いた。 「それに奥様が今どこにいるかなんて、私たちにも分か
Read more
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status