Accueil / ホラー / 万有禊ぐ天津甕星 / 序章 第2話 日常は焔の中に消ゆ

Partager

序章 第2話 日常は焔の中に消ゆ

Auteur: 輪廻
last update Date de publication: 2025-12-23 14:10:34

神社が、燃えていました。

夕闇の中で煌々と燃え盛るその様はまるで、暗がりを照らす灯火のようにも見えなくはありませんでした。

そこに広がっている光景が、この世の地獄であることを除けば、ですが。

敷地内の至る所で、神社で働いている巫女さんが血を流して倒れていました。胸や腹に銃弾により大きな穴が穿たれている人、喉を搔き切られている人、左肩口から心臓にかけてナイフによる強烈な一撃を受けた人……原因は異なれど、何れも血の海の中で即死していました。

「…………」

この惨劇を引き起こしたのは、黒一色で統一された隊員服を纏い、私を人質にして氷のような眼差しを母に向ける複数の男女。

皆、見知った顔でした。毎朝参拝に来ては、私に飴玉をくれた男の人。毎日、神社の前をジョギングし、私に気さくに挨拶してくれた人。母の下で巫女の研修をしていた人。

けれども、そのような彼らの振る舞いは全て、私たちを油断させるための演技だったのです。

特務機関【敷島】──それが、彼らの正体でした。とある筋からのバックアップを受け、特殊な訓練を受けた自衛隊員。狂信的な愛国者たち。潜入、背乗り、破壊工作、要人暗殺……目的のためなら手段を問わぬ狂人の集まり。

仕事終わりの直前……彼らは神社内部に潜ませていた仲間の手引きで侵入して社務所の事務室にいた父を殺害。更には異変を察知した他の巫女さんたちも……皆、声を上げる間もなく彼らによって殺されました。

運良く──いえ、運悪く難を逃れて生き残ったのは、買い出しのために外出しており、帰宅した丁度その時に殺戮ショーの現場に居合わせた私と母でした。

「──巫女長さん? 申し訳ないが、私からあまり時間を奪わないで頂きたいものですな。時は金なり……生憎と、我ら特務機関【敷島】に属する者たちは皆、お世辞にも気が長い方ではないので……ね?」

リーダー格と思しきまだ若い男が、片腕で私を拘束し、空いた手に持つ拳銃を私のこめかみに突き付けながら、他の面々によって地面に組み伏せられている母を見下ろしつつそう言いました。毎日決まった時刻に神社へと参拝に来ては、笑顔で私に飴玉をくれた人と同一人物だとは、とても思われません。

「────」

サイレンは聞こえるのに、近くでパトカーのものと思われる、回転する赤の警告灯は見えるのに……消防も警察も、誰一人として駆け付けてきてはくれません。寧ろこの場に、他の民間人を近づけさせまいとしている……そのような意図さえ感じられます。

それもまた、【敷島】の裏工作の所為でしょうか。確証はありませんでしたが、彼らならそれくらいのことは恐らく容易くやってのけるでしょう。【敷島】は、それくらい強大な権力を持っている国家の秘密組織なのですから。

「単刀直入に聞こう。"高天原計画"の資料は何処だ。あの頭の弱そうな宮司に聞いても、"そんなものはない"の一点張りでね……気の短い部下が、ナイフで喉を搔き切って殺してしまった。貴方が愚かな宮司とは異なり、聡明なる女性であることに期待しているよ」

「……私が、その問いに答えるとでも?」

強がってみせる母を挑発するように、男は笑います。

「くくっ……可愛い娘さんの命と天秤に掛けて、お考え頂けると幸いですな。貴方は、自分の死は恐れていない。けれども、愛娘に危害を加えられることに関しては何よりも恐れている。私には全てお見通しですよ、巫女長さん?」

男は実に狡猾でした。親子の愛を利用すれば、母がそれに屈して情報を吐く。それを強く確信していたのです。

一般人に扮し、参拝客として神社を訪れながら、私たち母娘のことをつぶさに観察していたからこそ、若しかするとそう確信するに至ったのかもしれません。何方にせよ、彼が私たちと同じ人間とは、到底思えませんでした。

母は震えていました。娘の私を人質に取られ、自分の返答次第では目の前で惨たらしく銃殺される。そして、恐らくは自分も用済みとして彼らに消される。正直に話そうが、話すまいが。

それでも母は……私を生かそうと必死に、言葉を絞り出しました。種を残そうとする生存本能ゆえか、それとも何人にも止められぬ愛ゆえか。今にも消え入りそうな声で、男に対しありのままを話しました。

「……"高天原計画"に関する資料は……此処にはもう、一つもありません……」

「……続きをどうぞ。一応、最後まで聞いてあげます」

「……主人の依頼で、"日ノ本の裏御三家"の方たちが皆、資料を持っていきました。"高天原計画"の極秘資料……先代の宮司さまから譲り受けた··は、この世に決して残してはならない呪物ですから」

刹那──男の目がほんの一瞬だけ、細められました。

「……そうですか。残念ですよ、巫女長さん。綺麗で聡明な方だっただけに……余計に、ね」

耳をつんざく轟音が、二度響き渡りました。それと同時、母は他の巫女さんたちと同様、真っ赤な血を流して倒れ伏し、そのままピクリとも動かなくなりました。

男が放った銃弾……一発目は母の心臓を、二発目は脳天を正確に撃ち抜いていました。正確無比な射撃の腕前……それこそが、彼が戦闘者として極めて優れた存在であることを如実に物語っていました。

「……はぁ。空振り、か。実にツイてない。まぁ……こんな日もあると、切り替えてゆく他ないな、諸君」

私から手を離すと、男は小さく溜め息を吐きます。男には目もくれず、私は一目散に血を流して横たわる母の元へと駆け寄りました。

鉄臭い匂いに、私は思わず顔を顰めました。薄らと開かれた瞳には既に一切の光がなく、即死しているのは誰の目にも明らかでした。

何度呼びかけても、何度身体を揺すっても、母は動いてくれません。まるで人から何か違う·へと、変貌してしまったかのようでした。

「──後始末は、君たちに任せる。私は··への報告のため、一足先に撤収させてもらうよ」

「はっ──それは、一向に構いませんが……そこの子供は如何するおつもりですか、秋津《あきつ》一尉」

「愚問だよ、山城《やましろ》士長。組織の規則では叛逆者及び、その関係者は皆等しく殺せとなっているが?」

「……畏まりました。正直、無垢な幼子を殺すのは、気が進みませんが……これも、栄光ある大日本帝国の復活がために必要とあらば、致し方ありません……」

栄光ある大日本帝国の復活……そんなことのために、今を生きる人を害して良いのでしょうか。私の愛する者全てを理不尽に、私から奪い取る権利があるのでしょうか。

「…………!」

目から溢れる涙を拭いながら、私は秋津一尉と呼ばれた青年を精一杯睨み付けました。忌々しい彼の顔を、脳裏に焼き付けるために。未来永劫、怨敵たる彼のことを忘れないために。

「ゆる、さない……! 絶対に……絶対に許さない……!」

「…………」

秋津は、そんな私の視線を真っ直ぐ受け止めます。自分にも譲れないものがある……そう言いたげに。その真っ直ぐな眼差しが、余計に恨めしく思えました。

やがて、秋津は私と睨み合う時間が惜しいと思ったか私の傍を通り過ぎ、悠然とした足取りで、鳥居の外に停車してある大型バイクの元へと歩を進め始めました。

その時──

シャーッと甲高い鳴き声を発しながら、何処からともなく現れた····が秋津の前に立ちはだかり、勇敢にも彼の息の根を止めようと襲い掛かりました。

「……ふん。·······、それも力のない下級神格か……日ノ本の真なる守護者たる我らが、随分と嫌われたものだな?」

ですが、驚くべきことに、秋津にも····の姿が見えているようでした。そして、····を如何にして殺すのか……それも、彼は心得ている様子でした。

「この美しき日本に──お前のように無力な·······の居場所などない。存在を赦されるは、常に強者と勝者のみ……死を以て、そのことを思い知れ」

秋津は····の奇襲に難なく対応すると、続けて放たれる攻撃の一手一手を軽くいなしつつ、一振りの短刀を無音で抜きました。燃え盛る焔の輝きを反射して不気味に煌めくその刃には、祝詞の一節と思しき文章が彫られていました。

一閃……そう、たった一閃でした。秋津が短刀を振るうと、····の首が両断され、····は断末魔の叫びすら上げることも許されぬまま消滅しました。

母に続いて····まで……一度ならず二度までも大切な者が目の前で【敷島】によって殺されるのを、無力な私はただ見ていることしか出来ませんでした。

「……非力なる下級の·······の分際で、この秋津 日向《ひゅうが》に立ち向かった度胸……愚かしくも美しい、その無謀なる勇気だけは認めてやろう」

秋津は不快感も露わにそう言い残すとバイクに跨り、爆音を轟かせながら去ってゆきました。

その場に残されたのは、秋津の部下たちと私……上官の秋津とは異なり、彼らはまだ人間としての良心が残っているのでしょう。私を殺すことを躊躇している様子でした。

彼らは顔を見合わせて、母の死体の傍らに力なく座り込む私をどうするか小声で話し合っていました。

殺すのは流石に可哀想だ……しかし、組織の規則では……いっそ死んだ親の元へと逝けるようにするのが、優しさというものなのではないか。

滑稽なことに、彼らはそんなことを議論していました。私にとって大切な人を大勢殺した癖に今更、可能な限り良識ある人でありたいと願うとは。実に滑稽でした。

そして皮肉にも──そんな彼らの迷いが、私を生き長らえさせることになりました。

物悲しい笛の音が、死者を悼む旋律が聞こえた直後、私を除くその場にいる全員が突然、金縛りに遭ったかの如く動けなくなりました。

砂利を踏みしめる、規則性のある足音……夜風に乗ってふわりと薫る、石鹸のような甘い香り。【敷島】の構成員たちの顔に、緊張の色が浮かびました。

小さな影が横笛で、聴く者を悲しい気持ちにさせる美しい旋律を奏でながら、悠々と私の横を通り過ぎたかと思うと、まるで【敷島】の構成員たちから私を守るように、彼らと私の間に割って入り、そして彼らと対峙しました。

雲の中よりぼうっと姿を現した月の明かりが、··の姿を照らし出します。殺された母や巫女さんたちと同じ、白の小袖に緋の袴という出で立ちでしたが、それでも見間違える筈はありません。

「き、よ……ちゃん……? どうして、ここに……?」

「……お兄さまの指示で、貴方を助けに来ました、亜也子ちゃん。ここは私に任せて下さい」

凛とした表情のまま、清さんは【敷島】の構成員たちをじろりと睨め付けます。六、七歳の少女とは思えない圧倒的な風格に、【敷島】の面々も気圧されていました。

清さんが横笛で、悲しい旋律を奏でると、青白く光り輝く蝶が四方八方からやってきて、彼女の周囲に集まります。

【敷島】の面々には、何が起こっているのか理解出来ていない、そればかりか眼前に集結する蝶の群れさえ見えていない様子でしたが、私には分かりました。光り輝く蝶の一匹一匹が、果敢にも秋津に立ち向かった····と同じだと。·······だと。

どうにか動こうにも、清さんの持つ不思議な力で身動きの取れぬ状態にされているためか、【敷島】の構成員たちは指一本動かすことが出来ません。

そして──審判の時は訪れました。

清さんの奏でる旋律に併せ、蝶の群れが【敷島】の構成員たちに一斉に襲い掛かります。一匹一匹が下級とはいえ神格……それが清さんの笛の音によって統率された動きで迫り来るのですから、止める術などありはしません。

悲鳴を上げることも、抵抗することも出来ぬまま、彼らはただ只管に蹂躙されました。

数秒後──

蝶の群れにその身を幾度も幾度も貫かれ、【敷島】の構成員たちは原型すら留めぬ惨めな肉塊と成り果てました。それと時を同じくして、清さんの悲しい演奏会も終わりを迎えました。

四方八方へと飛び去ってゆく蝶の群れに対し優雅に一礼すると、清さんは私の方へと向き直り、装束が母の身から流れ出た血で汚れることも厭わずその場に腰を下ろし、私と目線を合わせました。

「……直ぐにお兄さまが手配した、本家からのお迎えが来ます。もう大丈夫ですよ、亜也子ちゃん」

「う……あっ……き、よ……ちゃ……」

何か返事をしようと試みるのですが、掠れた声が唇の隙間から漏れ出るのみで、何も返すことが出来ません。恐らくですが精神的なショックが大き過ぎて、身体の防御機構が本能的に作動していたのだと思います。

ふと、柔らかな温もりを感じました。我に返ると、清さんが啜り泣きながら私の身をそっと抱き締め、私を安心させるように涙声で同じ言葉を繰り返し、繰り返し呟いていました。

──大丈夫……大丈夫だよ、と。

それまで堰き止められていた感情という名のダムが決壊し、愛する家族や何時も自分に優しくしてくれた巫女さんたち、そして仲の良かった····を喪ったことへの悲しみが、全てを飲み込む濁流となって一気に押し寄せてきます。

私は声を上げて泣きました。顔を涙と鼻水でくしゃくしゃにし、清さんの胸に顔を埋めて慟哭しました。滂沱に次ぐ滂沱を繰り返し、声と涙が枯れるまで、清さんの腕の中で泣き続けました。

この日──私は愛する者全てを【敷島】の所為で喪い、天涯孤独の身となりました。

Continuez à lire ce livre gratuitement
Scanner le code pour télécharger l'application

Dernier chapitre

  • 万有禊ぐ天津甕星   幕間 第34話 月に叢雲、花に風

    同時刻── 御陵 奏が嘗て教育プログラムを受けた、御堂本家。その屋敷内にある当主の執務室を訪れる、一人の見目麗しい巫女の姿があった。 「──失礼します、ご当主さま」 「ほぅ……誰かと思えば、叢雲《むらくも》じゃないか」 執務室の扉を開けて入ってきた巫女に背を向けたまま、御堂本家当主・御堂 清治はふっと笑みを零す。それにつられるかのように、叢雲と呼ばれた巫女の少女も、整った小さな口許に薄らと冷たい笑みを浮かべた。 裏御三家が誇る夢見鳥が一柱・御堂 叢雲。それが少女の名前だった。否……声も見た目も、そして立ち居振る舞いも、完璧に少女のそれであるが、実際は清と同年代の少年──即ち男であった。 線の細さ、そして見た目と声の清らかさを武器とすべく、転生する度に去勢手術を受けており、表向きは清たちと同じく女である。彼が男であることを知る者は、夢見鳥たちと彼の両親を除けば誰一人として存在しない。 夢見鳥としての実力は本物であり、総合的な強さでは、一族の最高傑作と謳われる清に次ぐとの評価を得ている。それ故に、"現人神の懐刀"と呼ばれ、内外から畏怖されていた。 「珍しいな。お前が自分から、私の元を訪れようとは」 「えぇ、まぁ。恐れながら、ご当主さまに具申したきことが御座いまして、ね」 「ほぅ……では、聞かせてもらおうか」 叢雲の方へ、清治はゆっくりと向き直る。翡翠色の瞳の奥底に、仄暗い焔が灯っているのが見えた。 普通の人間なら萎縮してしまうであろう、清治の全身から放たれる圧倒的なプレッシャーを受けても尚、叢雲は平然としている。寧ろ、余裕綽々たる態度であった。 「──ご当主さま。今こそ正しく、機を見るに敏。裏御三家内に不和をもたらす元凶・御門本家……その当主代理をこの世から抹殺するべきかと存じます」 「ふむ……続きを聞こう」 「はっ──特務機関【敷島】との争いは現状、我々裏御三家が優位に立っております。八雲が熊襲で暴れ回り、彼の地に展開していた【敷島】の精鋭を蹴散らしたことが大きいでしょう。我らは今、勢いに乗っております」 しかしながら──"月に叢雲、花に風"と言われるように、良いことにはとかく邪魔が入りやすく、長続きしないものである。熊襲での敗北を受け、【敷島】が反撃の狼煙を上げるのは時間の問題であるし、何より御

  • 万有禊ぐ天津甕星   幕間 第33話 憂い、忘れがたく

    御陵 宗一は、憂えていた。 鳴神山地の此岸町へと、まつろわぬ神々に関する調査のため送り出した巫女、御陵 奏の精神状態を。そして、彼女の安否を憂えていた。 早川の瀬に坐す姫君──ミコトによって齎された、奏が鳴神山地に眠るまつろわぬ神々の王・天津甕星に魅入られたとの報せ。それは、奏の特異体質を知る宗一を不安にさせるには、十分であった。 その報せから程なくして、奏の護衛である【彼岸】第五小隊長・金城 剛彦から、天津甕星に印を刻まれたことで彼女は強いショックを受けて泣き出してしまったので、心の整理をさせるため部屋の中で一人にしてあるとの連絡も受けていたので、尚更である。 やはり、奏を送り出すべきではなかったか。遍く神々を惹き付ける特異体質、それは強みであると同時に致命的な弱点でもある。 神々と心を通わせることが出来る代わりに、障りによって心身を蝕まれる。非常に便利だが、相手次第では心身を侵食されて衰弱し、最悪の場合は命を落としかねない。 正に諸刃の剣……況してや、相手は最強と謳われる、まつろわぬ神々の王にして、星を司る神。魅入られたが最後、奏が廃人となってしまう可能性、危険性が常に付き纏うことは薄々分かっていたことだ。 薄々分かっていたのに、自分は彼女を── 「……お兄さま」 鈴を転がすような、透き通った声が耳に届き、宗一は考えるのを止めて、ふと顔を上げた。見ると、純白の寝間着浴衣に身を包んだ清が、執務室の扉を開けて入ってくるところだった。 「……清。まだ、寝ていないと駄目だろう?」 宗一が咎めると、清は血の気の失せた青白い顔を僅かに綻ばせて、ぴったりとした白足袋に包まれた小さな爪先を優雅に滑らせながら、宗一の傍らまで歩み寄り、彼の右手をそっと握り締めた。 「……いえ、お兄さま。私には分かります。お兄さまは今、何かを憂えていらっしゃいます。そして恐らく、それは私が抱くものと同じ憂い」 「……そうか。お前も、鳴神山地へと赴いた奏のことが心配なんだな」 「……はい、お兄さま。故に、お兄さまの元へと馳せ参じました。お兄さまが、独りで抱え込むことのないように」 特務機関【敷島】に全てを奪われた奏……天涯孤独の身の上となってしまった彼女を、宗一と清は今日に至るまで本当の妹のように可愛がってきた。文字通り

  • 万有禊ぐ天津甕星   第三章 第32話 夕闇に蠢く

    氏子総代の加賀さんの去り際の言葉に、言い表しようのない恐れを抱きつつも、私は巫女長さんと共に社務所内の談話室で一時間ほど昼食を兼ねたお昼休憩をとり、その後またお務めに戻りました。 金剛さんが作った昼食は、神主さんや巫女さんたちからはとても美味しいと絶賛されており、健啖家ではなく食欲のない私でも、少々時間こそ掛かれども綺麗に完食する程に絶品でした。 さて、午後に入って私が最初に取り組んだのは、午前中ずっと和さんがしていた御朱印の練習でした。が、数回ほどで練習の必要なしと合格を言い渡され、その後は午前中と同様に、授与所で巫女長さんや和さんと共に、御守りやお札の授与に携わりました。 神社の敷地内の至る所で作業している氏子の方々と私が極力接することのないよう、どうやら優さんが配慮して下さったようで、今後も基本的には巫女長さんが、可能な限り私と一緒に行動して下さるとのことでした。 幸いにも加賀さんのような奇人変人は現れず、参拝客から変に絡まれることはありませんでした。目を合わせて貰えない、此方から声を掛けても基本無視という反応は相変わらずでしたが、加賀さんを目の当たりにした後だと、そのような参拝客たちの反応が却ってありがたいと思えるのですから、人間の感情というのは不思議なものです。 比較的平穏に時間は流れ、気が付けば午後四時半を回っていました。香々星神社は午後四時半を終業時間としていますので、一日のお務めはこれで終了です。 授与所を閉めると、巫女長さんと和さんは着替えのために更衣室へと向かいます。私は着替えには向かわず、巫女装束のまま事務室でお茶を飲みながら、皆さんが着替えを終えて降りてくるのを待ちます。 正直気は進みませんが、今夜も星降山に立ち入って天津甕星と接触を試みるつもりでしたから、洋服に着替えるのは二度手間になってしまいます。故に、表向きは優さんたちを見送ってから着替える、ということにして、彼らが神社から立ち去るのを待っていたのでした。「そろそろ、かな……」 帰宅する神主さんや巫女さんたちを見送るため、私は社務所を出て鳥居前へと向かいます。平坂さんに調査の進捗状況などを報告するには、彼らが全員帰宅するのをこの目で直に見届けなければなりません。 若し仮に、彼らの中に特務機関【敷島】の息がかかった者がいて、話を盗み聞きでもされ

  • 万有禊ぐ天津甕星   第三章 第31話 狂人

    拝殿を後にした私はその後、優さんの指示通り巫女長さんの元へと向かい、彼女と共に授与所で参拝客にお守りやお札の授与をすることになりました。 「努めて笑顔で、愛想良く。分かった?」 「はい──分かりました、巫女長さま」 こくりと頷く私を見て、巫女長さんはたいへん満足した様子でくすっと微笑みます。 「うん、良い返事ね──県外から来たって言うから、正直不安だったのだけれど……思っていたよりも、しっかりしてそうで安心したわ。こんな風に考えてしまうなんて、私も結局は、鳴神山地に生きる人間なのね……」 どうやら、巫女長さんは村社会さながらの陰湿さを持つ地元に対し、何か思うところがあるようでした。二十代後半と立派な大人世代ではありますが、それはそれとして、若者世代と非常に近しい感覚をお持ちのようです。 積もり積もった雪が何れは解けて消えてゆくように、鳴神山地に蔓延る村社会的風潮も、少しずつ変わってゆくのだろう。巫女長さんに横髪を優しく撫でてもらいながら、私はそのようなことを考えました。 授与所に居るのは、私と巫女長さんの二人。和さんは御朱印の練習をしており、この場には居ません。巫女長さんが特務機関【敷島】の工作員である可能性も、現状ゼロではありませんが、そこまで高くもありません。適度な距離感を維持して接すれば、仮に【敷島】の工作員だったとしても、不意打ちを受けることはないでしょう。 背乗りは【敷島】の十八番《おはこ》ですから、勿論参拝客や敷地内で作業している氏子の方々にも要注意です。何処にでもいて、何処にもいない蜃気楼のようなもの……それが、彼ら【敷島】の在り方ですから。 昼間でも太陽が大地を照らす時間より、雲に覆われている時間の方が多い此岸町……ちらほらといらっしゃる参拝客の殆どが、陰鬱なる空模様と瓜二つのどんよりとした表情をした、中高年の方々です。 彼らは、此岸町出身者である巫女長さんには愛想良く接するのですが……見慣れぬ余所者である私とは、頑なに目を合わせようとすらしません。私がお守りやお札を授与しても唇を尖らせて小さく頷くだけで、後は巫女長さんと他愛もない世間話をしていました。 若し、授与所にいるのが私一人だったなら、彼らは息をするように陰湿な嫌がらせをしてきたことでしょう。今の私は、巫女長さんという抑止力がいて下さるお陰で、精々無視さ

  • 万有禊ぐ天津甕星   第三章 第30話 鳴神香々星奇譚

    私と優さんを除き、全員が退出した拝殿内は、恐ろしい程に静かでした。外界の音も殆ど聞こえず、文字通り静寂に包まれています。 周囲に誰もいないことを入念に確認すると、優さんは用具室から竹箒を二柄取り出し、そのうち一柄を私に手渡してきました。宮司の平坂さんには表向き、優さんと私で拝殿内の掃き掃除をするとでも言ってあるのでしょう。怪しまれないようにするための、一種のカムフラージュとも言えました。「……手を動かしながらで良いから、私の話を話半分にでも聞いてほしい」 そう言うと優さんは、竹箒を手に拝殿内の埃を掃きつつ、私に帰るよう忠告した理由を語り始めました。「星神さま──世間一般では天津甕星と呼ばれているが、この此岸町を含めた鳴神山地周辺に於いては香々星さまと呼ばれている」「はい──昨日、到着した際に平坂宮司から、そのようにお聞きしております」「そうか。じゃあ、此岸町や鳴神山地一帯が排他的な村社会であることも、血腥い歴史を有していることも小耳には挟んでいる、ってことで良いのかな?」「はい。既存の神道とは異なる、独自の信仰体系を構築してきた……そのように窺っております」 私も手を動かしつつ、適度に彼の紡ぐ言の葉に相槌を打ちます。巫女として仕込まれていますので、立ち話をしながらでも掃除などの作業は卒なくこなせます。私たち裏御三家の巫女、覡にとっては何気ない作業もまた大事なコミュニケーションなのです。「それで──それと、私が香々星さまに魅入られたことに何の関わりが? 何故、この鳴神山地から離れて今すぐ逃げろなどと、優さんは仰るのですか?」 私の問い掛けに、優さんは答えます。「香々星さまに魅入られた者が、どうなったのか。どのような末路を辿ったのか。それを示したのが、拝殿内に描かれた数々の絵たちだよ」 出入口の上、壁、天井に描かれた、何かの物語を描いたような煌びやかな絵……成程、事情を説明するのに拝殿の方が都合が良いと優さんが仰ったのは、どうやらこれが理由のようです。「……見たところ、何かの物語のようですが」「流石、察しが良いね。これらは、鳴神香々星奇譚……要は、この鳴神山地に伝わる民間伝承の数々を纏めた物語集に収められた逸話を、それぞれ絵に起こしたものだ」「鳴神香々星奇譚……ですか」「うん。鳴神香々星奇譚が世に出たのは江戸時代中期頃と言

  • 万有禊ぐ天津甕星   第三章 第29話 神前にて唱えるは言の葉なり

    時間にして、凡そ午前八時四十分頃── 私たちは禰宜の優さんに言われた通り、朝拝に参加するため社務所内を通って拝殿の入口へと集合していました。 拝殿に入る前に、巫女さんが柄杓で差し出した水で手と口を清め、手を拭き終えたら巫女長さんから神拝詞をそれぞれ受け取ります。金剛さんたちは初めての経験だったようで、私の見よう見まねで器用に突破した金剛さんは兎も角、周防さんや鈴木さんはおっかなびっくりといった様子で、少し微笑ましい光景でした。 宮司の平坂さんが扉の鍵を開け、拝殿内へと入ってゆきます。優さんに促され、私たちもその後に続きます。 扉の先には広々とした空間が広がっており、よく見ると出入り口の扉の上や天井、壁などに、煌びやかな絵が描かれています。絵から内容を察するには時間が掛かりそうですが、何かの物語のようです。 そして午前八時四十五分──神前に、香々星神社で奉仕する神職と巫女、そして外界からの来訪者たちが整列しました。神主さんは三名、巫女さんは私と和さんを除き、巫女長さんを含めた四名。何れも此岸町、或いは鳴神山地一帯の市町村の出身者でした。「──宮司に続いて、ご唱和下さい」 優さんが指示を出すと同時、平坂さんが祓詞《はらえことば》を厳かな声音で奏上します。朝拝の始まりです。 掛けまくも畏き伊邪那岐大神《いざなぎのおおかみ》 筑紫《つくし》の日向《ひむか》の橘《たちばな》の 小門《おど》の阿波岐原《あはぎはら》に 禊ぎ祓へ給ひし時に生《な》り坐《ま》せる 祓戸《はらえど》の大神等《おおかみたち》 諸々の禍事《まがこと》・罪・穢《けがれ》を有らむをば 祓へ給ひ浄め給へと白《もう》す事を聞こし食せと 恐《かしこ》み恐みも白す「────」 神拝詞に記された祓詞を諳んじながら、私は平坂さんたちに気付かれぬようそれとなく、金剛さんたちの様子を横目で観察します。馴染みがない言葉の羅列に、どうやら金剛さんたちは困惑しているようです。 祓詞とは、神事の前に必ず行われる祓の際に唱える祝詞です。国生みで有名な伊邪那岐大神、そして彼が海水で禊ぎをした際に生まれでた祓戸の四神と呼ばれる、罪穢れを祓い浄める神々に対し、もし諸々の災いや良くないこと、罪穢れなどがあるのであれば、祓い浄めて綺麗な状態にして欲しいとお願いする内容と

Plus de chapitres
Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status