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第4話

緋色の追憶
翌日は週末だった。陽翠は、お腹に宿る子供のために何か買い物をしようと、ショッピングモールへ足を運んだ。

――本当は、なぜそんな気になったのか、自分でもよく分からなかった。

だが、ベビー用品店の前を通りかかった時、まるで何かに引き寄せられるように、ふらふらと足を踏み入れてしまった。

店内は温かなオレンジ色の照明に包まれ、棚には小さな産着や哺乳瓶、可愛らしいおもちゃが所狭しと並んでいる。

彼女は淡い水色のロンパースを手に取った。雲のようにふんわりと柔らかい手触りだった。

すべてが順調にいけば、この子は来年の春に生まれてくるはずだ。

陽翠はその小さな服をそっと撫で、そして、静かに棚へ戻した。

「……陽翠?」

背後から、聞き覚えのある声がした。

振り返ると、少し離れたところに碧泉が、悠和の手を引いて立っていた。

悠和は手にしたミニカーを弄びながら、退屈そうに碧泉の手を振り払おうとしている。

「奇遇ね」碧泉は歩み寄り、しとやかな微笑みを浮かべた。「あなたも買い物?お腹の赤ちゃんの準備かしら」

陽翠は無言だった。

「風哉は一緒じゃないの?」碧泉はわざとらしく辺りを見回す。

「無理もないわ、彼、最近とても忙しいから。悠和の容態がまた少し悪くなってしまって、毎日病院に付き添ってくれている」

彼女は小さくため息をついた。「この子、本当に不憫で……物心ついた時から父親がいない上に、こんな病気まで患ってしまって。でも、風哉が親身になってくれて本当に救われている」

彼女はしゃがみ込み、悠和の襟元を整えながら、陽翠にもはっきりと聞こえるような声で言った。

「悠和、いい子にしていましょうね。陽翠さんのお腹の赤ちゃんが生まれて、臍帯血を採取できれば、あなたの病気もきっと良くなるから。そうしたら、他のお友達と同じように幼稚園に行けるのよ。嬉しいわよね?」

悠和は陽翠を見上げ、子供特有の無邪気な、それでいて棘を含んだ視線を向けた。「じゃあ、どうして陽翠さんは、早く赤ちゃんを出してくれないの?」

碧泉は彼の頭を優しく撫でた。「赤ちゃんはお腹の中でゆっくり育つものなの。陽翠さんも大変な思いをしてくれているんだから、ちゃんと感謝しなきゃ駄目よ。分かった?」

いかにも優しく思いやりに満ちた言葉のようだが、その一言一言が、陽翠の心を生きたまま削ぎ落とすような激痛をもたらした。

陽翠は身を翻し、足早に立ち去ろうとした。

「陽翠」碧泉が背後から呼び止めた。「気を悪くしないでほしいのだけれど、はっきり言わせてもらう。悠和の病状は、もう一刻の猶予もない。お医者様は、三ヶ月以内に移植手術をするのが最善だと言っている。

……だから、予定より早く、その子を産んでくれないかしら?もちろん、あなたの体に負担がかかるのは分かっている。でも、悠和はまだ四歳なのよ。この子の人生は、まだ始まったばかりなのに……」

「……もうやめて」陽翠は彼女の言葉を遮った。その声は微かに震えていた。「私の子は、誰かを救うための道具じゃない」

碧泉の目尻がみるみる赤く染まった。

「分かってる、こんなの自分勝手だって分かってるわ。でも陽翠、あなたも母親なら、私の気持ちが理解できるでしょう?もし自分の子が病気になったら、どんな手段を使ってでも助けたいと思うはずよ。……そうでしょう?」

充血した彼女の瞳を見つめていると、陽翠は不意に激しい吐き気を催した。

これ以上一秒たりとも同じ空気を吸っていたくなくて、彼女は踵を返し、足早に店を後にした。

だが、店を出た直後、背後からつんざくような悲鳴が上がった。

「通り魔だ!刃物を持った男がいるぞ!」

街路は一瞬にしてパニックに陥った。

病院の検査着のようなものを羽織った中年男が、血走った目を剥き出しにし、口元で何事かをぶつぶつと呟きながら、果物ナイフを振り回していた。

通行人たちが恐怖に駆られ、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

陽翠は恐怖でその場に凍りついた。

すると男は、店から出てきたばかりの碧泉と悠和に目を留め、猛然と襲いかかった。

「ママ!」悠和が怯えて泣き叫ぶ。

碧泉は悠和を背後に庇い、血の気を失った顔で叫んだ。「来ないで!こっちへ来ないで!」

男がナイフを振り上げた、その瞬間――。

「やめろ!」

陽翠の耳に、風哉の声が届いた。

振り向くと、通りを挟んだ向こう側から、彼が一陣の風のような猛スピードで駆けつけてくるのが見えた。

彼は碧泉と悠和を庇うように押し退けると、男の腕を逆手に取り、無駄のない鮮やかな身のこなしでナイフを奪い取った。

地面に押さえつけられた狂人は、なおも獣のような唸り声を上げて暴れ狂っている。

風哉が振り返り、碧泉を見た。「……怪我はないか?」

碧泉は彼の胸に飛び込み、ぽろぽろと涙をこぼして泣き崩れた。「風哉……私、怖かった……悠和が殺されかけて……」

「もう大丈夫だ」風哉は彼女の背中を優しく叩いた。その声は、七年間の結婚生活で陽翠が一度として向けられたことのない、甘く、慈しむような響きを帯びていた。

陽翠はその場に立ち尽くし、ただその光景を見つめていた。

風哉は最初から最後まで、彼女に一瞥もくれなかった。

妻である彼女がすぐそばにいることすら、まったく気づいていない。

遠くからパトカーのサイレンが近づいてくる。

駆けつけた警察官たちが狂人の身柄を引き受けると、周囲には野次馬がどっと集まり始めた。

風哉は碧泉の肩を抱き、悠和と手を繋いで、その場を離れようとした。

突然、地面に押さえつけられていたはずの狂人が警察の制圧を振りほどき、落ちていたナイフを拾い上げて、一番近くにいた陽翠めがけて狂ったように突進してきた。

「危ない!」誰かが悲鳴を上げた。

かわす暇などなく、陽翠は無意識に自分のお腹を庇った。

その瞬間、何者かの手が、彼女の体を乱暴に突き飛ばした。

大きくよろめいた陽翠は、そのまま地面へと叩きつけられる。

背中が路傍の鉄柵に強く当たり、下腹部に焼けるような鋭い激痛が走った。

彼女を突き飛ばしたのは、風哉だった。

彼は間一髪のところで陽翠を突き飛ばすと、そのまま身を翻して碧泉と悠和に覆い被さり、自分の背中を盾にして二人をナイフから守り抜いた。

ナイフが彼を貫くことはなく、すんでのところで警察官が再び男を組み伏せた。

だが、突き飛ばされた陽翠は、あまりにも無残に打ち付けられていた。

冷たい地面に横たわる彼女の体の下から、生温かい液体が止めどなく流れ出し、スカートを濡らしていく。

視線を落とすと、淡い色のスカートの裾に、どす黒い赤色の血の染みが、まるで一輪の毒花のようにみるみる広がっていくのが見えた。

「……陽翠?」風哉の声が、ひどく上ずっていた。

彼女は何か言おうとしたが、声が出ない。

視界が急激にぼやけ始め、耳の奥で激しい耳鳴りがする。

最後に網膜に焼き付いたのは、血相を変えてこちらへ駆け寄ってくる風哉の姿と悠和を抱きしめた碧泉の瞳の奥に、ほんの一瞬だけよぎった、ある感情だった。

あれは、何だったのか。

深く考える間もなく、底知れぬ闇が、彼女を呑み込んでいった。
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