Masukその後、夕方になると瀬奈は百合子と愛斗を玄関で見送った。いくら本人たちの希望だったとしても、未成年の子を夜まで引き留めておくわけにはいかないだろう。百合子は最後に、瀬奈へのお礼としてお菓子の缶を彼女に手渡した。「瀬奈さん、今日はありがとうございました」「いえいえ、こちらこそ。百合子ちゃんたちと話ができてとっても楽しかったわ」瀬奈は缶を受け取って微笑んだ。やはり、沙織とは似ているところがないなと改めて感じる。いくら子供の頃とはいえ、こんなにも純真無垢な時期はきっと彼女にはなかっただろう。「愛斗、あなたも何か言いなさいよ」「あ……ありがとうございました」横にいる姉に小突かれて、ボーッとしていた愛斗はようやく我に返ったようだった。ちょうど瀬奈の後ろには、湊斗が控えていた。まるでボディーガードであるかのように、彼女を守るように後ろについている。愛斗はそんな彼を、ついさっきまでしばらく見つめていた。(会うのはかなり久々でしょうし……仕方がないわよね。もしかすると、湊斗と仲良くしたいと思っているのかしら?)瀬奈の視線を受け、湊斗は首をかしげた。彼はどうやら愛斗の視線をあまり気にしていないようだった。「瀬奈さん、また会えたら嬉しいです。そのときは里亜ちゃんにも、ぜひ……」「もちろんよ、またいつでもウチにいらっしゃい」最後に百合子の願いで握手をすると、二人は玄関から外へ出て行った。瀬奈もついて行き、その姿が見えなくなるまで手を振った。「とっても良い子たちだったわね」「あぁ、そうだな」湊斗は返事をしながら、見送りを終えた瀬奈の傍までズカズカと歩いてきた。何をする気なんだろうと不思議に思っていた瀬奈の身体を、彼は突然抱き上げた。「キャアッ!」宙に浮いた彼女は、足をバタバタさせた。「ちょっと湊斗!急に何を!?」「そろそろ……この間の続きをしてもいいだろう?」この間の続き――その一言で状況を把握した瀬奈の顔は真っ赤に染まった。まだ夕方だった。いくら里亜がいないとはいえ、堂々と昼間からすることになるだなんて。しかし、湊斗を見ても口角を上げて微笑むだけで、瀬奈のことを考えて退こうという気配は見られない。彼女は仕方なく、彼の首に腕を回した。湊斗は嬉しそうに笑うと、瀬奈を抱いたまま自室への道のりを歩き始めた――***一方、神宮司家の本邸を出た百
その数分後。百合子と愛斗は室内で、緊張感からか固まっていた。瀬奈はそんな二人に対して、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになった。二人が緊張で動けない理由は明白である。「――ちょっと湊斗、どういうつもり?」「さっき言っただろ、俺もここにいるって」横に座る湊斗に、瀬奈は困惑を隠しきれなかった。ただ書類を取りに部屋に入っただけなはずが、いつの間にか彼までがお茶の時間に参加するという異常事態になってしまった。「あなたがいると二人が緊張するじゃない」せっかく平穏な時間を過ごすために沙織の元をこっそり抜け出してきたというのに、これでは意味がない。瀬奈は湊斗がここにいる理由を理解できずにいた。(子供たちに興味なんてなかったはずなのに……急にどうして……)湊斗は百合子と愛斗たちに聞こえないよう、瀬奈に向かって小声で囁いた。「お前、気付いていないのか?」「気付いていないって、何が?」きょとんと首をかしげる瀬奈に、湊斗はポカンと口を開けて固まった。彼は今、彼女の鈍感さに絶句していた。瀬奈は昔から湊斗以外の男に興味を持たなかったせいか、異性からの好意に疎かった。誠也のときはあまりにもわかりやすいから気付いてはいたものの、それ以外の男たちの好意はほとんど気付いたことがない。三十代後半とはいえ、瀬奈はまだまだ若く美しい。ついこの間だって、若い男たちにナンパされたくらいだから。「……常に俺が傍で見張っておかないといけないのか?」「どういうことよ、それ」「いや、何でもない」湊斗は瀬奈の疑問には答えることなく、正面を向いた。その場から動く気はないようだが、かといって百合子たちと話すわけでもない。(本当、何のためにここにいるのかしら?)瀬奈はそんな湊斗を不思議に思いながらも、百合子たちに笑いかける。「百合子ちゃん、愛斗君……気にしないでね」「は、はい……」そうは言っても、全く気にしないのは不可能だろう。しかし、湊斗本人にここから出て行く意思がないのでどうすることもできない。瀬奈は何とか百合子と愛斗の気を逸らそうと、話題を変えた。「ところで……二人は今、学校は順調?」「あ、はい……愛斗は今、受験生なんですけど……」「あら、そうだったのね!」姉の百合子は高校二年生、弟の愛斗は高校進学を控えた中学三年生だ。とはいっても瀬奈は沙織の子供たちについてはあ
突然の湊斗の登場に、瀬奈は焦りを隠せなかった。今日も仕事で遅くなると思っていたのに、こんなにも早く帰ってくるとは想像していなかった。「お、お父さん……」それは百合子も愛斗も同じだった。今日は瀬奈に会いに来たのであって、父親に遭遇するとは思ってもみなかったのだろう。正確に言えば彼は二人の父親ではなかったが。「……なぜ、お前たちがここに」「み、湊斗!」瀬奈はソファから立ち上がると、腕を引いて慌てて湊斗を外に連れ出した。客間の扉を閉めると、瀬奈は小声で彼に声をかけた。「湊斗、今日とっても早かったのね……遅くなると思っていたからびっくりしたわ……」「……なぜあの二人がここにいるんだ?」彼は先日の一件で、沙織を警戒していた。そのため、彼女の子どもである百合子と愛斗が瀬奈と関わることを良く思っていなかったのだ。もちろん、瀬奈も湊斗の気持ちが理解できないわけではない。「実は、今日百合子ちゃんと会う約束をしていたのよ……」「なぜわざわざそんな約束を?」「沙織のことを……探ってみようと思って」本当はそれ以外にも理由はあったが、彼をすぐに納得させるには最適な理由だろう。案の定、湊斗は納得してくれたようだった。「そうか、あまり一人で突っ走るなよ」「わ、わかってるって」湊斗は瀬奈の頭をポンポンと撫でた。「ところで、今日は早かったのね?てっきり遅くなると思ってたわ」「あぁ、お前たちに会いたくて早く終わらせてきた」「毎日会ってるでしょう?」それでも会いたいんだ――と湊斗は笑った。彼は人目がないことを確認した後に瀬奈を胸に抱きしめると、額にキスを落とした。会いたくてたまらなかったというその目を見ると、何だか申し訳ない気持ちになった。ちゃんと彼に気持ちを返せているだろうかという不安も尽きない。もう少しだけこのままでもいいかなと思ったが、百合子と愛斗が家に来ている以上、いつまでも抱き合っていることはできなかった。「私は部屋に戻るわ。お客様をこれ以上待たせるわけにはいかないもの」「ああ、俺も客間に忘れ物したから一瞬だけ入っていいか」「どうぞ、百合子ちゃんたちを怖がらせないようにね」瀬奈は部屋の扉を開けると、湊斗を中に入れた。彼の入室に百合子たちは一瞬ビクッとしたが、瀬奈がその後に続いて入ったことで安堵の表情を浮かべた。「百合子ちゃん、愛斗君。気に
瀬奈は邸内に百合子と愛斗の二人を快く招き入れた。彼女は歩きながら、後ろにいる中学生くらいの男の子をチラッと一瞥した。(愛斗君って言ったかしら?沙織の第二子で、百合子ちゃんの弟の……)存在自体は知っていたものの、直接会って話すのは初めてだった。世間一般には湊斗の隠し子ということになっている、百合子と愛斗。しかし、本当は彼の子どもではなく、別の男から生まれた子であるという事実は近しい者のみが知っている。当然、本人たちは湊斗が父親だと信じて疑わないのだろうが。彼らのことを考えると、瀬奈は胸が締め付けられた。沙織が二人を育児放棄していることは、彼女も知っていた。それに加えて父親だと信じていた人が赤の他人だったなんて、彼らが真実を知ったら何を思うだろうか。きっとショックを受けるに違いない。そのような二人の境遇を思えば、瀬奈は彼らを拒絶することができなかった。二人の存在は、たしかに長年瀬奈を苦しめた。しかし、彼らには何の罪もない。せめて、ここにいるときだけは母親のことを忘れて穏やかな時間を過ごしてくれることを願うばかりだった。瀬奈は邸内の客間に、百合子と愛斗の二人を通した。「さぁ、どうぞ入って」「お邪魔します」百合子は何度か来たことがある場所だが、愛斗は完全に初めてだった。彼は宮殿のような神宮司家の本邸に、驚いているようだった。(里亜も最初ここへ来たときはそんな感じだったわね)瀬奈は二人をソファに座らせると、紅茶とお菓子をテーブルに並べた。百合子が来ると聞いて、都心で有名なお茶菓子を事前に買っておいたのだ。弟の愛斗まで来ることは予想外だったが。百合子はテーブルに置かれた皿に載っていたクッキーを一つ手に取って口に運ぶと、顔を綻ばせた。「わぁ、このクッキーとっても美味しいです!私たちが作ったのとは全然違う!」「姉さん、当たり前だろ。プロと俺たちを比べるなよ……」愛斗は姉の言動にツッコミを入れながらも、瀬奈から目が離せないでいた。「喜んでもらえたようで、よかったわ」瀬奈は愛斗と目を合わせると、ニッコリと微笑んだ。彼女は見た目だけでなく、心までとても美しい人だった。同級生の女子たちにはない溢れる美と気品に、愛斗はもはや彼女を直視できなかった。当然、瀬奈はそんな愛斗の気持ちには気付いていない。(……一度、探りを入れようかしら)実は瀬奈がここ
――子供にとって、母親の存在は大きい。百合子と愛斗は幼い頃から、両親とは疎遠な生活を送ってきた。父親は無関心で、母親も彼らに興味がない。あまり家に帰らない父のほうはまだしも、母は家にいても百合子たちを顧みない人だった。母親が微笑みかけてくれるのは、父が目の前にいるときだけ。いつからだろうか、愛されたいと願うようになったのは。愛されたいという願いを抱いたということは、愛されていないという自覚があるわけで。愛斗のほうは早いうちから諦めに似た感情を持つようになったが、百合子はまだ彼女を信じていた。いつかは自分を見てくれるのではないかと。――百合子と愛斗、二人は愛に飢えていた。そんな彼らの心の闇は、誰にも知られることなく奥深くに秘められたままだった。百合子は愛斗を連れて神宮司家の本邸――瀬奈が住む家までやって来た。高級住宅街でもひときわ目立つ大豪邸の前に、二人はポツンと立ち尽くしていた。「ここに……その父さんの奥さんがいるのか?」「うん、とっても優しい人なんだ……まるで、本当の母親みたいに接してくれるのよ」「……そんなことあるわけないだろ」愛斗は未だに半信半疑だった。本妻が、愛人の子相手に優しくすることなんてできるわけがない。「本当だって!瀬奈さんはとっても良い人なんだから!愛斗も一度会ってみたらわかるよ!」「……そんなにか?」「ええ、今日はちゃんと会う約束をしてるんだから!里亜ちゃんにも会いたいし」百合子は門の前のインターホンを鳴らした。愛斗は自分たちが行っていいのかと慌てふためいたが、百合子はまるで気にしていなかった。「いつも思うけど、姉さんってメンタル強すぎないか?」「そう?別に普通でしょう?」「前も父さんの会社に突撃したんだろう?俺だったら、そんな真似絶対できない……」愛斗は若干引き気味でたった一人の姉を見つめていた。百合子は昔から行動力が高く、とんでもない行動を取るときがある。前みたいに父親の会社に乗り込むとか、父親の本妻のいる家を訪問するとか。自分の立場を考えれば、愛斗には絶対にできないことだった。チャイムが鳴ってからしばらくすると、中から一人の女性が姿を現わした。「――あら、百合子ちゃん。いらっしゃい」「瀬奈さん、こんにちは!」「……」百合子の顔がパァッと明るくなり、逆に愛斗は衝撃で固まってしまった。そんな弟
その後、手付かずのクッキー缶がキッチンの机の上に置かれているのを見た百合子が悲しそうに呟いた。「お母さん、結局食べなかったんだ……」「言っただろ、母さんは俺たちの作ったものなんか食べないって」勿体ないから俺たちで食べようぜ――と愛斗はクッキーを一枚口に運んだ。百合子は仕方ないと頷き、愛斗と一緒にクッキーを食べ始めた。見た目はともかく、味は悪くない。時間をかけて丹精込めて作ったからか、市販のものよりも美味しく感じる。クッキーを食べながら、愛斗が百合子に話しかけた。「ところで姉さん、最近よく出かけてるけど……何してるんだ?」「あぁ、憧れのお姉さんのところに行ってるんだ」「憧れのお姉さん……?」百合子は愛斗に、瀬奈のことを話した。彼女が父の本妻であり、沙織とは微妙な関係であるということまで全て。当然、愛斗は衝撃を隠せなかった。「と、父さんの本妻だって……?父さんには家庭が別にあったのか……!?」「うん、私も驚いたんだけどね……お父さんはあまり家に帰ってこないでしょう?私たちの知らない複雑な事情があったみたい」百合子と愛斗にとって、父親はいつも遠い存在だった。普段からほとんど家には帰らず、帰ったとしても百合子たちとは滅多に話さない。いつも冷たいオーラを出していて、二人は父にまともに近づくことすらできなかった。「と、いうことは……母さんが父さんの不倫相手だったってことだよな……その間にできた俺たちも……」「……そうね、私も最初知ったときはショックだった」夫婦だと思っていた父と母が実際は不貞という関係で結ばれた仲であり、自分たちは父の裏切りの結晶だった。当然百合子も信じられなくて落ち込んだが、そんな彼女を励ましてくれた人物がいた。「でもね、お姉さんは私にとっても優しくしてくれたのよ」「お姉さんって……父さんの本妻のことだろう?」愛斗はまさかそんなはずは――と姉の言葉を疑った。自分が本妻の立場だったとしても、二人に親切にすることなどできないだろう。「愛斗も一度お姉さんに会ってみたらどうかな?とっても素敵な人でね、私も憧れてるんだ」「……気になるな」愛斗は異性に興味なんて抱いたことがない。彼はヒステリックばかり起こす母の姿を見て育ったせいか、百合子以外の女性と関わるのを避けてきた。しかし、百合子から聞く瀬奈の話は彼の心を揺さぶり、彼