LOGIN手話通訳士の相沢結衣は、雨の夜、ホテルの地下駐車場で声を失った六歳の少女エマを助ける。少女を迎えに現れたのは、世界的企業を率いる冷徹CEO・九条玲司だった。両親を亡くして以来、誰にも心を開かなかったエマがなぜか結衣にだけ懐いたことから、玲司は一年間の契約結婚を持ちかける。偽物の夫婦、偽物の家族として始まった三人の暮らし。しかし、ぶつかり合い、嫉妬し、傷つきながら重ねる日々は、やがて契約では縛れない本物の愛へ変わっていく。家族を失う痛みを抱えた三人が、過去の秘密と巨大な陰謀に向き合いながら、自分たちだけの家族を選び直していく、胸を焦がす溺愛と再生の現代恋愛大河。
View Moreその日の雨は、傘を差していても意味がないほど激しかった。
都心の高層ホテルを出た相沢結衣は、自動ドアの向こうを白く煙らせる雨を見ながら、思わず小さくため息をついた。仕事を終えたのは午後九時を少し回った頃で、いつもなら地下鉄の駅まで歩いて帰るところだったが、この降り方では駅に着く頃には靴の中まで水浸しになりそうだった。
「こういう日に限って替えの靴下も持ってないんだよね……」
誰に聞かせるでもなく呟き、結衣はバッグの中を探った。折り畳み傘はある。スマートフォンもある。財布もある。しかし、雨の日に限って普段持っている小さなタオルが見当たらない。
昔からそうだった。必要なときに限って、どうでもいいものばかり鞄の底から出てくる。
今日も、弟が子供の頃にくれた古いキーホルダーや、期限の切れた割引券や、いつ入れたのかも覚えていないミントキャンディーまで出てきたのに、肝心のタオルだけがなかった。
「もういい。濡れたら帰って洗えばいいだけだし」
結衣は諦めることにした。
今日の仕事は、海外企業の役員を招いた福祉関連の国際フォーラムでの手話通訳だった。予定では夕方には終わるはずだったが、会議が長引き、さらに主催者側から追加の通訳を頼まれたため、こんな時間になってしまった。
疲れていないと言えば嘘になる。
肩は重いし、立ちっぱなしだったせいで足も痛かった。それでも、仕事そのものが嫌いなわけではなかった。むしろ結衣は、自分の手が誰かと誰かの言葉をつなぐ瞬間が好きだった。
耳が聞こえる人と、聞こえない人。
言葉を話せる人と、話せない人。
それまで別々の場所に立っていた人たちが、自分の手を通して一瞬だけ同じ場所に立つ。
その仕事を選んだ理由を尋ねられるたび、結衣は「昔から手話ができたから」と適当に答えていた。
本当の理由まで説明すると、相手が困った顔をすることを知っていたからだ。
亡くなった弟が聴覚障害者だったから。
その一言を言った瞬間、たいていの人は「ごめんなさい」と謝る。
何も悪いことをしていないのに。
だから最近は話さなくなった。
結衣はロビー脇のエレベーターへ向かい、地下駐車場行きのボタンを押した。今日はホテル側が契約しているタクシー乗り場まで地下から行けると聞いていたので、そこから車を拾うつもりだった。
扉が閉まり、静かな音を立ててエレベーターが下りていく。
鏡張りの壁に映った自分を見て、結衣は思わず顔をしかめた。
「ひどい顔」
目の下に薄く疲れが出ている。
まとめていた髪も少し崩れていた。
二十七歳にもなって、仕事終わりに鏡を見てがっかりすることくらい、もう慣れているつもりだった。それでも今日の自分は、さすがに誰かと食事に行けるような顔ではない。
もっとも、そんな予定もなかった。
恋人はいない。
しばらく作る予定もない。
母からは電話のたびに「誰かいい人はいないの」と聞かれるが、結衣には誰かと付き合う余裕より、翌日の仕事の準備をして寝る時間のほうが大事だった。
エレベーターが地下二階に着いた。
扉が開く。
途端に、ひんやりとした空気が流れ込んできた。
ホテルの地下駐車場は、夜になると妙に広く感じられる。
コンクリートの柱が規則正しく並び、ところどころに高級車が停まっていた。天井の蛍光灯は十分明るいはずなのに、地上とは違う閉塞感があった。
結衣は案内表示を確認しながら歩き始めた。
「タクシー乗り場、あっちか……」
ヒールの音が、乾いた駐車場の床に響く。
数十メートルほど進んだところで、結衣は足を止めた。
何かが聞こえた気がした。
泣き声ではない。
話し声でもない。
靴が床を擦るような、小さな音だった。
結衣は周囲を見回した。
車の陰には誰もいない。
気のせいかと思い、もう一度歩き出そうとしたときだった。
柱の向こう側に、小さな白い靴が見えた。
「……え?」
結衣は眉を寄せた。
近づいてみる。
そこには少女がいた。
六歳くらいだろうか。
淡いベージュ色のワンピースに紺色のカーディガンを羽織り、長い髪を一つにまとめている。服だけ見れば、どう考えても普通の家庭の子供ではない。ワンピースも靴も上質で、胸元には小さな金色のブローチまで付いていた。
けれど、その少女は床にしゃがみ込み、膝を抱えて震えていた。
「どうしたの?」
結衣は少し離れたところでしゃがんだ。
急に近づけば怖がらせるかもしれない。
「お母さんか、お父さんと一緒じゃないの?」
少女は顔を上げた。
大きな灰色がかった瞳だった。
外国の血が入っているのかもしれない。
その目が、ひどく怯えていた。
「迷子かな。大丈夫、ホテルの人を呼ぶから……」
結衣がスマートフォンを取り出そうとすると、少女の顔色が変わった。
小さな体がさらに強張る。
「待って。電話、嫌なの?」
少女は答えない。
ただ首を振った。
結衣はスマートフォンをバッグへ戻した。
「分かった。電話しない。少なくとも、今はしないから」
少女は黙ったままだった。
結衣は困った。
迷子なら警備員かホテルスタッフへ連絡するのが正しい。しかし、少女の反応を見る限り、何か普通ではない事情がありそうだった。
「名前、教えてくれる?」
返事はない。
「日本語、分からないのかな?」
英語で同じことを尋ねてみる。
少女はやはり答えなかった。
けれど、こちらの言葉が分からないようには見えない。
むしろ理解したうえで、答えることができないように見えた。
結衣は少し考えた。
「声、出せない?」
その瞬間だった。
少女の右手が、ほんの少し動いた。
結衣は息を止めた。
人差し指と中指。
手首の角度。
ぎこちない。
けれど見間違えるはずがない。
「手話……?」
少女の瞳が大きくなった。
結衣はすぐに声を出すのをやめ、ゆっくり手を動かした。
『私は結衣。あなたの名前は?』
少女は固まった。
信じられないものを見るように結衣を見ている。
『分かる?』
しばらくして。
少女の手が動いた。
『少し』
結衣は思わず笑った。
『よかった。じゃあ、ゆっくり話そう』
少女の肩から、ほんのわずかに力が抜けた。
『名前は?』
『エマ』
『エマちゃんね。何歳?』
『六歳』
『誰とここへ来たの?』
そこでエマの手が止まった。
表情が再び強張る。
結衣は質問を変えた。
『怖い?』
エマは頷いた。
『何が怖い?』
少し迷ったあと、エマは手を動かした。
『知らない人』
結衣の背中を、冷たいものが走った。
『知らない人がどうしたの?』
『追ってくる』
さっきまでの疲れが一瞬で消えた。
結衣は立ち上がり、周囲を見回した。
車。
柱。
エレベーター。
人影はない。
だが、地下駐車場という場所が急に不気味に感じられた。
『一人で逃げてきたの?』
エマは頷いた。
『お父さんとお母さんは?』
その質問をした瞬間、エマの表情が変わった。
悲しい。
ただ、それだけではない。
もっと深いところに触れてしまった。
結衣はすぐに後悔した。
『ごめん。答えなくていいよ』
エマは唇を強く噛んだ。
それから結衣の袖を掴んだ。
小さな指が震えている。
『ここにいたら、見つかる』
結衣は迷った。
この子の話をどこまで信用すべきなのか。
本当に誰かに追われているのか。
単に家族かホテルスタッフから逃げているだけなのか。
警察へ連絡すべきだ。
ホテルの警備員を呼ぶべきだ。
大人として正しい判断はいくらでもある。
けれど、目の前の少女が震えながら自分の服を掴んでいる。
その手を振りほどくことだけはできなかった。
『エマちゃん』
結衣は目線を合わせるため、もう一度しゃがんだ。
『今から私と一緒に、人がいるところまで行こう。そこで誰を呼ぶか、一緒に決めよう。勝手に誰かに渡したりしないから』
エマは結衣の顔をじっと見た。
『約束?』
『約束する』
結衣が小指を出すと、エマは意味が分からないような顔をした。
そういえば、指切りという習慣を知らないのかもしれない。
「これはね……」
思わず声で説明しかけ、結衣は苦笑した。それから手話を使った。
『日本では、約束するときにこうすることがあるの』
エマは恐る恐る小指を絡めた。
小さな指だった。
冷たい。
それだけで、結衣の中に妙な怒りが湧いた。
誰なのか知らない。
何があったのかも分からない。
けれど、こんな小さな子を一人で震えさせるようなことをした人間がいるのなら、腹が立った。
『行こう』
結衣が立ち上がると、エマも立った。
手をつなぐ。
二人でタクシー乗り場とは反対側の、ホテルスタッフがいるはずの通路へ向かう。
しかし十歩ほど進んだところで、エマが突然立ち止まった。
「どうしたの?」
結衣が振り返る。
エマの顔から血の気が引いていた。
視線は、結衣の肩越しへ向いている。
そして震える手が動いた。
『来た』
結衣はゆっくり振り返った。
駐車場の奥。
黒いスーツを着た男が二人、こちらへ歩いてきていた。
さらにその後ろから、もう一人。
三人ともホテルの客には見えない。
歩き方が妙に速い。
そして何より、その視線は明らかにエマへ向いていた。
「エマ」
先頭の男が呼んだ。
少女が結衣の背中へ隠れる。
結衣の服を掴む指が、痛いほど強くなった。
「こちらへ来なさい。皆が心配しています」
男は穏やかな声を出していた。
しかし結衣は動かなかった。
「この子のお知り合いですか?」
「ええ。我々は迎えに来ただけです」
「お名前を伺っても?」
男の眉がわずかに動いた。
「あなたには関係ありません」
「関係ない人間に、六歳の子供を渡すほど無責任ではないつもりです」
「その子はこちらの関係者です」
「なら、身分証を見せてください。それからホテルの警備員を呼びます」
男の表情から笑みが消えた。
「面倒なことをしないでもらえますか」
「奇遇ですね。私も今、まったく同じことを考えていました。六歳の子供を地下駐車場で追いかけ回すなんて、ずいぶん面倒な真似をする人たちだなって」
自分でも驚くほど強い言葉が出た。
結衣は怖くないわけではなかった。
相手は成人男性が三人。
こちらはヒールを履いた二十七歳の女と、六歳の少女一人。
喧嘩になれば勝ち目などない。
それでも一歩下がれば、背中の後ろにいるエマまで下がる。
そう思うと、足だけは動かなかった。
男たちが近づいてくる。
「その子を渡してください」
「嫌です」
「我々が誰かも知らないでしょう」
「だから渡せないんです」
男がさらに一歩近づいた。
その瞬間。
駐車場の別の方向から、複数の足音が響いた。
今度は先ほどまでとは比較にならない数だった。
黒い車が一台、滑り込むように停まり、後部座席のドアが開く。
長身の男が降りてきた。
黒いスーツ。
雨に濡れた髪。
整った顔立ち。
しかし、結衣が最初に感じたのは容姿の良さではなかった。
怖い人だ。
そう思った。
静かに立っているだけなのに、その場の空気が変わる。
三人の男たちも足を止めた。
長身の男は彼らを見ることすらせず、結衣の背後へ視線を向けた。
そして初めて、表情を崩した。
「エマ」
低い声だった。
それまで震えていた少女の体が、大きく揺れた。
結衣は反射的にエマを庇うように立つ。
男の目が結衣へ向いた。
冷たい。
鋭い。
値踏みするような目だった。
「その子から離れてくれ」
命令することに慣れきった声音だった。
結衣は眉を寄せた。
「嫌です」
男の表情が初めて動いた。
「……何?」
「この子があなたを怖がっていないと分かるまでは、離れません」
周囲にいた男たちが息を呑んだ。
どうやら、言ってはいけない相手に言ってしまったらしい。
けれど、そんなことを知ったところで今さら遅い。
結衣はエマの手を握ったまま、目の前の男を睨んだ。
「あなたは、誰ですか?」
男はしばらく答えなかった。
その視線は結衣ではなく、結衣の後ろにいるエマへ向けられていた。
やがて彼は低い声で言った。
「九条玲司だ」
その名前を聞いても、結衣はすぐには意味が分からなかった。
ただ、周囲の人間たちの空気が明らかに変わったことで、この男が普通の人間ではないことだけは分かった。
そして結衣はまだ知らなかった。
この雨の夜、地下駐車場で握った小さな手が、自分の人生を根こそぎ変えてしまうことを。
恋人もいない。
結婚するつもりもない。
仕事だけは好きだった、平凡な二十七歳の手話通訳士が。
まさか一年後には、世界中から注目される男の妻として、その隣に立つことになるなど。
このときの結衣には、想像することすらできなかった。
第12話 あなたの隣にいる理由 結衣の部屋に流れた妙な沈黙を最初に破ったのは、悠真だった。「とりあえず、これ。おばさんから」 彼は手に持っていた紙袋を持ち上げた。中から大根の葉が少しだけ覗いている。「野菜?」「大根、ほうれん草、じゃがいも。それから煮物。『結衣はどうせろくなもの食べてないから』だってさ」「母さん、私を何だと思ってるんだろう」「冷蔵庫に調味料しか入ってない女」「失礼な。卵もある」「賞味期限は?」「……昨日」「ほらな」 悠真が呆れたように笑う。 いつもどおりのやり取りだった。 なのに玲司がいるだけで、結衣には妙に落ち着かなかった。「入る?」 結衣が聞くと、悠真は玲司を見た。「いいのか?」「何が?」「いや、俺が聞くのも変だけど」「だから何なの」「相変わらずだなあ、お前」 悠真は苦笑しながら靴を脱いだ。 玄関だけで立ち話を続けるわけにもいかず、三人でリビングへ戻る。 ただでさえ広くない部屋だ。 背の高い男が二人いると、急に圧迫感が増した。「狭いな」 悠真が言った。「ほら!」 結衣は玲司を指さした。「九条さんだけじゃないでしょう!」「俺は最初から事実だと言った」「二人とも帰ってください」「野菜届けに来た俺まで?」「狭いって言う人はいりません」 悠真は笑いながら紙袋をキッチンへ置いた。
第11話 冷徹CEOが、私の狭い部屋にいる 翌日の仕事を終えた結衣が自宅マンションへ戻ったのは、午後九時を少し回った頃だった。 昨夜はエマのことが気になってなかなか寝つけず、朝から続いた通訳の仕事も忙しかったせいで、さすがに体が重い。エレベーターの鏡に映った自分の顔を見れば、化粧は崩れ、髪も朝よりずいぶん乱れている。「今日はもう、お風呂入って寝よう……」 夕食はコンビニで買ったおにぎりとスープでいい。 洗濯物は明日。 部屋も多少散らかっているが、誰かが来るわけでもない。 そう思いながら自分の階でエレベーターを降りた結衣は、廊下の奥を見て足を止めた。 自宅のドアの前に、男が立っている。 黒いコート。 長身。 このマンションには似合わないほど隙のない姿。「……何してるんですか」 九条玲司だった。 彼は壁にもたれることさえせず、まるで高級ホテルのロビーで人を待っているかのように真っ直ぐ立っていた。「遅かったな」「仕事ですから。それより、どうしてここにいるんです?」「待っていた」「それは見れば分かります」 結衣はため息をつきながら近づいた。「連絡くらいしてくださいよ」「した」「え?」 スマートフォンを確認する。 着信が三件。 メッセージも一件。『仕事が終わったら連絡してくれ。』「本当だ」「見ていなかったのか」「仕事中は触れないことがあるんです」「二時間以上待った」 結衣は思
第10話 帰らないで、と言えなかった少女 美佐子が九条邸を出てからも、食堂にはしばらく重たい空気が残っていた。 誰もすぐには口を開かなかった。テーブルの上には食べかけの朝食が残り、少し前まで三人で他愛のない会話をしていたことが嘘のように思える。 玲司をエマの後見人から外そうとする動きがある。 その理由として、玲司の仕事中心の生活や、エマがホテルから一人で逃げ出したことまで持ち出される可能性がある。 さらに、結衣自身も調査対象になるかもしれない。 昨日までは、九条家の争いなど遠い世界の話だった。 それが今では、自分の名前まで当事者として扱われようとしている。「……すごい家ですね」 結衣が思わず漏らすと、玲司が顔を上げた。「どういう意味だ」「そのままの意味です。家族の問題なのに、会社みたいに書類が出てきて、弁護士が動いて、誰が子供を育てるかまで争いになるんだなって」「資産が絡むと、そうなる」「エマちゃんは資産じゃないでしょう」「ああ」 玲司の返事はすぐだった。「だが、そう思わない人間がいる」 その声には怒りがあった。 結衣はエマを見る。 少女は大人たちの会話をすべて理解しているわけではないのだろう。それでも、自分について何か良くないことが起きていることは察しているらしい。 結衣の袖を握ったまま、ずっと離さない。『大丈夫?』 エマが手話で尋ねた。 結衣は一瞬迷った。 大丈夫。 その一言なら簡単だ。 しかし、確実でもないことを子供に約束したくなかった。『心配なことはあるよ』
第9話 その人を、この家から出しなさい エマの指が、結衣の服を強く握っていた。 その震えを背中越しに感じた瞬間、結衣の中にあった眠気も、朝から続いていたぼんやりとした不安も、すべて消えた。 目の前にいる九条美佐子という女性が、昨夜から玲司たちが調べていた事件に関係しているのかどうかは分からない。証拠もない。けれど、エマがこれほど露骨に身を縮める相手を前にして、ただ黙って見ていることはできなかった。 玲司も同じことを考えたらしい。「叔母さん。もう一度聞く。ホテル地下駐車場でエマを追っていた三人について、何か知っているか」 玲司の声は低く、感情がほとんど表に出ていなかった。 美佐子はそんな甥を真正面から見返した。「朝一番に呼びつけるどころか、到着してすぐ犯罪者扱いとはね。ずいぶん歓迎してくれるじゃない」「呼んでいない。勝手に来たのは叔母さんだ」「相変わらず可愛げのない子」「昔からだろう」「ええ。そこだけは兄さんにそっくり」 兄さん。 恐らく玲司の父親のことだろう。 その一言だけで、二人の間には結衣には分からない長い年月があるのだと感じた。 美佐子は視線を玲司から結衣へ移した。「それで、この女性は?」「相沢結衣さんです」 結衣は自分で名乗った。「初めまして」「そう。あなたが例の記事の女性なのね」 美佐子は結衣の挨拶には答えず、まるで商品の品質でも確認するように見た。 結衣はこういう視線が苦手だった。 露骨に馬鹿にされるより面倒だ。 何も言われていないのに、自分の服装や仕事、育った家まで全部値段をつけられているような気になる。 ただ、ここで目を逸





