LOGIN三年間付き合ってきた、優しくて少し病弱な恋人・結城和樹。 結守神社の祭りの夜、私たちは「この人と結婚して、長く暮らしていきたい」と同じ願いを捧げた。 ――翌朝、和樹くんが四人になった。 世界中の人々は、彼らを四つ子だと思っている。 けれど、三年間彼を見てきた私だけが知っている。 四人とも、間違いなく「和樹くん」なのだと。 ぶっきらぼうな新太、明るい幸也、静かな久遠、元の彼に一番近い和樹。 四人から向けられる好意に戸惑いながら、私は気づいてしまう。 ――私、四人とも好きになってる。 彼らを四人に分けたのは、縁を司る神さま。 一人に戻せば、四人とも消えてしまう。 私は、この「四人の彼」と、どう向き合えばいいの――?
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四つの声が、同時に私の名前を呼びました。
教室の入口に、四人が並んで立っています。
前髪が目にかかるくらいの黒髪で、制服をきちんと着ているのが和樹くん。
襟足を刈り上げた短髪で、第一ボタンを開けて袖をまくっているのが新太くん。
明るい癖毛をそのままにして、カーディガンの袖に指を引っかけているのが幸也くん。
額を出して、ネクタイまできっちり締めているのが久遠くん。
四人の声は、本当ならぜんぜん違います。
和樹くんはやわらかい中音で、新太くんは低くて硬い。
幸也くんは高くてよく通って、久遠くんは静かな低音です。
なのに、私の名前を呼ぶときだけ、四人とも声がほんの少しだけ下がるのです。
だから「澪」の二文字だけが、同じ高さで重なって聞こえます。
私はこの音を、去年の夏から知っています。
——この人たちは、全員が、私の恋人だった人です。
比喩でも冗談でもなく、そのままの意味で言っています。
去年の夏まで、彼は一人でした。
結城和樹という名前の、一人っ子の男の子でした。
そのことを覚えているのは、この世界で、私だけです。
◇
八月十六日。
結び火祭りの夜でした。
四方原市の外れに、結守神社という小さなお社があります。
うちは代々、そこのお祭りの世話役をしている家です。
毎年この日になると、町中の恋人たちが二人並んで石段をのぼっていきます。
結守さまは縁を結んでくださる神さまだから、二人で参ると長続きする。
そういう言い伝えがあるのです。
私は紺地に白い朝顔の浴衣を着て、参道の入口で和樹くんを待っていました。
「お待たせ」
走ってきた和樹くんは、私を見て、それから目をそらしました。
「……うん」
「なんですか、それ」
「いや、あのさ」
和樹くんは右手の親指で、人差し指の付け根をかりかりと掻きました。
照れているときと、嘘をついているときにだけ出る癖です。
付き合って三年、私はこの動きを数えきれないくらい見てきました。
「似合ってる。すごく」
石段の下から本殿まで、両側にずらりと屋台が並んでいます。
りんご飴、金魚すくい、焼きそば、大学芋。
「チョコバナナ食べます?」
「俺はいい」
和樹くんは、チョコレートが食べられません。
甘いものが苦手なわけではなくて、チョコだけが駄目なのだそうです。
去年のバレンタインに私が渡したのは、お煎餅と甘納豆の詰め合わせでした。
和樹くんは心の底から嬉しそうに、縁側でお茶を淹れて食べていました。
高校生の男の子がすることではないと思いますが、その様子がとても可愛くみえます。
「大学芋にする」
「おじいちゃんですね」
「うるさい」
焼きそばのパックを受け取った和樹くんが、割り箸を右手で割りました。
字を書くときは左手なのに、お箸だけは右なのです。
小さいころにおばあちゃんに直されたんだ、と前に聞きました。
石段の途中で、和樹くんが少しだけ足を止めました。
「和樹くん」
「平気。ちょっとゆっくり行こ」
和樹くんは昔から体が弱くて、季節の変わり目にはよく熱を出しました。
中学二年の夏、このお祭りの準備をしていたときに倒れて、私が付き添って保健室まで運んだのが、私たちのはじまりです。
原因はずっとわからないままでした。
お医者さんに何度診てもらっても、どこも悪くないと言われるのです。
だから私は、彼の歩幅に合わせて歩くことにずっと慣れていました。
◇
本殿の前には、誰もいませんでした。
私たちは並んで、鈴を鳴らして、二回おじぎをして、手を合わせました。
目を閉じると、遠くの太鼓の音と、虫の声だけが聞こえました。
「ねえ、澪」
目を開けると、和樹くんがこちらを見ていました。
「あのさ。願い事、せーので言ってみない?」
「え、口に出したら叶わなくなりませんか」
「結守さまは縁の神さまだろ。聞こえてたほうが結びやすいと思う」
理屈になっていません。
でも和樹くんは、たまにこういう無茶苦茶なことを真顔で言います。
「……いいですよ」
「じゃあ、せーの」
夜の境内に、二つの声が重なりました。
「この人と結婚して、長く暮らしていきたい」
一字一句、同じでした。
和樹くんが真っ赤になって、また親指で人差し指の付け根を掻きました。
私もたぶん、同じくらい赤かったと思います。
鈴の緒が、風もないのに、ちりんと鳴りました。
あのとき私は、結守さまが喜んでくださったのだと思いました。
今でも、あれは喜んでくださったのだと思っています。
それが、いちばん苦しいところです。
◇
帰り道、石段を下りきったところで、和樹くんが立ち止まりました。
「和樹くん?」
「……ごめん。ちょっと、疲れたみたいだ」
街灯の下で見た彼の顔は、紙みたいに白くなっていました。
手を伸ばすと、指先がひどく冷たいのです。
「送ります。家まで」
「いい。走って帰ったほうが早いから」
和樹くんは私の手をそっとほどいて、それから、いつもの顔で笑いました。
「また明日な、澪」
名前を呼ぶとき、和樹くんの声はほんの少しだけ下がります。
そのときはまだ、それが彼一人だけの癖だと思っていました。
◇
————その夜、結守神社の本殿の屋根の上————
小さな童子が、祭りの様子を見下ろしていた。
満足気な表情で、道行く人たちを眺めている。
「祭りはよい。人の願いがいちばん濃くなる夜だからの。今年もよう結ばれた縁がいくつもあった。あの二人の縁など、わしが手を貸すまでもなく、しっかりと縒り合わさっておる」
そして、ふむ、と童子は身を乗り出した。
——男のほうの、魂の緒が細い。
細いどころではない。
ほつれて、毛羽立って、あと数年で切れる。
二十を迎える前といったところだ。
「これは、いかん」
童子は立ち上がった。
彼女に命を延ばす力はない。
運命を書き換える力もない。
彼女にできるのは、縁を結ぶことだけだ。
しかし。
縁を結べるということは、結び直せるということでもある。
一本の緒を、四本に縒り分ければ。
一本あたりにかかる重さは、四分の一になる。
「よし、ならば四つに分けよう」
童子は満足げにうなずいた。
「これで、死が四度来るまで、あれは死なぬ」
二人に断ることなど、彼女には思いつきもしなかった。
命が助かるのだ。
何より、それが彼らの願いそのものでもある。
喜ばぬ道理などない、と確信していた。
木曜日は、和樹くんの日でした。その日は結城家に親戚が来るとかで、新太くんも幸也くんも久遠くんも駆り出されたそうです。『親戚の相手させられてる。和樹だけ逃げた。そっち行くってさ』幸也くんからのメッセージには、そう書いてありました。 ◇和樹くんは、昼過ぎに来ました。「どこか行くか」「暑いです」「だよな」それで、話は終わりました。私たちは縁側に座りました。祖母が出してくれた麦茶を飲んで、扇風機を回して、それだけです。風鈴が鳴りました。庭の百日紅が、まだ咲いていました。祖母は奥の部屋でテレビを見ています。ときどき笑い声が聞こえました。畳が、日に焼けた匂いをしていました。扇風機が首を振るたびに、私の前髪が持ち上がって、また落ちました。和樹くんは、座布団の上で胡座をかいて、庭を見ていました。何も喋りません。私も喋りませんでした。時計の秒針が聞こえるくらい静かでした。麦茶の氷が溶けて、グラスの中で小さく崩れました。そうやって三十分くらい過ごしたでしょうか。長いようで、短く感じました。「あ」和樹くんが言いました。「猫」塀の上を、茶色い猫が歩いていました。それだけです。猫は塀の向こうに消えて、また静かになりました。私は、泣きそうになりました。猫が通っただけです。それを二人で見ただけです。それだけのことが、こんなに満たされるのだと、私はずっと前から知っていました。 ◇これが、私の知っている時間でした。和樹くんと過ごす時間は、いつもこうでした。どこかに行くわけでもなく、何かをするわけでもなく、ただ同じ場所にいる。話すことがないから黙っているのではなく、黙っていても平気だから黙っている。この人の隣では、沈黙が気まずくなりませんでした。おかしな話かもしれませんが、私はたまらなく、この時間が好きでした。三年間、私はこの時間のために生きていたようなものです。付き合い始めたころは、和樹くんを退屈させていないか気にしていました。もっと話したほうがいいのか、どこかに誘ったほうがいいのか。あるとき、和樹くんが言いました。「俺、しゃべらなくていい相手って、澪がはじめてなんだよ」それを聞いてから、私は黙っていられるようになりました。無理に相手を気遣って、盛り上げようとして疲れる必要が
水曜日は久遠くんです。行き先も聞かれませんでした。朝、玄関を開けたら立っていて、「図書館」とだけ言われました。市立図書館は、自転車で二十分ほどの川沿いにあります。古い建物で、冷房がよく効いていて、平日の午前中はほとんど人がいません。並んで漕いでいる間も、久遠くんは何も言いませんでした。ただ、信号のたびに速度を落として、私が追いつくのを待ちました。少し前をいこうとするのは、自転車でも同じでした。私は、ここ三日ほど眠れていませんでした。目をつぶると、祭りの夜のことばかり思い出すのです。鈴の緒が鳴ったこと。二人の声が重なったこと。和樹くんの指が冷たかったこと。あの夜に戻れたら、と考えます。何度も考えます。願いなんて口に出さなければよかった、せーの、なんて言わなければよかった。でもそれは、和樹くんが二十歳まで生きられないということでもあるのです。どこまで戻っても、正しい道がありません。それを考え始めると、朝になります。「三日前からだな」閲覧席に座ってすぐ、久遠くんが言いました。「何がですか」「まばたきが増えてる。あと、目をこする回数」私は手を止めました。ちょうど、目をこすろうとしていたところでした。この人は、いつからそれを数えているのでしょう。「久遠くんは、いつも人のことをそんなに見ているんですか」「いや」久遠くんは、鞄から本を出しながら言いました。「君だけだ」あまりにも普通の言い方だったので、私は返事に困りました。「眠れてないだろ」「……少しだけ」「そうか」それだけでした。理由は聞かれませんでした。 ◇久遠くんは、私の向かいではなく、斜め向かいの席に座りました。あとで気づいたのですが、そこは窓を背にした席でした。私の顔に日が当たらない位置なのです。しばらくして、久遠くんが席を立ちました。戻ってきたとき、手に薄い毛布のようなものを持っていました。「受付で借りた。冷房が強い」「久遠くん」「寝ろ」「ここで寝るわけには」「誰もいない。俺が見てる」見てる、という言葉に含みはありませんでした。監視でも、下心でもなく、文字どおりの意味です。ここにいて、見ている。それだけです。不思議なもので、その言い方だったから、安心できたのだと思います。その言い方に、私は何も言えなくなりました。
火曜日は、新太くんでした。「どこか行きたいところあるか」朝いちばんにそう聞かれて、私は駅前の書店と答えました。祖母に頼まれた本を取りに行く用事があったからです。「じゃあ行くぞ」それだけで話は終わりました。幸也くんと正反対です。電車の中でも、新太くんはほとんど喋りませんでした。喋らないのに、私が立とうとすると先に立ち、扉が開くと先に降ります。そして必ず、私が降りきるまで待っています。気を遣っているというより、体が勝手にそう動いているように見えました。電車で二駅の大きな駅まで出て、本を受け取って、それで用事は済みました。まだ昼前でした。「終わったな」「終わりました」「……帰るか」新太くんは間の持たせ方を知らないのです。私も人のことは言えません。二人で黙って駅のほうに歩きました。沈黙が続くと、新太くんはだんだんそわそわしてきます。和樹くんの沈黙とも、久遠くんの沈黙とも違います。この人は、黙っているのが下手なのです。声をかけられたのは、駅前のロータリーでした。 ◇制服ではない、けれど高校生らしい三人組でした。どこの学校かも分かりません。「ねえ、今ひま?」一人が私の前に回り込みました。「ひまじゃないです」「そんなこと言わないでさ」私は歩こうとしました。もう一人が横に並んできました。距離が近いのです。手が触れそうで、私は鞄を抱え直しました。こういうとき、どうすればいいのか分かりません。強く言えば角が立って、黙っていれば終わらない。心臓だけが速くなって、足が動かなくなります。次の瞬間、目の前が暗くなりました。新太くんが、私と相手の間に入ったのです。「触るな」低い声でした。聞いたことのない声でした。「は? 何お前」「触るなって言った」新太くんは手を出しませんでした。ただ、一歩も引かずに立っていました。肩幅の広い背中が、私の視界を全部ふさいでいました。殴られると思ったのかもしれません。相手の一人が、半歩下がりました。新太くんの拳は握られていました。けれど腕は上がりませんでした。上げないように力を入れているのが、後ろからでも分かりました。しばらく睨み合って、向こうが舌打ちをして離れていきました。「なんだよ、感じわる」足音が遠ざかってから、新太くんはまだ動きませんでした。「新
夏期講習の最終日、冷蔵庫の当番表が新しくなっていました。誰かが夜のうちに差し替えたのです。犯人はすぐに分かりました。字がまるくて、月曜のところに小さな星が描いてあったからです。「幸也くん。これ、なんですか」『夏休みバージョン』そう書いてありました。送り当番だったはずの表は、いつのまにか「誰と遊ぶか」の表に変わっていました。月曜・幸也。火曜・新太。水曜・久遠。木曜・和樹。金曜・全員。順番は、そのままでした。変えたのは中身のほうです。「送るだけとか、もったいないじゃん」電話の向こうで、幸也くんは悪びれもせずに言いました。「始業式まで、まだ一週間あるんだよ。一週間だよ。一日も無駄にできないでしょ」「私、宿題がまだ残っています」「それも入れといた。水曜の久遠のとき、図書館でやればいいじゃん」「人の予定を勝手に」「勝手じゃないよ。みんなで決めた」みんな、というのは四人のことです。私は入っていません。 ◇月曜日、幸也くんは朝の九時にうちのチャイムを鳴らしました。「早すぎます」「早くないよ。もう夏が終わるんだよ」連れて行かれたのは、商店街の外れにある古い駄菓子屋でした。小学生のころに何度か来たきりの店です。店番のおばあさんは、私たちの顔を見て「あら、結城さんとこの」と言いました。「四人のうちのどれ?」「どれって」幸也くんが吹き出しました。「三男です。幸也です」「そうかい。どれも同じ顔だからねえ」私は笑えませんでした。幸也くんは笑っていました。どれも同じ顔だからねえ。おばあさんに悪気はありません。四つ子なのですから、当たり前の感想です。それでも私は、その言葉が怖いのです。同じ顔だと言われるたびに、じゃあ和樹くんはどこにいるんですかと、聞きたくなってしまいます。店を出てから、幸也くんは十円のラムネを一袋買って、歩きながら一粒ずつ私にくれました。「澪ちゃん、これ知ってる? ラムネって九割がブドウ糖なんだって」「はあ」「だから頭にいいらしいよ。テスト前に食べると賢くなる」「本当ですか」「知らない。たぶん嘘」思わず笑ってしまいました。笑ってから、心臓が冷たくなりました。 ◇川原に着くころには、日が高くなっていました。幸也くんは靴を脱いで、ズボンの裾をまくって、いきなり浅瀬