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第6話

作者: 硝子の砂糖
相手の言葉が終わるやいなや、慎一郎と月島の両親三人の視線が一斉に雪代に集中した。

「雪代、これはいったいどういうことだ?」

「知らないよ。私には関係ない」

彼女が首を傾げていると、相手から位置情報が送られてきた。慎一郎に送られたものと全く同じだ。

「この番号は犯人のものだ」慎一郎の声は急に険しくなった。

母は悲鳴を上げて雪代を指さした。「あなたが夏実の拉致を指示したの?」

もはや雪代に弁解の余地はなかった。

説明する間も与えられず、慎一郎に引きずられるように連れ出された。「一緒に来い。彼らに人質を解放させろ」

その口調は、もう拉致が彼女の仕業だと信じ切っているようだ。

「慎一郎、本当に私じゃない」

しかし、どんなに訴えても、慎一郎は無言だ。

彼は唇を堅く結び、冷たい表情で、限界とも言える速度で雪代をその場所へ連れて行った。

廃工場はじめじめと湿り気を帯びている。犯人は雪代を見るなり、親しげな笑顔を見せた。「おや、雪代さん、ご自分でいらっしゃったとは」

「あなたたちなんて知らない。なぜ私を陥れるの!」雪代は声を荒げて反論した。

犯人の表情が一変した。

「雪代さん、今さら知らん顔するか?妹が邪魔だって言ったのはあなただろうが。『始末してくれたら身代金に加えて報酬もやる』ってな。

なのに、旦那さんを一緒に連れてくるって、どういうつもりだ? 金を払う気がないんじゃねえだろうな?」

慎一郎の目つきが完全に冷え切った。

「人を返せ!」

彼はそう言い放つと、隅に縛り付けられた夏実へ一直線に歩み寄り、抱き上げてその場から連れ去った。

雪代があとを追おうとすると、犯人たちに包囲された。

「どいて!あなたたちなんて知らないって、何度言えばわかるの!」

「知ろうが知るまいが、もう手遅れだよ!」

慎一郎が去ると、数人はすぐに態度を一変させ、首謀者は不気味な笑みを浮かべて彼女に近づいた。

雪代は「まずい!」と悟り、声を張り上げて叫んだ。

「慎一郎!」

彼は一瞥もくれず、素早く車に乗り込んだ。

マイバッハが砂塵を巻き上げて走り去り、雪代の心は深淵に沈んでいった。

逃げ出そうとしたその時、彼女は後頭部を強く殴打され、その場で気を失った。

「夏実さんのご命令だ。俺たちが楽しんだ後は、海に沈めて魚の餌にしろ」

かすかな意識の中、雪代はこの言葉だけを聞いた。

必死で目を開けようとしたが、押さえつけられて正体不明の液体を無理やり飲まされた。

しばらくすると全身が熱くなり、頭はさらにぼんやりとしてきた。

媚薬を盛られたのだ。

最初から最後まで、いわゆる拉致は全て夏実の自作自演で、実は狙われていたのは彼女の方だった。

その事実に気づくと、雪代ははっと我に返った。

数人がもう彼女に手を伸ばし、粗く脂ぎった大きな手が彼女の体を這い回り、吐き気を催させる。

絶望に駆られていたその時、雪代は視界の隅にクリスタルの灰皿を見つけ、それを掴んで犯人たちに投げつけた。

慌てて逃げ出そうとしたが、自分がヨットの上にいることに気づいた。周りは海だ。

犯人たちはすぐに追いかけてきた。雪代は覚悟を決めて海に飛び込んだ。

最後の記憶は、冷たい海水が口と鼻に激しく注ぎ込んできた瞬間で途切れた。

雪代は自分がどうやって岸に上がったのかわからない。

目が覚めると病院で、傍らには誰もいなかった。

看護師によれば、親切な漁師が海上で彼女を救助し、病院まで運んでくれたのだという。

「そういえば、ご家族は?ご両親と彼氏さんに電話してみたんですが、誰も出なかったんですよ」

看護師は憐れみの色を浮かべた。雪代は思わず涙ぐみ、目を閉じて答えなかった。

看護師たちの噂話から、彼女の家族も同じ病院にいることを知った。

しかし、彼女のためではなく、夏実のためにいたのだ。

雪代は最上階のVIP病室へ向かった。ドアを開けた瞬間、室内では慎一郎が細心の注意を払いながら夏実に水を飲ませており、その眼差しは痛いほど優しいものだ。

彼女が入ってくるのを見るなり、夏実はいっそう慎一郎にすがりつくように身を寄せた。「姉さん……こ、こっち来ないで……」

慎一郎が振り返ると、その目は一瞬で険しいものに変わった。「医者が言ってた。夏実はショック症状で、今はこれ以上の刺激は禁物だ。先に帰ってくれ」

雪代の胸は締めつけられるように痛んだ。彼はもはやためらうことなく、あからさまに彼女の面前で夏実を守っている。

「彼女がショック?私に何が起きたのか、あなたは知っているの?」

雪代の言葉が終わらないうちに、両親が慌てて駆け込んできた。

「このばか娘!」父は彼女の頬にビンタを食らわした。「お前の妹だろう!よくもそんな真似ができたな!」

雪代は顔をそむけ、頬にひりりと痛みを走らせた。

子供の頃から、父に殴られたことなど一度もなく、強い口調で叱られたことさえなかった。

「私じゃない」声は涙で掠れていた。「全部、夏実の自作自演よ。みんな騙されているの。あの連中の本当の目的は私だった。あの人たちは私に……」

「もういい!」母が遮った。「夏実の傷は何だっていうの?偽物?自作自演で、自分からあんな傷だらけになるわけないでしょう!」

「姉さん……この数年、慎一郎さんのそばにいたから、自分の居場所を奪われたって思う気持ちはわかるよ。打つなり蹴るなり、私が耐える。火事の罪を着せられても構わない。でも……どうして私を拉致までしなきゃいけなかったの?私が死ねばいいの?」

夏実は泣きじゃくりながら「この家にはもういられない」と言い張り、騒ぎを大きく見せた。

周囲は慌てて彼女をなだめ、その矛先は再び雪代へと向けられた。

父は彼女を押さえつけて夏実に謝罪させようとした。

「私に何の落ち度もない!なぜ謝らなきゃいけないの!」

「雪代!夏実はお前のせいで傷ついたんだ!妹が傷だらけなのに、一言謝ることもできないのか!」

慎一郎も表情を曇らせた。

雪代は信じられないという目で慎一郎を見つめた。「慎一郎……あなたも私がやったと思うの?私を信じてくれないの?」

慎一郎は視線を逸らし、冷たく言い放った。「今回は、明らかに君が悪い」

雪代は全身を震わせ、胸を激しく波打たせながら、振り返らずに病室を飛び出した。

背後から父の怒鳴り声が響く。「出て行くなら、二度と戻って来るな!」

雪代はよろめきながら歩き、出口で正面から来た車に轢かれそうになった。

そうだ……

おそらく、彼女は戻るべきではなかった。あの時、死んだと思われたままであるべきだった。

彼らはもう、完璧な家族の絆を築き上げている。そこに彼女の居場所はなく、ただの邪魔者でしかない。

だから、彼女はまもなく去る。

二度と、彼らの邪魔はしない。
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