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第2話

Author: 兜ちゃん
「安心して」

彼女はぱちりと瞬きをした。

「私には、あの人のルールなんて通じないの」

私は奥歯をきつく噛みしめた。

あれほど筋を通すことにこだわる統真にも、一線を踏み越える日が来たのだろうか。

彼女は中に入って一分もしないうちに、すぐに弾むような足取りで出てきた。

「早く一緒に入ってください。統真、いいって言ってくれたから」

私は彼女に引っ張られて前へ進んだ。

診察室の扉がだんだん近づいてくる。

心臓が激しく打っていた。今にも胸を突き破って飛び出しそうだった。

三年だった。

三年間、会っていなかった人に、たった一枚の扉を隔てれば会える。

けれど、私はどうやって彼と向き合えばいいのかわからなかった。

問い詰めるのか、それとも罵るのか。

どちらも私の望んでいたものではなかった。

考えがまとまる前に、櫻が勢いよく扉を押し開けた。

私はそのまま引きずり込まれた。

白衣姿の彼は、私に背を向けたまま手を洗っていた。

蛇口から流れる水の音が響いていた。

あの背中を、見間違えるはずがなかった。

甘やかすような声が聞こえた。

「櫻、また何をやらかしたんだ?」

櫻は私の手を離すと、駆け寄って後ろから彼の腰に抱きつき、頬を背中に押しつけて甘えるようにすり寄った。

「あなた、外に具合の悪い患者さんがいるの。順番を先にしてもらったんだけど、怒ってない?」

彼は振り向いた。

まず腕の中の彼女を見下ろした。その目は、とろけるように優しかった。

「大丈夫だよ」

そう言ってから、彼は顔を上げ、私を見た。

その瞬間、彼の顔にあった笑みが、少しずつ凍りついていった。

櫻は統真の異変に気づいたのか、不思議そうに声を上げた。

「統真、どうしたの?」

彼女は小首をかしげ、無邪気な口調で言った。

「この患者さんと知り合いなの?」

私は拳を握りしめた。

彼がどう答えるのか、見届けたかった。

統真は我に返った。

一度伏せた目を上げたときには、その眼差しはもう、何の感情も浮かばない冷えきったものになっていた。

彼は私の顔を見た。まるで、見知らぬ他人を見るみたいに。

淡々とした口調だった。

「いや」

彼は少し間を置いた。

「ただの他人だ。知らない人だよ」

頭の中で、何かが弾け飛んだ。

他人。

結婚して五年だった。千八百日を超える昼と夜。

それなのに、彼の中で私はただの他人でしかなかった。

私はその場に立ち尽くし、手足の先まで冷えきっていた。

櫻が何か言おうとしたとき、統真が不意に彼女の手を握った。

「櫻、少し喉が渇いたんだ。下でコーヒーを一杯買ってきてくれないか」

櫻は甘えるような目で彼を見てから、くるりと外へ出ていった。

扉が閉まった、その瞬間だった。統真の顔つきが、完全に変わった。

彼は振り向いて私を見た。

眼差しは冷えきっていて、声を低く落とした。

「何しに来たんだ」

私は口を開いた。けれど、言葉になる前に涙が先に落ちた。

一滴。

二滴。

手の甲に落ちて、熱くて震えた。

「私が来なかったら……」

自分の声が震えているのが聞こえた。みっともないほど震えていた。

「あなたが外で、もう新しい家庭を作ってたなんて、知りもしなかった」

統真は眉をひそめ、苛立ちを隠そうともしなかった。

「このことは俺が悪い」

声はひどく落ち着いていた。

「でも、櫻は何も悪くない」

彼は私を見つめ、一語ずつ区切るように言った。

「彼女には、このことを知られたくない」

彼女には、このことを知られたくない。

その言葉を口にすれば、私がどれだけ傷つくか、彼はわかっていたはずだった。

それでも、彼は気にも留めなかった。

彼が守りたいのは、あの子が少しも傷つかないことだった。

五年分の苦しみが、その瞬間に一気にあふれ出した。

私は駆け寄って、彼の頬を思いきり打った。

彼は顔を横に向けたまま、舌で奥歯のあたりをなぞった。それでも動かなかった。

私は全身が震えていた。

涙で顔はぐしゃぐしゃで、声はかすれて、自分のものとは思えなかった。

「こんなことして、よく私に顔向けできるわね?」

彼はゆっくり顔を戻し、私を見た。

その目に怒りはなかった。罪悪感もなかった。

あったのは、ただ疲れだけだった。

「俺が悪かった」

彼は低く言った。

そのくせ、突然私の手首をつかみ、驚くほど強い力でそのまま外へ引っ張っていった。

「でも、ここは君が来る場所じゃない」

扉の外に出たところで、ちょうど櫻と鉢合わせた。

櫻は駆け寄ってきて、統真が私の手首をつかんでいるのを見た。

それから、涙でぐしゃぐしゃの私の顔を見た。

コーヒーがぱたんと床に落ち、中身があたりに飛び散った。

「何してるの?」

私は彼女に突き飛ばされ、そのまま床に倒れ込んだ。

膝が床に擦れて、痛みで両膝が震えた。

「よくも私を騙して、うちの夫にちょっかいを出してたわね!」

櫻は私に飛びかかりざま、平手を振り上げて私の頬を打とうとした。

私はとっさに彼女の手首をつかみ止め、冷えきった目で見返した。

櫻は冷たく笑い、あからさまに嘲った。

「さっきまであんなに信じてあげてたのに、やっぱりあんた、不倫女だったのね。このババア!」

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