로그인私、鷹司華怜(たかつかさ かれん)と夫の宝生統真(ほうしょう とうま)は、遠距離婚になって五年目だった。 ある日、私は何も言わずに休みを取り、海都行きの切符を買った。 三年ぶりだった。 彼は海都中央病院の外科医で、私はわざわざ彼の診察を予約した。 診察室で彼の前に座って、マスクを外し、彼が呆然とする顔を見たかった。 待合には人が多く、私は受付票を握りしめながら、胸の内で緊張と期待が入り混じるのを感じていた。 隣にいた若い看護師が私をちらりと見て、ふっと笑った。その声には、見慣れたものを見るような軽蔑が混じっていた。 「また宝生先生に言いがかりをつけに来た人がいるわ」 彼女はあからさまに嫌そうな目を向け、わざと私に聞こえるような声で言った。 「やめときなよ。宝生先生と奥さんはすごく仲がいいんだから。奥さんは三年かけて、やっと宝生先生を射止めたのよ。院長令嬢で、若くて綺麗だし。そのお年じゃ、無駄なことはしないほうがいいわ」 私は一瞬、呆然とした。 何か勘違いしていませんか、と言いかけたそのときだった。 けれど看護師は顎を少し上げて、廊下の先を指さした。 「ほら、あの人が宝生先生の奥さんよ」 伊藤櫻(いとう さくら)が私の前まで歩いてきた。 「あなたも、うちの夫に診てもらいに来たんですか?」
더 보기「でも、あなたを援助していた頃、私は別に見返りなんて求めていなかった。まあ、そこまで言うなら、きっちり計算してみましょうか。あなたが毎月よこしていたのは10万円。それでできることなんて、せいぜい家賃を払うくらいでしょう。食費だって、私は切り詰めるしかなかった。でも、昔うちがあなたにかけていたお金は、そんな額で収まるものじゃなかったはずよね?」統真の顔に、一瞬だけ後ろめたさが走った。私がこんなふうに、人前でそれを暴くとは思っていなかったのだろう。周りにいた人たちがすぐさま声を上げ、彼を指さして罵った。「最低。こんなの、人として終わってるでしょ」統真は一気に逆上し、もうどうにでもなれと言わんばかりに吐き捨てた。「こっちは金を出してやってるだけでも十分だろ。それなのに文句まで言うのか。華怜、ほんとに恩知らずだな」ようやく本性を出した。私は最初から、統真がろくでもない人間だとわかっていた。だからあらかじめ手を回して、その場の様子を配信させておいたのだ。これで彼の評判は、完全に地に落ちた。【正直、宝生先生がこんな人だったなんて思わなかった。前はいい人そうだと思ってたのに。本当に人は見かけによらないね】【何がいい人だよ。奥さんがいるくせに伊藤櫻と付き合ってた時点でもうアウトでしょ。こういう男ほんと無理。男って結局、そういうところがだらしないのばっかり】【いやいや、伊藤櫻だって責任あるでしょ。不倫と知ってて入り込んで、本妻まで脅してたんだから。あの家がずっと傾いてるのも納得だわ。あんな一家、ろくなもんじゃない】ネットの空気は一気に変わり、統真の仕事もこれで終わったも同然だった。私が起こした裁判も、当然のように私の勝ちになった。統真には二年の実刑判決が下り、刑務所で自分のしたことを償うことになった。けれど出所した頃には、もう社会から完全に取り残されていた。ほかに頼る先もなく、統真は再び櫻にすがるしかなかった。伊藤家は落ち目だったとはいえ、腐っても大企業だった。けれど櫻は、もう彼の本性を見切ってしまったのだろう。以前のように彼に接することはなくなり、腹が立てば家から追い出すことさえあった。統真はその落差を受け入れきれず、最期は自ら死を選んだ。もちろん、伊藤家も長くはもたなかった。破産したあと、櫻に
それでも、恨みだけじゃないことも認めるしかなかった。私の中には、浩司に対して、今でも消え残った昔の気持ちがあった。浩司がいなくなってから、私は彼に向けていた想いの一部を統真に重ねた。だからこそ、同じように自分から進んで、あそこまで尽くしてしまったのだと思う。浩司は痛ましそうに、私の涙を丁寧に拭ってくれた。それから言った。「華怜、宝生統真のことは、どう片づけたい?」私の目に、ひとすじの憎しみがよぎった。私は容赦なく言った。「ああいう不義理な真似をした以上、ちゃんと法で裁かれるべきよ。でも、それは自分の手でやりたいの」浩司は頷いた。私の気持ちを察したようだった。「あとで弁護士から連絡させる。それから、伊藤家はここ数年かなりやり方が汚い。その証拠も後でお前に送るよ」私は不意に、誰かに背中を守られているような気持ちになった。もう涙は浩司に拭い取られていて、ふいに、二人の間にかすかな熱を帯びた沈黙が落ちた。私は必死で、その空気から目を逸らそうとした。すると浩司が言った。「華怜、この件が全部片づいたら、俺にもう一度ちゃんと向き合う機会をくれないか。今度こそ、きちんとお前に想いを伝えたい」心臓が、ひとつ大きく跳ねた。私は曖昧にしか答えられなかった。「全部終わってから、そのときに……」それから浩司の弁護士が私に連絡を取ってきた。私の希望をひと通り聞いたあと、彼は少し考えてから率直に言った。「鷹司さん、その場合はまず伊藤家の件を表に出したほうがいいでしょう。そうでないと、かなり難しくなります」その後、私はその件を全面的に浩司に任せ、自分は統真のほうに集中することにした。伊藤家は昔から裏も表も知り尽くしていた。ここ数年は表向きには足を洗ったように見せていたけれど、ああいう利権に、誰も未練なく背を向けられるわけがない。結局、また裏に手を伸ばしていたのだ。そしてその証拠が暴かれ、伊藤家の悪事は一気に明るみに出た。株価も大きく揺れた。当然、櫻の立場も無傷では済まなかった。櫻は統真に助けを求めた。けれど、統真自身もすでに泥沼にはまり込み、簡単には抜け出せない状態だった。どれほど櫻を好きでも、裏で手を引いているのが私だと、彼はわかっていた。ここで櫻を助ければ、自分の立場がもっと悪くなる
たしかに私は、その恩に縋るようにして統真との結婚を望んだ。でも、はっきり言ってしまえば、私がいなければ今の統真はいなかった。だから私は鼻で笑って言った。「伊藤さん、まさか本気で、統真が全部自分の力だけでここまで来たなんて思ってるわけじゃないでしょうね。たしかに彼には能力がある。でも伊藤さん、わかってるはずよ。この世界は、能力があるだけじゃどうにもならないって」電話の向こうは、ぴたりと静かになった。彼女も私と同じだった。小さい頃から甘やかされて育った、お金持ちの家のお姫さまだった。だからこそ、そういうことは痛いほどよくわかっていた。すると櫻は急に声を荒らげた。「いったい何がしたいの?統真はもうあなたと結婚までしてくれたのよ?まさか、それでまだ彼の愛まで欲しいわけ?」私はうつむいたまま、黙り込んだ。そうだった。統真はもう、私の望みどおり私と結婚してくれた。それなのに、私はまだ彼に愛されることまで望んでいたのだろうか。急に、ひどく疲れてしまった。もうこれ以上、言い争う気力もなかった。けれど櫻はなおも食い下がった。「海都で私に楯突いたらどうなるか、わかってる?私がひと言口を利けば、あなたなんてすぐに立っていられなくなるのよ」私は答えず、そのまま無言で電話を切った。櫻の言葉は、冗談でも脅しでもないと私はわかっていた。私は統真の性格をよく知っている。どれだけ好きでも、彼は損得を見て、自分にとって得になる相手を選ぶ人だ。ただ、まさか櫻が本当にそこまでするとは思っていなかった。彼女は自分の立場を使ってメディアに話を流し、私を恥知らずな悪女として仕立て上げた。最初は統真に何の力もないからと見下して捨てたくせに、今になって彼が成功したから、またよりを戻そうとしている女だと。櫻が作り上げた物語の中では、統真には何ひとつ落ち度がなかった。ただ私を尊重しすぎて、甘やかしすぎただけで、私の言うままに遠くへ去ったのだと。ひどく傷ついた末に、櫻と出会い、彼女によってようやく心の傷を癒やされたのだと。そこまで読んで、私は口元を引きつらせた。どれだけ筋の通らない話でも、櫻ほどの力があれば本当のことみたいに仕立てられてしまう。案の定、コメント欄を開くと、そこには私への罵倒が並んでいた。【こ
でも私は、なぜか臆してしまった。前の結婚が失敗に終わったせいで、「結婚」という言葉そのものに、どうしても拭えない恐怖を感じるようになっていた。何があっても、心の中にあるあの一線だけは越えたくなかった。「ごめん、浩司」私の拒絶は、きっと浩司にも予想のうちだったのだろう。彼は困ったように首を振って、それから言った。「華怜、お前は何も悪くない。謝る必要なんてないよ。俺はずっとここにいる。もうどこにも行かない。気持ちの整理がついたら、いつでも俺のところに来ればいい」その言葉を聞いた瞬間、私はとうとう涙をこらえきれなくなった。本当に、浩司は優しかった。だからこそ、私は彼を統真への当てつけに使うべきじゃなかった。それでも、統真のしたことを思い出すたびに、胸の奥がどうしようもなく苦しくなった。だから私は浩司を見て言った。「浩司、やり返したい」すると浩司は、意外にもかすかに笑った。「わかってる。華怜、お前のやりたいようにすればいい。俺はずっとお前の味方だ」そのまっすぐな言葉を聞いた途端、私はもう耐えられなかった。一度溢れた涙は、もうどうしても止められなかった。父が亡くなってから、こんなふうに私に向き合ってくれる人はいなかった。私を信じてくれる人も、いなかった。私が何を言っても、何をしても、統真はいつだって見て見ぬふりだった。まるで、最初からこの結婚なんて存在しなかったみたいに。でも、私は納得できなかった。どうして。どうして彼だけがあんなふうに振る舞えて、私は何もできないままでいなければならないの。そのとき、浩司がふいに私を抱き寄せた。何も言わず、慰めるように私の背中をそっと撫でてくれた。昔みたいに、このまま何も言わないのだろうと思っていた。けれど浩司は、不意に低い声で言った。「ごめん」どうして彼が私に謝るのか、正直わからなかった。本当なら、私の前で土下座して謝るべきなのは統真のほうなのに。なのに、今こうして私のそばにいる人のほうが苦しそうに罪悪感を抱えている。そのことに気づいて、私は少しだけ悲しくなって、そっと彼の肩に頭を預けた。小さい頃から、私たちはいつもこうやって慰め合ってきた。すると浩司は、さらに続けた。「華怜、ごめん。お前の家が大変なことになっ
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