LOGIN母は一生をクリニックに捧げ、診察料はたったの五百円しか取らなかった。 僕がクリニックを引き継いでからも、母の教えを守り、誠心誠意、村人たちの治療に当たってきた。 だが、あるインフルエンサーに診察料の五百円を請求したことがきっかけで、ネット上で「悪徳クリニック」「金のために命を弄ぶ」と激しく非難された。 村中の老若男女が僕のもとに押しかけ、取り過ぎた金を返せと迫ってきた。 僕は彼らの望み通り、すべての診察料を返金し、自らの手でクリニックを閉めた。 「皆さんのご希望どおり、クリニックは閉鎖します。 今後、体調を崩された場合は、三十キロ離れた市立病院で受診してください。どうかご自愛を」 ところが翌日、再び人々は僕の家の前に集まった。 ただし今度は、クリニックを再開してほしいと懇願するためだった。
View More今や僕は、その高級私立病院で揺るぎない地位を築いていた。確かな臨床の基礎力と、あの村での五年間で積み重ねた経験を武器に、僕はすぐに助手の中から頭角を現した。三か月後、難度の高い冠動脈バイパス手術において、僕は急遽執刀を任され、寸分の狂いもなく手術を成功させた。その一件で、僕は一躍名を上げた。院長は異例の判断で、僕を心臓血管外科の主治医クラスへ引き上げた。給与は倍になり、病院のストックオプションまで与えられた。ここには、道徳の押し付けも、不条理な言いがかりもない。患者の多くは高い教養を持つ人たちで、技術を尊重し、医師という職業にも敬意を払ってくれた。「大城先生、お疲れさまでした」そんな心からの一言が、僕に医師としての誇りを取り戻させてくれた。もうあの村の人間とは、一生関わることはない。そう思っていた。だが、彼らは突然、僕の住むマンションの下に現れた。村長を先頭に、村中の人間が集まって、その場にひざまずいていた。窓越しに見る彼らは、涙を流しながら自分の頬を叩き、必死に許しを乞うていた。「大城先生、俺たちが間違っていました……欲に目がくらんでたんです」「どうかもう一度だけ、機会をください」僕はカーテンの陰に立ったまま、その光景を見つめていた。やがて母が隣に来て、小さくため息をついた。「身から出た錆ね。私は四十年、あの村で彼らを診てきた。あんたも五年……四十五年も尽くしたんだから、父さんが亡くなった時に受けたあの程度の情けなんて、もう十分に返し終えたはずだ」僕はその話をそれ以上続けず、母に向かって微笑んだ。「母さん、旅行に行こう。ずっと海を見てみたいって言ってただろう?ちょうど有給休暇も残ってる。一緒に行こう」母は一瞬驚いたように目を見開き、やがて、涙をにじませながら微笑んだ。「そうだね」
しかし、そんな景気のいい空気は長く続かなかった。わずか一週間後、SNSや配信のコメント欄で、一部の人々の態度に変化が見られた。村人たちの書き込みが相次ぐ。【この司先生、市立病院より高くないか?診察料最低でも二千円からって……】【ほんとそれ!薬もやたら高いし、飲んでも効かないどころか、うちの子の熱がもっとひどくなった!】【やっぱり大城先生のほうが良かった……五百円の診察料で治ったのに……】だが、こうした不満のコメントはすぐに未桜の配信モデレーターによって削除されていった。その夜、未桜は配信で涙ながらに訴えた。「みなさん、司先生が言ってました。皆さんの病気が治らないのは、あの悪徳医者、大城が長年粗悪な薬を使い続けたせいで、体そのものが弱ってしまっているんです!今飲んでいる高い薬は、その毒を排出するためのものなんです」事実を捻じ曲げたその言葉は、再び無知な村人たちを煽り立てた。そして怒りの矛先は、またしても僕へと向けられた。やがて僕は、裁判所からの訴状と期日呼出状が届いた。彼らは結託し、「粗悪薬の使用による身体への損害」を理由に、巨額の賠償を求めて僕を訴えてきたのだ。その書面を手にしても、怒りは湧かなかった。ただ、呆れるほど滑稽に思えた。この間、僕は何もしていなかったわけではない。あの司医師を見た時点で、僕はすぐに私立探偵を雇い、その正体を調べさせていた。同時に、彼が村人に処方していた「特効薬」をいくつか入手し、専門の検査機関へ回していた。そして今、そのすべての結果が、僕の手元にある。開廷当日、未桜と村人たちが金を出し合って雇った弁護士は、流れるような弁舌で僕を追及した。悠や青木さんらは「被害者代表」として証言台に立ち、涙ながらに僕の罪を訴えた。傍聴席には司医師とその他の村人たちが座り、僕を睨みつけていた。だが僕は動じることなく、すべての証拠を順に裁判官へ提出した。「裁判長、こちらが僕の提出する証拠です」僕は最初の資料を示し、落ち着いた声で続けた。「これは薬剤の検査報告書です。司医師が特効薬と称しているものの主成分は、でんぷんと微量のビタミンにすぎません。原価は百円にも満たない。それを数万円で販売してる、これは明白な偽薬です」法廷がどよめいた。未桜と司医師の顔が、一
その声で、全員の視線が一斉にこちらへ向いた。「本当に大城先生だ。ああ、やっと会えた」「大城先生、ちょっと来てくれ。この病院、ひどすぎるんだ!」彼らは一斉に押し寄せ、あっという間に僕の行く手を完全に塞いだ。顔には馴れ馴れしい笑みを浮かべ、これまでのいざこざなど最初からなかったかのようだ。一方で、未桜は顎を少し上げ、当然のように命じてきた。「大城さん、ちょうどいいところに来たわね。渡辺さんの子どもを診てあげて。熱が高いのに、この病院は待ち時間が長すぎるのよ」それを受けて、渡辺さんもすぐに子どもを僕の前へ押し出した。「大城先生、うちの子、もう二日も熱が下がらないんだ。この病院は血液検査だなんだって、やたら手間ばかりかけて、なかなか薬も出してくれない。先生が一番経験あるんだから、ちょっと胸の音を聞いて、薬を出してくれよ!」青木さんも割り込んできて、しわくちゃのCTの報告書を僕の胸に押しつけてきた。「そうそう、大城先生、これも見ておくれよ。この医者は骨棘があるって言って、リハビリを勧めてくるんだけど、ぼったくりじゃないのかい?あんたがちょっとマッサージしてくれればそれで済むだろう?」次々と差し出される手を前に、僕は一歩後ろへ下がった。「今の僕は医者じゃない。ただの患者の付き添いだ。診てもらいたいなら、ここの医者に頼め」そう言い残し、体をずらして彼らを避けようとした。すると未桜が焦ったように前へ出て、僕の前に立ちはだかった。「大城、調子に乗らないでよ!みんながあんたに診てもらうって言ってるんだから、ありがたいと思いなさいよ!今まで散々ぼったくってきたんだから、タダで診るくらい、あんたがみんなに返すべき借りでしょ」青木さんも僕の袖をぐいと掴んだ。「そうだよ!何だいその言い方は!みんな同じ村の仲間だろう?ちょっと手を貸すだけの話じゃないか、なんでそんな偉そうにするんだい」「離せ」僕は強く振り払った。その勢いで青木さんはよろめき、危うく未桜にぶつかりそうになった。僕はその場にいる全員を見渡し、冷ややかな声で言い放った。「まず言っておく。クリニックは君たち自身の手で潰した。ネットで僕を悪徳医者だの無能だのと罵り、診る資格がないと決めつけたのも君たちだ。その僕に、今さら何を求め
「先生……僕が間違っていました」僕は声を落として言った。「もう村は離れました。クリニックも閉めました」「それでいい!むしろ遅すぎたくらいだ!」金井教授の口調は、ようやく少し和らいだ。「外に出た以上、もうあんな厄介ごとは忘れろ。今はネットでいろいろ言われているだろうが、腕さえあれば食いっぱぐれることはない。ちょうどいい、僕の教え子が市内で高級私立病院を開いていてね、人手を募集してる。君のことは話しておいた。人材を惜しむ性格でね、ぜひ来てほしいと言ってる」そこまで言ってから、金井教授は少し言い淀んだ。「ただな、晶。君は基礎は申し分ないが、村に長くいた分、今の病院の現場からはやや離れてる。それに世間の評判も今はよくない。だから、いきなり主治医クラスの待遇にはできない。まずは助手として手術に入り、現場の感覚を取り戻すところからだ。それでも構わないか?」「やります!」僕はほとんど間を置かずに答えた。「ありがとうございます、先生!こんな僕に手を差し伸べてくださって……」今の僕にとって、それは千載一遇の再起の機会だった。たとえ助手からの出発で、冷たい視線や苦労が待っていようとも……自分の腕さえあれば、いずれ必ず取り戻せる。そう信じていた。その後の二日間、僕はまるで独楽のように動き回った。昼は市内で物件を見て回り、契約の手続きを進め、私立病院の面接準備に追われた。夜は病院へ戻り、母の看病――体を拭き、食事を口に運ぶ。目の下の隈を見て、母は胸を痛め、涙ぐんだ。「晶……母さんのせいで苦労をかけてしまって……こんなふうに行ったり来たりさせて……」僕は微笑みながら、布団の端を整えてやった。「何言ってるんだよ。今は目標ができたんだ、多少大変でも気持ちは前向きだよ。面接に受かったら、今度は市内に引っ越そう。広い家に住んで、もうあの人たちに振り回されることもない」母の病室を出て、支払いに向かおうとしたそのとき、ロビーで見覚えのある顔が目に入った。未桜、青木さん、渡辺さん……村の連中だ。案内カウンターの前に群がり、顔を真っ赤にして看護師に詰め寄っていた。「なんでこんなに高いんだい!CTを一回やるだけで六千円以上?ぼったくりじゃないのか!」青木さんは請求書を振り回し、唾を飛ばして叫んで