楽しい時間はあっという間に過ぎていった。気がつくと、太陽はもう西へ沈んでいた。内海唯花は一日中ずっと歩いていたので、家に着き、お風呂に入って、ベッドに横になるとすぐに夢の世界へ入っていった。おばあさんは彼女が部屋に入ると、昨日のようにまた同じようなことを仕掛けようと思っていたが、部屋に入った時、内海唯花がもうぐっすりと眠っているのを見て、今夜は一芝居のできる舞台を失ってしまった。内海唯花の部屋を出て、孫が心ここにあらずという様子でリビングのソファに座ってテレビを眺めているを見て、おばあさんは少し腹が立ってきた。彼女は近づくと、結城理仁の手からリモコンを奪い取り、不満をこぼした。「家に帰ってから何も言わなかったし、やるべきこともやってないんじゃない?」結城理仁はおばあさんを見ながら、不思議そうに言った。「自分の家にいるんだ。言わなきゃいけない言葉と、やらなきゃいけない事とは一体何なんだ?」今日、彼の収穫はなかなかなものだった。内海唯花と手を繋ぐことができた。しかも、一日中ずっとだ。内海唯花も何かあったら彼に言うようになり、彼への信頼がどんどん高まってきている。おばあさん「……」「ばあちゃん、一日ずっと歩いてたから、もう疲れただろう。清水さんに客室を片付けるように頼もうか?」おばあさんは仕方がなく「うん」と返事した。実は、結城理仁の指示がなくても、清水はとっくに客室を片付けていた。「理仁、あなたも早く休んでちょうだいね」おばあさんは彼に一言を残し、客室へ行った。結城理仁はしばらくリビングに座ってから、テレビを消し、自分の部屋に戻った。部屋に入ると、すぐ九条悟に電話をかけた。「ちょうど今電話できるかと君にメールで確認するところだったんだよ。気が合うじゃないか」結城理仁は部屋のソファに座り、淡々と尋ねた。「電話って何か用か?」「明日午前十時に、カフェ・ルナカルドで牧野さんを待ってるって奥さんに伝えて。奥さんに頼んで、それを牧野さんにも伝えてもらってくれよな」結城理仁は笑った。「結構積極的じゃないか?今回のお見合い」「せっかく君が紹介してくれた人だろう。理仁の面子を考えても、ちゃんとしないとな」「わかった。あとで妻に伝える。牧野さんにも伝えるよう頼んでやるよ。ちゃんとしろよ、牧野さんのお目
九条悟はこころよく返事した。「いつ必要だ?」「早ければ早いほどいい」「じゃ、明日かな、間に合う?」「間に合う」明日はちょうど離婚話をする日だ。佐々木俊介の財産についての証拠が手に入れば、心強くなる。「君はお義姉さんの離婚の件のために、本当に全力尽くしてるね。自分の会社の仕事でさえこれほど関心を持ったことがないくせに」結城理仁は少し黙ってから、また口を開けた。「妻は俺にとても感謝しているしな」「感謝してるだけで、それは愛じゃないだろう。もっと君に惚れさせるようなことをしないと。でも、まあ、実の姉の問題を解決してあげたなら、君に対する評価も高くなるだろう。そうすれば、どんどん君に頼って、いつの間に恋が生まれる可能性もあるだろうね」九条悟には彼女はいないが、状況の整理ならちゃんとできるのだ。状況を分析してから、彼はまた結城理仁に尋ねた。「逆に聞くけど、ちゃんと奥さんのことを愛しているのか?もし奥さんを君にめちゃくちゃ惚れさせといて、結局お前自身が全くその気がないなら、奥さんの感情を弄ぶクズになるぞ」結城理仁は気まずくなった。「……じゃ、誰かを好きなったらどんな反応が出てくる?手を繋ぐだけで緊張してドキドキするのは恋をしていることか?彼女が笑うと、自分もうれしくなって、彼女にキスしたくなることも?」「わお、理仁、すごいじゃないか。もうそこまでいってんのかよ。君は誰かを凍らせる冷たい顔をしたり、人を睨んだり、無視したりしかできない人だと思ってたぞ」結城理仁は今すぐに電話を切りたい衝動が湧いてきた。何も構わず彼をからかうことができるのは九条悟しかいない。これはしょうがないことだ。すぐに正確な情報を集めることができるのは九条悟の右に出るものはいないから。「結構前から言ってただろう。スピード婚の相手を絶対に気にかけてるって。その時は、死んでも認めなかったな。奥さんがただ金城琉生とご飯を食べただけで、勝手にキレて、ヤキモチを焼きながらも、そんなもんは焼いてないとか言ってただろ。もう、お前さ、ヤキモチ焼いた時本当に怖いぞ、知ってるか?」結城理仁は暗い顔をした。「ヤキモチなぞ知らん!」「そんなん信じるもんか!まあ、とりあえず、先に電話して人に頼んで、佐々木俊介の財産を調べるわ。それに、彼の家族の名目のもとに、大金の貯金が
しかし、結城理仁はただ頭でいろいろな策を立てるだけで、実行はしなかった。あの無駄に高いプライドが彼にこそこそするような真似をするのを妨げていた。すると、彼は寝返りを打っているうちに、うとうとし始め、いつの間にか夢の世界に落ちた。一方、あるマンションにて。佐々木俊介がベッドヘッドのタンスから煙草を取り出し、火をつけようとした時、隣の女は手を伸ばして言った。「私にもちょうだい」佐々木俊介は取り出した煙草を成瀬莉奈に渡し、火をつけてあげた。「たまに一本吸うだけでいい」佐々木俊介はあまり煙草を吸わなかった。取引先と商談のための接待で、たまに吸うだけで、普段何か考え事がない以上、煙草を手に取ることはまずないのだ。唯月は男がよく煙草を吸うのが嫌いで、口が臭くなると思っていた。成瀬莉奈はよく煙草が吸うが、普段淑やかな淑女のふりをしなければならないから、佐々木俊介の前では一切吸ったことがなかったが、いま佐々木俊介と最後の一線も超えて、唯月と離婚の準備もし始めたことで気が緩んでいる。だから、彼女はその偽装はもう必要じゃないと思い始めた。今後一緒に生活すると、いつかばれることだから。彼女は煙草を半分くらい吸ってから、佐々木俊介の肩にもたれかかり、優しい声で聞いた。「何かあったの?」「ないよ」成瀬莉奈は笑いながら、柔らかい手が誘うように彼の胸を軽く触った。「どうしたの?あのブスと離婚したくなくなった?」「まさか?ただ離婚協議書に何を書けばいいのかと考えてるんだ。親に唯月に四百万をやろうかと相談したけど、それは多すぎると言われたんだ。姉も同じ意見で、唯月が結婚してから全くお金を稼いでないから、そんなに多く分けなくてもいいって。でもさ、どう言っても結婚して一緒に生活したことがある仲だろう。それに、俺が先に浮気をしたから。そこまで厳しくしなくてもいいと思って。それに、唯月に四百万あげたら、彼女もこれ以上しつこくできないだろう。万が一、俺らのことをあちこち言って騒いだら、俺らの名誉も傷付くんじゃないかって」成瀬莉奈は煙草の火を消してから言った。「ご両親とお姉さんはあなたの家族だもんね。もちろん俊介のことを考えてああいうんだよ。だから、ちゃんと家族のアドバイスを考えるのは悪いことじゃないと思うよ」すると、彼女はまた甘えた声でねだった。
成瀬莉奈はいい気をしていないが、顔には出さなかった。彼女はまだ佐々木家の嫁になってないから、このようなことに口を出すのはよくないのだ。下手して佐々木俊介の機嫌を損ねると、彼の家族の反感も買うかもしれない。佐々木陽はまだ2歳ぐらいで、物心があまりついておらず、自分でできることも少ない。今後彼女の顔色を伺う生活をしなければならないから、懲らしめる機会ならいくつもある。今は急がなくてもいいのだ。「いいんじゃない?」成瀬莉奈は離婚協議書を佐々木俊介に渡した。「二枚コピーしてあげるから、明日あの女に持っていってサインしてもらって。二人は一枚ずつ持って、来週の月曜日に役所へ行ったら離婚の手続きができるでしょ」佐々木俊介は笑った。「俺より急いでるな」「そんなことないもん」成瀬莉奈も笑いながら佐々木俊介に離婚協議書をコピーしてあげた。その夜、二人は結婚して幸せに一緒に生活している夢を見た。夜はあっという間に明けた。翌日、内海唯花は起きてから、すぐ結城理仁がドレッサーに置いた紙を見つけ、牧野明凛に電話をした。「唯花、まだ眠いよ」牧野明凛は目も開けず、欠伸をしながら電話に出た。「昨日遅くまで起きていたの」内海唯花は笑った。「絶対起きてないと思った。メッセージ送っても絶対見ないから電話したの。結城さんの同僚は今日午前十時にカフェ・ルナカルドで待ってるって。印として、一輪の赤いバラを持っていくみたいで」「……言われなかったら、今日お見合いするのを忘れるところだったわ」牧野明凛は目を開け、ようやくベッドから身を起こした。「またルナカルドなの?わかった、遅刻しないからね」早めには帰るかもしれないが。「じゃ、ちゃんと目覚まし時計を設定して。電話を切るよ」「唯花、一緒に行かないの?」牧野明凛は毎回お見合いをするとき、唯花に頼んで付き合ってもらい一緒に行っていた。内海唯花のさっきまでの軽い口調はがらりと重くなった。「お姉ちゃんが今日、佐々木俊介と離婚の話をするんだ。私はお姉ちゃんの唯一の家族だから、行かないと」「そうだね、ちゃんと唯月姉さんを支えないと、佐々木家のやつらにいじめられるかもしれないよ。そういえば、昨日の晩、あのクズ男がうちの店に来たよ。陽ちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんが陽が恋しくなったから、迎えに来たっ
内海唯花は少し考えて言った。「陽ちゃんをかくまってもらえる場所なんてある?」彼女の住んでいるところは佐々木俊介に知られている。内海家の実家のほうには頼れる人はいない。姉があの親戚たちのところに息子を預けて安心できないのは言うまでもなく、もちろん唯花も安心できない。牧野明凛は言った。「姫華さん、彼女に頼んでみたらどう?彼女って神崎家のご令嬢でしょう。住んでいるところはどれもセキュリティーがかなりしっかりしているお宅だと思うの。それに神崎グループという巨大な後ろ盾もあるから、佐々木家のやつらがどんだけ度胸があっても、神崎家とは事を構えたくないでしょ。あいつらだって陽ちゃんが神崎家にいるなんて思ってもみないわよ。姫華さんも陽ちゃんを気に入っているし、陽ちゃんが姫華さんのところにいれば、きっとしっかり面倒を見てくれるはずよ」内海唯花はそれを聞いて両目をキラリと輝かせた。「そうだわ。姫華がいるじゃない、後でお姉ちゃんと相談して、それでいいって言われたら、姫華に陽ちゃんのお世話をお願いしてみよう」「姫華さんも言ってたじゃない。何か彼女の力が必要な時には遠慮せずに相談してくれって。唯花、時には現実に逆っても、どうしようもないことってあるよね。この不公平な世の中じゃ、お金持ちで権力がある人のほうがうちらみたいな人よりも簡単に物事を進められるわ」牧野明凛がこの時、もし何も構わずに言っていたら、こう言ったことだろう。「神崎姫華ができることなら、遠慮せずに頼んだ方が手っ取り早い」と。内海唯花は仕方がなく、親友の話を受け入れるしかなかった。電話を終えて、内海唯花はLINEを開き、神崎姫華が昨日彼女に送ってきた姫華の母親姉妹の小さい頃の写真を見た。彼女はその時、山荘で遊んでいて、ちらりとその写真を見ただけで、じっくりとは見ていなかったのだ。今もう一度その写真を見てみた。内海唯花は姫華の叔母が小さい頃は本当に純粋で可愛いと思った。スカートを穿いていて、髪は左右におさげを作り、無邪気に笑っていた。それを見つめているうちに、神崎姫華の叔母は少し陽に似ていると思った。子供が小さい時というのはみんな同じ感じなんだろうか?「プルプルプル……」電話の呼び出し音に急かされて、内海唯花はその疑問から引き戻された。それは姉からの電話だった。彼女は急いで電話
「お姉ちゃん、効果があるかはわからないけど、とりあえず警察に通報して処理してもらいましょう」「わかったわ。今から警察に電話する」「佐々木俊介の両親たちは?」「陽を車で連れ去って行ったわ。たぶん俊介のところに行ったんじゃないかしら。あいつ昨日は一晩中帰ってこなかったから」内海唯花は少し考えてから言った。「お姉ちゃん、警察に電話して。私と理仁さんで佐々木俊介の実家のほうへ行ってみるわ。あとあいつの姉の家にも。あいつらが陽ちゃんを連れ去ったのなら、きっと彼らの実家のほうへ帰っているはずよ」姉と佐々木俊介はもうすぐ離婚する。子供の親権はまだどちらが持つのか決まっていない。佐々木家側が陽を連れ去っても、警察に通報したとして、恐らく和解を勧められるだけだろう。もしそれができなければ、裁判での離婚訴訟中に一気に解決するしかない。佐々木家側の人間は、確かに陽の家族ではあるが、陽は生まれてからというもの、ずっと唯月姉妹が面倒を見てきた。だから陽の佐々木家に対する感情は深くない。陽は初めて行く場所に行って、母親や叔母の姿が見当たらないと、絶対に怖がって泣きわめくことだろう。その時に佐々木家の人間がどのように陽を扱うかわかったものではない。「お姉ちゃん、あいつらが陽ちゃんを連れ去る時、他に誰かその様子を見ている人はいなかった?」内海唯花が結城理仁と一緒に佐々木英子の夫である柏木家に行ったとしても、陽が見つからないかもしれないと心配していた。そして、相手はどうしても自分たちが連れ去ったという事実を認めず、逆に姉がちゃんと子供を見ていなかったせいで、子供が失踪してしまったと彼女を責め始めるかもしれない。「見ている人はいたわ。義母が私に彼女をおばあちゃんなのに孫に会わせてくれないから、孫のことが恋しくなってしかたなく、このような方法を取るしかなかったとか言ってきてね。周りの人たちは他人の家庭内のことだと思って、巻き込まれたくないから私のために口を合わせてくれることなんてないと思うわ」「お姉ちゃん、焦っちゃだめよ。落ち着いて、先に警察に連絡して。私と理仁さんが今から柏木家のほうへ行ってみるわ。あなたは通報したら、佐々木俊介に電話して、彼に陽ちゃんにこんなことをするのは良くないって、陽ちゃんを驚かせちゃうって伝えて」唯月は恨むように言った。「あいつには電
結城理仁と内海唯花は急いで家を出て行った。理仁は歩きながら結城辰巳に電話をかけた。朝早い時間で、結城辰巳はまだ夢の中だった。電話がしばらく鳴り響き、結城辰巳はようやく電話に出た。「兄さん、何か用?」結城辰巳は目を開けて着信表示を見て電話に出ると、また目を閉じた。週末は何もないから、彼は昼まで寝てからようやく起きてくるのだ。「辰巳、一番下の奴以外、全員に連絡しろ。みんな……内海さん、お姉さんの夫の家のほうへは高速に乗る必要があるかな?どこから乗ったらいい?」「ええ、乗るわ。高速で四十分くらいの道のりよ。XXインターチェンジから乗って」結城理仁はまた電話の向こうの弟に言った。「お前ら全員XXインターの入り口で俺と内海さんが来るのを待っていてくれ。ちょっと厄介なことが起きた。お前たちの助けが必要なんだ」兄弟、従兄弟九人が必要だと聞いて、いや、一番年下の奴は未成年だから、その中には含まれないな。結城辰巳は心配して尋ねた。「兄さん、何があったんだよ?」兄弟、従兄弟たちが勢揃いする必要があるなんて一体どういうことだ。「内海さんの甥っ子が連れ去られた。内海さんの姉さんは旦那と離婚途中で、まだ成立していない。夫側が離婚前に子供を連れ去ったんだ。この状況だから、警察に通報してもほとんど意味がないだろう。俺らは自分で陽君を取り返すしかない」結城家と唯月一家三人は家で集まり一緒に食事をしたことがある。結城辰巳は陽への印象が深かった。その陽が連れ去られたと聞いて、彼の眠きは一気に吹き飛び、ベッドから起き上がると、下りながら言った。「兄さん、奥さんに心配しないでって伝えてくれよ。俺、すぐにあいつらに連絡するからさ」「あいつらに急いでXXインターに来るように伝えてくれ。一緒に佐々木俊介の実家に行くぞ。陽君はきっと奴の実家のほうに連れて行かれているはずだ」「わかったよ」通話を終えた後、結城辰巳は家族のグループチャットで弟たちに連絡しようと思ったが、この時間はまだ朝早く、みんながグループチャットには気づかないと思ったので、直接一人一人に電話をすることにした。週末だから、結城家の坊ちゃんたちは、みんな星城にいた。兄嫁の甥が連れ去られたと聞いて、電話で連絡を受けた彼は全くためらわず、どれも急いで家を出て、XXインターの入り口に走り
おばあさんと清水の二人は久光崎に着くと、すぐに唯月の家へと向かった。エレベーターを降りた瞬間、喧嘩している怒声が聞こえてきた。それに驚いた隣近所の多くの人たちが家の玄関前に来て野次馬になっていた。「俊介、このクソ野郎、息子を返しなさい。佐々木家一家はみんなクズ揃いね!普段は陽のことをおもちゃの人形かなにかと思ってるくせに、自分らが陽と遊びたい時だけちょっと遊んで、いつも陽を泣かせたら、さっさと立ち去るくせに。陽はもう2歳5か月よ。あんたら祖父母として彼に洋服を買ってくれたことがある?おもちゃすら買ってくれたことないでしょ?それなのに、今になって陽のことが恋しくなったって?陽のことを思っているなら、今まであんたらが陽に会うのを私が邪魔したことなんかあった?」唯月は佐々木俊介の両親と姉に、彼女が俊介に殴りかからないようしっかりと掴まれていた。彼女はまるで狂ったかのように、力いっぱいもがき、泣きながら罵声を上げていた。おそらくおばあさん達が到着する前に、彼女は彼らとひと悶着あったようで、彼女はこの時、髪の毛が乱れ、声は枯れていた。それでもまだ懸命に彼らの制止を振り切ろうともがいていた。「パンパンッ――」佐々木英子は手を大きく振り上げ、唯月に二発のビンタを食らわせた。そして彼女は罵った。「陽ちゃんはうち佐々木家の孫なのよ。あんたと弟はもうすぐ離婚するだろ。離婚したら陽ちゃんは当然うちら佐々木家のものよ。うちらが佐々木家の孫を連れて行くのはうちらの勝手だろうが。それ以上泣き叫ぶってんなら、あんたの舌を切り落としてやろうか」唯月は義姉に二回ビンタをされて、さらに激しさを増し、必死に彼らの制止を振り切ろうともがいた。それで佐々木家の父と母は彼女を押さえ込むことができなくなった。佐々木英子はそれに気づいて急いで両親を加勢した。おばあさんと清水は人込みをかき分け、玄関先へとやって来た時、ちょうどこのシーンを目撃してしまった。おばあさんの血圧は最高潮に達して血が噴き出るほどだった。そして、おばあさんは何も考えずに突っ込んで行き、清水はその後に続いた。神崎怜凰の言葉を借りて言えば、結城家のおばあさんは若かりし頃、かなりの情報通で、彼女に知らないことなどないくらい、とてもすごい人だったらしい。退職してからは誰かに手を出したことはなかったが
神崎詩乃は冷ややかな声で言った。「あなた達、私の姪をこんな姿にさせておいて、ただひとこと謝れば済むとでも思っているの?私たちは謝罪など受け取りません。あなた達はやり過ぎたわ、人を馬鹿にするにも程があるわね」彼女はまた警察に言った。「すみませんが、私たちは彼女たちの謝罪は受け取りません。傷害罪として処理していただいて結構です。しかし、賠償はしっかりとしてもらいます」佐々木親子は留置処分になるだけでなく、唯月の怪我の治療費や精神的な傷を負わせた賠償も支払う必要がある。あんなに多くの人の目の前で唯月を殴って侮辱し、彼女の名誉を傷つけたのだ。だから精神的な傷を負わせたその賠償を払って当然だ。詩乃が唯月を姪と呼んだので、隼翔はとても驚いて神崎夫人を見つめた。佐々木母はそれで驚き、神崎詩乃に尋ねた。「あなたが唯月の伯母様ですか?一体いつ唯月にあなたのような伯母ができたって言うんですか?」唯月の母方の家族は血の繋がりがない。だから十五年前にはこの姉妹と完全に連絡を途絶えている。唯月が佐々木家に嫁ぐ時、彼女の家族はただ唯花という妹だけで、内海家も彼女たちの母方の親族も全く顔を出さなかった。しかし、内海家は六百万の結納金をよこせと言ってきたのだった。それを唯月が制止し、佐々木家には内海家に結納金を渡さないようにさせたのだ。その後、唯月とおじいさん達は全く付き合いをしていなかった。佐々木親子は唯月には家族や親族からの支えがなく、ただ一人だけいる妹など眼中にもなかった。この時、突然見るからに富豪の貴婦人が表れ、唯月を自分の姪だと言ってきたのだった。佐々木母は我慢できずさらに尋ねようとした。一体この金持ちであろう夫人が本当に唯月の母方の親戚なのか確かめたかったのだ。どうして以前、一度も唯月から聞かされなかったのだろうか?唯月の母方の親族たちは、確か貧乏だったはずだ。詩乃は横目で佐々木母を睨みつけ、唯月の手を取り、つらそうに彼女の傷ついた顔を優しく触った。そして非常に苦しそうに言った。「唯月ちゃん、私と唯花ちゃんがしたDNA鑑定の結果が出たのよ。私たちは血縁関係があるのあなた達姉妹は、私の妹の娘たちなの。だから私はあなた達の伯母よ。私のこの姪をこのような姿にさせて、ひとことごめんで済まそうですって?」詩乃はまた佐々木親子を睨
一行が人だかりの中に入っていった時、唯花が「お姉ちゃん」と叫ぶ声が聞こえた。陽も「ママ!」と叫んでいた。唯花は英子たち親子が一緒にいるのと、姉がボロボロになっている様子を見て、どういうわけかすぐに理解した。彼女はそれで相当に怒りを爆発させた。陽を姉に渡し、すぐに後ろを振り向き、歩きながら袖を捲り上げて、殴る態勢に移った。「唯花ちゃん」詩乃の動作は早かった。素早く唯花のところまで行き、姉に代わってあの親子を懲らしめようとした彼女を止めた。「唯花ちゃん、警察の方にお任せしましょう」すでに警察に通報しているのだから、警察の前で手を出すのはよくない。「神崎さん、奥様、どうも」隼翔は神崎夫婦が来たのを見て、とても驚いた。失礼にならないように隼翔は彼らのところまでやって来て、挨拶をした。夫婦二人は隼翔に挨拶を返した。詩乃は彼に尋ねた。「東社長、これは一体どうしたんですか?」隼翔は答えた。「神崎夫人、彼女たちに警察署に行ってどういうことか詳しく話してもらいましょう」そして警察に向かって言った。「うちの社員が被害者です。彼女は離婚したのに、その元夫の家族がここまで来て騒ぎを起こしたんです。まだ離婚する前も家族からいじめられて、夫からは家庭内暴力を受けていました。だから警察の方にはうちの社員に代わって、こいつらを処分してやってください」警察は隼翔が和解をする気はないことを悟り、それで唯月とあの親子二人を警察署まで連れていくことにした。隼翔と神崎夫人一家ももちろんそれに同行した。唯花は姉を連れて警察署に向かう途中、どういうことなのか状況を理解して、腹を立てて怒鳴った。「あのクズ一家、本当に最低ね。もしもっと早く到着してたら、絶対に歯も折れるくらい殴ってやったのに。お姉ちゃん、あいつらの謝罪や賠償なんか受け取らないで、直接警察にあいつらを捕まえてもらいましょ」唯月はしっかりと息子を抱いて、きつい口調で言った。「もちろん、謝罪とか受け取る気はないわよ。あまりに人を馬鹿にしているわ!おじいさんが彼女たちを恐喝してお金を取ったから、それを私に返せって言ってきたのよ」唯花は説明した。「あの元義母が頭悪すぎるのよ。うちのおじいさんのところに行って、お姉ちゃんが離婚を止めるよう説得してほしいって言いに行ったせいでしょ。あ
佐々木親子二人は逃げようとした。しかし、そこへちょうど警察が駆けつけた。「あの二人を取り押さえろ!」隼翔は親子二人が逃げようとしたので、そう命令し、周りにいた社員たちが二人に向かって飛びかかり、佐々木母と英子は捕まってしまった。「東社長、あなた方が通報されたんですか?どうしたんです?みなさん集まって」警察は東隼翔と知り合いだった。それはこの東家の四番目の坊ちゃんが以前、暴走族や不良グループに混ざり、よく喧嘩沙汰を起こしていたからだ。それから足を洗った後、真面目に会社の経営をし、たった数年だけで東グループを星城でも有数の大企業へと成長させ、億万長者の仲間入りをしたのだった。ここら一帯で、東隼翔を知らない者はいない。いや、星城のビジネス界において、東隼翔を知らない者などいないと言ったほうがいいか。「こいつらがうちまで来て社員を殴ったんです。社員をこんなになるまで殴ったんですよ」隼翔は唯月を引っ張って来て、唯月のボロボロになった姿を警察に見てもらった。警察はそれを見て黙っていた。女の喧嘩か!彼らはボロボロになった唯月を見て、また佐々木家親子を見た。佐々木母はまだマシだった。彼女は年を取っているし、唯月はただ彼女を押しただけで、殴ったり手を出すことはしなかったのだ。彼女はただ英子を捕まえて手を出しただけで、英子はひどい有り様になっていた。一目でどっちが勝ってどっちが負けたのかわかった。しかし、警察はどちらが勝ったか負けたかは関係なく、どちらに筋道が立っているかだけを見た。「警察の方、これは家庭内で起きたことです。彼女は弟の嫁で、ちょっと家庭内で衝突があってもめているだけなんです」英子はすぐに説明した。もし彼女が拘留されて、それを会社に知られたら、仕事を失うことになるに決まっているのだ。彼女の会社は今順調に行ってはいないが、彼女はやはり自分の仕事のことを気にしていて、職を失いたくなかったのだ。「私はこの子の義母です。これは本当にただの家庭内のもめごとですよ。それも大したことじゃなくて、ちょっとしたことなんです。少し手を出しただけなんですよ。警察の方、信じてください」佐々木母はこの時弱気だった。警察に連れて行かれるかもしれないと恐れていたのだ。市内で年越ししようとしていたのに、警察に捕ま
東隼翔は顔を曇らせて尋ねた。「これはどういうことだ?」英子は地面から起き上がり、まだ唯月に飛びかかって行こうとしていたが、隼翔に片手で押された。そして彼女は後ろに数歩よろけてから、倒れず立ち止まった。頭がはっきりとしてから見てみると、巨大な男が暗い顔をして唯月を守るように彼女の前に立っていた。その男の顔にはナイフで切られたような傷があり非常に恐ろしかった。ずっと見ていたら夜寝る時に悪夢になって出てきそうなくらいだ。英子は震え上がってしまい、これ以上唯月に突っかかっていく勇気はなかった。佐々木母はすぐに娘の傍へと戻り、親子二人は非常に狼狽した様子だった。それはそうだろう。そして唯月も同じく散々な有様だった。喧嘩を止めようとした警備員と数人の女性社員も乱れた様子だった。彼らもまさかこの三人の女性たちが殴り合いの喧嘩を始めてあんな狂気の沙汰になるとは思ってもいなかったのだ。やめさせようにもやめさせることができない。「あんたは誰よ」英子は荒い息を吐き出し、責めるように隼翔に尋ねた。「俺はこの会社の社長だ。お前らこそ何者だ?俺の会社まで来てうちの社員を傷つけるとは」隼翔はまた後ろを向いて唯月のみじめな様子を見た。唯月の髪は乱れ、全身汚れていた。それは英子が彼女を地面に倒し殴ったせいだ。手や首、顔には引っ掻き傷があり、傷からは少し血が滲み出ていた。「警察に通報しろ」隼翔は一緒に出てきた秘書にそう指示を出した。「東社長、もう通報いたしました」隼翔が会社の社長だと聞いて、佐々木家の親子二人の勢いはすっかり萎えた。しかし、英子はやはり強硬姿勢を保っていた。「あなたが唯月んとこの社長さん?なら、ちょうどよかった。聞いてくださいよ、どっちが悪いか判定してください。唯月のじいさんが私の母を恐喝して百二十万取っていったんです。それなのに返そうとしないものだから、唯月に言うのは当然のことでしょう?唯月とうちの弟が離婚して財産分与をしたのは、まあ良いとして、どうして弟が結婚前に買った家の内装を壊されなきゃならないんです?」隼翔は眉をひそめて言った。「内海さんのおじいさんがあんたらを脅して金を取ったから、それを取り返したいのなら警察に通報すればいいだけの話だろう。内海さんに何の関係がある?内海さんと親戚がどんな状況なの
その時、聞いていて我慢できなくなった人が英子に反論してきた。「そうだ、そうだ。自分だって女のくせに、あんなふうに内海さんに言うなんて。内海さんがやったことは正しいぞ。内海さん、私たちはあなたの味方です!」「こんな最低な義姉がいたなんてね。元旦那が浮気したから離婚したのは言うまでもないけど、もし浮気してなくたって、さっさと離婚したほうがいいわ、こんな最低な人たちとはね。遠く離れて関わらないほうがいいに決まってる」野次馬たちはそれぞれ英子を責め始めた。そのせいで英子は怒りを溜め顔を真っ赤にさせ、また血の気を引かせた。唯月が彼女に恥をかかせたと思っていた。そして彼女は突然、力いっぱい唯月が支えていたバイクを押した。バイクは今タイヤの空気が抜けているから、唯月がバイクを押すのも力を入れる必要があった。それなのに英子が突然押してきたので、唯月はバイクを支えることができず、一緒に地面に倒れ込んでしまった。「金を返せ。あんたのじいさんがお母さんから金を受け取ったのを認めないんだよ。じいさんの借金は孫であるあんたが返せ、さっさとお母さんに金を払うんだよ」英子はバイクと一緒に唯月を地面に倒したのに、それでも気が収まらず、彼女が持っていたかばんを振り回して力を込めて唯月を叩いた。さらには足も使い、立て続けに唯月を蹴ってきた。唯月はバイクを放っておいて、立ち上がり乱暴に英子からそのかばんを奪い、狂ったように英子を殴り返した。彼女は英子に対する恨みが積もるに積もっていた。本来離婚して、今ではもう佐々木家とは赤の他人に戻ったので、ムカつくこの佐々木家の人間のことを忘れて自分の人生を送りたいと思っていた。それなのに英子は人を馬鹿にするにも程があるだろう、わざわざ問題を引き起こすような真似をしてきた。こんなふうに過激な態度に出れば、善悪をひっくり返せるとでも思っているのか?この間、唯月と英子は殴り合いの喧嘩をし、その時は英子が唯月に完敗した。今日また二人が殴り合いになったが、佐々木母はもちろん自分の娘に加勢してきた。この親子は手を組んで、唯月を二対一でいじめてきたのだ。「警察、早く警察に通報して!」その時、誰かが叫んだ。「すみません警備員さん、こっちに来て喧嘩を止めてちょうだい。この女二人がうちの会社まできて社員をいじめてるんです」
唯月がその相手を見るまでもなく、誰なのかわかった。その声を彼女はよく知っている。それは佐々木英子、あのクズな元義姉だ。佐々木母は娘を連れて東グループまで来ていた。しかし、唯月は昼は外で食事しておらず、会社の食堂で済ませると、そのままオフィスに戻ってデスクにうつ伏せて少し昼寝をした。それから午後は引き続き仕事をし、この日は全く外に出ることはなかったのだ。だからこの親子二人は会社の入り口で唯月が出てくるのを、午後ずっとまだか、まだかと待っていたのだ。だから相当に頭に来ていた。やっとのことで唯月が会社から出てきたのを見つけ、英子の怒りは頂点に達した。それで会社に出入りする多くの人などお構いなしに、大声で怒鳴り多くの人にじろじろと見られていた。物好きな者は足を止めて野次馬になっていた。唯月はただの財務部の職員であるだけだが、東社長自ら採用をしたことで会社では有名だった。財務部長ですら、自分の地位が脅かされるのではないかと不安に思っていた。唯月は以前、財務部長をしていたそうだし。上司は唯月を警戒せずにいられなかった。さらに、唯月が東社長に採用されことで、上司は必要以上に彼女のことを警戒していたのだ。唯月は彼女にとって目の上のたんこぶと言ってもいい。周りからわかるように唯月を会社から追い出すことはできないから、こそこそと汚い手を使っていた。財務部職員によると、唯月は何度も上司から嫌がらせを受け、はめられようとしていたらしい。しかし、彼女は以前この財務という仕事をやっていて経験豊富だったので、上司の嫌がらせを上手に避けて、その策略に、はまってしまうことはなかった。「あなた達、何しに来たの?」唯月は立ち止まった。そうしたいわけじゃなく、足を止めるしかなかったのだ。元義母と元義姉が彼女の前に立ちはだかり、バイクを押して行こうとした彼女を妨害したのだ。「私らがどうしてここに来たのかは、あんた、自分の胸に聞いてみることだね。うちの弟の家をめちゃくちゃに壊しやがって、弁償しろ!もし内装費を弁償しないと言うなら、裁判を起こしてやるからね!」英子は金切り声で騒ぎ立て、多くの人が足を止めて野次馬になり、人だかりができてきた。彼女はわざと大きな声で唯月がやったことを周りに広めるつもりなのだ。「あなた方の会社の社員、ええ、内海唯
「伯母さんはあなた達が簡単にやられてばかりな子たちだとは思っていないわ。ただ妹のためにも、あの人たちをギャフンと言わせてやりたいのよ」唯花はそれを聞いて、何も言わなかった。それから伯母と姪は午後ずっと話をしていた。夕方五時、詩乃はどうしても唯花と一緒に東グループに唯月を迎えに行くと言ってきかなかった。唯花は彼女のやりたいようにさせてあげるしかなかった。そして、唯花は車に陽を乗せ自分で運転し、神崎詩乃たち一行と颯爽と東グループへと向かっていった。明凛と清水は彼らにはついて行かなかった。途中まで来て、唯花は突然おばあさんのことを思い出した。確か午後ずっとおばあさんの姿を見ていない。唯花はこの時、急いでおばあさんに電話をかけた。おばあさんが電話に出ると、唯花は尋ねた。「おばあちゃん、午後は一体どこにいたの?」「私はそこら辺を適当にぶらぶらしてたの。仕事が終わって帰るの?今からタクシーで帰るわ」実はおばあさんはずっと隣のお店の高橋のところにいたのだった。彼女は唯花たちの前に顔を出すことができなかったのだ。神崎夫人に見られたら終わりだ。「おばあちゃん、私と神崎夫人のDNA鑑定結果がでたの。私たち血縁関係があったわ。それで伯母さんが私とお姉ちゃんを連れて一緒に神崎さんの家でご飯を食べようって、だから今陽ちゃんを連れてお姉ちゃんを迎えに行くところなの。おばあちゃんと清水さんは先に家に帰っててね」「本当に?唯花ちゃん、伯母さんが見つかって良かったわね」おばあさんはまず唯花を祝福してまた言った。「私と清水さんのことは心配しないで。辰巳に仕事が終わったら迎えに来てもらうから。あなたは伯母さんのお家でゆっくりしていらっしゃい。彼女は数十年も家族を捜していたのでしょう。それはとても大変なことだわ。伯母さんのお家に一晩いても大丈夫よ。私に一声かけてくれるだけでいいからね」唯花は笑って言った。「わかったわ。もし伯母さんの家に泊まることになったら、おばあちゃんに教えるわね」通話を終えて、唯花は一人で呟いた。「午後ずっと見なかったと思ったら、また一人でぶらぶらどこかに出かけてたのね」年を取ってくると、どうやら子供に戻るらしい。そして唯月のほうは、妹からのメッセージを受け取り、彼女たちが神崎夫人と伯母と姪の関係で
昔の古い人間はみんなこのような考え方を持っている。財産は息子や男の孫に与え、女ならいつかお嫁に行ってしまって他人の家の人間になるから、財産は譲らないという考え方だ。息子がいない家庭であれば、その親族たちがみんな彼らの財産を狙っているのだ。跡取り息子のいない家を食いつぶそうとしている。それで多くの人が自分が努力して作り上げた財産を苗字の違う余所者に継承したがらず、なんとかして息子を産もうとするのだった。「二番目の従兄って、内海智文とかいう?」詩乃は内海智文には覚えがあった。主に彼が神崎グループの子会社で管理職をしていて、年収は二千万円あったからだ。彼女たち神崎グループからそんなに多くの給料をもらっておいて、彼女の姪にひどい仕打ちをしたのだ。しかもぬけぬけと彼女の妹の家までも奪っているのだから、智文に対する印象は完全に地の底に落ちてしまった。後で息子に言って内海智文を地獄の底まで叩き落とし、街中で物乞いですらできなくさせてやろう。「彼です。うちの祖父母が一番可愛がっている孫なんですよ。彼が私たち孫の中では一番出来の良い人間だと思ってるんです。だからあの人たちは勝手に智文を内海家の跡取りにさせて、私の親が残してくれた家までもあいつに受け継がせたんです。正月が過ぎたら、姉と一緒に時間を作って、故郷に戻って両親が残してくれた家を取り戻します。家を売ったとしても、あいつらにはあげません!」そうなれば裁判に持っていく。今はもうすぐ年越しであるし、姉が離婚したばかりだから、唯花はまだ何も行動を起こしていないのだ。彼女の両親が残した家は、90年代初期に建てられたものだ。実際、家自体はそんなにお金の価値があるものではないが、土地はかなりの値段がつく。彼女の家は一般的な一軒家の坪数よりも多く敷地面積は100坪ほどあるのだ。彼女の両親がまだ生きていた頃、他所の家と土地を交換し合って、少しずつ敷地面積を増やしていき、ようやく100坪近くある大きな土地を手に入れたのだった。母親は、彼女たち姉妹に大人になって自立できるようになったら、この土地を二つに分けて姉妹それぞれで家を建て、隣同士で暮らしお互いに助け合って生きていくように言っていたのだ。「まったく人を欺くにも甚だしいこと。妹の財産をその娘たちが受け継げなくて、妹の甥っ子が資格を持っ
姫華は唯花たちが引っ越し作業を終えてから、ようやく自分がそんなに面白いことを逃したのだと知ったのだった。だから彼女は明凛と唯花に不満を持っていた。明凛は唯花に姫華にも教えるよう言ったが、唯花が彼女はお嬢様だから家をめちゃくちゃにするという乱暴なシーンは見せたくないと思い姫華には伝えなかったのだ。確かに姫華は名家の令嬢であるが、神崎姫華だぞ。神崎姫華は星城の上流社会ではあまり評判が良くない。他人が彼女のことを横暴でわがまま、理屈が通じないというくらいなのだから、そんな彼女が家を壊すくらいのシーンで音を上げるとでも?逆に、彼女自身も機嫌が悪い時にはハチャメチャなことをしでかすというのに。「姉がもらうべき分はしっかりと財産分与させました。ただ内装費に関しては佐々木家が拒否したので、私たちが人を雇ってその内装を全て剥がしたんです」詩乃はそれを聞いて「それはそうすべきよ。どうして佐々木家においしい思いをさせる必要なんてあるかしら」と唯花たちの行動を当たり前だと言った。そして最後にまた残念そうにこう言った。「もし伯母さんが知っていれば、あなた達の家族として、大勢で彼らのところまで押しかけて内装費を意地でも出させてあげたものを。これは正当な権利よ」この時、唯花はふいに姫華の性格は完全に母親譲りなのだと悟った。「唯花ちゃん、もうちょっとしたらお店を閉めて私たちと一緒に神崎家に帰りましょう。家族みんなで食事をするの。そうだ、あなたの旦那さんはお時間があるのかしら?彼も一緒にいらっしゃいよ」唯花は「夫は今日出張に行ったばかりなんです。たぶん暫くの間帰ってきません。彼が帰ってきたら、一緒に詩乃伯母さんのお宅にお邪魔します」と返事した。「出張に行ってらっしゃるのね。なら、彼が帰って来てからお会いしましょう」詩乃はすぐに姪の夫に会えなくても特に気にしていなかった。彼女にとって、二人の姪のほうが重要だったからだ。今、彼女は姪を見つけることができて、姪二人にはこの神崎詩乃という後ろ盾もできた。ちょうど唯花に代わってその夫が頼りになる人物なのか見極めることができよう。「あなたのお姉さんは五時半にお仕事が終わるのよね?」「ええ」神崎夫人は時間を見て言った。「お姉さんはどこで働いていらっしゃるの?」「東グループです」神崎夫人は「そ