「姉ちゃん、それは……」俊介が話し終わる前に、助手席に座っていた佐々木父に携帯を奪われた。「俊介、お前は運転に集中して」佐々木父は低い声で息子に注意してから、電話の向こうの娘に言った。「唯花に賠償金を払ってもらうだと?」英子は父親の声を聞くと、いじめられたように声をあげた。「お父さん、輝夫は智哉を殴ったよ!」「息子が過ちを犯したから、その父親がしっかりしつけするのは当然のことだ。なんだ?お前たち、小さい頃言うことを聞かなかった時、俺もそうだっただろう?」英子は不思議そうに聞き返した。「……お父さん、大丈夫なの?どうして唯月姉妹の仲間になったの?私はお父さんの娘でしょ、どうしてそんなこと言うのよ!確かに先に手を出した智哉が悪かったよ。でも、智哉も子供よ。殺人とか強盗とか、そんな取り返しのつかない過ちを犯したわけじゃないでしょ。少しだけ陽を叩いただけよ。それに、恭弥が先に陽に殴られたって言って泣いたのを見たから、兄として智哉がやり返したわけよ。それに、二回蹴って何回かビンタしただけで、病院送りになるわけないじゃん!絶対に唯月たちがわざと大袈裟にしたのよ」英子は警察署で家の監視カメラの映像を見たのを固く言わなかった。確かに、映像で陽は智哉に何回もビンタされた。両側の頬が殴られた回数を合わせると、確か、十数回だから、少し多いかもしれないが。警察たちは智哉の赤く腫れた顔と体にベルトで叩かれた傷も見たはずなのに。しかし、それを見ないふりをして、何も言ってくれなかったのだ。逆に、智哉が非常に冷酷で、2歳過ぎの子供に手を出すなんてと言った。それに、もし唯花が駆けつけなかったら、陽は智哉にそのまま手ひどく殴られて死んでしまっていたかもしれないと続けて言った。まだまだ子供だから、人を殴りすぎると死ぬなんてことはまだまだわからないし、手加減もできないのは普通のことじゃないのか?とにかく、陽が死んでいない以上、息子の智哉は何の間違いもないと英子は思っていたのだ。たとえ恭弥が先に陽に手を出し、反撃されて陽になぐられたと泣きわめいているところが、監視カメラにはっきり映っていたとしても、英子はそれも認めないのだ。自分の子供ならちゃんと守って、間違っていてもできるだけそうではないと主張する人間だ。他人の子供の生死は彼女に関係あるか?これが
「家を荒らしたって何だって言うんだ?むしろ唯花に俺の代わりによくやってくれたと感謝したいくらいだ。英子、先に言っとくがな、もしお前が唯花に賠償を請求するような真似をするなら、もう二度と実家に帰ってくるな。俺のことも父と呼ぶな。それから、この十数年間、俺と母さんがお前に使った金を全部返してもらうぞ。しっかり帳簿につけてあるからな!俊介が働き始めてから、毎月送ってくれた生活費も全部お前の家のために使われてしまったんだぞ。それで、俊介に何かいいことしてあげたか?逆に俊介の息子が智哉に病院送りにされたんだぞ!唯花たちが大袈裟だなんて言うな。俺はちゃんと聞いたんだ。陽ちゃんが病院に運ばれた時、長い時間手術室にいたんだぞ。医者まで暴力を振るった人はひどすぎると言ってたらしい。それに、陽ちゃんが今どんな様子なのかも、この目でしっかり確認したんだ。俺たちは今病院を出たところだ。お前の家に戻って荷物をまとめる。これから、俺と母さんは実家に帰る。お前の子供たちは、夫の親に頼むか、自分で何とかしろ。英子、自分が産んだ子供だろう、自分で責任をしっかりとれ。お前を産んでから、俺らはちゃんと育て、学校へ行かせて、ちゃんと一人前まで責任を持ってあげたんだ。これは親としての義務なんだ。だが、孫の面倒まで見る義務なんてない」英子はますます信じられなかった。「……お父さん、唯花に何かされたんじゃないの?どうしてあっちの味方するのよ?お、お母さんと一緒に実家に帰るの?あなた達を二人だけにするなんて、私安心できないよ。それに、お父さん、智哉も殴られたのよ。さっきも言ったじゃない、自分の手で育ててきた孫でしょ、少しも心が痛まないの?」佐々木父は冷たく言った。「殴られて当然だ。それに、智哉は父である輝夫に殴られたんだろう。父が子供をしつけるのに、祖父として口を出すわけないだろう?あと、わかっててほしいんだが、智哉は確かに俺の孫だが、外孫だぞ。逆に陽ちゃんは俺の内孫だ。比べられると思ってるのか?智哉の苗字はなんだ?柏木だ。陽ちゃんは俺と同じ、佐々木家の人間で俺の内孫だ。普段はどうでもいいが、今回は陽ちゃんはあんなひどい目にあったんだ。祖父として、俺はこのままではいられん!」彼は智哉に手をあげるつもりはない。どう言っても自分が育ててきたからだ。しかし、もうこれ以上は続けられ
佐々木父が陽のほうを味方したということを唯花たちは知らなかった。陽の顔は氷を当てて暫く冷やしていたので、少し腫れがおさまっていた。しかし、陽は家に帰りたいとずっと泣きわめいていた。それで唯花は家に帰っていいかどうか医者に聞きに行った。医者は退院してもいいが、子供は大きなショックを受けているので、もしかすると熱が出るかもしれないから注意するように伝えた。夕方、みんなは唯月親子を家に送った。唯花は陽のことが心配で、理仁を引っ張ってベランダへと出て行き、彼に向って言った。「今日はお姉ちゃんの家に泊まって、陽ちゃんの傍にいてもいい?」理仁は心の内では彼女と離れたくないと思った。彼は今唯花に対して感情が高まっている時で、一日二十四時間、ずっと彼女の傍にいたかった。しかし、陽のあの様子と、叔母である彼女のことを考えると、陽に付き添いたいという気持ちは十分に理解できた。「結城さん?」唯花は彼がじいっと自分を見つめる瞳と、唇をきつく結び何も言わないのを見て、恐る恐る尋ねた。「だめ?お医者さんが陽ちゃんは熱を出す可能性があるって言ってた。お姉ちゃん一人でお世話をするのは、ちょっと心配で」すると大きな手が自分のほうに伸びてきて、彼女の顔に触れた。理仁のその手はとても温かく、彼女の顔に軽く触れていた。その温かさはまるで春風が顔を優しく撫でているかのようで、唯花は目を閉じていつもの彼からはあまり感じることのできないその心地よさをゆっくりと味わっていたかった。「陽君のお世話もいいけど、自分のことも大事にしてくれよ」彼はそう言葉を残した。声は相変わらず低かったが、いつものあの冷たさはなく、温かさを感じられた。「わかったわ」「何かあったら、すぐに俺に連絡して。また他人みたいに遠慮なんかしないでね」理仁は彼女が以前、内海陸たち不良どもと喧嘩する時に、とても勇ましく全部自分一人で奴らを片付けてしまい、彼に女性の窮地を助けるヒーローにさせてくれなかったことをずっと根に持っているのだった。唯花は微笑んで、ササっとリビングのほうを確認し、義弟たちがこちらを見ていないのがわかると、手を伸ばし理仁のがっちりとした腰に手を回して抱きしめた。そして顔を彼の胸元にぴたりとくっつけた。妻のほうから抱きしめられに来たのをいいことに、理仁は遠慮な
理仁は彼女の体を少し離し、下を向いて彼女と目を合わせた。唯花はゴクリと唾を飲み込んだ。毎度彼と目を合わせると、彼のルックスの良さに引き込まれてしまう。いつも……からかいたくなる。もしも、彼がずっとこのように優しかったら、一週間もかからず、彼を襲って食べちゃってもいい。もっと自分の肝っ玉を鍛えれば、毎日違う調理法で美味しくいただけるだろう。唯花の頭の中でそのいろいろな調理法とやらの妄想が繰り広げられている中、耳元で理仁の低い声が聞こえてきた。「俺たち、いつそんな契約なんて結んだ?」内海唯花「……」彼女は意外そうな顔になった。理仁がまさかこんな言葉を口にするなんて信じられないという様子だ。「結婚してすぐ、あなたが書いた契約書のことよ。結婚は半年の契約で、私にサインまでさせたでしょ」理仁は全く驚かず落ち着いた様子で淡々と言った。「その契約内容を言って聞かせてくれないか」唯花は口を開けたが、言葉が出てこなかった。あれから結構経っていたから、契約の内容は彼女もそんなに覚えていなかった。ただ結婚期間は半年で、お互いに相手のプライベートには干渉しないという内容だけだ。「内海さん、君はたぶん最近お義姉さんのことで気が回りすぎて、俺たちが契約を結ぶなんていう幻覚でも現れたんじゃないだろうか。実際は、そんなの存在しないよ。もし俺たちが本当に契約を結んでいると思うなら、家に帰ったら俺の部屋に入って好きに探していいよ。君の言うその契約書とやらをね。俺は絶対にそんなのは結んでないと言い切れるけどな」唯花は絶句した。明らかに彼らは契約を結んだのに。これはつまり……言い逃れする気か?理仁は下を向いて彼女の唇をツンツンと突っつき、優しい声で言った。「そんなデタラメなことを考えちゃだめだぞ。俺はあいつらを連れて食事に行ってくるよ。清水さんにはここにいてもらうから、君たちの手伝いをしてもらったらいい」この時の唯花は相当に驚いていた。ずっとプライドが高く冷たい態度を取ってきた、あの結城理仁がなんとまあ言い逃れをするなんて。彼が契約を結んだことを否定したことが唯花をかなり驚かせた。彼の言葉を聞いて、彼女は馬鹿のようにただひたすら頷くしかなかった。彼女が驚愕している様子を見て、理仁は口角を上げてニヤリとした。そして、彼女を抱きし
理仁とその兄弟たち八人は、おばあさんを連れて出かけていった。一行はスカイ・ロイヤルホテルに食事に行った。ホテルのロビー責任者は、八人の結城坊ちゃんたちが、老婦人を連れてやって来たのを見たが、ボディーガードは連れていなかったので、一体どのように対応したらいいのかわからなかった。きちんと挨拶したほうがいいのだろうか?しかし辰巳坊ちゃんから、若旦那様がボディーガードを連れていない時には、普通の客と同じように知り合いではない態度を取れと言われている。ロビーの責任者がどうするか悩んでいるうちに、理仁たち一行はすでにホテルに入ってきていた。そして彼の目の前を通り過ぎていった。彼ら八人は、各々が独自のオーラを放っている。ホテルに入って来た瞬間、多くの人の目を引いた。彼らが小声でおばあさんに対して「ばあちゃん」と呼んでいるのを周りの人たちは聞いていた。周りの人たちは、おばあさんのことを羨望の眼差しで見ていた。このおばあさんは超超超幸せ者だろう。こんなに容姿の整ったイケメンな孫たちを引き連れて、どうしろというのだ。羨ましすぎる!羨ましがられても困る。おばあさんは孫が多すぎて、彼らの結婚のことで頭を悩ませているというのに。食事の後、理仁は辰巳に伝えた。「辰巳、お前はばあちゃんを連れて実家のほうに帰ってくれ。俺は九条家に行ってくる」佐々木俊介が財産を移した証拠は九条悟のところにある。九条家の現当主もこの夜は家にいるらしい。理仁は悟に自分が取りに行くと伝えていたのだ。「私はあっちには帰らないよ」おばあさんは拒否した。「内海さんは今日家には帰らないんだ。ばあちゃん、だから何も面白いもんなんか見られないぞ。自宅のほうに帰らないでフラワーガーデンに戻ったってつまらないだろ。明日来たって同じことなんだからさ」おばあさんは目を大きく開いて理仁を睨んだ。「私は別につまらなくたって平気よ。それに別に面白いものを見ようと思ってわざわざ来たわけじゃないんですからね。私は唯花さんのことが好きだから、孫のお嫁さんと一緒に住みたいだけで、あんたと住みたいわけじゃないのよ。だからほっといてちょうだい」理仁は呆れてしまった。「あれは俺の家だぞ」「あんたはあの家で大黒柱やってるわけ?」理仁は言葉に詰まらせた。あの家のことは全て内海唯花に任せ
ちょうどこの時、悟は当主の九条弦(くじょう げん)と話しているところだった。二人は世代は少し離れているが、お互いに気を許せる仲でもあった。そこへ黒衣の男が入ってきた。彼は二人の前までやって来ると、礼儀正しく「弦様、悟様、結城家の理仁様がいらっしゃいました」と伝えた。「通してくれ」その黒服の男は恭しくそれに応え、後ろを向き部屋を出て行った。悟はテーブルの上に置かれた黄色いファイルを指さした。「彼はあれを取りに来たんだ」「彼自ら来たということは、俺に用があってのことだね」九条弦は使用人を呼び、お茶を入れフルーツを客に用意するよう指示を出した。彼はよく九条家の力を用い、悟の、いや正確には理仁のために動いていた。理仁はそのことをよくわかっている。彼が自分からここに来たということは、九条弦に礼を言いに来たのだ。「彼は前から弦兄さんに会いに来たいと思ってたんだけど、兄さんが忙しくて家になかなかいないものだから、機会がなかったんだよ」「彼はお前の友達だから、俺の友達同然だよ。友人同士、お互いに助け合うのは当たり前なんだから、そんなに畏まらなくたっていいんだ。お前は結城グループで働いていて、自分の力を証明できただろう。だから俺はすごく嬉しいんだよ」九条弦は悟の肩をポンと叩いた。「しっかりやるんだ。だけど、仕事ばかりやってないで、自分の人生もちゃんと考えるんだよ。お前のお母様もいつもいつもお前ももうこんな年になったのに、彼女の一人もいやしないと文句言ってるよ」「弦兄さん、兄さんこそ俺よりも年上だけど、彼女はいないだろ。俺が焦ってどうするんだよ?」九条弦「……何も聞かなかったことにしてくれ」さっきの黒衣の男が理仁を案内して入ってきた。理仁のボディーガードたちは理仁が用意した贈り物を持って部屋に入って来た後、それを置くと静かに部屋を退室しドアの前で待機していた。「理仁」悟は立ち上がり彼を迎えた。九条弦も立ち上がったが、悟のように彼のほうへ行って迎えることはせず、結城理仁からやって来るのを待って九条悟から紹介されてからお互いに右手を差し出した。「九条さん、お名前はかねがね伺っております」「結城君の噂もよく伺っていますよ。今日のようにやはり実際にお会いしてみないとね」二人は握手を交わし、理仁は弦に促されて椅子
「プルプルプル……」九条弦の携帯が鳴った。彼は電話に出た後、申し訳なさそうに言った。「結城さん、すみませんが、急な用で出かけなくてはいけなくなりました。お先に失礼します」理仁は急いで立ち上がった。「悟、俺に代わって結城さんのおもてなしをしてくれよな」弦はそう悟に任せた後、すぐに出かけていった。弦が出かけたので、悟は理仁を連れて自分の家に行った。そして、理仁は一晩中、悟の母親が彼はもういい年した男のくせに、まだ彼女がいないのだという愚痴を聞かされた。やっとのことで九条家から逃げ出した理仁は、悟に言った。「次、お前の母親がいる時は絶対に俺をお前の家に呼ぶなよ」悟はケラケラと笑った。「あんな話、適当に聞き流しときゃいいだろう」「牧野さんとのお見合いはどうだった?家族には話していないのか?」「弦兄さんには話したけど、他には言ってないよ。話して結婚話が加速したら困るだろう。うちの家族はこんな話を聞いたら、牧野さんが一体どんな人なのか気になってすぐにわらわらと集まってきて彼女を驚かせて怖がらせてしまうぞ」理仁は同情して彼の肩を叩いた。「もし彼女のことが気に入ったのなら、頑張って独身を卒業したまえ」「独身卒業したって、今度は子供産めって急かされて、産んだら産んだで今度は二人目、三人目って言われんだろ。上の世代の奴らは止まることを知らないんだからな」悟は自分が独身じゃなくなっても、両親からうるさく言われることは一生続くと思っていた。理仁を見てみろ、結城おばあさんに言われて内海唯花と結婚した後、それだけでは満足せずに子供を産め産めと催促されているではないか。「牧野さんは確かにタイプではあるけど、ちょっと素直すぎるかなぁ。話する時もまったく遠慮せず、ずけずけ言ってくるしさ。たまに俺ですら何も言えなくなって、言い返せなくなるんだよね」そんなことは別に大した問題ではない。彼は明凛のような性格の女の子が好きなのだから。「だったらグイグイ行けよ」悟が明凛を気に入ったことに理仁はとても嬉しそうだった。彼が二人の赤い糸を引いてあげたことは無駄ではなかったのだ。悟は笑うだけで、何も言わなかった。九条悟に見送られて、理仁はボディーガードたちとともに九条家を後にした。翌日、理仁は朝早くに久光崎のマンションのほうへとやって来た
彼のこのような心遣いに唯花は嬉しくなった。しかし、彼女は丁寧にお断りした。理仁が焦って何かを言おうとした時、彼女は片手に花束を抱きかかえ、もう片方の手を彼の首に回した。そして、彼の頭を自分のほうへと下げ、近づいて小声で言った。「家の中にあまりたくさんの花を置かないほうがいいわ。そんなことしたら、家主は気が変わりやすくなっちゃうわよ」そういい終わると、次は結城理仁の胸元をポンと叩いた。つまり彼に浮気をするなと言っているのだ。結城理仁「……」そんな迷信聞いたことないぞ?日を改めて悟に尋ねてみることにしよう。唯花は彼の車に乗った。理仁も車に戻った。そしてエンジンをかけながら彼女に尋ねた。「陽君はどんな様子?」「顔はまだ少し腫れてるの。昨日の夜熱を出して一晩中泣いていたのよ。今朝熱が下がったし、泣き疲れたみたいでお姉ちゃんに抱かれて眠っちゃったわ」陽の話になり、唯花の晴れやかだった気分はまた下がってしまった。「理仁さん」唯花は首を傾けて彼を見ながら言った。「もし、もしもよ、もし私たちに今後子供ができたら、どんなことがあっても、私たちの関係が悪くなっても、絶対に子供を傷つけないって約束してくれる?」それを聞いた理仁は急ブレーキをかけた。彼も首を傾けて唯花を見つめた。夫婦二人はお互いに見つめ合い、お互いに相手の瞳から真剣さを感じ取ることができた。彼は彼女に愛を伝える言葉を言ったことはないが、彼の彼女に対する愛情は普段の行動から感じ取ることができる。彼女のほうも同じく彼に愛しているという言葉を言ったことはないが、彼に対してどんどん信頼を寄せるようになっていた。夫婦二人はすでに、お互いの世界に入り込んでしまっているのがわかっていた。理仁は彼女のほうに手を伸ばし、優しく唯花の顔に触れ、体を傾けその端正な顔を彼女のほうへと近づけた。彼女が目を閉じた瞬間、おでこや頬、唇にキスの雨を降らせた。「唯花さん、君が心から俺を慕ってくれるなら、俺も誠心誠意その気持ちに応えるよ。俺は心の狭い男だから、君が俺の心の中に住むっていうなら、君しか受け入れてあげられないな。今後は他の女なんか入る隙なんかないぞ。俺たちの関係は、変わったりしない。もし子供ができたら……その子は俺らの何よりも大切な存在だ。自分自身を傷つけたとしても、
その時、聞いていて我慢できなくなった人が英子に反論してきた。「そうだ、そうだ。自分だって女のくせに、あんなふうに内海さんに言うなんて。内海さんがやったことは正しいぞ。内海さん、私たちはあなたの味方です!」「こんな最低な義姉がいたなんてね。元旦那が浮気したから離婚したのは言うまでもないけど、もし浮気してなくたって、さっさと離婚したほうがいいわ、こんな最低な人たちとはね。遠く離れて関わらないほうがいいに決まってる」野次馬たちはそれぞれ英子を責め始めた。そのせいで英子は怒りを溜め顔を真っ赤にさせ、また血の気を引かせた。唯月が彼女に恥をかかせたと思っていた。そして彼女は突然、力いっぱい唯月が支えていたバイクを押した。バイクは今タイヤの空気が抜けているから、唯月がバイクを押すのも力を入れる必要があった。それなのに英子が突然押してきたので、唯月はバイクを支えることができず、一緒に地面に倒れ込んでしまった。「金を返せ。あんたのじいさんがお母さんから金を受け取ったのを認めないんだよ。じいさんの借金は孫であるあんたが返せ、さっさとお母さんに金を払うんだよ」英子はバイクと一緒に唯月を地面に倒したのに、それでも気が収まらず、彼女が持っていたかばんを振り回して力を込めて唯月を叩いた。さらには足も使い、立て続けに唯月を蹴ってきた。唯月はバイクを放っておいて、立ち上がり乱暴に英子からそのかばんを奪い、狂ったように英子を殴り返した。彼女は英子に対する恨みが積もるに積もっていた。本来離婚して、今ではもう佐々木家とは赤の他人に戻ったので、ムカつくこの佐々木家の人間のことを忘れて自分の人生を送りたいと思っていた。それなのに英子は人を馬鹿にするにも程があるだろう、わざわざ問題を引き起こすような真似をしてきた。こんなふうに過激な態度に出れば、善悪をひっくり返せるとでも思っているのか?この間、唯月と英子は殴り合いの喧嘩をし、その時は英子が唯月に完敗した。今日また二人が殴り合いになったが、佐々木母はもちろん自分の娘に加勢してきた。この親子は手を組んで、唯月を二対一でいじめてきたのだ。「警察、早く警察に通報して!」その時、誰かが叫んだ。「すみません警備員さん、こっちに来て喧嘩を止めてちょうだい。この女二人がうちの会社まできて社員をいじめてるんです」
唯月がその相手を見るまでもなく、誰なのかわかった。その声を彼女はよく知っている。それは佐々木英子、あのクズな元義姉だ。佐々木母は娘を連れて東グループまで来ていた。しかし、唯月は昼は外で食事しておらず、会社の食堂で済ませると、そのままオフィスに戻ってデスクにうつ伏せて少し昼寝をした。それから午後は引き続き仕事をし、この日は全く外に出ることはなかったのだ。だからこの親子二人は会社の入り口で唯月が出てくるのを、午後ずっとまだか、まだかと待っていたのだ。だから相当に頭に来ていた。やっとのことで唯月が会社から出てきたのを見つけ、英子の怒りは頂点に達した。それで会社に出入りする多くの人などお構いなしに、大声で怒鳴り多くの人にじろじろと見られていた。物好きな者は足を止めて野次馬になっていた。唯月はただの財務部の職員であるだけだが、東社長自ら採用をしたことで会社では有名だった。財務部長ですら、自分の地位が脅かされるのではないかと不安に思っていた。唯月は以前、財務部長をしていたそうだし。上司は唯月を警戒せずにいられなかった。さらに、唯月が東社長に採用されことで、上司は必要以上に彼女のことを警戒していたのだ。唯月は彼女にとって目の上のたんこぶと言ってもいい。周りからわかるように唯月を会社から追い出すことはできないから、こそこそと汚い手を使っていた。財務部職員によると、唯月は何度も上司から嫌がらせを受け、はめられようとしていたらしい。しかし、彼女は以前この財務という仕事をやっていて経験豊富だったので、上司の嫌がらせを上手に避けて、その策略に、はまってしまうことはなかった。「あなた達、何しに来たの?」唯月は立ち止まった。そうしたいわけじゃなく、足を止めるしかなかったのだ。元義母と元義姉が彼女の前に立ちはだかり、バイクを押して行こうとした彼女を妨害したのだ。「私らがどうしてここに来たのかは、あんた、自分の胸に聞いてみることだね。うちの弟の家をめちゃくちゃに壊しやがって、弁償しろ!もし内装費を弁償しないと言うなら、裁判を起こしてやるからね!」英子は金切り声で騒ぎ立て、多くの人が足を止めて野次馬になり、人だかりができてきた。彼女はわざと大きな声で唯月がやったことを周りに広めるつもりなのだ。「あなた方の会社の社員、ええ、内海唯
「伯母さんはあなた達が簡単にやられてばかりな子たちだとは思っていないわ。ただ妹のためにも、あの人たちをギャフンと言わせてやりたいのよ」唯花はそれを聞いて、何も言わなかった。それから伯母と姪は午後ずっと話をしていた。夕方五時、詩乃はどうしても唯花と一緒に東グループに唯月を迎えに行くと言ってきかなかった。唯花は彼女のやりたいようにさせてあげるしかなかった。そして、唯花は車に陽を乗せ自分で運転し、神崎詩乃たち一行と颯爽と東グループへと向かっていった。明凛と清水は彼らにはついて行かなかった。途中まで来て、唯花は突然おばあさんのことを思い出した。確か午後ずっとおばあさんの姿を見ていない。唯花はこの時、急いでおばあさんに電話をかけた。おばあさんが電話に出ると、唯花は尋ねた。「おばあちゃん、午後は一体どこにいたの?」「私はそこら辺を適当にぶらぶらしてたの。仕事が終わって帰るの?今からタクシーで帰るわ」実はおばあさんはずっと隣のお店の高橋のところにいたのだった。彼女は唯花たちの前に顔を出すことができなかったのだ。神崎夫人に見られたら終わりだ。「おばあちゃん、私と神崎夫人のDNA鑑定結果がでたの。私たち血縁関係があったわ。それで伯母さんが私とお姉ちゃんを連れて一緒に神崎さんの家でご飯を食べようって、だから今陽ちゃんを連れてお姉ちゃんを迎えに行くところなの。おばあちゃんと清水さんは先に家に帰っててね」「本当に?唯花ちゃん、伯母さんが見つかって良かったわね」おばあさんはまず唯花を祝福してまた言った。「私と清水さんのことは心配しないで。辰巳に仕事が終わったら迎えに来てもらうから。あなたは伯母さんのお家でゆっくりしていらっしゃい。彼女は数十年も家族を捜していたのでしょう。それはとても大変なことだわ。伯母さんのお家に一晩いても大丈夫よ。私に一声かけてくれるだけでいいからね」唯花は笑って言った。「わかったわ。もし伯母さんの家に泊まることになったら、おばあちゃんに教えるわね」通話を終えて、唯花は一人で呟いた。「午後ずっと見なかったと思ったら、また一人でぶらぶらどこかに出かけてたのね」年を取ってくると、どうやら子供に戻るらしい。そして唯月のほうは、妹からのメッセージを受け取り、彼女たちが神崎夫人と伯母と姪の関係で
昔の古い人間はみんなこのような考え方を持っている。財産は息子や男の孫に与え、女ならいつかお嫁に行ってしまって他人の家の人間になるから、財産は譲らないという考え方だ。息子がいない家庭であれば、その親族たちがみんな彼らの財産を狙っているのだ。跡取り息子のいない家を食いつぶそうとしている。それで多くの人が自分が努力して作り上げた財産を苗字の違う余所者に継承したがらず、なんとかして息子を産もうとするのだった。「二番目の従兄って、内海智文とかいう?」詩乃は内海智文には覚えがあった。主に彼が神崎グループの子会社で管理職をしていて、年収は二千万円あったからだ。彼女たち神崎グループからそんなに多くの給料をもらっておいて、彼女の姪にひどい仕打ちをしたのだ。しかもぬけぬけと彼女の妹の家までも奪っているのだから、智文に対する印象は完全に地の底に落ちてしまった。後で息子に言って内海智文を地獄の底まで叩き落とし、街中で物乞いですらできなくさせてやろう。「彼です。うちの祖父母が一番可愛がっている孫なんですよ。彼が私たち孫の中では一番出来の良い人間だと思ってるんです。だからあの人たちは勝手に智文を内海家の跡取りにさせて、私の親が残してくれた家までもあいつに受け継がせたんです。正月が過ぎたら、姉と一緒に時間を作って、故郷に戻って両親が残してくれた家を取り戻します。家を売ったとしても、あいつらにはあげません!」そうなれば裁判に持っていく。今はもうすぐ年越しであるし、姉が離婚したばかりだから、唯花はまだ何も行動を起こしていないのだ。彼女の両親が残した家は、90年代初期に建てられたものだ。実際、家自体はそんなにお金の価値があるものではないが、土地はかなりの値段がつく。彼女の家は一般的な一軒家の坪数よりも多く敷地面積は100坪ほどあるのだ。彼女の両親がまだ生きていた頃、他所の家と土地を交換し合って、少しずつ敷地面積を増やしていき、ようやく100坪近くある大きな土地を手に入れたのだった。母親は、彼女たち姉妹に大人になって自立できるようになったら、この土地を二つに分けて姉妹それぞれで家を建て、隣同士で暮らしお互いに助け合って生きていくように言っていたのだ。「まったく人を欺くにも甚だしいこと。妹の財産をその娘たちが受け継げなくて、妹の甥っ子が資格を持っ
姫華は唯花たちが引っ越し作業を終えてから、ようやく自分がそんなに面白いことを逃したのだと知ったのだった。だから彼女は明凛と唯花に不満を持っていた。明凛は唯花に姫華にも教えるよう言ったが、唯花が彼女はお嬢様だから家をめちゃくちゃにするという乱暴なシーンは見せたくないと思い姫華には伝えなかったのだ。確かに姫華は名家の令嬢であるが、神崎姫華だぞ。神崎姫華は星城の上流社会ではあまり評判が良くない。他人が彼女のことを横暴でわがまま、理屈が通じないというくらいなのだから、そんな彼女が家を壊すくらいのシーンで音を上げるとでも?逆に、彼女自身も機嫌が悪い時にはハチャメチャなことをしでかすというのに。「姉がもらうべき分はしっかりと財産分与させました。ただ内装費に関しては佐々木家が拒否したので、私たちが人を雇ってその内装を全て剥がしたんです」詩乃はそれを聞いて「それはそうすべきよ。どうして佐々木家においしい思いをさせる必要なんてあるかしら」と唯花たちの行動を当たり前だと言った。そして最後にまた残念そうにこう言った。「もし伯母さんが知っていれば、あなた達の家族として、大勢で彼らのところまで押しかけて内装費を意地でも出させてあげたものを。これは正当な権利よ」この時、唯花はふいに姫華の性格は完全に母親譲りなのだと悟った。「唯花ちゃん、もうちょっとしたらお店を閉めて私たちと一緒に神崎家に帰りましょう。家族みんなで食事をするの。そうだ、あなたの旦那さんはお時間があるのかしら?彼も一緒にいらっしゃいよ」唯花は「夫は今日出張に行ったばかりなんです。たぶん暫くの間帰ってきません。彼が帰ってきたら、一緒に詩乃伯母さんのお宅にお邪魔します」と返事した。「出張に行ってらっしゃるのね。なら、彼が帰って来てからお会いしましょう」詩乃はすぐに姪の夫に会えなくても特に気にしていなかった。彼女にとって、二人の姪のほうが重要だったからだ。今、彼女は姪を見つけることができて、姪二人にはこの神崎詩乃という後ろ盾もできた。ちょうど唯花に代わってその夫が頼りになる人物なのか見極めることができよう。「あなたのお姉さんは五時半にお仕事が終わるのよね?」「ええ」神崎夫人は時間を見て言った。「お姉さんはどこで働いていらっしゃるの?」「東グループです」神崎夫人は「そ
姫華は父親である神崎航と一緒に母親を気にかけていたので、理紗が忘れずにこの鑑定結果を持ってきたのだった。唯花は理紗から渡された鑑定結果を受け取って見た。彼女はその結果を見た後、少しの間沈黙してからそれをテーブルの上に置いた。「唯花ちゃん、あなたは私の姪よ。私のことは詩乃伯母さんって呼んでね」今世では妹と再会を果たすことはできなかったが、妹の娘である二人の姪を見つけることができただけでも、神崎詩乃(かんざき しの)にとっては一種の慰めになった。彼女は唯花の手をとり、自分のことを「詩乃伯母さん」と呼ばせた。「唯月ちゃんは?それから陽ちゃんも」神崎詩乃はもう一人の姪のことも忘れていなかった。「姉は昼にはここへは来ないんです。夕方五時半に退勤したら帰ってきますよ」唯花はそう説明して、明凛のほうを見た。明凛が陽を抱っこして近づいて来て、唯花が彼を抱っこした。「神崎おば様……」唯花がそう言うと、詩乃は言った。「唯花ちゃん、私のことは詩乃伯母さんって呼んでね。私はずっとあなた達を見つけられるのを夢見ていたのよ。ようやく見つけたんだから、そんな距離感のある言い方で呼ばれると寂しいわ」唯花は少し黙った後「詩乃伯母さん」と言い直した。DNA鑑定結果はもう出てきたのだ。彼女が神崎詩乃の血縁者であることが証明されたのだから、神崎夫人はまさに彼女の伯母にあたるのだ。本当にまるでドラマのようだ。詩乃は唯花に詩乃伯母さんと呼ばれて、目をまた赤くさせた。そして姫華がこの時急いで言った。「お母さんったら、もう泣かないで。陽ちゃんもいるのよ、お母さんが泣いたりしたら、陽ちゃんを驚かせちゃうでしょ」明凛と清水はみんなにお茶とフルーツを持ってやってきた。詩乃は陽を抱っこしたいと思っていたが、陽のほうはそれを嫌がり、背中を向けて唯花の首にしっかりと抱きついた。「陽ちゃん、こちらはおばあちゃんのお姉さんなのよ」詩乃は立ち上がって、陽をなだめようとした。「いらっしゃい、おばあちゃんが抱っこしてあげる、ね」しかし陽は彼女の手を振り払い「やだ、やだ、おばたんがいいの」と叫んだ。詩乃は陽が過剰な反応をしたのを見て、諦めるしかなかった。そして少し前の出来事を思い出し、彼女はまた容赦なくこう言った。「あの最低な一家が、陽ちゃんにショックを
数台の高級車が遠くからやって来て、星城高校の前を通り過ぎ、唯花の本屋の前に止まった。隣の高橋の店で暇だからおしゃべりをしていた結城おばあさんが、道のほうに目を向けると数台の高級車がやって来ていた。そしてすぐに顔をくるりと元の位置に戻し、わざと頭を低くした。あの数台の車から降りてきた人に見られないようにしたのだ。「唯花、唯花」姫華が車から降りて、唯花の名前を呼びながら店の中へと小走りに入ってきた。その時は隣の店でおしゃべりしていた結城おばあさんを全く気にも留めていなかった。その後ろの車から降りてきた神崎夫人の夫の神崎航がボロボロに泣いている妻を支えながら、娘の後ろに続いて店の中に入ってきた。理紗はボディーガードたちに入り口で待機するように伝え、それから彼女も店の中へと入ってきた。唯花は三分の一ほどビーズ細工のインコを作り終えたところで、姫華に呼ばれる声を聞き、その手を止めて姫華のほうへ視線を向けた。「姫華、来たのね。ご飯は食べた?もしまだなら……」その時、神崎夫人が夫に支えられて入ってきて、夫人が涙で顔を濡らしているのを見て、唯花は状況を理解した。神崎夫人はDNA鑑定の結果を手にしたのだ。神崎夫人のその顔を見れば、聞くまでもなく彼女と神崎夫人には血縁関係があるのだということがわかった。「唯花ちゃん――」神崎夫人は急ぎ足で、レジ台をぐるりを回って彼女のもとへとやって来て、唯花を懐に抱きしめ泣きながら言った。「伯母さんにもっと早く見つけさせてよ――」彼女はそれ以上他に言葉が出てこないらしく、ただ唯花を抱きしめて泣き続けた。唯花は彼女に慰める言葉をかけたかったが、自分もこの時何も言葉が出せなかった。「私の可哀想な妹――」神崎夫人は妹がすでに他界していることを思い、また大泣きした。唯花は彼女と一緒に涙を流した。明凛は陽を抱っこして清水と一緒に遠くからそれを見守っていた。陽は全くどういうことなのかわかっていない様子だった。姫華と理紗も目を真っ赤にさせていた。神崎航がやって来て、妻を唯花から離し、優しい声で慰めた。「泣かないで、姪っ子さんが見つかったんだ、良かったじゃないか。私たちは喜ぶべきだろう。そんなふうにずっと泣いてないで、ね」神崎夫人は夫に支えられて椅子に腰かけた。妹の不幸な境遇と、二人の
「内海のクソじじい、あんたはしっかり私から百二十万受け取っただろうが。現金であげただろう、あれは私がずっと貯めていたへそくりだったんだよ。あの金を受け取る時にあんたは唯花を説得してみせると豪語してたじゃないか。それがあんたは何もできずに、うちの息子はやっぱり唯月と離婚してしまったんだぞ。だからさっさと金を返すんだよ。じゃないと本気で警察に通報するわよ」佐々木母は内海じいさんがどうしても認めようとしないので、怒りで顔を真っ赤にさせていた。内海じいさんは冷たい顔で言った。「もし通報するってんなら、通報すりゃええだろ。俺がそんなことを怖がるとでも思ってんのか。俺はお前から金を受け取ってないし、もし受け取っていたとしてもそれが何だって言うんだ?それは唯月が結婚した時の結納金の補填だろう。うちの孫娘がお宅の息子と結婚する時に一円も出しゃあしなかったくせによ。結納金に代わって百万ちょいの補填だけで済んだんだぞ。お宅にも娘がいるだろ。その娘が結婚する時に一円も結納金を受け取らずにタダで娘を婿側に送ったのか?」佐々木母はそれを聞いて腹を立てて言った。「なにが結納金だ、お前は唯月を育ててきたのか?そうじゃないくせに結納金を受け取る資格があんたにあるとでも?彼らはもう離婚したってのに、馬鹿みたいにあんたらに結納金を今更補填してあげるわけないでしょうが。さっさと金を返すんだよ!」「金なんかねえ。命ならあるけどな。それでいいなら持って行くがいい」内海じいさんは、もはやこの世に何も恐れるものなど何もないといった様子で、佐々木母はあまりの怒りで彼に飛びかかって引き裂いてやりたいくらいだった。そこに英子が母親を引き留めた。「お母さん、あいつに触っちゃダメよ。あいつはあの年齢だし、床に寝転がりでもされちゃったら、私たちが責任を追及されちゃうわよ」「ああ、じいさんや、私はすごくきついよ。もう息もできないくらいさ。こいつらがここで大騒ぎしたせいで私まで気分が悪くなってきたみたいだ。死にそうだよ……」病床に寝ていたおばあさんが突然、気分が悪そうな様子で胸元を押さえて荒い呼吸をし始めた。内海じいさんはすぐにナースコールを押して、医者と看護師に来るように伝えた。そして、佐々木母たち三人に向って容赦なく言った。「もしうちのばあさんがお前らのせいで体調を悪化させた
唯花は笑って言った。「姫華が言ってたの、九条さんって情報一家らしいわ。彼と一緒にいたら、ありとあらゆる噂話が聞けるわよ。あなたって一番こういうのに興味があるでしょ。九条さんってまさにあなたのために生まれてきたみたいな人だわ、あなた達二人とってもお似合いだと思うけど」明凛「……」彼女が彼氏を探しているのは、結婚したいからなのか、それとも噂話を聞くためなのか。「そういえば、お姉さんの元旦那のあの一家がまた来たって?」明凛は急いで話題を変えた。親友に自分の噂話など提供したくないのだ。「お姉ちゃんと佐々木のクソ野郎が離婚して、お姉ちゃんがあの家から出て行ったでしょ。あいつらは待ってましたと言わんばかりに引っ越して来ようとしてたわけ。だけど、今は部屋を借りるかホテル暮らしするか、はたまた実家に帰るしかなくなったでしょ。あの一家は絶対市内で年越ししたいと思ってるはずよ。実家には帰らないでしょうね」佐々木一家は絶対に実家のご近所たちに、年越しは市内でするんだと言いふらしていたはずだ。だから、住む家がなくとも、彼ら一家は部屋を借りるまでしてでも、市内で正月を迎えようとするに決まっている。唯花は幽体離脱でもして佐々木家に向かい、彼らの様子を見てみたいくらいだった。「あの人たち、家の内装がなくなってめちゃくちゃになった部屋を見て、きっと大喜びして失神したことでしょうね」唯花はハハハと大笑いした。「そりゃそうね」唯花が今どんな状況なのか興味を持っている佐々木家はというと、この時、すでに内海じいさんがいる病院までやって来ていた。内海ばあさんは術後回復はなかなか順調で、もう少しすれば退院して家で休養できるのだった。佐々木母は娘とその婿を連れて病室に勢いよく入っていった。佐々木父は来たくなかったので、ホテルに残って三人の孫たちを見ていた。ただ佐々木父は恥をかきたくなかったのだ。「このクソじじい」佐々木母は病室に勢いよく入って来ると、大声でそう叫んだ。内海じいさんは彼女が娘とその婿を連れて入ってきたのを見て、不機嫌そうに眉をしかめた。彼の息子や孫たちはどこに行ったのだ?誰もこの狂ったクソババアを止めに入りやしないじゃないか。「これは親戚の佐々木さんじゃないですか、うちのばあさんはまだ病気なんで、静かにしてもら