結城坊ちゃんはこの年になるまで、誰かにこんなふうにつねられたことなどないぞ。痛かったじゃないか!「おばあちゃんは起きてる?」唯花は体を起こしてベッドをおりながら彼に尋ねた。彼女はおばあさんがまだ起きてこないうちに、自分の部屋に戻りたいのだ。「起きてるよ」「こんなに早く?」急いで部屋へ戻ろうと思っていた唯花は立ち止まった。「じゃ、私がこの部屋から出てきたら、おばあさんに見つかっちゃうんじゃ……」「俺たちは夫婦だろ」理仁は彼女がこそこそするのは好きじゃなかった。唯花は笑った。「それもそうね、私たちって夫婦なんだし、あやしいことなんかないんだもの。おばあさんが見たらきっと喜ぶし。おばあさんったら、私たちが結婚してからずっと別々の部屋で寝ているのを知ってから、よく私の前であなたを襲えって言ってうるさかったんだからね」理仁は言葉を失い彼女を見つめた。自分の祖母に対しても、彼はとても呆れかえっていた。もちろん、今では感謝の気持ちの方が大きい。おばあさんがうるさく言ってこなければ、彼も唯花と結婚することはなかったのだから。「部屋に戻って着替えてくる。今日何が食べたい?私が作るわ」「もう外で買ってきたから、作る必要ないよ」唯花は彼をまた見て、部屋を出て行った。理仁は顔を暗くした。彼女がここを出る前に彼をまた最後にじっと見つめたのはどういう意味だ?彼が彼女のために朝食を買ってくるのがそんなに意外なのか?太陽が西から昇ってくるみたいに?「おばあちゃん、おはよう」唯花は部屋を出ると、何事もないかのようにおばあさんに挨拶した。「唯花ちゃん、おはよう」おばあさんは慈愛に満ちた瞳で彼女を見つめた。「お腹が空いたでしょ。理仁が朝早く起きて、この冷たい雨が降りしきる寒空の下、頑張ってスカイロイヤルまで行って朝食を買ってきてくれたのよ。彼があなたはあのホテルの料理が大好きだからって」唯花はそれを聞いて心が温かくなった。なんだか大切にされているような感じがする。「私は別に好き嫌いがないから、その辺のコンビニでおにぎりとか、サンドイッチとか適当に買ってきたものでいいのに」おばあさんは笑って言った。「毎日そんなもの食べてちゃ、飽きちゃうでしょ。たまには違うものを食べなくちゃ。ささ、早く着替えていらっしゃい。
「ジンジャーティーも作ったんだ。時間がないなら、タンブラーに入れるから一緒に店に持って行って飲んでくれ」唯花は少し意外そうに彼を見つめた。彼が彼女のためにわざわざジンジャーティーまで作ってくれていたなんて。理仁はタンブラーをさっと水洗いし、作っておいたジンジャーティーをその中に入れて、それをまた袋に入れてから彼女に手渡した。「ちゃんと飲んでね」唯花はそのタンブラーの入った袋を受け取り、じいっと彼を見つめてから言った。「行ってきます」それだけで行ってしまった。理仁はその場に立ったまま彼女が出かけるのを見送っていた。おばあさんは彼に「彼女を送ってあげないのかい?」と聞いた。「彼女は出口がどっちかくらいわかってるだろ」おばあさん「……」さっきまで彼が進歩したと褒めようと思っていたのに、結局はまたがっかりさせられてしまった。こいつ、本当に……呆れて言葉も見つからない。「ばあちゃん、彼女のさっき俺を見つめるあの目、たぶん、ばあちゃんがここにいなかったら、きっと俺にキスしてくれたぞ」おばあさん「……」理仁は残念そうにおばあさんの隣に座り、祖母と孫二人で黙々と朝食を食べた。「唯花さん、厚めのコートは着て行かなかったみたいだけど」おばあさんは突然そう言った。理仁は淡々と言った。「彼女に後で持って行くよ」おばあさんは彼がちゃんと話が通じるようになって大変満足した。唯花は急いで出かけたが、姉に電話をするのは忘れなかった。陽の状況を尋ね、姉が会社を休んだと知って、姉の家には行かず、直接店に行った。すでに生徒の登校時間が過ぎた時間だった。彼女はお店を開いた後掃除をした。外は雨が降っているので、店の外には看板やラックなどは置かず、店の中にそのまま置いていて、少し中が狭く感じた。彼女は羽根はたきを持って、本棚のホコリを落とした。数日後には高校生たちは冬休みを迎える。彼女の本屋は基本的に店を閉めて年越しの準備ができる。「唯花さん」聞きなれた声が後ろから聞こえてきた。唯花が後ろを振り向くと、まず目に飛び込んできたのは鮮やかな薔薇の花束だった。その花束を抱えていたのは金城琉生だった。暫くの間彼に会っていなかったら、琉生は少しやつれたようだった。ヒゲも綺麗に剃っておらず、以前のように太陽みたいな男の
琉生は辛そうに言った。「唯花さん、あなたが結婚していることはわかってます。だけど、旦那さんとは契約結婚なんでしょう。あなた達はいつか離婚するんだ。俺はあなたが好きです。唯花さん、俺はずっと前からあなたを好きだったんですよ。今は俺のこと、受け入れてもらえないってことはわかってます。俺だってあなたのところに行ったらだめだって、自分を抑えたかったですけど、我慢できません。暇があるとすぐにあなたのことを考えてしまって、頭の中はあなたの声と笑顔でいっぱいです。唯花さん、ただあなたに、俺はあなたを愛してるってわかってほしいだけです」彼はまた花束を唯花の前に差し出し、じいっと彼女を見つめた。「唯花さん、俺、あなたがいつか振り向いてくれるのを待っていてもいいですか?」明凛は彼によく言い聞かせたし、警告もした。それでも琉生はここで諦めることはできなかった。彼は心の底から唯花のことが好きで好きでたまらないのだ。彼も自分が唯花を好きになった時、すぐに彼女に告白しなかったことを後悔していた。もし告白していたら、もしかしたら彼女は知らない男とスピード結婚するという道は選ばずに、彼が大人になるのを待ってくれていたかもしれない。唯花は手を伸ばしてその花束を受け取り、琉生の横を通り過ぎて、その花束を直接店の入り口にあったゴミ箱へ捨ててしまった。そして振り返り琉生に言った。「金城君、自分で出て行く?それとも私に箒で追い出されたい?」「唯花さん!」琉生は悲痛な声を上げた。「俺にそんな冷たい態度取らないでくださいよ。以前はこんなんじゃなかった。以前はずっと俺にとても優しくしてくれましたよね。それなのに、今みたいに冷たくなって、まるで尖ったナイフを体に突きつけられているみたいだ。俺、すごく傷つきました。唯花さん、俺のどこがスピード婚相手に及ばないんですか?俺たちは知り合ってもう十数年経ちます。お互いよく知っている仲なのに、どうして俺を選んでくれないんだ!」明凛は彼に、唯花がどうして彼を選ばなかったのか分析して伝えてある。それは彼女がずっと彼を弟としてしか見ていないからだった。しかし、琉生はまったく聞く耳を持たない。彼は唯花の弟になんかなりたくなかった。彼は彼女の夫になりたいのだ。彼女のたった一人の男に。「私は昔からあなたのことは弟として見てきたか
「金城君、私は今夫がいるの。私は彼と結婚しているのよ。確かに私と彼はスピード結婚だけど、でも、今お互いのことを好きになってきたの。私は夫を裏切るようなことはしないわ。それなのにあなたが独りよがりに、私と夫の間に割り込んできて、彼を誤解させて私たちを喧嘩させようとするっていうなら、私とあなたの過去はなかったことにさせてもらうわ。それにそんなことになれば一生あなたを恨み続けて、本当に仇としてあなたを見るわよ」琉生の血の気が引いていき、唯花はため息をついた。彼女は自分が一体いつ、気づかないうちに好きでもなくしつこい人間に気に入られてしまったのか、まったくわからなかった。彼女も言っていたが、彼女がもし金城琉生の自分に対するそんな期待を知っていたら、死んでも絶対に金城琉生には優しくなどしなかったのだ。彼女と明凛は長年の親友で、明凛との交友関係があり琉生とも知り合いになった。彼はずっと彼女のことを「姉さん」と呼んでいたし、彼女は彼よりも3歳年上だ。それでずっと姉としての役でいたのである。だからこんなことになるとはまったく……「金城君」唯花の表情は少しだけ柔らかくなり、言った。「金城君、あなたは太陽みたいにキラキラした男の子だわ。でも私たちはお互いに相応しい相手じゃない。お姉ちゃんから離れてちょうだい。お姉ちゃんも今後あなたには会わないって約束するから。時間と物理的な距離を保って落ち着いた頃には、あなた自身もきっと実は私じゃなきゃいけないわけじゃないって気づくはずだから。諦めて。あなたは何かを失うわけじゃないの、新しい人生がまた始まるのよ。そこからようやくあなたの本当の愛が見つかるわ。金城君、お姉ちゃんのことを好きになってくれてありがとう。あなたにはチャンスをあげられないことを許してちょうだい。だって私は夫のことを愛しているから。一生、彼から離れていかない限り、私は彼から離れるつもりはないわ。私の心は狭いのよ。彼が私の心の中にいるから、他の男性なんて入る隙間がないの。それから、今後は今日みたいなことは絶対にしないでちょうだい。もし次があれば、私は本気で箒を持ってあなたを追い出すわよ。その時は完全に関係を断ち切って、一生会うことはないからね!」琉生は体をふらつかせた。彼は唯花がこんなに残酷だとは思っていなかったのだ。彼女の言葉がど
彼らは結婚当初、お互いになんの感情も持っていなかった。まったく知らない相手との交際0日婚なのだ。だから、彼らの結婚は他とはまったく違うので非常に気をかけて生活していかないと、感情が生まれないし一生を共にすることは難しい。唯花は車を運転して行った。琉生も車でその後を追いたかったが、店には彼以外誰もいなかったので、追いかけるのを諦め、唯花の代わりに店番をすることにした。唯花はちょうど高校の前に差しかかるカーブの道で神崎姫華の車に出くわした。お互いの車は危うくぶつかってしまうところだった。双方は共に急ブレーキをかけて、衝突は免れた。姫華は車の窓を開き、ひとこと怒鳴ろうとしたが、相手が唯花の車であることに気づき、彼女を呼んだ。「唯花、どこに行くの?」唯花もまさか相手が姫華だとは思っていなくて驚いた。姫華が運転する車の助手席に中年くらいの綺麗な女性が座っているのを見て、恐らくそれが神崎夫人だろうと思った。彼女はこの親子二人に会釈をして言った。「姫華、ちょっと急用があって急いでいるの。明凛が熱を出して病院に行ってて、お店には誰もいないのよ。申し訳ないんだけど、ちょっとの間だけお店を見ててくれないかしら?」「唯花、私……わかったわ、先にその用事を済ませていらっしゃい」姫華は母親を連れてきて唯花に一緒にDNA鑑定をしてほしいとお願いに来たと言いたかったが、唯花がすごく焦っている様子を見て、なにか急ぎの用があるのだろうと思い、その言葉を呑み込んだ。そして唯花に代わって店番をしてあげることにした。唯花は再び車を出し、すぐに他の車の流れに入っていった。この時間帯はちょうど出勤時間で、交通量が非常に多かった。ほとんどの道で渋滞していた。相当焦っているというのに。自分はスーパーウーマンでもないから、空をひとっ飛びして結城グループに行くことなどできない。こんなことになるなら、電動バイクで出勤すればよかった。自動車は雨に濡れる心配はないが、容易に渋滞に巻き込まれてしまう。それだったら、二輪車で行ったほうがまだマシだ。渋滞に巻き込まれている中、唯花はひたすら理仁に電話をかけ続けた。が、彼は一度も出ない。メッセージを送っても、まったく返信をしない。これには身に覚えがある。彼が彼女に怒って誤解すると、いつもこんな感じで
しかし、理仁は暗い顔をしながら、九条悟のことは無視して突風が過ぎるかのように彼の前を勢いよく通り過ぎていった。この時、悟は理仁が氷のように冷たい声で木村に命令するのだけが聞こえた。「全ての役員に会議を開くと通達しろ!」これは大地震の予感?と悟は思った。「かしこまりました」木村は悟よりも反応が早かった。悟のほうは親友のあの怒りに満ちた顔に驚いて動けなかったのだ。理仁はそのまま社長オフィスに入り、二分も経たず、また中から吹き荒れる強風の如く出て来て先に会議室へと向かった。悟は今度は彼に続いていった。会議室にはまだ誰も来ていなかった。今日はそもそも会議を予定していなかったのだ。しかし、理仁が木村を通して管理職役員たちに会議を通達した。これは、何か荒れる予感だぞ!理仁は会議室に入ると、自分の席に腰を下ろし、冷たい顔で管理職の面々が到着するのを待った。悟は一瞬戸惑い、彼の隣まで来ると椅子を引いて座った。「理仁、何があったんだよ?朝っぱらから、また誰が君を怒らせたんだ?」彼は理仁に近づき、探るように尋ねた。「奥さんと喧嘩でもしたのか?」以前、理仁が唯花と誤解があって喧嘩した時も、彼はこのような表情だった。その時は会社の中は数日間荒れ、結局おばあさんが関わることで夫婦仲が改善し、会社に立ち込めていた暗雲はやっと去り晴れたのだった。理仁は何も言わず、携帯を取り出してLINEを開き、唯花から送られてきたメッセージを見た。その内容はさっきの出来事を彼に説明するものだった。彼女と琉生は別にあやしい関係ではないと。そして、彼に琉生が彼女に告白してきたが、彼女はそれを断り、彼に自分を諦めてもらうために話をしていただけだと伝えた。彼女は本当に理仁に対して、何も人に言えないようなことなどしていないのだ。彼女も別に次の男を探しているわけではない。彼女に次の男など存在しない、唯花にとって理仁が一生で唯一の存在なのだから!金城琉生の野郎、彼女に告白しやがった!あのまだ未熟な青二才が、彼女が結婚していると知りながら告白してくるとは、これは堂々と、理仁に喧嘩を売りにきたのと同じことだぞ!「悟、俺たちは金城グループと何か業務提携をしているか?」「本社は別にないけど、傘下の子会社ならあるぞ」「だったらその子会社
理仁は黙っていた。「他のみんなが来てないうちに、早く俺に教えてくれよ。そうやって吐き出さないで溜めていると、体によくないし、会社の全社員のメンタルのためにも、な」理仁が一たび怒ると、もはや労働による負担で死人が出るはめになるぞ!悟は懸命にこの会社全社員が突然吹き荒れた嵐に打たれないよう努力していた。「俺が今朝、内海さんにコートを届けに行ったら、彼女と金城琉生が一緒にいるのを見たんだ」「……」悟はそれを聞いて絶句した。暫くしてようやく言葉が出せた。「誤解だ、それは絶対誤解だぞ、理仁。ある時はな、君がその目で見たものと真実が違うことだってあるんだからな。だからこの間みたいに一人で勝手に考えてキレるんじゃなくて、奥さんに説明する機会をあげないとだめなんだってば」「金城琉生が彼女に告白していた」九条悟「……金城琉生にはまったく憧れてしまうな。一週回って逆に彼を尊敬してきたぞ、そこまで大胆で勇敢な男だったとは。なるほど金城家が育ててきた後継者なだけはある」理仁は彼を睨みつけた。悟は鼻をこすり、笑って言った。「理仁、今から木村さんに頼んでさ、ちょっと餅でも買ってきてもらって、俺が網で炙って焼いてやろうか?」理仁の表情が一気に曇った。「聞くけど、君は奥さんがその金城琉生からの告白を受け入れるのを目撃したのか?彼女たちは何を話してた?」理仁は少し黙ってから言った。「内海さんが手にはたきと、もう片手には花束を持って出て来てそれをゴミ箱に捨てた。そのあと、金城琉生と何かずっと話していたようだったけど、何を話していたのかはよく聞こえなかった。あと俺は金城琉生が彼女の手を取ろうとしたのを見た……」悟の両目がきらりと光った。その目は人のゴシップが気になってしょうがないという目だ。そして急いで尋ねた。「で、その手を取ったのか?」「いや、内海さんが持っていたはたきで、奴の手を払いのけていた」悟は一声出した。「おー」と語尾をかなり引き延ばした一声だ。「手は繋げなかったってわけだ。じゃ、なんでそんなにヤキモチ焼いてんだよ?つまり、奥さんは金城君の告白を断ったってことじゃないか」理仁は顔をこわばらせて何も言わなかった。彼は、唯花が金城琉生の気持ちを全然受け入れなかったことはわかっていた。彼女もLINEで彼に多くのメッセージを送
この時、管理職の面々が続々と会議室に集まってきた。社長と副社長の二人がすでに会議室で待っているのを見て、彼らは緊張した面持ちになった。突然会議を開くと言われて、何か悪いことだろうと予感していた。理仁は、やはりあの凍えるほどの冷たい表情だった。ある人は辰巳を見て、彼からある種の安心感を得たいと思った。彼らに臨時の会議で一体何を話し合うのか教えてはくれるだろう。辰巳は落ち着いた様子をしていたが、実際は九条悟のほうを見ていた。彼と兄は同じ結城家の出身であることには間違いないが、兄と最も関係が良いのはやはり九条悟だ。悟は立ち上がった。「ちょっとトイレに行ってくる」彼はそう言った。そして辰巳に目配せをした。辰巳はその意味を理解し、みんながまだ揃っていないうちに、彼は立ち上がって悟の後に続いた。理仁は二人のその行動の意味を理解していたが、それを止めなかった。理仁はすでに会議室に入ってきた管理職たちを見ていた。悟は彼が一度怒ると、ここにいる彼らは死ぬほど苦しめられると言っていた。理仁は思った、彼らはどのように苦しむのかと。管理職たち「……」社長、そんなふうに我々を見つめてどうしたんですか?我々が何か悪いことをしたというなら、はっきり教えてくださいよ。やるならもう思いっきりやってください。辰巳は悟に続いて会議室を出て、急いで彼に追いついて尋ねた。「九条さん、俺の兄さんはまたどうしたんです?」悟は立ち止まり、振り返って小声で彼に尋ねた。「辰巳君、お兄さんのお嫁さんの電話番号を知ってるか?」「うん、知ってますよ」「それなら、急いで彼女に電話をして、何があっても会社まで来るように伝えてくれ。君の兄さんはまた嫉妬しているんだ。あのね、この臨時の会議はそもそも予定されていなかっただろ。彼は絶対にまだ終わっていないプロジェクトを持ち出して怒鳴り散らすぞ。あいつは今機嫌が悪くて、俺らに八つ当たりする気だ。今の俺たちを救えるのは彼女しかいない。辰巳君だって、この間みたいな地獄の日々を過ごしたくはないだろう。君は結城社長の弟だけど、あいつに叱られたら、反論することもできず、家に帰っても彼の顔色をうかがわなくちゃいけないよ」辰巳「……週末は兄さんと奥さんはイイ感じだったのに。昨晩だって、夫婦二人はすっごく甘々な雰囲気だ
その時、聞いていて我慢できなくなった人が英子に反論してきた。「そうだ、そうだ。自分だって女のくせに、あんなふうに内海さんに言うなんて。内海さんがやったことは正しいぞ。内海さん、私たちはあなたの味方です!」「こんな最低な義姉がいたなんてね。元旦那が浮気したから離婚したのは言うまでもないけど、もし浮気してなくたって、さっさと離婚したほうがいいわ、こんな最低な人たちとはね。遠く離れて関わらないほうがいいに決まってる」野次馬たちはそれぞれ英子を責め始めた。そのせいで英子は怒りを溜め顔を真っ赤にさせ、また血の気を引かせた。唯月が彼女に恥をかかせたと思っていた。そして彼女は突然、力いっぱい唯月が支えていたバイクを押した。バイクは今タイヤの空気が抜けているから、唯月がバイクを押すのも力を入れる必要があった。それなのに英子が突然押してきたので、唯月はバイクを支えることができず、一緒に地面に倒れ込んでしまった。「金を返せ。あんたのじいさんがお母さんから金を受け取ったのを認めないんだよ。じいさんの借金は孫であるあんたが返せ、さっさとお母さんに金を払うんだよ」英子はバイクと一緒に唯月を地面に倒したのに、それでも気が収まらず、彼女が持っていたかばんを振り回して力を込めて唯月を叩いた。さらには足も使い、立て続けに唯月を蹴ってきた。唯月はバイクを放っておいて、立ち上がり乱暴に英子からそのかばんを奪い、狂ったように英子を殴り返した。彼女は英子に対する恨みが積もるに積もっていた。本来離婚して、今ではもう佐々木家とは赤の他人に戻ったので、ムカつくこの佐々木家の人間のことを忘れて自分の人生を送りたいと思っていた。それなのに英子は人を馬鹿にするにも程があるだろう、わざわざ問題を引き起こすような真似をしてきた。こんなふうに過激な態度に出れば、善悪をひっくり返せるとでも思っているのか?この間、唯月と英子は殴り合いの喧嘩をし、その時は英子が唯月に完敗した。今日また二人が殴り合いになったが、佐々木母はもちろん自分の娘に加勢してきた。この親子は手を組んで、唯月を二対一でいじめてきたのだ。「警察、早く警察に通報して!」その時、誰かが叫んだ。「すみません警備員さん、こっちに来て喧嘩を止めてちょうだい。この女二人がうちの会社まできて社員をいじめてるんです」
唯月がその相手を見るまでもなく、誰なのかわかった。その声を彼女はよく知っている。それは佐々木英子、あのクズな元義姉だ。佐々木母は娘を連れて東グループまで来ていた。しかし、唯月は昼は外で食事しておらず、会社の食堂で済ませると、そのままオフィスに戻ってデスクにうつ伏せて少し昼寝をした。それから午後は引き続き仕事をし、この日は全く外に出ることはなかったのだ。だからこの親子二人は会社の入り口で唯月が出てくるのを、午後ずっとまだか、まだかと待っていたのだ。だから相当に頭に来ていた。やっとのことで唯月が会社から出てきたのを見つけ、英子の怒りは頂点に達した。それで会社に出入りする多くの人などお構いなしに、大声で怒鳴り多くの人にじろじろと見られていた。物好きな者は足を止めて野次馬になっていた。唯月はただの財務部の職員であるだけだが、東社長自ら採用をしたことで会社では有名だった。財務部長ですら、自分の地位が脅かされるのではないかと不安に思っていた。唯月は以前、財務部長をしていたそうだし。上司は唯月を警戒せずにいられなかった。さらに、唯月が東社長に採用されことで、上司は必要以上に彼女のことを警戒していたのだ。唯月は彼女にとって目の上のたんこぶと言ってもいい。周りからわかるように唯月を会社から追い出すことはできないから、こそこそと汚い手を使っていた。財務部職員によると、唯月は何度も上司から嫌がらせを受け、はめられようとしていたらしい。しかし、彼女は以前この財務という仕事をやっていて経験豊富だったので、上司の嫌がらせを上手に避けて、その策略に、はまってしまうことはなかった。「あなた達、何しに来たの?」唯月は立ち止まった。そうしたいわけじゃなく、足を止めるしかなかったのだ。元義母と元義姉が彼女の前に立ちはだかり、バイクを押して行こうとした彼女を妨害したのだ。「私らがどうしてここに来たのかは、あんた、自分の胸に聞いてみることだね。うちの弟の家をめちゃくちゃに壊しやがって、弁償しろ!もし内装費を弁償しないと言うなら、裁判を起こしてやるからね!」英子は金切り声で騒ぎ立て、多くの人が足を止めて野次馬になり、人だかりができてきた。彼女はわざと大きな声で唯月がやったことを周りに広めるつもりなのだ。「あなた方の会社の社員、ええ、内海唯
「伯母さんはあなた達が簡単にやられてばかりな子たちだとは思っていないわ。ただ妹のためにも、あの人たちをギャフンと言わせてやりたいのよ」唯花はそれを聞いて、何も言わなかった。それから伯母と姪は午後ずっと話をしていた。夕方五時、詩乃はどうしても唯花と一緒に東グループに唯月を迎えに行くと言ってきかなかった。唯花は彼女のやりたいようにさせてあげるしかなかった。そして、唯花は車に陽を乗せ自分で運転し、神崎詩乃たち一行と颯爽と東グループへと向かっていった。明凛と清水は彼らにはついて行かなかった。途中まで来て、唯花は突然おばあさんのことを思い出した。確か午後ずっとおばあさんの姿を見ていない。唯花はこの時、急いでおばあさんに電話をかけた。おばあさんが電話に出ると、唯花は尋ねた。「おばあちゃん、午後は一体どこにいたの?」「私はそこら辺を適当にぶらぶらしてたの。仕事が終わって帰るの?今からタクシーで帰るわ」実はおばあさんはずっと隣のお店の高橋のところにいたのだった。彼女は唯花たちの前に顔を出すことができなかったのだ。神崎夫人に見られたら終わりだ。「おばあちゃん、私と神崎夫人のDNA鑑定結果がでたの。私たち血縁関係があったわ。それで伯母さんが私とお姉ちゃんを連れて一緒に神崎さんの家でご飯を食べようって、だから今陽ちゃんを連れてお姉ちゃんを迎えに行くところなの。おばあちゃんと清水さんは先に家に帰っててね」「本当に?唯花ちゃん、伯母さんが見つかって良かったわね」おばあさんはまず唯花を祝福してまた言った。「私と清水さんのことは心配しないで。辰巳に仕事が終わったら迎えに来てもらうから。あなたは伯母さんのお家でゆっくりしていらっしゃい。彼女は数十年も家族を捜していたのでしょう。それはとても大変なことだわ。伯母さんのお家に一晩いても大丈夫よ。私に一声かけてくれるだけでいいからね」唯花は笑って言った。「わかったわ。もし伯母さんの家に泊まることになったら、おばあちゃんに教えるわね」通話を終えて、唯花は一人で呟いた。「午後ずっと見なかったと思ったら、また一人でぶらぶらどこかに出かけてたのね」年を取ってくると、どうやら子供に戻るらしい。そして唯月のほうは、妹からのメッセージを受け取り、彼女たちが神崎夫人と伯母と姪の関係で
昔の古い人間はみんなこのような考え方を持っている。財産は息子や男の孫に与え、女ならいつかお嫁に行ってしまって他人の家の人間になるから、財産は譲らないという考え方だ。息子がいない家庭であれば、その親族たちがみんな彼らの財産を狙っているのだ。跡取り息子のいない家を食いつぶそうとしている。それで多くの人が自分が努力して作り上げた財産を苗字の違う余所者に継承したがらず、なんとかして息子を産もうとするのだった。「二番目の従兄って、内海智文とかいう?」詩乃は内海智文には覚えがあった。主に彼が神崎グループの子会社で管理職をしていて、年収は二千万円あったからだ。彼女たち神崎グループからそんなに多くの給料をもらっておいて、彼女の姪にひどい仕打ちをしたのだ。しかもぬけぬけと彼女の妹の家までも奪っているのだから、智文に対する印象は完全に地の底に落ちてしまった。後で息子に言って内海智文を地獄の底まで叩き落とし、街中で物乞いですらできなくさせてやろう。「彼です。うちの祖父母が一番可愛がっている孫なんですよ。彼が私たち孫の中では一番出来の良い人間だと思ってるんです。だからあの人たちは勝手に智文を内海家の跡取りにさせて、私の親が残してくれた家までもあいつに受け継がせたんです。正月が過ぎたら、姉と一緒に時間を作って、故郷に戻って両親が残してくれた家を取り戻します。家を売ったとしても、あいつらにはあげません!」そうなれば裁判に持っていく。今はもうすぐ年越しであるし、姉が離婚したばかりだから、唯花はまだ何も行動を起こしていないのだ。彼女の両親が残した家は、90年代初期に建てられたものだ。実際、家自体はそんなにお金の価値があるものではないが、土地はかなりの値段がつく。彼女の家は一般的な一軒家の坪数よりも多く敷地面積は100坪ほどあるのだ。彼女の両親がまだ生きていた頃、他所の家と土地を交換し合って、少しずつ敷地面積を増やしていき、ようやく100坪近くある大きな土地を手に入れたのだった。母親は、彼女たち姉妹に大人になって自立できるようになったら、この土地を二つに分けて姉妹それぞれで家を建て、隣同士で暮らしお互いに助け合って生きていくように言っていたのだ。「まったく人を欺くにも甚だしいこと。妹の財産をその娘たちが受け継げなくて、妹の甥っ子が資格を持っ
姫華は唯花たちが引っ越し作業を終えてから、ようやく自分がそんなに面白いことを逃したのだと知ったのだった。だから彼女は明凛と唯花に不満を持っていた。明凛は唯花に姫華にも教えるよう言ったが、唯花が彼女はお嬢様だから家をめちゃくちゃにするという乱暴なシーンは見せたくないと思い姫華には伝えなかったのだ。確かに姫華は名家の令嬢であるが、神崎姫華だぞ。神崎姫華は星城の上流社会ではあまり評判が良くない。他人が彼女のことを横暴でわがまま、理屈が通じないというくらいなのだから、そんな彼女が家を壊すくらいのシーンで音を上げるとでも?逆に、彼女自身も機嫌が悪い時にはハチャメチャなことをしでかすというのに。「姉がもらうべき分はしっかりと財産分与させました。ただ内装費に関しては佐々木家が拒否したので、私たちが人を雇ってその内装を全て剥がしたんです」詩乃はそれを聞いて「それはそうすべきよ。どうして佐々木家においしい思いをさせる必要なんてあるかしら」と唯花たちの行動を当たり前だと言った。そして最後にまた残念そうにこう言った。「もし伯母さんが知っていれば、あなた達の家族として、大勢で彼らのところまで押しかけて内装費を意地でも出させてあげたものを。これは正当な権利よ」この時、唯花はふいに姫華の性格は完全に母親譲りなのだと悟った。「唯花ちゃん、もうちょっとしたらお店を閉めて私たちと一緒に神崎家に帰りましょう。家族みんなで食事をするの。そうだ、あなたの旦那さんはお時間があるのかしら?彼も一緒にいらっしゃいよ」唯花は「夫は今日出張に行ったばかりなんです。たぶん暫くの間帰ってきません。彼が帰ってきたら、一緒に詩乃伯母さんのお宅にお邪魔します」と返事した。「出張に行ってらっしゃるのね。なら、彼が帰って来てからお会いしましょう」詩乃はすぐに姪の夫に会えなくても特に気にしていなかった。彼女にとって、二人の姪のほうが重要だったからだ。今、彼女は姪を見つけることができて、姪二人にはこの神崎詩乃という後ろ盾もできた。ちょうど唯花に代わってその夫が頼りになる人物なのか見極めることができよう。「あなたのお姉さんは五時半にお仕事が終わるのよね?」「ええ」神崎夫人は時間を見て言った。「お姉さんはどこで働いていらっしゃるの?」「東グループです」神崎夫人は「そ
姫華は父親である神崎航と一緒に母親を気にかけていたので、理紗が忘れずにこの鑑定結果を持ってきたのだった。唯花は理紗から渡された鑑定結果を受け取って見た。彼女はその結果を見た後、少しの間沈黙してからそれをテーブルの上に置いた。「唯花ちゃん、あなたは私の姪よ。私のことは詩乃伯母さんって呼んでね」今世では妹と再会を果たすことはできなかったが、妹の娘である二人の姪を見つけることができただけでも、神崎詩乃(かんざき しの)にとっては一種の慰めになった。彼女は唯花の手をとり、自分のことを「詩乃伯母さん」と呼ばせた。「唯月ちゃんは?それから陽ちゃんも」神崎詩乃はもう一人の姪のことも忘れていなかった。「姉は昼にはここへは来ないんです。夕方五時半に退勤したら帰ってきますよ」唯花はそう説明して、明凛のほうを見た。明凛が陽を抱っこして近づいて来て、唯花が彼を抱っこした。「神崎おば様……」唯花がそう言うと、詩乃は言った。「唯花ちゃん、私のことは詩乃伯母さんって呼んでね。私はずっとあなた達を見つけられるのを夢見ていたのよ。ようやく見つけたんだから、そんな距離感のある言い方で呼ばれると寂しいわ」唯花は少し黙った後「詩乃伯母さん」と言い直した。DNA鑑定結果はもう出てきたのだ。彼女が神崎詩乃の血縁者であることが証明されたのだから、神崎夫人はまさに彼女の伯母にあたるのだ。本当にまるでドラマのようだ。詩乃は唯花に詩乃伯母さんと呼ばれて、目をまた赤くさせた。そして姫華がこの時急いで言った。「お母さんったら、もう泣かないで。陽ちゃんもいるのよ、お母さんが泣いたりしたら、陽ちゃんを驚かせちゃうでしょ」明凛と清水はみんなにお茶とフルーツを持ってやってきた。詩乃は陽を抱っこしたいと思っていたが、陽のほうはそれを嫌がり、背中を向けて唯花の首にしっかりと抱きついた。「陽ちゃん、こちらはおばあちゃんのお姉さんなのよ」詩乃は立ち上がって、陽をなだめようとした。「いらっしゃい、おばあちゃんが抱っこしてあげる、ね」しかし陽は彼女の手を振り払い「やだ、やだ、おばたんがいいの」と叫んだ。詩乃は陽が過剰な反応をしたのを見て、諦めるしかなかった。そして少し前の出来事を思い出し、彼女はまた容赦なくこう言った。「あの最低な一家が、陽ちゃんにショックを
数台の高級車が遠くからやって来て、星城高校の前を通り過ぎ、唯花の本屋の前に止まった。隣の高橋の店で暇だからおしゃべりをしていた結城おばあさんが、道のほうに目を向けると数台の高級車がやって来ていた。そしてすぐに顔をくるりと元の位置に戻し、わざと頭を低くした。あの数台の車から降りてきた人に見られないようにしたのだ。「唯花、唯花」姫華が車から降りて、唯花の名前を呼びながら店の中へと小走りに入ってきた。その時は隣の店でおしゃべりしていた結城おばあさんを全く気にも留めていなかった。その後ろの車から降りてきた神崎夫人の夫の神崎航がボロボロに泣いている妻を支えながら、娘の後ろに続いて店の中に入ってきた。理紗はボディーガードたちに入り口で待機するように伝え、それから彼女も店の中へと入ってきた。唯花は三分の一ほどビーズ細工のインコを作り終えたところで、姫華に呼ばれる声を聞き、その手を止めて姫華のほうへ視線を向けた。「姫華、来たのね。ご飯は食べた?もしまだなら……」その時、神崎夫人が夫に支えられて入ってきて、夫人が涙で顔を濡らしているのを見て、唯花は状況を理解した。神崎夫人はDNA鑑定の結果を手にしたのだ。神崎夫人のその顔を見れば、聞くまでもなく彼女と神崎夫人には血縁関係があるのだということがわかった。「唯花ちゃん――」神崎夫人は急ぎ足で、レジ台をぐるりを回って彼女のもとへとやって来て、唯花を懐に抱きしめ泣きながら言った。「伯母さんにもっと早く見つけさせてよ――」彼女はそれ以上他に言葉が出てこないらしく、ただ唯花を抱きしめて泣き続けた。唯花は彼女に慰める言葉をかけたかったが、自分もこの時何も言葉が出せなかった。「私の可哀想な妹――」神崎夫人は妹がすでに他界していることを思い、また大泣きした。唯花は彼女と一緒に涙を流した。明凛は陽を抱っこして清水と一緒に遠くからそれを見守っていた。陽は全くどういうことなのかわかっていない様子だった。姫華と理紗も目を真っ赤にさせていた。神崎航がやって来て、妻を唯花から離し、優しい声で慰めた。「泣かないで、姪っ子さんが見つかったんだ、良かったじゃないか。私たちは喜ぶべきだろう。そんなふうにずっと泣いてないで、ね」神崎夫人は夫に支えられて椅子に腰かけた。妹の不幸な境遇と、二人の
「内海のクソじじい、あんたはしっかり私から百二十万受け取っただろうが。現金であげただろう、あれは私がずっと貯めていたへそくりだったんだよ。あの金を受け取る時にあんたは唯花を説得してみせると豪語してたじゃないか。それがあんたは何もできずに、うちの息子はやっぱり唯月と離婚してしまったんだぞ。だからさっさと金を返すんだよ。じゃないと本気で警察に通報するわよ」佐々木母は内海じいさんがどうしても認めようとしないので、怒りで顔を真っ赤にさせていた。内海じいさんは冷たい顔で言った。「もし通報するってんなら、通報すりゃええだろ。俺がそんなことを怖がるとでも思ってんのか。俺はお前から金を受け取ってないし、もし受け取っていたとしてもそれが何だって言うんだ?それは唯月が結婚した時の結納金の補填だろう。うちの孫娘がお宅の息子と結婚する時に一円も出しゃあしなかったくせによ。結納金に代わって百万ちょいの補填だけで済んだんだぞ。お宅にも娘がいるだろ。その娘が結婚する時に一円も結納金を受け取らずにタダで娘を婿側に送ったのか?」佐々木母はそれを聞いて腹を立てて言った。「なにが結納金だ、お前は唯月を育ててきたのか?そうじゃないくせに結納金を受け取る資格があんたにあるとでも?彼らはもう離婚したってのに、馬鹿みたいにあんたらに結納金を今更補填してあげるわけないでしょうが。さっさと金を返すんだよ!」「金なんかねえ。命ならあるけどな。それでいいなら持って行くがいい」内海じいさんは、もはやこの世に何も恐れるものなど何もないといった様子で、佐々木母はあまりの怒りで彼に飛びかかって引き裂いてやりたいくらいだった。そこに英子が母親を引き留めた。「お母さん、あいつに触っちゃダメよ。あいつはあの年齢だし、床に寝転がりでもされちゃったら、私たちが責任を追及されちゃうわよ」「ああ、じいさんや、私はすごくきついよ。もう息もできないくらいさ。こいつらがここで大騒ぎしたせいで私まで気分が悪くなってきたみたいだ。死にそうだよ……」病床に寝ていたおばあさんが突然、気分が悪そうな様子で胸元を押さえて荒い呼吸をし始めた。内海じいさんはすぐにナースコールを押して、医者と看護師に来るように伝えた。そして、佐々木母たち三人に向って容赦なく言った。「もしうちのばあさんがお前らのせいで体調を悪化させた
唯花は笑って言った。「姫華が言ってたの、九条さんって情報一家らしいわ。彼と一緒にいたら、ありとあらゆる噂話が聞けるわよ。あなたって一番こういうのに興味があるでしょ。九条さんってまさにあなたのために生まれてきたみたいな人だわ、あなた達二人とってもお似合いだと思うけど」明凛「……」彼女が彼氏を探しているのは、結婚したいからなのか、それとも噂話を聞くためなのか。「そういえば、お姉さんの元旦那のあの一家がまた来たって?」明凛は急いで話題を変えた。親友に自分の噂話など提供したくないのだ。「お姉ちゃんと佐々木のクソ野郎が離婚して、お姉ちゃんがあの家から出て行ったでしょ。あいつらは待ってましたと言わんばかりに引っ越して来ようとしてたわけ。だけど、今は部屋を借りるかホテル暮らしするか、はたまた実家に帰るしかなくなったでしょ。あの一家は絶対市内で年越ししたいと思ってるはずよ。実家には帰らないでしょうね」佐々木一家は絶対に実家のご近所たちに、年越しは市内でするんだと言いふらしていたはずだ。だから、住む家がなくとも、彼ら一家は部屋を借りるまでしてでも、市内で正月を迎えようとするに決まっている。唯花は幽体離脱でもして佐々木家に向かい、彼らの様子を見てみたいくらいだった。「あの人たち、家の内装がなくなってめちゃくちゃになった部屋を見て、きっと大喜びして失神したことでしょうね」唯花はハハハと大笑いした。「そりゃそうね」唯花が今どんな状況なのか興味を持っている佐々木家はというと、この時、すでに内海じいさんがいる病院までやって来ていた。内海ばあさんは術後回復はなかなか順調で、もう少しすれば退院して家で休養できるのだった。佐々木母は娘とその婿を連れて病室に勢いよく入っていった。佐々木父は来たくなかったので、ホテルに残って三人の孫たちを見ていた。ただ佐々木父は恥をかきたくなかったのだ。「このクソじじい」佐々木母は病室に勢いよく入って来ると、大声でそう叫んだ。内海じいさんは彼女が娘とその婿を連れて入ってきたのを見て、不機嫌そうに眉をしかめた。彼の息子や孫たちはどこに行ったのだ?誰もこの狂ったクソババアを止めに入りやしないじゃないか。「これは親戚の佐々木さんじゃないですか、うちのばあさんはまだ病気なんで、静かにしてもら