Masuk
あの時、私は運命を恨み、何もかもが嫌で、これさえも憎んだ。まさかいつか、この箱を抱いてこんなに泣き崩れることになるなんて。箱の中には黒い小さな壺があり、そこには我が子の骨が入っていた。震える手でそれを持ち上げ、名前を呼びかけようとする。けれど何と言えばいいのか、どうしても言葉が見つからなかった。この子には、名前がなかったから。ずっと「書陽」と呼んできたけれど、その名前はこの子のものじゃなかった。この子の顔を見ることも、名前をつけてやることも、叶わなかった。「安(あん)……お母さん、あなたを安と呼ぶわね。あちらの世界では、どうか……安らかに過ごせるようにと願って……」私は骨壺をぎゅっと抱きしめた。ごめんね。私の人生は悲しいことばかりだった。どうか来世では、私と離れて幸せになって。どこか優しい家の子に生まれ変わって。……「奥様」いつのまにか、塗景のそばにいた護衛が背後に立っていた。護衛は塗景のようにため息をつき、長い間黙り込んでいた。「実は……塗様がおっしゃっていた言葉は、本心ではありませんでした。お子様は、生まれた時にはもう息をしていなかったのです。塗様は、奥様が悲しまないように、別の子を連れてきたのです。お子様を捨てたと塗様は言っていましたが、ずっと大切に遺骨を守り続けていたのです。毎晩のように、独りぼっちで眠れぬ夜を過ごしていました。それに、奥様のお甥様を殺してなどもおりません。塗様は……奥様に憎まれてでも生き続けてほしかったのです。そうしなければ、奥様は生きる気力を失うと知っていましたから」護衛はこれまで隠されていた事実を、一つずつ教えてくれた。最後には言葉を詰まらせたが、その重い告白が、一つ一つ私の心に突き刺さった。「塗様は、すでに奥様が生きていく道を用意されていました」私は視線を動かし、壺の隣に置かれた分厚い土地の譲り状と金を見た。それは塗景が一生かけて稼いだ、全財産だと護衛は言う。少しだけ祁絮にあてた以外は、すべて私に遺したのだと。書類の束のそばには、丁寧な布に包まれた袋もあった。中には、五百両分の銀票が入っていた。永泰(えいたい)37年の発行だ。ちょうど12年前のこと。……塗景を殺して、私は喜ぶべきだと思っていた
しょっぱい涙が、大粒になってこぼれ落ちる。それでも、胸の内の痛みは少しも和らがなかった。「死んで当然だからだ。お前たち沈家の連中は、みんな死ぬべきなんだ……生まれつきの卑しい命が!ああ、そうだ。お前の息子もな」塗景は言葉を切った。目尻を赤く震わせ、途切れ途切れに言い放つ。それなのに一言残らず、くっきりと私の耳に突き刺さった。「あいつも……この手で押し殺したんだ。死んだ時、全身が真っ青になっていたな。知っているか……」「塗景、この、人でなし!」込み上げる憎しみに、私は正気を失った。塗景が何を言っているのかもう聞こえない。ただ、その口が動くのが見えた。まるで地獄から命を奪いに来た鬼のように。青ざめた顔に牙をむき、おぞましい姿だ。久方ぶりの激しい恨みが心を満たす。脳内に一つの声が響いた。殺せ……仇を取れ……みんなの代わりに、報復するんだ。私は迷わず、袖に隠していた刃物を塗景の胸に突き立てた。ここ6年で幾度も繰り返してきたように。一瞬の躊躇いもない。だが、いつもとは違った。塗景は避けなかった。というか、最初から避ける気がなかったのだ。刃物が体に入ると同時に肉を裂く音が響き、血が飛び散った。まさかの成功に、自分でも驚きで息を呑む。しかし塗景は、どこかほっとしたような表情だった。口から血を吐きながら、いつもの冷酷な笑みを浮かべる。6年と2ヶ月間演じ続けた笑み。慣れ親しんだものだろう。胸には激痛が走るはずなのに。塗景は目の前で活力を取り戻した私を見つめ、どこか密やかな喜びに包まれていた。目尻から涙が一滴零れたが、言葉だけは強気だった。「もっと力を込めろ、沈卿雲。俺が憎いんだろう?俺を殺せば、一族の仇が討てるぞ……」あまりの刺激に精神が麻痺していた私は、もう塗景の言葉など耳に入らなかった。塗景だってかつては、月の光のように私の人生を照らした存在だった。梨の木の下で、塗景のために埋めたあのお酒のことさえも、今はそんなことも忘れている。思い出されるのは、暗い部屋で何度も腕を締め上げられた痛みと苦しみ。沈家のみんなが、ことごとく塗景に殺された記憶だけが心を支配していた。あの日も、今日のように風が冷たかった。気がつくと、私は塗景に何度も
「お母さん、死なないで、お願いだから……全部、僕が悪かったんだ……」塗書陽はしゃくり上げながら、これまで自分がした間違いをひとつずつ口にした。前はわがままで、祁絮ばかり好きだったと打ち明ける。でも、私がいなくなるなんて想像もしたことがなかったそうだ。塗書陽の純粋な瞳に涙が浮かび、私を真っ直ぐに見つめている。どこか、約束を求めているかのようだった。そんな彼を見つめながら、私は一瞬ぼんやりとした。もし、私の子が生きていたら。怒られたあとにこうやって謝りに来たかもしれない。それとも、あの子はもっと素直で賢い子だったのだろうか?胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように痛む。私は何度もひどく咳き込んだ。「わかったから、もう遊びに行ってきなさい」「お母さん……」「外に行きなさい」塗書陽をどう扱えばいいのか、私にはわからなかった。彼は泣きながら駆け出していった。その背中を見送りながら、私はもう耐えきれず、激しく血を吐いた。……塗書陽が会いに来た翌日。塗景は、祁絮親子を無理やり馬車に乗せて追い出した。3日目。塗景は心身の不調を理由に、皇帝へと辞官の書を奏上した。まだ、26歳という若さなのに。4日目。塗景は長年仕えてきた忠実な護衛だけを残して、仕えていた下男下女たちをことごとく去らせた。5日目。塗景は自ら食籠を手に提げ、私の元へやってきた。椀の雑炊を丁寧に冷まし、熱さを確かめてから、私の口元へと運んできた。「食べろ」私は迷わずそれを払い除けた。「沈卿雲、いいから食べろ」塗景はもう一度、別の椀を差し出してくる。私は何の感情も浮かべずに彼を一瞥した。怒る気力さえ失った私を見て、塗景はふっと声を柔らかくした。「一緒に食べてくれ。これが最後だと約束するよ」本当なら塗景の頬を平手打ちして、叫びたい気分だった。どうしてなのかと。どうして私を助けて引き止めるのかと。6年も続いた執拗な苦しみ。塗景、まだ足りないの?けれど、私はもう疲れてしまった。本当に、疲れてしまったんだ……心が枯れ果て、怒りを感じるのさえ、もはや苦痛だった。私が食事を拒む姿を見て、塗景は長く沈黙した。その後、塗景は表情を複雑に変え、やがてあの不気味な笑みを浮かべた。そして、ゆっく
「目が覚めたのなら……もう行く」塗景は気まずさに耐えきれず、部屋をあとにした。だが、出ていく前に、一度だけ振り返った。「沈卿雲、もう二度と死のうなんてするな」私は背を向けたまま、言葉を返さなかった。塗景の見えないところで、私は静かに涙を流した。昏睡の数日間、走馬灯のように過去十数年の日々が蘇った。両家の仲睦まじい思い出、雪の降る日に聞いた悲痛な叫び声。初恋の喜びから、憎しみ合って傷つけ合う関係へ。春の梨の花を見上げていた頃から、老いて白髪になるまで……胸の奥をアリに食い尽くされるような苦しみが、心臓をえぐるようだった。塗景はずっと、沈家のせいで自分がすべてを失ったと信じ込んでいる。でも本当は、父は最後まで命令に従って公務を果たしただけなのだ。当時、父が背を向けたのは、友が絶望する姿を見たくなかったからだ。こっそりと涙をぬぐうためでもあった。当時の父には、何もできなかった。私の返事がないのを見て、塗景は小さくため息をついた。……塗景は庭で夜空を見上げた。半分もの時間、立ち尽くしたまま。ふと塗景は、1年前の家族と揉めて家出したことを思い出した。正確には家出というより、真夜中に塀を乗り越えて、沈卿雲の部屋の窓を叩いたのだ。沈卿雲を屋根へ連れ出し、二人で一晩中月を眺めた。その時に言いたかったことがあった。「お前こそが、俺の道を照らす唯一の明月だった」と。けれど、月もいつかは沈む運命にある。夜が明ける頃、冷たい露を浴びて、塗景は祁絮の部屋を訪ねた。彼は大金と数か所の土地の譲り状を祁絮に差し出した。「これだけあれば、お前と書陽の生活は一生安泰だ。山水の美しい地を見つけ、穏やかに暮らしてくれ」祁絮の心臓は、不意に力任せに鷲掴みにされたかのように激しく震えた。彼女はその場に崩れ落ちるように膝をつき、溢れ出る涙で視界を滲ませた。「景さん、急にどうして……」目の前の女を見つめる塗景の瞳には、複雑な色が浮かぶ。自分が苦境に立たされた時、祁絮は確かに支えてくれた。祁絮の望む通り、すべてを与えてきた。愛情、金、子供、権勢……何もかもを。だが、もはやこれまでだ。塗景はため息をついた。「お前がこれまでずっと、卿……沈卿雲に厳しく当たっていたことは
塗景が去る時、私を深く見つめた。その瞳には理解できない複雑な色が浮かんでいた。家に帰ると、父が部屋の前に立っていた。まるで10歳も老け込んだようだった。「塗景は行ったのか?」「はい」月日は流れ、私が成人すると縁談の話が持ち上がるようになった。だが、あの年、馬を駆り駆け抜けていった少年の後ろ姿だけは、どうしても私の心から消し去ることができなかった。それどころか、時が経つほどにその姿は、より色鮮やかに胸の奥で刻まれていくばかりだった。李家の息子との縁談が決まった日、私は梨の木の下から酒壺を掘り出した。独りで、泥酔するまで飲み干した。酔った勢いで李邸の前に走り込み、自分の縁談をめちゃくちゃにしてやった。人生で初めての、大きな反抗だった。両親はただ溜め息をつき、何も言わなかった。塗景と再会したあの日、私は家族が一人ずつ殺されていくのを目の当たりにし、泣き叫ぶことしかできなかった。最後は私と両親だけになった。その時、塗景は神様のように現れ、私を連れ去った。父は立派な身なりの塗景を見て、全てを察したようだった。父は声を詰まらせ、目に涙を溜めて言った。「全ての因縁に卿雲は何の関係もない。卿雲を妻にするのなら、どうか大切にしてやってくれ」父は私に視線を移し、「これからは、誰も憎んではいけない」と言った。当時の私は、その最期の言葉の意味を理解できなかった。9ヶ月後、塗景の部屋の前で全ての真相を聞くまでは。私があたたかいと信じていたものは、最初からすべて偽りだったのだ。塗景こそが、皇帝に沈家が国を売ったと吹き込み、家を滅ぼした張本人だった。激しい衝撃で、私は書斎の入り口に倒れ込んだ。物音で書斎にいた塗景が出てきた。意識が遠のく中、彼が慌てて私を抱きかかえるのが見えた。口の中に無理やり薬を放り込まれ、耳元で必死に叫ぶ声が聞こえた。「卿雲、どうした?卿雲、怖がらせないでくれ……卿雲……沈卿雲!死んではいけない」……「沈卿雲、目を覚ませ。沈卿雲、俺を恨めば恨むほど、お前を生かしてやる」うるさい。本当にうるさい。塗景の言う通り、彼は私を死なせることすら許さないつもりらしい。記憶の中の声が現実と重なる。ふたたび目を開けると、いつかもわからない深夜だった。右手
塗景は慌てて解毒薬を私の口に押し込むが、溢れ出す黒い血は止まらない。「卿雲……卿雲、寝ちゃだめだ……卿雲、お願いだ。目を閉じるな」塗景の涙が私の頬にこぼれ、熱く肌を焼きつける。けれど、私の意識はどんどん薄れていった。あの日、梨の花が舞い散り、帝都の街全体が白く染まっていたのを覚えている。青い衣を纏い、髪を高く結い上げた一人の少年が、青石の敷かれた通りを馬で駆け抜けていった。その手にした長剣は、望月楼(ぼうげつろう)が景品として高く掲げていた酒を見事に奪い去った。驚く人々を背に、少年は風のように駆け抜けていった。馬上で微笑むその姿は、まさに絵になる光景だった。当時の塗景は、誰もが認める華のある少年だった。私の目の前に飛び降りると、彼は無邪気に笑った。「ほら!卿雲、俺が取ってきてやった酒だぞ!」その凛々しくも優しい笑顔を、私は忘れられない。その瞬間、頭の中はそれでいっぱいだった。これが、私が初めて塗景に恋をした瞬間。私は顔を赤くしてその酒を受け取り、家の裏庭にある梨の木の下に隠した。その夜、初恋に心弾ませていた私は、一睡もできなかった。庭で輝く静かな月を見つめれば、不意に幻を見た。月影さえも、塗景に見えてしまうほどに。一年に一度、星々が巡り合うというあの夜、私は勇気を出して塗景を誘い出した。塗景は門枠に寄りかかり、口に草をくわえてふざけた笑みを浮かべている。「お、卿雲から誘ってくれるとはね」彼は不意に顔を寄せた。その瞳の奥には、私を惑わすような熱い色が宿っていた。「俺は忙しいんだぞ?」私は照れ隠しに足を鳴らして、塗景の袖を引っ張った。「なら、行ってくれるの?」「ああ、もちろん!」彼はくすくすと笑みを漏らすと、私の頭を優しく撫で、その髪を一房、指に絡めては解くようにして、とりとめもなく弄んでいた。「卿雲のお誘いを断れるはずがないだろう?」今も覚えている。輝く花火の下で、塗景が髪飾りを買ってくれたことを。「卿雲、早く大人になってね」と、塗景は言った。私が「大人になってどうするの?」と聞き返すと、塗景は顔を真っ赤にして、懐から一つの腕輪を取り出し、私の手首にはめてくれた。「父と母が想いを通わせた時、これを贈ったんだってさ。卿雲、大きくなったら