入江ゆみは素早くソファから飛び降り、ダッシュで兄の所に走ろうとした。しかし森川晋太郎は彼女の腕を掴み、冷たい声で「俺が送ってやる」と言った。「大丈夫です、おじさん」入江佑樹は礼儀正しく断り、ゆみの小さな手を繋いだ。「僕達は自分で来たんだから、自分で帰れます」「危ないぞ」晋太郎は冷たい目線で彼を睨んだ。「大丈夫です」佑樹は断り続けた。「僕達で帰れますから、おじさんのお手を煩わせなくても大丈夫です」晋太郎は目を細くして、「そんなに自信があるのなら、私が送らなくても大丈夫みたいだ」と答えた。佑樹は森川念江に、「念江君、僕達は帰るね、バイバイ」と言った。念江は黙って頷き、二人が部屋から出るのを見送った。入江紀美子は警察署で道路の防犯カメラの録画を出してもらい、二人の子供がジャルダン・デ・ヴァグで車を降りたのを見て、心臓が止まりそうだった。この子達、なぜあんな危ない所に行ったの?自分は今子供達を迎えに行くべきかどうか、紀美子は困った。この時間帯だと、晋太郎はまだ戻ってきていないだろうか?紀美子は暫く考えてから、やはり子供達を迎えにいくと決めた。彼女は警察署を出て、車に乗り込もうとしたら、携帯が鳴った。画面に表示された見知らぬ番号を見て、紀美子は慌てて電話に出た。「もしもし?」「お母さん、僕、佑樹だよ」紀美子は驚いた「佑樹?あなた達、今どこ?それは誰の携帯なの?」「タクシーの運転手さんのだよ」佑樹は答えた。「佑樹!何で出かけることをお母さんと初江さんに教えなかったの?私たちがどれほど心配したか分かってるの?」紀美子は怒りを抑えきれなかった。「分かってる、だから携帯を借りてお母さんに電話したの」佑樹の口調は落ち着いていて優雅だった。紀美子「……」紀美子は息子がどれほど自立しているかを知っているが、明らかに彼が悪いことしたのに、まるで全くそうではないような話し方をしていることに疑問を抱いた。紀美子「今あなた達はどこにいるの?家に向かってるの?」「はい、もうすぐ家に着くから、後で話そう、お母さん」佑樹は電話を切り、携帯を運転手に返した。「ありがとう、おじさん」「君たちはまだ5歳くらいかな?」運転手が聞いた。佑樹は微笑んで答えた。「そうだよ、おじさん」「本当にいい度胸で
入江ゆみの方はもうどうしようもないので、入江紀美子は目線をリュックを外していた入江佑樹に向けた。紀美子は真顔で言った。「佑樹、こっちへ」佑樹は顔色変わらずに落ち着いて母の傍に来た。佑樹は紀美子の前に来て、母が口を開く前に先制を仕掛けた。「お母さん、ごめん、ゆみを友達の所に遊びに連れていってたんだ。事前に報告していなかった僕が悪かったけど、お母さんは僕とゆみがお友達を作るのを反対しないよね?」佑樹の幼いが俊美な顔には、優雅な気質を発していた。しかし彼のその墨の如く澄んだ両目の中には狡猾で満ちていた。子供が真面目に謝っている姿を見ると、紀美子は何を言えばよいのか迷った。これからジャルダン・デ・ヴァグにあの子と遊びに行っちゃダメ、とか?しかしあの子は何も悪いことをしていなかった!もしかしたら、子供達に何故そこまで抵抗するのかと聞かれるかもしれない。心が疲弊した紀美子は、「今回はちゃんと謝ってくれたから、お母さんは許してあげる。でもね、今後は必ず大人に一言声をかけてからにしてね。例えば、付箋に書いて、あなたがどこに行って誰と遊ぶとかを私たちに教えてくれれば、お母さんは反対したりはしないよ」「分かった、お母さん」佑樹はその小さな首を縦に振った。子供達が怒られたのを見て心が痛んだ松沢初江は口を開いた。「紀美子さん、子供達も無事戻ってきたし、もうこれ以上叱らないで。佑樹君もゆみちゃんもお腹が空いているでしょう、初江お婆さんが美味しいおやつを作ってあげるから」「やったー!」ゆみは素早く返事した。「ゆみはもう腹ペコだよ!」言いながら、彼女は小さな手で自分の腹を摘まんでみせた。そして彼女は紀美子に、「お母さん、念江君のお母さんは、念江君を叱ったり殴ったりして、とても怖かったの。そしてお兄ちゃんがね、念江君のお父さんに言いつけたの!念江君のお父さんはすぐに戻ってきて、あの悪い女を家から追い出したの!あとね、念江君のお父さんはとてもけちだったの!綿菓子をあげるとか、お母さんのお名前を聞き出そうとしたの!フンッ、あたしはそんなに騙されやすい子に見えるの?」紀美子はゆみの話を聞いて大変驚いた。この子達は狛村静恵と森川晋太郎に会ったのか?!しかも、彼らは大人が暴力を振るっていたのを目撃し
「明日午後1時に、藤河別荘2棟玄関前の郵便受けに、2本の歯ブラシがある。それをDNA鑑定検査に出して、急いで結果が欲しい」相手に用件を伝えた後、彼はリュックから携帯を取り出し、相手に40万円を送金した。別の部屋で、入江紀美子はパソコンのキーボードを叩いていた。今日もMKからのメールが届いていた。一連の優遇の約束以外、最後に1行の追記があった。足りないと思えば、また相談に乗る。紀美子はあざ笑い、以前の彼女だったら、間違いなく相手が示した年収2億円の給与に屈しただろう。しかし今、彼女は真面目に1着の服のサンプル品を仕上げ、それを完成品にすれば、直ちに数億の売上を稼ぐことができた。自分を雇う?寝言は寝てから言え!紀美子は極めて簡潔な返信をした。「結構」彼女からの返信はすぐに杉本肇に届いた。紀美子の返信を読んで、肇はすぐに返した。「どこかご不満でもありましたか?」紀美子はまだ眠気がこないので、もう一回相手に返信を送った。「そちらの社長の苗字が森川ってところから既に気に入らなかった。私は森川氏に仇がある!」その言葉は、すぐに森川晋太郎の耳に届いた。彼は曇った顔でそのメールを睨み、こいつ、いい度胸をしているじゃないか!相手が抜群の能力を持っていて、大変貴重な人材じゃなかったら、これほどしつこく勧誘することは絶対しなかった。しかしながら、手に入らない人材ほど、彼の闘争心を掻きだすものはなかった。彼は自らメールを返信した。「服飾はMKが力を入れて宣伝し、ブランドは新たに立上げ、君の名の下に付けるほか、獲得した利益は更に3パーセント譲ります」紀美子はメールを読んであざ笑った、彼女がブランドを立上げたいなら、ただGの肩書を出すだけでできた。MKの宣伝に頼る必要はどこにある?Gは国内での身分は海外に若干及ばないものの、時間さえかければ、国内でも十分その名を轟かせることができた。彼女は自分自身の実力と発言力が必要だった!でなければ、彼女は狛村静恵との仇を取ることはできない!「結構」紀美子の返事は変わらなかった。メールに返信して、彼女はパソコンの電源を切り、ベッドに入った。しかし回線の向こう側の晋太郎は、彼女の傲慢な態度に激怒して、一晩中眠れなかった。月曜日。子供達の
森川念江は無言に視線を戻した。車の中の雰囲気はまた抑圧的になり、森川晋太郎は何かが違う気がした。彼は仕事の関係で子供と一緒にいる時間が少なく、昨日あの二人の子供に会ってから、念江が若干変わったと感じた。口数が減り、笑わなくなり、声まで鬱陶しくなった。彼は以前息子が自分と性格が似すぎたからと思っていたが、今は念江が狛村静恵に虐められて自閉的になったと発覚した!念江の顔色が益々曇ってきたので、晋太郎は精神科医に診てもらう必要があると考えた。もしも本当に子供が心理的な問題があったら、彼は絶対にその陰険悪辣な静恵を許さないと決めた!いきなり鳴り出した携帯の着信音が晋太郎の思考を中断させた。電話に出ると、相手が先に口を開いた。「社長!大変です、会社のネットワークがハッカーにより侵入されました!」晋太郎は眉を寄せ、冷たい声で命令した。「俺に電話をするより、早く緊急対策を考えろ!」「社長……」プログラマーが言い淀んだ。「や、やはりLINEで情報を送ります」プログラマーはすぐ晋太郎に一枚の画像データを送信した。晋太郎は画像データを開いた途端に、顔色が曇った。事務所の数百台ものパソコンの画面には同じ言葉が表示されていた。「Mkは所詮こんなもんか?ここまで簡単にネットワークのセキュリティキーをクラッキングされるとは心外だった。もし企業の機密を流出させられたくなければ、金で引き取ることだ。」文章の下に滑稽な笑顔の落書きと、一枚のQRコードが貼られていた。晋太郎は一瞬で額の青筋が立った。どこの命知らずが自分を挑発しているのだ?!すぐ、プログラマーはまた一つの動画を送ってきた。晋太郎がそれを開くと、プログラマーがコードを打ち込む度、パソコンの画面に一行の文字が飛び出してきた。「バーカっ、俺様の仕掛けはそう簡単に解除できるものか」晋太郎の怒りが有頂天外になり、車の中の温度が氷点下になりそうだった。彼は携帯に向かって怒鳴った。「俺が高い給料でお前達トップクラスのハッカーを雇ったのに、いざとなるとこんな仕事しかできないのか!?半日だけ与えてやる、それまでに問題を解決できなかったら、お前ら全員クビだ!」晋太郎の怒鳴りを聞いた念江は、無意識にその小さな体を縮めた。静恵が彼に与えた恐怖は実に深いものだっ
森川晋太郎は自慢の気持ちになった同時に、心の中で息子への申し訳なさも湧いてきた。彼はどれほど息子のことに無関心であったから、今日まで彼の才能に気づいていなかったのだろうか?!晋太郎は激昂した情緒を押えながら、パソコンに表示された追跡結果を覗いた。帝都国際マンション?!狛村静恵がやらかしたのか?!晋太郎はいきなり拳を握り、真っ黒な瞳に段々と怒りが湧き上がった。自分が彼女に与えた金が足りなかったのか?!あの女がここまで卑劣な手を使って会社をハッキングして金を脅してきたとは?!父の顔に浮かんだ怒気を見て、念江は少しほっとした。5分後、車が幼稚園についた。念江はクラスに入って、入江佑樹を見つけ、冷たい目線で彼を見つめながら言った。「そんなことをするべきじゃなかった」佑樹は彼を見上げて、眼底に笑みを浮かべながら聞き返した。「何のことを言ってるの?分かんないよ」念江「君、僕のお父さんの会社のネットワークをハッキングしたでしょ」佑樹は落ち着いた口調で答えた。「何で僕だと決めつけたの?」「君のIPアドレスを追跡した」念江は冷たい顔で返事した。「ということは、君もハッキングの技術を持っていると認めたんだな?」佑樹は依然として笑顔を見せていた。念江は警戒して佑樹を見た。「何が言いたいの?」佑樹は笑顔で、「A-n-gさん、アンタは僕の金主様なんだから、僕はどうにもできないよ。ただ、アンタの父の会社をハッキングするのは、僕自身の考えだった」念江は少し焦った。「お父さんは怒るよ」「君たちが大変なことになる」念江がその話を言い出す前に、佑樹に打ち切られた。「つまり、彼が僕のお母さんを虐めるのを黙ってみていろと言うの?」佑樹は浮かんでいた笑みを収めた。念江は戸惑った。「僕のお父さんは君のお母さんを虐めたの?」「そうだよ、彼は僕のお母さんに酷いことをしたから、お母さんが仕方なく僕と妹を連れてこの街を離れたんだ」佑樹は怒って答えた。念江は黙り込んだ。彼は佑樹の顔を見つめて、脳裏で素早く思考した。暫くしたら、念江は急に質問をした。「君も僕のお父さんの子供なの」「そうだ」佑樹は直接に肯定の答を出した。答えた後、佑樹は急に小さな眉を寄せた。あの悪い女は念江のお母さんではないとすると、もしか
紀美子は朔也がいることに安堵し、心配事の半分以上が軽減された。 残りの二時間、紀美子はすぐにインターネットで売りに出されているアパレル工場を調べた。 三つの工場と面会の時間を決め、紀美子は幼稚園に子供たちを迎えに行った。 十五分後、紀美子は幼稚園の前に車を停めた。早めに到着したため、放課後の時間までまだ十分あった。車から降りると、静恵の姿が目に飛び込んできた。彼女は急いで幼稚園の門に向かっており、すぐに小林先生が念江を連れて出てきた。静恵は念江の手を取ろうとしたが、念江はすぐに手を引っ込めた。「念江!お父さんは用事があって、私に迎えに来るように頼んだの。お利口にしてくれる?」静恵は我慢して尋ねた。「嫌だ」念江は小林先生の手をしっかり握って離さなかった。小林先生は困った様子で、しゃがみこんでなだめた。「念江君、ママが迎えに来たから、先に帰ろうね?」念江は小さな唇を引き締めて、短く答えた。「嫌だ」静恵は顔を立てられず、「念江!何をしてるの?!こんなに多くの保護者の前で恥をかかせるつもり?!」と怒鳴った。念江は頭を下げて後ろに二歩後退した。静恵は耐え切れず、直接彼を引っ張った。念江の眉間に恐怖の色が浮かび、精緻な顔は真っ白になった。彼が静恵の手を振り払う過程で、ふとサングラスをかけた紀美子の姿が目に入った。彼は足を上げて静恵の足を思い切り踏みつけ、静恵が痛みで手を放す間に紀美子の方へと飛び込んでいった。念江が走ってくる小さな姿を見て、紀美子は驚いた。この子がなぜこちらに来るの?!すぐに念江は紀美子の前に到着し、目に涙を浮かべて「連れて行って、お願い」と言った。念江の恐怖に満ちた顔を見て、紀美子は自分の子供たちが言ったことを思い出した。静恵が子供を虐待していることだった。紀美子の心は不思議と柔らかくなり、すぐに念江を抱き上げた。静恵はすぐに紀美子の前に駆け寄り、激しく怒鳴った。「子供を返して!!」紀美子は唇を引き締めて、嘲笑を浮かべながら言った。「子供があなたと一緒に行きたいか聞いてみて」「あんたは誰?!関係ないでしょ?」静恵は焦りで顔を歪めた。「私は……」「パパの友達!」念江が説明した。「パパが今朝、彼女が迎えに来るって言ってた」念江は一気に長い言葉を話し
紀美子は一瞬驚いたが、すぐに我に返った。 母親に対する不満があれば、関係を断ち切るのも理解できる。 紀美子は念江を地面に下ろし、微笑みながら言った。「分かった、あなたの言う通りにするわ。でもまずは幼稚園に戻って、お父さんが迎えに来るのを待ってくれる?」紀美子は憎しみを子供に向けることはせず、まだそれほど狭量ではなかった。それに、この子に対して何か奇妙な感情を抱いていた。心が柔らかくなり、接触を拒むことはなかった。念江は佑樹との約束を守り、母親に迷惑をかけないようにするため、少し名残惜しそうに紀美子を一瞥しただけで、学校へと戻って行った。放課の時間になると、紀美子は二人の子供を車に乗せた。しかし、晋太郎が現れるまで車を出さなかった。「クズ親父……」ゆみは晋太郎の方向を指さして言いかけたが、佑樹に口を覆われた。紀美子はバックミラーで二人の子供を見て疑問を抱いた。「何?」ゆみはすぐに首を振り、柔らかく笑いながら言った。「何でもないよ、ママ。兄さんとふざけてただけ」紀美子は微笑み、「しっかり座って、家に帰るわよ」マイバッハの中で、晋太郎は念江のまだ涙に濡れた目を見て眉をひそめた。彼は緊張して尋ねた。「念江、幼稚園でいじめられたのか?」「あの人が僕を連れて行こうとした」念江は簡潔に答えた。晋太郎はすぐにその「あの人」が誰かを分かった。このところ、彼は静恵に対してまだ仕返しをしていなかったのに、彼女はまた図々しくも現れたのだ。晋太郎は念江を家に送り届けると、すぐに杉本に静恵の居場所を調べさせ、急行した。渡辺家で。静恵は晋太郎が子供に会わせないことを野碩に訴えていた。野碩の顔は怒りで青ざめ、「五年も経ったのに!彼が婚約を解消したのは我慢したが、今度は子供に会わせないとは!!」静恵は涙を拭き、「おじい様、前回は本当にうっかり念江に触れてしまっただけです。彼は私の血を分けた子です、どうして叩けるわけがありませんか?」「よしよし、君の性格は分かっている」野碩は優しく慰め、「君は蟻一匹も殺せない人だ、子供を叩くなんてありえない」静恵は泣きじゃくり、「おじい様、本当に心が痛むんです……」「おじい様は今すぐ彼に電話する!このまま放っておくわけにはいかない!」野碩は怒りで電話を取ろ
野碩の口元が引きつった。「静恵がやったわけがない。静恵は心優しくて、子供を叩くような人じゃない!」 晋太郎は野碩がそう言うだろうと予想していた。 彼は杉本に目配せし、杉本はすぐに別のビデオを再生した。 ビデオには、静恵が二人の使用人の前で本を使って子供を激しく叩く場面が映っていた。 彼女の凶悪な顔つきに、野碩の心も震えた。 「まだ弁解するか?」晋太郎は陰鬱な表情を浮かべていた。 彼はこのビデオを見たとき、静恵を殺したいほどの怒りを感じた。 だが、すぐに死なせるのは彼女には甘すぎる! 野碩の顔色は沈み、杉本を押しのけて静恵の前に歩み寄った。 何も言わずに、彼野碩は静恵に二つの強いビンタを浴びせた! 静恵は既に目がくらんでいたが、野碩の怒りのビンタでさらにふらふらになった。 彼女は信じられない表情で野碩を見つめ、震える声で言った。「お、おじい様?」 「狂っている!!」野碩は怒鳴った。「彼は君の息子だ!!」 自分の行為がバレた静恵は涙ながらに言った。「おじい様、私が間違っていました。衝動に駆られてしまったんです。 「おじいさま、私を精神病院に送ってください。うつ病で気が狂いそうです! 「感情をコントロールできないんです……ご存じでしょう…… 「子供を産んだ後、晋太郎は私に冷たくなりました。私も女です、夫の愛情が必要なんです……」 「誰が夫だ?」晋太郎は嫌悪感をあらわにした。「口を閉じられないなら、この場で縫い合わせることもいとわないぞ!」 静恵はすぐに口を閉じた。 野碩は失望していたが、孫娘がこれ以上辱められるのを黙って見ているわけにはいかなかった。 彼は歯を食いしばり、顔を下げて晋太郎に向き合った。「この件について、静恵に代わって森川家に謝罪する。 孫娘をちゃんと監督できなかった私の責任だ。念江に苦労をかけた。 今日から、彼女をお宅や森川家に一歩も入れさせない」 晋太郎は冷ややかに笑った。「では、静恵がハッカーを雇って私の会社に損害を与えた件についても話し合おうか」 静恵は呆然とした。いつハッカーなんか雇ったのか?! しかし、今はどんなに説明しても、もう誰も彼女を信じなかった。……藤河別荘にて。紀美子は子供たちと積み木をして遊ぼうとしていたが、ドアをノックす
どっちみち焦っているのは晋太郎の方で、こっちじゃないんだから。これまで長い年月を待ってきたのだから、もう少し待っても構わない。2階の書斎。晋太郎はむしゃくしゃしながらデスクに座っていた。紀美子が龍介と電話で話していた時の口調を思い出すだけで、イライラが募った。たかが龍介ごときに、あんなに優しく対応するなんて。あの違いはなんだ?ちょうどその時、晴から電話がかかってきた。晋太郎は一瞥してすぐに通話ボタンを押した。「大事じゃないならさっさと切れ!」晋太郎はネクタイを緩めながら言った。電話の向こうで晴は一瞬たじろいだ。「晋太郎、家に着いたか?なぜそんなに機嫌が悪いんだ?」晋太郎の胸中は怒りでいっぱいになっており、必然と声も荒くなっていた。「用があるなら早く言え!」「はいはい」晴は慌てて本題に入った。「さっき隆一から電話があってな。出国前にみんなで集まろうってさ。あいつまた海外に行くらしい」「無理だ!」晋太郎は即答した。「夜は予定があるんだ」「午後、少しカフェで会うだけなのに、それも無理か?」午後なら……夜の紀美子と龍介の待ち合わせに間に合う。ついでに、あの件についても聞けるかもしれない「場所を送れ」30分後。晋太郎は晴と隆一と共にカフェで顔を合わせた。隆一は憂鬱そうにコーヒーを前にため息をついた。「お前らはいいよな……好きな人と結婚できて」晴はからかうように言った。「どうした?また父親に、海外に行って外国人とお見合いしろとでも言われたのか?」「今回は外国人じゃない」隆一は言った。「相手は海外にいる軍司令官の娘で、聞くところによると性格が最悪らしい」晴は笑いをこらえながら言った。「それはいいじゃないか。お前みたいな遊び人にはぴったりだろ?」「は?誰が遊び人だって?」隆一はムッとして睨みつけた。「お前みたいなふしだらな男、他に見たことないぞ!」「俺がふしだらだと?!」晴は激しく反論した。「俺、今はめちゃくちゃ真面目だぞ!」隆一は嘲るように声を上げて笑った。「お前が真面目?笑わせんなよ。佳世子がいなかったら、まだ女の間でフラフラしてたに決まってるだろ!」「お前だってそうだったじゃないか!よく俺のことを言える
晋太郎は思わず唾を飲み込んだ。言葉に詰まる彼を見て、紀美子は笑いながら頬の髪を耳にかけた。「晋太郎、隠してもね、ふとした瞬間に本心は漏れるものよ。言いたくないなら無理強いはしない。いつかきちんと考えがまとまったら、また話しましょう」そう言うと、紀美子は先を行く子供たちの手を取って笑いながら歩き出した。紀美子の後姿を見ながら、晋太郎は考え込んだ。……翌日。一行は荷物をまとめ、帝都に戻った。別荘に着くとすぐ、紀美子は龍介から電話を受けた。彼女はスピーカーをオンにし、子供たちのためにフルーツを準備しながら応答した。「龍介さん」そう言うと、電話の向こうから龍介の心配そうな声が聞こえてきた。「紀美子、大丈夫か?」ちょうどキッチンに入ってきた晋太郎は、はっきりとその言葉を聞いた。彼は眉をひそめ、テーブルに置かれた紀美子の携帯を不機嫌そうに睨みつけた。「相変わらず情報通だね。大丈夫だよ、心配しないで」「いや、情報通ってわけじゃない」龍介は言った。「今、トレンド一位が悟の件だ。まさか自殺するとは」紀美子はリンゴの皮をむく手を止めた。「もうその話はいいよ。過去のことだし」「悪い。今晩、空いてる?食事でもどうだ?」「無理だ!」突然、晋太郎の声が紀美子の背後から響いた。びっくりして振り向くと、彼はすでに携帯を奪い取っていた。龍介は笑いながら言った。「森川社長、盗み聞きするなんて、よくないね」「陰で俺の女を誘う方がよほど下品だろ」「森川社長、俺と紀美子はビジネスパートナーだ。食事に誘うのに許可が必要か?」晋太郎は冷笑した。「お前みたいなパートナー、認められない」「森川社長と紀美子はまだ何もないはずだ。『俺の女』って言い方、どうかしてるぞ」「……」紀美子は言葉を失った。この二人のやり取り、いつまで続くんだろう……「龍介さん、何か急ぎの用?」紀美子は携帯を取り返し、呆れた様子で晋太郎を一瞥した。「相談したいことがある。家族連れでも構わない」「わかった。後で場所と時間を教えて」「ああ」電話を切ると、紀美子は晋太郎を無視してリンゴの皮むきを続けた。晋太郎は腕を組んでキッチンカウンターに寄りかかり、不機嫌そうに聞いた。「俺とあいつが同
「お前の両親は納得したのか?」晋太郎がさらに尋ねた。「俺はあいつらと縁を切ったのさ。だから何を言われようと、俺は気にしない」晴は肩をすくめた。「子供たちを海外に送りだしたら、準備する」晋太郎は視線を紀美子と子供たちに向けた。「そう言えば、佑樹たちはいつ出発するんだ?」晴はハッと気づいた。「明日、まず彼らを帝都に連れ帰る。明後日には隆久と一緒に出発する予定だ」晋太郎は日数を計算した。「ゆみには言わないのか?兄たちを見送らせてやらなくていいのか?」晴は軽くため息をついた。「必要ない」晋太郎は即答した。「ゆみを泣かせたくない」「お前のゆみへの態度、日に日に親バカ度が上がってるように感じるよ。昨日佳世子と話してたんだ。『もう一人産んで、その子を譲ってくれ』って」晴は眉を上げた。「寝言は寝てから言え」晋太郎は足を止め、不機嫌そうに彼を見た。「お前と紀美子はまだ産めるだろうが、俺は無理なんだよ!」晴は言った。「今の医療技術なら、子供への感染を防ぐ方法も試せる」晋太郎は彼をじっと見た。「『試せる』って言ったろ」晴は落ち込んだ。「もし運が悪くて子供に感染したらどうする?」「たとえお前が俺の子供を自分の子のように育てられても、お前たちには大きな悔いが残るだろう」晋太郎は言った。「もういい。佳世子に毎日苦しみと自責の念を味わわせたくない。病気だけでも十分辛いんだ」晴はため息をついた。「俺は子供をやるつもりもない」そう言うと、晋太郎は紀美子たちの後を追った。「晋太郎!酷いこと言うなよ!金は弾むよ。少しは人情を持てよ!」晴は目を見開いた。晴の見えないところで、晋太郎の唇がかすかに緩んだ。夕食後。紀美子と晋太郎は、二人の子供を連れて外を散歩した。「会社の合併について考えたことはあるか?」しばらく歩くと、晋太郎は傍らの紀美子に尋ねた。「合併ってどういう意味?」紀美子は彼を見上げた。「文字通りの意味だ」晋太郎は、もし紀美子がまた妊娠したら、彼女に産休を取らせるつもりだった。「あんたの力に頼って会社を発展させる気はないわ。全てが無意味になる」「MKを見くびっているのか?」晋太郎は足を止めて彼女を見た。「MKの実力を馬
遠くのスナイパーも急いでライフルの安全装置を外したが、悟は自分のこめかみに銃を向けた。晋太郎は呆然とした。言葉を発する間もなく、悟は笑みを浮かべながら引き金を引いた…………紀美子が目を覚ました時、自分が元の部屋にいないことに気づいた。佳世子が傍らに座り、二人の子供たちと話していた。彼女がゆっくりと体を起こすと、その音に三人が一斉に振り向いた。「紀美子!」佳世子が駆け寄った。「目が覚めたんだね!」「どうやって戻ってきたの?」紀美子は尋ねた。「晋太郎が連れ帰ってくれたの。もう全部終わったわ」佳世子は明るく笑った。「終わったって……?」紀美子は理解できずに聞いた。「悟は?自首したの?」「彼、自殺したの」佳世子の瞳が少し潤んだ。自殺……紀美子は凍りついた。「晋太郎と二言三言交わした後、自分のこめかみに銃を向けて、みんなの目の前で死んだらしいわ。あの時彼があんたを再び部屋に連れ戻した理由が分かる気がする。自分の死に様を見せたくなかったんでしょうね」佳世子は続けて言った。紀美子は、ホテルのロビーで大河が撃たれた後、悟が彼女の目を覆ったことを思い出した。悟の結末を聞いて、紀美子は複雑な心境になった。悲しい?悟は数々の非道なことをしたのに、なぜ悲しいのか分からなかった。少しも嬉しい気持ちになれない。目が次第に赤くなっていく紀美子を見て、佳世子は心の中でそっとため息をついた。二人は、長年共に過ごした仲間だ。たとえ悟がどれほど冷血なことをしたとしても、紀美子は彼が優しくしてくれた日々を思い出さずにはいられないだろう。だって、あの優しさは本物だったから。「晋太郎は?」紀美子は長い沈黙の後、ようやく息をついて話題を変えた。「隣の部屋で会議中よ。会社の用事で、晴も一緒だわ」佳世子は答えた。紀美子は頷き、視線を子供たちに向けた。「この二日間、怖い思いをさせちゃったね」彼女は両手を広げ、微笑みながら言った。二人の子供は母の懐に飛び込んだ。「お母さん、怪我はない?」念江が心配そうに尋ねた。「うん、とくに何もされなかったわ」紀美子は首を振って答えた。「あの悪魔はもういないし、僕と念江も安心して出発できる」「うん、外でしっか
悟は紀美子をじっと見つめた。まだ語り尽くせない思いは山ほどあったが、全ては言葉にできなかった。長い沈黙の後、悟は紀美子の手を離し、立ち上がってドアに向かった。ドアノブに手をかけた瞬間、彼は再びベッドに横たわる彼女を振り返った。淡い褐色の瞳には純粋で、ただ未練と後悔だけが満ちていた。ゆっくりと視線を戻すと、悟は決然とドアを開けた。ドアの外で、ボディガードは悟が出てくるのを見て一瞬たじろいだ。「お前は私の部下ではない。何もしなくていい。私が自分で行く」悟は彼を見て言った。「悟が降りてきます!」悟の背中を見送りながら、ボディガードは美月に報告した。報告を受け、美月は晋太郎を見た。悟が紀美子にかけた言葉をはっきりと聞いていた晋太郎は、端正な顔を険しくした。次に……彼は唇を強く結び、ドアを開けて車から出た。美月も続いて降りてきた。晋太郎たちがホテルの入り口で立ち止まると、悟が中から出てきた。「あんたと俺は同じ汚れた血が流れている。たとえあんたが認めたくなくても、これが事実だ」悟は平静な笑みを浮かべた。「上で紀美子に何をした?」晋太郎は怒りを抑え、冷たい声で詰め寄った。「私が彼女に本当に何かしたとして、あんたの出番などないだろう」悟は反問した。「だが心配するな。彼女はただ眠っているだけだ」「お前は自分で自首するか、俺がお前をムショに送るか選べ」「刑務所だと?」悟は嘲笑った。「私があの男と同じ場所に行くと思うか?」「それはお前が決めることじゃない!」「降りてきたのは、ただ一つ聞きたいことがあったからだ」悟は一歩踏み出し、ゆっくりと晋太郎に近づいた。二人の距離が縮まるのを見て、美月は慌てて止めに入ろうとした。「来るな」背後からの気配に、晋太郎は軽く振り返って言った。美月は焦りながらもその場で止まった。社長は目の前の悟がどれほど危険か分かっているのか?本当に傲慢で思い上がりも甚だしい!!「最後のチャンスだ。聞きたいことは一度で済ませろ」晋太郎は視線を戻し、悟の目を見据えた。「貞則があんたの母親にあんなことをしたのを知って、彼を殺そうと思ったことはあるか?」「お前があの老害を始末してくれたおかげで、俺は手を汚さずに済んだ。礼を言
「俺は何も言わない!」ボディガードが運転手の口に貼られたテープを剥がすと、運転手は晋太郎を見上げて言った。晋太郎は冷たく笑った。「美月」運転手は晋太郎の側に来た女性を見て、次に何が起こるかをよく理解していた。「暴力で自白させようとしても無駄だ。俺は塚原社長を裏切るつもりはない。殺すならさっさとやってくれ!」運転手は歯を食いしばって言った。「誰が暴力を振るつもりだと言った?」「どういう意味だ?」運転手は一瞬呆然とした。「この世には特殊メイクがあるじゃない」美月が笑いながら言った。運転手は一瞬固まったが、すぐに気づいた。自分は、捕まってからただ口を塞がれ連れて来られたが、暴力を振るわれることはなかった。その間の動きは非常に静かで、部屋の中からは何の音もしなかっただろう。「社長がそう簡単に騙されると思うのか?」そう言い終わると、運転手は内心不安になり上階に向かって叫ぼうともがいたが、傍らのボディガードに素早く再び口を塞がれた。すぐに美月は道具を取り出し、彼とよく似た体型のボディガードの変装を始めた。30分後、美月はそのボディガードを完全に運転手に化けさせた。自分とそっくりに変装したボディガードを見て、運転手の瞳は恐怖に満ちた。美月は変声器を取り出してボディガードにつけた。「ほら、何か喋ってみて」ボディガードが声を出すと、運転手はひどく衝撃を受けた。もう終わりだ、完全に終わりだ!「上に行ったら、悟に夕食が要るかどうかと尋ねるだけ。もし『要る』と言われたら、食事を届けながら部屋の様子を窺う。もし『要らない』と言われたら、この盗聴器を中に入れ、ドアの前で待機して。中の状況を常に把握したいの」運転手の表情を見て、美月はボディガードに言った。「分かりました、美月さん」そう言うと、ボディガードはホテルに入り、美月の指示通りに三階に上がった。「社長、夕食はいかがですか?」悟の部屋の前で、彼はドアをノックして尋ねた。「いい」部下の声を聞いて、悟は疑うことなく答えた。「入江さんの分もいいのですか」ボディガードはゆっくりしゃがみ込み、盗聴器を入れた。「ああ、彼女は寝ている」美月と晋太郎の耳には悟の声がはっきりと届いた。晋太郎は眉をひそめた。悟はま
「あんたはもう逃げられないわ。いつ私を解放してくれるの?」紀美子が尋ねた。「紀美子、私に二つだけ約束してくれないか?」悟は俯いて、掠れた声で言った。「私のできる範囲なら、約束するよ」早くそこを離れるために、紀美子は悟の話に合わせた。「ありがとう」悟は笑みを浮かべた。紀美子は彼の要求を待ったが、しばらく経っても悟は何も言わなかった。「約束って何?」紀美子が怪訝そうに尋ねた。「一つは後で教える」悟は再び立ち上がった。 そして、彼は彼女に向かって一歩ずつ近づいた。紀美子は緊張して椅子の肘掛けを握りしめた。「もう一つは、今夜だけ、私と一緒にいてくれないか、紀美子」悟は彼女の前で止まり、跪いて耳元で囁いた。「悟、変なことを言わないで」紀美子は目を見開いて彼を見た。悟は首を振った。「心配するな。ただ静かに眠って、そばにいてほしいだけだ」そう言うと、悟はそっと一本の針を取り出し、紀美子が気づかないうちに彼女の手のツボに素早く刺した。 「痛っ!」紀美子は手を引っ込め、恐怖に満ちた目で悟を見た。「何をしたの?」 「言っただろう。ただ一晩眠って、一緒にいてほしいだけだって」悟は冷静に答えた。その言葉と同時に、紀美子は急激な疲弊感に襲われた。彼女はまだ何か言おうとしたが、猛烈な睡魔に脳を支配され、次第に視界がぼやけていった。やがて紀美子はゆっくりと目を閉じ、横に倒れこんだ。悟は彼女の体を受け止め、腰をかがめてベッドに運んだ。階下。晋太郎が民宿に着くと、美月は車から飛び出して彼の元へ駆け寄った。 晋太郎が質問する前に、晴が先に詰め寄った。「彼女たちはどこにいるんだ?」 「佳世子さんは無事ですが、紀美子さんはまた部屋に連れ戻されました」美月は答えた。「森川社長、無闇に上るのは控えた方がいいでしょう。悟が部屋に爆発物を仕掛けている可能性がありますので、不用意に動けません」美月は晋太郎に向き直って忠告した。「偵察班を出せ」晋太郎は険しい表情で言った。「もう手配済みです」美月は答えた。「既に悟の部下の一人を排除しました」晋太郎はホテルの窓を見上げた。「奴はどの階にいるか特定できたか?」「3階です。廊下には悟の
「美月さん、山田大河という技術者が紀美子さんを人質に取っています。奴らは銃を持っていますが、どうしますか?」少し離れた場所に立っていた二人の男は、彼らの会話を聞きながら、通信機を通じて美月に低い声で報告した。「騒ぎ立てる必要はないが、その場を離れるな。とりあえずは威圧感を与えるだけでいいわ。紀美子さんは私が何とかする」美月は周囲を見回して、指示を出した。 「了解です、美月さん」 二人のボディガードが座るのを見て、大河の緊張はさらに高まった。 彼らは晋太郎の部下に違いない。 一般人であれば、銃を持っている奴を見た途端に逃げるはずだ。悟はゆっくりと大河に近づいた。「大河、言うことを聞け、銃を下ろせ」 目が充血した大河は首を振った。「できません、社長……もう逃げられません。奴らがここにいるということは、外も囲まれているはずです」 「分かっているさ。だから、銃を下ろせと言っているんだ」 「社長……」大河は涙を浮かべた。「どうか生き延びてください。こんな女に惑わされて命を投げ出さないで!彼女は災いのもとです。俺が彼女を始末します!社長、生きて……」そう言い終わると、大河は銃の安全装置を外し、再び紀美子の額に銃口を向けようとした。その瞬間、彼の視覚には悟が銃を抜く姿が映った。「社長……」大河は動きを止め、驚愕して目を見開いた。「バン——」突然、ガラスが砕ける音が響いた。紀美子が慌てて振り向くと、顔に温かく湿った感触と強烈な血の匂いがした。背後からの拘束が弱まり、紀美子は大河が目を見開いたまま倒れるのを見た。銃弾は彼のこめかみを貫通し、傷口から血が止めどなく噴き出してきた。顔が青ざめた彼女の目を覆い、悟は最速で彼女を連れてエレベーターに乗り込んだ。ロビーに座っていた二人のボディガードはすぐに追いかけようとしたが、エレベーターの扉はすぐに閉まってしまった。「美月さん、奴らは上の階へ逃げました!」ボディガードの一人が報告した。「大河が手を出さなければ、こっちも動くつもりはなかったのに。困ったわ。部屋のカーテンを閉められたら、こちらの狙いは定まらない」「強行突破しましょうか、美月さん!」 「ダメだ!部屋に爆弾を仕掛けられたかもしれない。悟が危険
「大河さんからいろいろ聞いた」紀美子は優しい口調で、悟のそばに座った。「全ての恨みを捨てて、どこかでまたやり直そう」悟は大河を一瞥し、明らかに不満げな視線を向けた。「君もついて来てくれるか?」紀美子は悟の浅褐色の、澄み切った瞳を見つめた。これほどの苦難を乗り越えたとは信じ難いほどの、純粋な眼差しであった。彼には彼の事情があるが、彼女にも許せないことがあった。悟を去るように説得することは、彼女の最大の譲歩だった。「それができないのは分かっているでしょう?晋太郎は私を探すのを諦めないわ。一生ビクビクしながら生きていきたいの?」紀美子は言った。「君がそばにいてくれれば、私はどうなっても構わない」悟はそう言いながら、紀美子の手に触れようとした。しかし、紀美子はとっさに手を引っ込めた。悟の手は空中で止まり、数秒間硬直した後、静かに下ろされた。「紀美子、もうこれ以上言わなくていい。君がここに少しでも長くいてくれるだけで十分だ」悟は紀美子に言った。「そして大河、お前の気持ちは分かるが、彼女を脅す必要はない」大河は一瞬呆然とした。「しかし、社長……」「もうこれ以上言うな」悟は言った。「もう十分に話したはずだ。これ以上説明しても無駄だ。お前は大海と行け」大河は納得いかず、まだどう説得しようか考えていたその時、民宿の入り口から二人の男が入ってきた。大河はその二人の体格から、彼らは訓練を受けた者たちだとすぐに分かった。彼らは普段着を着ていたが、明らかに危険なオーラを帯びていた。大河は視線を紀美子に移し、いきなり彼女を掴んだ。その急な挙動に、紀美子も悟も反応できなかった。次の瞬間、大河は悟の目の前で、再び銃を紀美子のこめかみに突きつけた。「大河、紀美子を放せ!」悟の表情は一気に冷たくなった。「嫌です!」二人の男は足を止め、険しい表情で大河を見つめた。「社長、奴らが来ました。この女を人質にして逃げましょうよ!社長もこの女を連れていきたいでしょう?俺が無理やり連れていきます!」「大河!」悟は怒声を上げた。「お前、そんなことをして何の得がある?そう簡単に彼女を連れ去れるとでも思うのか?私は強要ではなく、彼女自身の意思でついて来てほしいんだ!」「社長!