「俺の息子が、お前達に連れられ知らない奴のことを『叔父さん』と呼んでいる。俺は父親としてそれをはっきりさせなければならない」「ならば自分で当ててみて!」そう言って、入江佑樹は携帯を置いた。自分を探ろうなんて、させるものか!森川晋太郎が続けて返信しようとしていたところ、狛村静恵の声がドアの外から聞こえてきた。「晋太郎、念江くんの検査が終わったけど、レポートが出たあと、あとはマッチする骨髄があればすぐに手術ができるようになるわ」晋太郎はすぐに携帯をしまい、立ち上がって静恵を追い払おうとした。「もう帰っていい」「えっ?」静恵は驚いて、「念江くんはまだ午後の点滴があるし、もし用事があれば先に行ってていいよ」と言った。晋太郎は確かに一回会社に行かなければならなかった。最近念江に付き添っていたため会社に行けておらず、秘書から今日とあるプロジェクトの取引相手の会社との打ち合わせがあるとの連絡が入っていた。「では君が残ってくれ」意外な返事で静恵は喜んだ。「分かったわ、安心して、ちゃんと念江くんのお世話をするから」晋太郎はベッドの横に来て、携帯を念江の枕の下に戻した。そして彼はドアの方に行って、ボディーガードの小原に、「静恵を見張ってろ、一歩も離れるな。奴には念江と2人きりでいるチャンスを与えるな」小原は頷き、「畏まりました、若様!」念江は検査が終わって出てきてから、晋太郎は彼と少し会話をしてから病院を出た。午後。入江紀美子は会社に戻り、事務所の椅子に座ったばかりの頃、森川次郎からの電話がかかってきた。着信通知を暫く見つめてから、紀美子は電話に出た。「何か用?」紀美子は冷たい声で聞いた。次郎は軽く笑いながら、「そんなに俺が静恵のことをいうのが気に入らないなら、今すぐ切るか?」紀美子はイラついて、次郎に「話があればどうぞ」と言った。「そうだ、俺は確かに静恵に晋太郎の母親の話をしていた」次郎は単刀直入に言った。「つまり、そのことはあなたがわざと静恵の口を借りて散布したのね?!」紀美子は怒りを堪えきれず、激昂して相手を問い詰めた。次郎は笑いながら言った。「そんなに誤解されたら困るぜ?俺は彼女に何かをやって貰うことなんて、一回も無かったぞ。でもな、入江さん。昨晩俺を庇って晋太郎のパンチを
夜。狛村静恵が渡辺家に戻ると、渡辺野碩に「静恵、君は今日朝早く家を出たが、会社に行かずにどこに行っていた?」と聞かれた。静恵は帰ってくる途中に既に口実を考えていたので、「外祖父様、私がやっているのは服装会社なので、契約している工場に様子を見に行ってきたのですよ」と答えた。野碩は笑みを浮かべて、「それはご苦労だったな、疲れてない?」と聞いた。静恵はわざとらしく唇をすぼめながら首を揉んで、「疲れたよ、外祖父様、先に上がって休んでますね」と言った。「上がって、上がって」部屋に戻ってから、静恵はシャワーを浴び、野碩が部屋に戻るのを待ってから、彼女は再び着替えて家を出た。森川晋太郎の部下の尾行を避ける為、静恵は随分と厚着をして、コーディネートもごく素朴なものにしていた。彼女はタクシーを呼んで北郊の林荘に向った。30分後、静恵は森川次郎の家の前で車を降りた。彼女が入ろうとすると、ボディーガードに止められた。静恵は戸惑って眉を寄せ、「次郎さんに会いにきたのに、なぜ止めるの?」と聞いた。「次郎様は今取り込み中ですので、無関係な方はお会いできません」ボディーガードは冷たく言い放った。「無関係な人?!」静恵は目を大きく開いて、「よくみなさいよ、私は無関係な人なんかじゃないわ!」「ご自分で次郎様にお伝えください」静恵は彼らの前で暴れたくなかったので、次郎の携帯に電話をかけた。随分経ってから、やっと電話が繋がった。「静恵?」次郎は優しい声で呼んだ。「こんな時間にいったいどうしたんだ?」静恵は甘えた声で、「次郎さん、こっちのボディーガード達が私を止めるのよ!」次郎の眼底に一抹の冷酷さが浮かび、隣にいる満身創痍に虐待された女を見て、「今ちょっと分が悪いから、後で迎えに降りる」静恵は少し戸惑ったが、それ以上は聞かないことにして、「分かったわ、外で待ってる」と言った。電話を切り、次郎は女の髪を掴んで彼女を客室に引きずり込んだ。気絶していた女は痛みで目が覚め、次郎の顔を見て恐怖の悲鳴を上げた。「い……いや!お願い、許して!!」次郎は足を止め、「少しでも音を立ててくれたら、その舌を切り取ってやるからな!」と女を脅した。女はすぐに口を閉じ、次郎は彼女を連れて部屋を出た。10分後。次郎はバスローブ
木曜日。森川念江の検査報告書の数値が全て合格していたので、医者は骨髄移植手術の準備に着手した。医者は森川晋太郎に、「森川さん、すぐにでも手術を始めることができますが、手術の後、暫く念江くんを1人で無菌室に待機させる必要があります」と言った。晋太郎は眉を寄せながら、「どれくらい?」と聞いた。「少なくとも1か月です」医者は答えた。晋太郎は胸が痛んで、「新年までに出てこれないのか?」と聞いた。医者はカレンダーを確認すると、申し訳なさそうな顔で答えた。「努力します」「一番いい薬を使ってくれ」晋太郎は言った。「なるべく早く回復させるのだ!」「かしこまりました、森川さん。全力で念江くんを治療します」午前10時。狛村静恵が病院に着くと、念江はちょうど医者達に病室から連れ出されていた。念江が微かに目を開いたのを確認すると、静恵は目元を赤くして近づき、念江の小さな手を無理やり握りしめた。彼は警戒して怯えた目で静恵を見た。静恵は少し驚いたが、すぐに手で涙を拭くふりをして、「念江くん、大丈夫だよ、私達は外で待ってるから」と言った。念江は慌てて頷き、目線を逸らして父を見た。「お父さん、心配しないで、ちゃんとご飯を食べてしっかりと休んでね」晋太郎の心臓はギュッと締め付けられた。念江の頭を撫でながら、「分かった、早く元気になれ」と答えた。「うん」念江は晋太郎に笑顔を見せた。僕は必ずできる!元気になってお母さんに会いに行く!倒れてはいけない!そして、念江は手術室に運ばれていった。……Tyc社にて。入江紀美子は会議の最中に胸が急に痛んだ。冷や汗が出た瞬間、彼女は胸を押えながら身体を縮こまらせた。社員達は彼女を見て、慌てて駆け寄ってきた。松沢楠子は立ち上がり、冷静且つ迅速に紀美子の傍に集まっていた人達を追い払って、素早く強心剤を出して彼女に飲ませようとした。しかし紀美子は楠子を押しのけ、荒く息をしながら、「い、要らないわ……」と拒否した。しかし楠子はそのまま薬を彼女の口に押し込んだ。周りの人達は楠子の挙動を見て、びっくりして誰も声が出なかった。紀美子は驚いて楠子を見た。楠子は無表情に、「飲まなきゃダメです」と言った。そして、手に持っていた薬を隣で固まっていた秘書の
「分かったわ」入江紀美子もちょうど、急な心臓の痛みを病院で診てもらおうと思っていた。杉浦佳世子にレストランの場所を教えてもらい、紀美子はカバンを持って会社を出た。10分後、中華レストラン江海にて。紀美子は佳世子と待ち合わせし、一緒に個室に入った。佳世子は紀美子の隣に座り、「これ、どう?」と手を出して紀美子に見せた。佳世子の指に嵌めていた指輪を見て、紀美子は「田中晴が買ってくれたの?」と聞いた。「そう、彼が『君が俺のものだという印だ』と言って、買ってくれたの」紀美子は嘆くふりをして、「じゃあ結構高額なお祝い金を用意しなきゃダメね……」と呟いた。佳世子は紀美子の手を握って、「お金はどうでもいい。あなたが傍にいてくれれば、私は満足よ」その時、佳世子の携帯が急に鳴り出した。携帯を出して、佳世子はその知らない番号を見て眉を寄せた。紀美子は疑問に思い、「どうしたの?」と尋ねた。「知らない番号から電話がかかってきた」そう言って、佳世子は通話ボタンを押して、スピーカーフォンにした。「もしもし、どちら様ですか?」「杉浦佳世子さんですよね?」携帯から中年の女性の声が聞こえてきた。2人は戸惑って目を合わせた。「はい」「あなたは?」「杉浦さん、昼頃はお時間ありますか?田中晴の母親です。ちょっと会って話したいことがあります」中年女性は言った。「ああ、こんにちは。はい、空いています。もしよろしければ、ご一緒にお食事でもしませんか?」「そうね、場所はあなたが決めてください」晴の母は言った。「MK社近くの中華レストラン江海はご存知でしょうか?私は106番個室にいます」「分かったわ、今からそちらに向かいます」晴の母はそう言って、電話を切った。佳世子は焦って紀美子に、「何で晴のお母さんが私を訪ねてくるのよ?私、お化粧は崩れてないよね?服装は?」紀美子は無力に彼女を見て、「大丈夫、ちゃんとしてる、落ち着いて」と慰めた。佳世子は両手で顔を支え、「どうしよう、私すごく緊張してる。晴がお母さんに何か言ったのかな、何で急に訪ねてくるんだろう……」紀美子は軽く眉を寄せ、「先に晴さんに電話をして聞いてみたらどう?」とアドバイスを入れた。「あっ、そうだったわ、今すぐ晴に電話する」そう言われ
「藍子さんは海外から戻ってきたばかりで、彼女と彼女の祖父様がうちに訪ねてきてから、うちの息子が小さい頃に、既に婚約があったと分かったわ」と田中晴の母は鋭い目線で杉浦佳世子を見つめて言った。入江紀美子は深く眉を寄せた。晴の母が嘘をついていると気づいたからだ。佳世子もそれに気づいて、無意識に口滑りそうになった。紀美子は一歩先に口を開いて、「叔母様、許嫁のこと、晴さん本人はご存知ですか?」と聞いた。晴の母は偉そうに紀美子を見て、「あなたは?」と聞いた。「私は佳世子の友人です」と紀美子は冷静に答えた。「ならばあなたには発言権がないわ」晴の母は紀美子と会話することを断った。これを聞いた佳世子は、いきなり激昂して相手を問い詰めた。「何故紀美子が発言しちゃいけないの?紀美子は私の一番の親友です!」佳世子はあざ笑いをしながら、「なるほど、あなたは今日来たのは、私と晴を引き離すためでしょ!」と言い放った。佳世子の様子を見た紀美子は、困って頭を抱えた。彼女が暴れ出したら、もう誰にも止められなかった。晴の母は厳しい顔色を見せた。「何ですか、その態度は?」「私はこれでも十分に礼儀正しく言っているつもりですけど?先にうちの親友に失礼な態度をとったのは、あなたの方でしょ!」佳世子は少しも譲らなかった。「こんな失礼な態度をとるような人、絶対に田中家に入れさせないわ!」「わけのわからないことを言わないでよ!こっちが願い下げだわ!」晴の母は怒りで体が震えた。「何その言い方は!早くうちの息子から離れなさい!」「あなたの息子なんか別に珍しくないわ!」佳世子は言い返した。「私が彼に付き纏ってるわけじゃなくて、彼が私に付き纏ってるの!」「杉浦さん、あなたが晴さんを手放せれば、晴さんがあなたに付き纏うことはないじゃないですか?」と藍子は言った。「あなたはどんな立場で言ってるの?」佳世子は藍子を問い詰めた。「あなたには発言する資格があるの?許嫁だからって、晴の婚約者気取りにならないでよ、目障りだわ」藍子の表情が固まり、「私はただ善意で注意してあげてるだけよ」「そんな注意は要らないわ!」佳世子はドアの方に指さしをして、「無関係な人は横から口出ししないで!」晴の母はスッと立ち上がり、「その様子だと、こちらの話を受
杉浦佳世子は納得いかず、「あいつは晴の母だから、今回のことは彼に片付けさせるべきだ」と言った。「将来あなたが彼と結婚したら、いずれ彼の母親と対面することになるわ」「それは将来の話、今この状況だし、彼と結婚するかどうかも微妙だわ」佳世子は長いため息をついた。田中家にて。田中晴が家に入るとすぐ、外から帰ってきた母と加藤藍子に会った。藍子は、晴を見かけるとすぐ嬉しそうに「晴兄!」と駆け寄った。晴はくっついてきた藍子を見て、「誰だ、君は?」と避けながら聞いた。藍子は口をすぼめて、「晴兄、私、デブ子よ」「デブ子?」懐かしい名前の響きに晴は戸惑った。「そうよ!」藍子はしっかりと頷き、「小学校と中学校の頃いつもあなたの後ろについていたぽっちゃりした子よ」晴ははっきりと思い出した。「君か!」藍子ははにかみながら、「やっと思い出してくれたんだね」と言った。「うん、思い出したんだけど」晴は眉を寄せ、「でも君がうちの母と一緒に佳世子に会ってきた件、ちょっと説明してくれないかな」と言った。藍子の頬が一瞬で赤く染まり、隣にいた晴の母は怒りだした。「その件は私たちがあなたに説明してもらいたかったわ!入ってきて!」別荘に入って、晴の母は単刀直入に言った。「あの子と別れなさい!あんな女は絶対に田中家に入らせないから!」晴も頭に来て、「その件に関しては、これ以上あなたと喧嘩したくない。結婚は俺自分のことだ、あなた達の意思に従うつもりはない!」これを聞くと、晴の母は怒りで顔が真っ赤になった。。晴も不満そうに母を見て、「俺はあなた達に決められた人と結婚したくない!」「晴!」晴の母は怒りで体が震え、「あの女がどういう態度で私と喧嘩していたか知らない?」と晴を問い詰めようとした。「それは、俺がデブ子と許嫁があるとか、佳世子の友達に酷い言葉遣いをして、あなた達が先に彼女を試そうとしたからだろ?」晴は負けずに言い返した。「あの女、告げ口したのか?!」「彼女は私の恋人だ!俺に以外言える人がいるか?言っとくけど、俺は佳世子としか結婚しない!用事があるから先に失礼する!」「晴!!」晴の母は大声で叫んだ。しかし晴は、振り返らずに家を出た。「叔母様、怒らないで、晴兄は今恋の真っ最中ですし、別れなさいと言ってもきっと聞
4時間とやたらと長い手術を経て、入り口の赤いランプが消えた。医者が出てきた頃、森川晋太郎は既に疲れで全身が凝り固まり、まともに歩けなかった。医者は微笑みながら彼に報告した。「森川さん、お子さんの手術は無事に成功しました」その報告を聞いた晋太郎は、ここ数日の不安がやっと解消された。「トップクラスの医療チームをつけて念江を介護させろ」医者は頷き、「ご安心ください、必ず念江くんを治します。看護婦も既に手配済みで、念江くんが寂しがるようなことはありません」隣にいた狛村静恵もほっとして、嬉しそうな声で言った。「晋太郎、良かったわね」晋太郎は彼女を見て、「苦労をかけたな」と言った。静恵は少し驚いて、耳元まで赤く染まり、「そんなよそよそしい言い方しなくても」晋太郎は医者と少し会話してから、静恵に向って「行こう」と言った。夜。入江紀美子は藤河別荘に戻った。ご飯を食べる時さえ、彼女は携帯をテーブルに置いて、森川念江からの返事を待っていた。入江佑樹と入江ゆみは母を見つめながら、こっそりと議論した。佑樹は低い声で、「お兄ちゃん、お母さんはずっとぼんやりしているけど、あなたが何か悪いことをしてお母さんを怒らせたの?」佑樹は箸でゆみの額を軽く叩いて、「変な妄想はやめろよ」と言った。ゆみはため息をつき、「ならお母さんはどうしたのよ?」と聞いた。佑樹は牛乳を一口飲んで、「ゆみが聞いてよ」と言った。ゆみは頷き、小さな手を丸めて唇に当てながら軽く咳払いをした。そして彼女は恐る恐る紀美子に向かって、「お母さん?」と話しかけた。紀美子はずっと携帯を覗きながら、機械的に口の中の食べ物を噛んでいた。ゆみと佑樹は顔を見合わせた。そして2人で同時に大きな声で、「お母さん!!」と叫んだ。紀美子は驚いて、持っていた箸を床に落とした。彼女は慌てて2人を見て、「どうしたの?」と尋ねた。ゆみは小さな口をすぼめて、「お母さんが携帯ばかり見ていて、ゆみにかまってくれないもん」「あっ……」紀美子は申し訳なそうに返事して、「お母さんは念江の返事を待っているの」と説明した。2人は少し驚いて、佑樹は「もう待たなくていいよ、念江くんの携帯はあのクズ親父が持っているもん」紀美子は息子を見て、「佑樹くん、それ、どうやって分か
「現地だと携帯の電波が悪いかもしれないから、もし念江くんが聞いてきたら、代わりに説明してあげて」「分かった!」子供達が返事した。午後9時、ジャルダン・デ・ヴァグにて。田中晴は森川晋太郎の所に訪ねてきた。2人は休憩ルームで酒を飲んでいた。「念江の手術も無事に成功したし、あなたもほっとしただろ」晋太郎は細長い指でワイングラスを握り、軽く頭を上げて一口飲んだ。「念江はまだ1か月ほど無菌室にいる必要がある」「安心するがいい、医者は最高の治療をしてくれるから。そういえば、明後日の開業式、出るよな?」「杉浦を連れていくな」と晋太郎は警告した。「うちの両親が出る予定だから、佳世子は連れていかないよ」晴はため息をついた。「知ってる?佳世子は今日うちの母と大喧嘩になったんだよ」晋太郎は興味津々で晴を見て、「どっちの肩を持つつもり?」と聞いた。「佳世子の方に決まってんだろ!」晴は考えずに答えた。「親不孝者が」晋太郎はツッコミを入れた。晴は落ち込んだ。「それはもちろん自覚しているけどさ、本当に佳世子を愛してるから」「これからはどうするつもりだ?」晋太郎は聞いた。「お前の母も気の強い方だろ?」晴は晋太郎に助けを求める可哀想な目線を送った。「そんな目で俺を見るな、気持ち悪い」と晋太郎は目を逸らした。「俺達、親友だろ?助けてくれよ!!」晴は焦った。「一生のお願いだ!」晋太郎はワイングラスを置き、「一体どれだけ彼女のことを愛しているんだ?」と尋ねた。「別れていた間、彼女に会いたくて飯も食えず、夜も眠れなかった程?」晋太郎は目を細めながら、「お前の母が、俺の意見も聞き入れてくれないかもしれいないぞ」と言った。「でも父の方はきっと!」晴は確信していた。「父ならいつもあなたの意見を聞いていた!」「やってみる」実は晋太郎は、よその家庭の揉め事に手を出すのが好きではなかった。しかし彼が晴と似たような過去があるせいか、晴の窮地を痛いほど理解していた。だから、晋太郎は晴を助けると決めた。そして急に、晋太郎は脳裏に紀美子の姿が浮かんできた。彼の胸がギュッと痛んだ。彼女の最後の「うん」という返事が、今でも彼の心底に響いていた。彼女にとっては、手放すことはそんなに簡単なものだろうか?……
どっちみち焦っているのは晋太郎の方で、こっちじゃないんだから。これまで長い年月を待ってきたのだから、もう少し待っても構わない。2階の書斎。晋太郎はむしゃくしゃしながらデスクに座っていた。紀美子が龍介と電話で話していた時の口調を思い出すだけで、イライラが募った。たかが龍介ごときに、あんなに優しく対応するなんて。あの違いはなんだ?ちょうどその時、晴から電話がかかってきた。晋太郎は一瞥してすぐに通話ボタンを押した。「大事じゃないならさっさと切れ!」晋太郎はネクタイを緩めながら言った。電話の向こうで晴は一瞬たじろいだ。「晋太郎、家に着いたか?なぜそんなに機嫌が悪いんだ?」晋太郎の胸中は怒りでいっぱいになっており、必然と声も荒くなっていた。「用があるなら早く言え!」「はいはい」晴は慌てて本題に入った。「さっき隆一から電話があってな。出国前にみんなで集まろうってさ。あいつまた海外に行くらしい」「無理だ!」晋太郎は即答した。「夜は予定があるんだ」「午後、少しカフェで会うだけなのに、それも無理か?」午後なら……夜の紀美子と龍介の待ち合わせに間に合う。ついでに、あの件についても聞けるかもしれない「場所を送れ」30分後。晋太郎は晴と隆一と共にカフェで顔を合わせた。隆一は憂鬱そうにコーヒーを前にため息をついた。「お前らはいいよな……好きな人と結婚できて」晴はからかうように言った。「どうした?また父親に、海外に行って外国人とお見合いしろとでも言われたのか?」「今回は外国人じゃない」隆一は言った。「相手は海外にいる軍司令官の娘で、聞くところによると性格が最悪らしい」晴は笑いをこらえながら言った。「それはいいじゃないか。お前みたいな遊び人にはぴったりだろ?」「は?誰が遊び人だって?」隆一はムッとして睨みつけた。「お前みたいなふしだらな男、他に見たことないぞ!」「俺がふしだらだと?!」晴は激しく反論した。「俺、今はめちゃくちゃ真面目だぞ!」隆一は嘲るように声を上げて笑った。「お前が真面目?笑わせんなよ。佳世子がいなかったら、まだ女の間でフラフラしてたに決まってるだろ!」「お前だってそうだったじゃないか!よく俺のことを言える
晋太郎は思わず唾を飲み込んだ。言葉に詰まる彼を見て、紀美子は笑いながら頬の髪を耳にかけた。「晋太郎、隠してもね、ふとした瞬間に本心は漏れるものよ。言いたくないなら無理強いはしない。いつかきちんと考えがまとまったら、また話しましょう」そう言うと、紀美子は先を行く子供たちの手を取って笑いながら歩き出した。紀美子の後姿を見ながら、晋太郎は考え込んだ。……翌日。一行は荷物をまとめ、帝都に戻った。別荘に着くとすぐ、紀美子は龍介から電話を受けた。彼女はスピーカーをオンにし、子供たちのためにフルーツを準備しながら応答した。「龍介さん」そう言うと、電話の向こうから龍介の心配そうな声が聞こえてきた。「紀美子、大丈夫か?」ちょうどキッチンに入ってきた晋太郎は、はっきりとその言葉を聞いた。彼は眉をひそめ、テーブルに置かれた紀美子の携帯を不機嫌そうに睨みつけた。「相変わらず情報通だね。大丈夫だよ、心配しないで」「いや、情報通ってわけじゃない」龍介は言った。「今、トレンド一位が悟の件だ。まさか自殺するとは」紀美子はリンゴの皮をむく手を止めた。「もうその話はいいよ。過去のことだし」「悪い。今晩、空いてる?食事でもどうだ?」「無理だ!」突然、晋太郎の声が紀美子の背後から響いた。びっくりして振り向くと、彼はすでに携帯を奪い取っていた。龍介は笑いながら言った。「森川社長、盗み聞きするなんて、よくないね」「陰で俺の女を誘う方がよほど下品だろ」「森川社長、俺と紀美子はビジネスパートナーだ。食事に誘うのに許可が必要か?」晋太郎は冷笑した。「お前みたいなパートナー、認められない」「森川社長と紀美子はまだ何もないはずだ。『俺の女』って言い方、どうかしてるぞ」「……」紀美子は言葉を失った。この二人のやり取り、いつまで続くんだろう……「龍介さん、何か急ぎの用?」紀美子は携帯を取り返し、呆れた様子で晋太郎を一瞥した。「相談したいことがある。家族連れでも構わない」「わかった。後で場所と時間を教えて」「ああ」電話を切ると、紀美子は晋太郎を無視してリンゴの皮むきを続けた。晋太郎は腕を組んでキッチンカウンターに寄りかかり、不機嫌そうに聞いた。「俺とあいつが同
「お前の両親は納得したのか?」晋太郎がさらに尋ねた。「俺はあいつらと縁を切ったのさ。だから何を言われようと、俺は気にしない」晴は肩をすくめた。「子供たちを海外に送りだしたら、準備する」晋太郎は視線を紀美子と子供たちに向けた。「そう言えば、佑樹たちはいつ出発するんだ?」晴はハッと気づいた。「明日、まず彼らを帝都に連れ帰る。明後日には隆久と一緒に出発する予定だ」晋太郎は日数を計算した。「ゆみには言わないのか?兄たちを見送らせてやらなくていいのか?」晴は軽くため息をついた。「必要ない」晋太郎は即答した。「ゆみを泣かせたくない」「お前のゆみへの態度、日に日に親バカ度が上がってるように感じるよ。昨日佳世子と話してたんだ。『もう一人産んで、その子を譲ってくれ』って」晴は眉を上げた。「寝言は寝てから言え」晋太郎は足を止め、不機嫌そうに彼を見た。「お前と紀美子はまだ産めるだろうが、俺は無理なんだよ!」晴は言った。「今の医療技術なら、子供への感染を防ぐ方法も試せる」晋太郎は彼をじっと見た。「『試せる』って言ったろ」晴は落ち込んだ。「もし運が悪くて子供に感染したらどうする?」「たとえお前が俺の子供を自分の子のように育てられても、お前たちには大きな悔いが残るだろう」晋太郎は言った。「もういい。佳世子に毎日苦しみと自責の念を味わわせたくない。病気だけでも十分辛いんだ」晴はため息をついた。「俺は子供をやるつもりもない」そう言うと、晋太郎は紀美子たちの後を追った。「晋太郎!酷いこと言うなよ!金は弾むよ。少しは人情を持てよ!」晴は目を見開いた。晴の見えないところで、晋太郎の唇がかすかに緩んだ。夕食後。紀美子と晋太郎は、二人の子供を連れて外を散歩した。「会社の合併について考えたことはあるか?」しばらく歩くと、晋太郎は傍らの紀美子に尋ねた。「合併ってどういう意味?」紀美子は彼を見上げた。「文字通りの意味だ」晋太郎は、もし紀美子がまた妊娠したら、彼女に産休を取らせるつもりだった。「あんたの力に頼って会社を発展させる気はないわ。全てが無意味になる」「MKを見くびっているのか?」晋太郎は足を止めて彼女を見た。「MKの実力を馬
遠くのスナイパーも急いでライフルの安全装置を外したが、悟は自分のこめかみに銃を向けた。晋太郎は呆然とした。言葉を発する間もなく、悟は笑みを浮かべながら引き金を引いた…………紀美子が目を覚ました時、自分が元の部屋にいないことに気づいた。佳世子が傍らに座り、二人の子供たちと話していた。彼女がゆっくりと体を起こすと、その音に三人が一斉に振り向いた。「紀美子!」佳世子が駆け寄った。「目が覚めたんだね!」「どうやって戻ってきたの?」紀美子は尋ねた。「晋太郎が連れ帰ってくれたの。もう全部終わったわ」佳世子は明るく笑った。「終わったって……?」紀美子は理解できずに聞いた。「悟は?自首したの?」「彼、自殺したの」佳世子の瞳が少し潤んだ。自殺……紀美子は凍りついた。「晋太郎と二言三言交わした後、自分のこめかみに銃を向けて、みんなの目の前で死んだらしいわ。あの時彼があんたを再び部屋に連れ戻した理由が分かる気がする。自分の死に様を見せたくなかったんでしょうね」佳世子は続けて言った。紀美子は、ホテルのロビーで大河が撃たれた後、悟が彼女の目を覆ったことを思い出した。悟の結末を聞いて、紀美子は複雑な心境になった。悲しい?悟は数々の非道なことをしたのに、なぜ悲しいのか分からなかった。少しも嬉しい気持ちになれない。目が次第に赤くなっていく紀美子を見て、佳世子は心の中でそっとため息をついた。二人は、長年共に過ごした仲間だ。たとえ悟がどれほど冷血なことをしたとしても、紀美子は彼が優しくしてくれた日々を思い出さずにはいられないだろう。だって、あの優しさは本物だったから。「晋太郎は?」紀美子は長い沈黙の後、ようやく息をついて話題を変えた。「隣の部屋で会議中よ。会社の用事で、晴も一緒だわ」佳世子は答えた。紀美子は頷き、視線を子供たちに向けた。「この二日間、怖い思いをさせちゃったね」彼女は両手を広げ、微笑みながら言った。二人の子供は母の懐に飛び込んだ。「お母さん、怪我はない?」念江が心配そうに尋ねた。「うん、とくに何もされなかったわ」紀美子は首を振って答えた。「あの悪魔はもういないし、僕と念江も安心して出発できる」「うん、外でしっか
悟は紀美子をじっと見つめた。まだ語り尽くせない思いは山ほどあったが、全ては言葉にできなかった。長い沈黙の後、悟は紀美子の手を離し、立ち上がってドアに向かった。ドアノブに手をかけた瞬間、彼は再びベッドに横たわる彼女を振り返った。淡い褐色の瞳には純粋で、ただ未練と後悔だけが満ちていた。ゆっくりと視線を戻すと、悟は決然とドアを開けた。ドアの外で、ボディガードは悟が出てくるのを見て一瞬たじろいだ。「お前は私の部下ではない。何もしなくていい。私が自分で行く」悟は彼を見て言った。「悟が降りてきます!」悟の背中を見送りながら、ボディガードは美月に報告した。報告を受け、美月は晋太郎を見た。悟が紀美子にかけた言葉をはっきりと聞いていた晋太郎は、端正な顔を険しくした。次に……彼は唇を強く結び、ドアを開けて車から出た。美月も続いて降りてきた。晋太郎たちがホテルの入り口で立ち止まると、悟が中から出てきた。「あんたと俺は同じ汚れた血が流れている。たとえあんたが認めたくなくても、これが事実だ」悟は平静な笑みを浮かべた。「上で紀美子に何をした?」晋太郎は怒りを抑え、冷たい声で詰め寄った。「私が彼女に本当に何かしたとして、あんたの出番などないだろう」悟は反問した。「だが心配するな。彼女はただ眠っているだけだ」「お前は自分で自首するか、俺がお前をムショに送るか選べ」「刑務所だと?」悟は嘲笑った。「私があの男と同じ場所に行くと思うか?」「それはお前が決めることじゃない!」「降りてきたのは、ただ一つ聞きたいことがあったからだ」悟は一歩踏み出し、ゆっくりと晋太郎に近づいた。二人の距離が縮まるのを見て、美月は慌てて止めに入ろうとした。「来るな」背後からの気配に、晋太郎は軽く振り返って言った。美月は焦りながらもその場で止まった。社長は目の前の悟がどれほど危険か分かっているのか?本当に傲慢で思い上がりも甚だしい!!「最後のチャンスだ。聞きたいことは一度で済ませろ」晋太郎は視線を戻し、悟の目を見据えた。「貞則があんたの母親にあんなことをしたのを知って、彼を殺そうと思ったことはあるか?」「お前があの老害を始末してくれたおかげで、俺は手を汚さずに済んだ。礼を言
「俺は何も言わない!」ボディガードが運転手の口に貼られたテープを剥がすと、運転手は晋太郎を見上げて言った。晋太郎は冷たく笑った。「美月」運転手は晋太郎の側に来た女性を見て、次に何が起こるかをよく理解していた。「暴力で自白させようとしても無駄だ。俺は塚原社長を裏切るつもりはない。殺すならさっさとやってくれ!」運転手は歯を食いしばって言った。「誰が暴力を振るつもりだと言った?」「どういう意味だ?」運転手は一瞬呆然とした。「この世には特殊メイクがあるじゃない」美月が笑いながら言った。運転手は一瞬固まったが、すぐに気づいた。自分は、捕まってからただ口を塞がれ連れて来られたが、暴力を振るわれることはなかった。その間の動きは非常に静かで、部屋の中からは何の音もしなかっただろう。「社長がそう簡単に騙されると思うのか?」そう言い終わると、運転手は内心不安になり上階に向かって叫ぼうともがいたが、傍らのボディガードに素早く再び口を塞がれた。すぐに美月は道具を取り出し、彼とよく似た体型のボディガードの変装を始めた。30分後、美月はそのボディガードを完全に運転手に化けさせた。自分とそっくりに変装したボディガードを見て、運転手の瞳は恐怖に満ちた。美月は変声器を取り出してボディガードにつけた。「ほら、何か喋ってみて」ボディガードが声を出すと、運転手はひどく衝撃を受けた。もう終わりだ、完全に終わりだ!「上に行ったら、悟に夕食が要るかどうかと尋ねるだけ。もし『要る』と言われたら、食事を届けながら部屋の様子を窺う。もし『要らない』と言われたら、この盗聴器を中に入れ、ドアの前で待機して。中の状況を常に把握したいの」運転手の表情を見て、美月はボディガードに言った。「分かりました、美月さん」そう言うと、ボディガードはホテルに入り、美月の指示通りに三階に上がった。「社長、夕食はいかがですか?」悟の部屋の前で、彼はドアをノックして尋ねた。「いい」部下の声を聞いて、悟は疑うことなく答えた。「入江さんの分もいいのですか」ボディガードはゆっくりしゃがみ込み、盗聴器を入れた。「ああ、彼女は寝ている」美月と晋太郎の耳には悟の声がはっきりと届いた。晋太郎は眉をひそめた。悟はま
「あんたはもう逃げられないわ。いつ私を解放してくれるの?」紀美子が尋ねた。「紀美子、私に二つだけ約束してくれないか?」悟は俯いて、掠れた声で言った。「私のできる範囲なら、約束するよ」早くそこを離れるために、紀美子は悟の話に合わせた。「ありがとう」悟は笑みを浮かべた。紀美子は彼の要求を待ったが、しばらく経っても悟は何も言わなかった。「約束って何?」紀美子が怪訝そうに尋ねた。「一つは後で教える」悟は再び立ち上がった。 そして、彼は彼女に向かって一歩ずつ近づいた。紀美子は緊張して椅子の肘掛けを握りしめた。「もう一つは、今夜だけ、私と一緒にいてくれないか、紀美子」悟は彼女の前で止まり、跪いて耳元で囁いた。「悟、変なことを言わないで」紀美子は目を見開いて彼を見た。悟は首を振った。「心配するな。ただ静かに眠って、そばにいてほしいだけだ」そう言うと、悟はそっと一本の針を取り出し、紀美子が気づかないうちに彼女の手のツボに素早く刺した。 「痛っ!」紀美子は手を引っ込め、恐怖に満ちた目で悟を見た。「何をしたの?」 「言っただろう。ただ一晩眠って、一緒にいてほしいだけだって」悟は冷静に答えた。その言葉と同時に、紀美子は急激な疲弊感に襲われた。彼女はまだ何か言おうとしたが、猛烈な睡魔に脳を支配され、次第に視界がぼやけていった。やがて紀美子はゆっくりと目を閉じ、横に倒れこんだ。悟は彼女の体を受け止め、腰をかがめてベッドに運んだ。階下。晋太郎が民宿に着くと、美月は車から飛び出して彼の元へ駆け寄った。 晋太郎が質問する前に、晴が先に詰め寄った。「彼女たちはどこにいるんだ?」 「佳世子さんは無事ですが、紀美子さんはまた部屋に連れ戻されました」美月は答えた。「森川社長、無闇に上るのは控えた方がいいでしょう。悟が部屋に爆発物を仕掛けている可能性がありますので、不用意に動けません」美月は晋太郎に向き直って忠告した。「偵察班を出せ」晋太郎は険しい表情で言った。「もう手配済みです」美月は答えた。「既に悟の部下の一人を排除しました」晋太郎はホテルの窓を見上げた。「奴はどの階にいるか特定できたか?」「3階です。廊下には悟の
「美月さん、山田大河という技術者が紀美子さんを人質に取っています。奴らは銃を持っていますが、どうしますか?」少し離れた場所に立っていた二人の男は、彼らの会話を聞きながら、通信機を通じて美月に低い声で報告した。「騒ぎ立てる必要はないが、その場を離れるな。とりあえずは威圧感を与えるだけでいいわ。紀美子さんは私が何とかする」美月は周囲を見回して、指示を出した。 「了解です、美月さん」 二人のボディガードが座るのを見て、大河の緊張はさらに高まった。 彼らは晋太郎の部下に違いない。 一般人であれば、銃を持っている奴を見た途端に逃げるはずだ。悟はゆっくりと大河に近づいた。「大河、言うことを聞け、銃を下ろせ」 目が充血した大河は首を振った。「できません、社長……もう逃げられません。奴らがここにいるということは、外も囲まれているはずです」 「分かっているさ。だから、銃を下ろせと言っているんだ」 「社長……」大河は涙を浮かべた。「どうか生き延びてください。こんな女に惑わされて命を投げ出さないで!彼女は災いのもとです。俺が彼女を始末します!社長、生きて……」そう言い終わると、大河は銃の安全装置を外し、再び紀美子の額に銃口を向けようとした。その瞬間、彼の視覚には悟が銃を抜く姿が映った。「社長……」大河は動きを止め、驚愕して目を見開いた。「バン——」突然、ガラスが砕ける音が響いた。紀美子が慌てて振り向くと、顔に温かく湿った感触と強烈な血の匂いがした。背後からの拘束が弱まり、紀美子は大河が目を見開いたまま倒れるのを見た。銃弾は彼のこめかみを貫通し、傷口から血が止めどなく噴き出してきた。顔が青ざめた彼女の目を覆い、悟は最速で彼女を連れてエレベーターに乗り込んだ。ロビーに座っていた二人のボディガードはすぐに追いかけようとしたが、エレベーターの扉はすぐに閉まってしまった。「美月さん、奴らは上の階へ逃げました!」ボディガードの一人が報告した。「大河が手を出さなければ、こっちも動くつもりはなかったのに。困ったわ。部屋のカーテンを閉められたら、こちらの狙いは定まらない」「強行突破しましょうか、美月さん!」 「ダメだ!部屋に爆弾を仕掛けられたかもしれない。悟が危険
「大河さんからいろいろ聞いた」紀美子は優しい口調で、悟のそばに座った。「全ての恨みを捨てて、どこかでまたやり直そう」悟は大河を一瞥し、明らかに不満げな視線を向けた。「君もついて来てくれるか?」紀美子は悟の浅褐色の、澄み切った瞳を見つめた。これほどの苦難を乗り越えたとは信じ難いほどの、純粋な眼差しであった。彼には彼の事情があるが、彼女にも許せないことがあった。悟を去るように説得することは、彼女の最大の譲歩だった。「それができないのは分かっているでしょう?晋太郎は私を探すのを諦めないわ。一生ビクビクしながら生きていきたいの?」紀美子は言った。「君がそばにいてくれれば、私はどうなっても構わない」悟はそう言いながら、紀美子の手に触れようとした。しかし、紀美子はとっさに手を引っ込めた。悟の手は空中で止まり、数秒間硬直した後、静かに下ろされた。「紀美子、もうこれ以上言わなくていい。君がここに少しでも長くいてくれるだけで十分だ」悟は紀美子に言った。「そして大河、お前の気持ちは分かるが、彼女を脅す必要はない」大河は一瞬呆然とした。「しかし、社長……」「もうこれ以上言うな」悟は言った。「もう十分に話したはずだ。これ以上説明しても無駄だ。お前は大海と行け」大河は納得いかず、まだどう説得しようか考えていたその時、民宿の入り口から二人の男が入ってきた。大河はその二人の体格から、彼らは訓練を受けた者たちだとすぐに分かった。彼らは普段着を着ていたが、明らかに危険なオーラを帯びていた。大河は視線を紀美子に移し、いきなり彼女を掴んだ。その急な挙動に、紀美子も悟も反応できなかった。次の瞬間、大河は悟の目の前で、再び銃を紀美子のこめかみに突きつけた。「大河、紀美子を放せ!」悟の表情は一気に冷たくなった。「嫌です!」二人の男は足を止め、険しい表情で大河を見つめた。「社長、奴らが来ました。この女を人質にして逃げましょうよ!社長もこの女を連れていきたいでしょう?俺が無理やり連れていきます!」「大河!」悟は怒声を上げた。「お前、そんなことをして何の得がある?そう簡単に彼女を連れ去れるとでも思うのか?私は強要ではなく、彼女自身の意思でついて来てほしいんだ!」「社長!