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第2話

Author: 錦織雫
心臓を鷲掴みにされたような痛みが走り、紬の顔からさらに血の気が引いた。

エアコンで快適に保たれた部屋の中にいるというのに、氷室に放り込まれたような寒気が全身を包み込む。

紬が黙り込んだまま何も言わないのを見て、慎はしばらくしてからようやく視線を外した。「寧音の母親の体調が悪化してる。唯一の願いは、娘に寄り添ってくれる人がいるのを見届けることだ。今の彼女には、支えが必要なんだ……お前、余計なことはするな。『長谷川代表の妻』として大人しくしていれば、俺は手は出さない」

浮気を正当化するような、堂々とした物言い。

手は出さないって?

紬はしばらくぼんやりとしていたが、ふっと笑った。胸が締め付けられる痛みをこらえながら、口を開く。

「彼女に寄り添うつもりなら、こんなところに来てる場合じゃないでしょう」

そう言い捨てて、紬は階段を上がり、躊躇なく寝室のドアを閉めた。

数分後、階下から車のエンジン音が聞こえた。慎が出て行ったのだ。どこへ向かったかなど、考えるまでもない。どうせ寧音のもとだろう。

紬は疲れ切った身体を引きずるように洗面所へ向かい、顔を洗った。冷たい水が頬を打ち、ようやく意識がはっきりする。

部屋に戻った彼女はパソコンを開き、三年前に登録していた弁護士に連絡を取り、離婚協議書の作成を依頼する。

すると、弁護士が尋ねてきた。「温井さん、家や車、財産分与について、何か特別なご要望は?」

紬は少し考えてから、静かに答えた。「何もいりません」

慎さえいらないのだ。ましてや、それ以外のものなど。

それに、ネットで調べたところ、何も要求しなければ手続きはもっと早く進むという。衰弱していくこの体で、彼と交渉する必要もない。

弁護士はすぐに完成した協議書を送ってきた。

紬はそれをプリントし、万年筆を握る手が真っ白になるほど力を込めた。けれど迷いはなかった。震えを抑えながら、一画一画丁寧に、自分の名前を書き込んでいく。

それから、痛む身体に鞭打って、急いで自分の物をまとめた。

玄関まで来たとき、三年間手入れしてきたこの家を深く見つめた。

そして振り返ることなく、出て行った。

翌朝、紬は休暇を取り、市内の即配サービスを呼んだ。昨夜印刷した離婚協議書を、ランセーの受付に届けるよう手配する。

宅配便のようなことに、慎が自分で手を出すはずがない。だから受取人は要の名前にした。

紬は慎と結婚してから、長谷川グループの関連企業であるランセーで働き始めた。慎は二人の結婚を公にするつもりはなく、社内で彼に近づくことも禁じられていた。それで紬は広報部に配属され、会社の公的イメージの管理を任されることになった。この数年、優れた能力を認められて広報部のマネージャーにまで昇進していた。

この三年間、彼女は一度も休暇を取らず、欠勤もしなかった。

仕事ができるのは、何事も完璧を求める彼女の性分のせいであって、好きでやっていたわけでも、自分の専攻を活かしたかったわけでもない。

離婚するつもりなら、ランセーに残る理由もなかった。

配達員を見送った後、紬は時計を見た。もうすぐ10時だ。

指先に力を込める。今は、もっと大事なことがある……

西京市東城刑務所。

ハンドルを握る手に、じっとりと汗をかいていた。三年ぶりの再会に、抑えきれない緊張が紬の全身を駆け巡る。

今日は須藤柊(すとう しゅう)が出所する日だ。

出所祝いをするために、彼女は一か月前から個室を予約していた。

柊は父が引き取った養子で、幼い頃から一緒に育った。他人を平気で踏みにじる須藤家の中で、紬に優しくしてくれたのは柊だけだった。十数年もの間、彼女を守り続けてくれた。強い言葉を投げかけられたことなど、一度もなかった。

彼はこう言っていた。「誰が裏切ろうと、僕だけは絶対に裏切らない」、と。

紬は鏡で自分の顔を確認する。華奢な顔立ちは、病的なほど青白い。わざとチークを濃いめに塗って、普通に見えるようにした。心配させないために――痛み止めを一錠多く飲んで、サングラスと帽子も身につける。

刑務所の門がゆっくりと開いていく。

紬は思わず車のドアを開けて降りた。足が自分のものではないような感覚だった。

長身で黒い服を着た一人の男が、古いリュックを背負って大股で出てくる。短く刈り込んだ黒髪で、鋭い眉と目が静かに辺りを見渡して――そして、こちらを向いた。

その視線を受けて、紬の心臓が止まりそうになる。

喉が渇き、目が潤んだ。足が勝手に動き出す。「お兄、ちゃん……」
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