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第2話

作者: 余韻
ほんの2週間前、唯が深津市で働いていたとき、偶然にも自分の家族が見つかった。

吉野家が唯の存在を知ると、すぐに家に戻るよう申し入れた。

ただ、吉野家は格式高い家柄だ。戻るからには深津市への定住や、離婚後の政略結婚を含めたすべての決定に従わねばならない。

当時、唯は雅人を愛するあまり、吉野家の令嬢としての立場も責任もすべて放棄し、雅人を選んだ。

だが、今は……

5年もの間騙され続けてきたなんて。もう二度と同じ過ちは犯さない。

電話口で、兄の吉野慎(よしの しん)がようやく安堵した様子で言った。「わかったのなら安心だ。ちょうど、政略結婚することになる相手も、盛沢市とは縁があるんだ。時間があれば一度会ってみるといい。少し変わった性格だが、人柄も能力も家柄も一流だからな」

電話を切ると、慎から相手の連絡先カードが送られてきた。

桐生禮(きりゅう れい)。

唯はその名に軽く目を通すと、ラインで友だち申請を送った。相手はすぐに承認してくれた。

【はじめまして。吉野唯と申します。盛沢市でまだ片付けなければならない事がありまして、それが済み次第、深津市に戻ってあなたと結婚するつもりです。

この1ヶ月間は盛沢市でどんな騒ぎが起きようとも、どうぞ気になさらないでください】

相手からはすぐに、短い返信が届いた。【わかりました。何か手伝えることがあれば、言ってください】

慎の言葉を思い出し、思ったより話しやすい人だと唯は少し驚いた。しかしそう思っただけで、それ以上ラインの画面を見ようとはしなかった。

この5年、唯は松尾家にも松尾グループにも、あまりにも多くのものを捧げてきた。

だからこそ、自分がこんな罠にはめられていたと知った今、黙って騙されたままでいるつもりは微塵もない。

偽の結婚、だって?

ここから雅人と明里がどう落とし前をつけるのか、見届けようではないか。

そんなとき、雅人から電話が入った。「唯。盛沢市についたと言っていたな?今どこにいるんだ?」

慣れ親しんだ、いつもの低い落ち着いた声。

長年騙されていたことを思うと、唯の胸は冷ややかな嘲笑で満たされた。

口を開きかけた時、電話越しに子供のあどけない声が聞こえた。

「パパ、意地悪な女なんかほっといて、僕と遊ぼうよ」

直後に、明里の甘えるような声が響いた。「毎月欠かさず会いに来てくれるのに、陽太は雅人に会うと離れないのよ」

陽太(ようた)。

唯の胸に鋭い痛みが走った。

そういえば数か月前、雅人は秘書にパズルを発注させていた。そこには、【陽太、4歳の誕生日おめでとう】と書かれていたはずだ。

あの時は、「友人の子に贈るものだ」と説明していた。

結局、雅人と明里の子だったのだ。

毎月の出張も、その親子に会いに行くだけのためだったのか。

唯は明里たちの会話を聞いていないふりをして、何気なく尋ねた。「どうして子供の声が聞こえるの?」

雅人は一瞬言い淀んだが、スマホを少し離すと説明した。「明里が子供を連れて戻ってきたんだ。もうすぐ母さんの誕生日だろ。明里は長年戻っていなかったから、一度顔を見せに来ただけだよ」

かつて明里が一ノ瀬家に戻った時、雅人の祖父・松尾彰宏(まつお あきひろ)の意志で、勝手に盛沢市へ戻ることは禁じられていた。

誕生日という口実があって、ようやくチャンスができたということだ。

唯は胸の中で鼻で笑い、あどけなく問いかけた。「へえ、明里さんって結婚してたんだね。子供もいるなんて知らなかった。まだ23歳なのに……子供も結構大きいみたい。外の変な男に騙されて、酷い目にあってなきゃいいけど……」

「明里に限って、そんなことは……」雅人は反論したが、我に返ると優しく言った。「まあいい、詳しくは会った時に話す。戻ってきて疲れているだろうし、今から迎えに行こうか?」

相変わらずの優しい気遣い。

だが雅人が裏でやってきたことを考えると、唯は言いようのない嫌悪感に襲われた。

明里は今年23歳。それなのに、あの子供はもう4歳。

つまり、一ノ瀬家に戻ってから1年も経たずに雅人と入籍し、出産していたことになる。

その時、雅人はまだ、世間に対しては私の夫という顔をしていたというのに。

唯は胸の内の不快感を飲み込み、断った。「結構よ。タクシーで帰るから」

電話を切ったあと、唯はタクシーで松尾家の本邸に向かった。

彼女が到着すると、そこには明里の姿もあった。

松尾椿(まつお つばき)は孫をあやしながら、雅人に言った。「あの時、唯なんかに産ませるなと言っておいて正解だったわね。あんな孤児に、まともな血筋なんて期待できるわけがないでしょう?見てよ、陽太くんはこの上なく賢いじゃない?」

「元々は明里が戻った後、唯に良い身の振り方をさせたいと願っていただけだ」雅人は肯定も否定もせず、眉を軽くひそめた。「ただ、今まで唯は俺や松尾家のために尽くしてくれたから、明里も俺も、唯を不遇な扱いにはしないつもりだ」

唯の長年の献身を、雅人だって完全に無視していたわけではない。

賢く美しく、大人しい唯に対し、情がないわけではなかったのだ。

椿は冷ややかに切り捨てた。「唯をどうするかは勝手よ。とにかく、明里と陽太くんに少しでも寂しい思いをさせちゃダメ!」

それを聞いた唯は、極限まで心が凍りつくのを感じた。

なんだ、椿も知っていたのか?

そうか。いくら成人しているとはいえ、松尾家のような家柄では、親の許可なく入籍などできるはずがない。

あの時、二人の結婚が滞りなく進むよう、裏で糸を引いたのは、間違いなく椿だったのだ。

そんな事態を知りながら、自分には使用人同然に一家の面倒を押し付けていたのか?

椿の機嫌をとるため、唯は生け花を習い、お茶を点て、ピアノの弾き方まで身につけた。

自分の努力が足りないからじゃない、最初から望まれた嫁など他にいたということだ。

それを知らずに自分は5年間、まるでバカのように騙され続けていた。

「お母さん、大丈夫よ。雅人には良くされている」明里は微笑んだ。「キャリアも上手くいったのは雅人のおかげ。私のお世話をこんなにしてくれた唯さんには、感謝しなければいけないね」

「彼女があなたに及ぶわけないじゃない。あなたは我が家の誇りよ。だって、松尾家にこんなに可愛い孫を産んでくれたんだもの」

言いかけたところで、使用人が唯の姿に気づき、あっと声を上げた。「唯様、お戻りになったのですか?」

唯はゆっくりと広間の中へ入った。

椿の顔に一瞬、動揺の色が走ったが、すぐに作ったような笑みを浮かべた。「唯、おかえり。使用人さんも一声かけてくれればいいのに」

「ただいま。明里さん、お帰りなさい」唯は明里を何気なく見やりながら問いかけた。「さっき何の話をしていたの?」

明里は唇をゆがめると、陽太を抱きかかえてわざとらしく言った。「お母さんは陽太に会えて嬉しそうで。唯さん、そういえばあなたと雅人は結婚して長いのに、どうして子供を作らないの?」

「本当ね。結婚して子供までいる明里さんにはかなわないわ」唯は雅人と腕を絡めて笑った。「雅人、あなたも水臭いじゃない。明里さんが結婚したなら教えてくれればいいのに。ちゃんとお祝いをしないと」

唯と雅人が親しそうにするのを見て、明里が言葉を発するより早く、陽太が鼻で笑った。「あんたみたいな意地悪な人の祝いなんかいらないもん!」

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