LOGIN高校二年の春、平凡な女子高生・高梨紗季のクラスに、ぼさぼさ髪に黒縁眼鏡の冴えない転校生・篠宮蓮がやって来た。校内のルールにも疎く、何かと困っている彼を放っておけず世話を焼くうちに、紗季は不器用な優しさに惹かれていく。けれど蓮の地味な姿はすべて偽装だった。特殊メイクの下に隠されていたのは、モデル級の美貌と、世界的財閥・九条グループ後継者という正体。家柄や財産ではなく“冴えない自分”を好きになってくれた紗季に、蓮の想いは次第に甘く重くなっていく。正体を隠した御曹司と普通の女子高生が織りなす、秘密だらけの学園溺愛ラブストーリー。
View More文化祭まであと十八日、と黒板の隅に大きく書かれた数字を見上げながら教室へ入った私は、鞄を自分の席へ置くより先に、隣の篠宮君が明らかに寝不足らしいことに気づいた。 特殊メイクのおかげで顔色そのものは普段とさほど変わらないはずなのに、最近の私は、分厚い黒縁眼鏡の奥にある目の動きや、返事をするまでのほんのわずかな間まで気にするようになってしまったらしい。例の青いシャープペンシルを指先で持ったまま、ぼんやり黒板を眺めている彼へ近づき、私は机へ手をついた。「篠宮君、昨日ちゃんと寝た?」「寝たよ」「何時?」「二時前くらい」「それを高校生の世界では『ちゃんと寝た』とは言わないの。昨日も黒崎さんと九条家の情報漏洩について話してたんでしょう?」「黒崎と話していたのは零時半までで、そのあとは送られてきた資料を読んでいただけだから、会議をしていたわけではない」「会議じゃなければ夜更かししてもいい、みたいな理屈を持ち込まないでよ。今日は文化祭の全体会議もあるし、放課後には衣装の仕上げだって残ってるんだから、途中で眠くなって使いものになりませんでした、じゃ困るんだよ」 私が呆れて言うと、篠宮君は少しだけ目元を緩めた。
九条家の内部から、篠宮君が通っている学校の情報が漏れた可能性がある。そんな話を聞いた翌朝だというのに、学校へ来てみれば教室の黒板には大きく『文化祭まであと十九日!』と書かれ、その周囲には誰が描いたのかわからない猫やケーキやコーヒーカップの落書きまで増えていて、九条家の後継者争いだの情報漏洩だのという物騒な言葉とは、あまりにもかけ離れた高校生らしい一日が始まろうとしていた。私は、その落差に少しだけ救われていた。「高梨、おはよう」いつもの隣の席から、いつもの冴えない顔をした篠宮君が声をかけてくる。「おはよう。……昨日、眠れた?」「二時まで黒崎と話していた」「それ、眠れたって言わないよ。というか高校生が夜中の二時まで大人と機密情報について会議するのやめなよ、朝から数学の小テストあるんだから」「数学の小テストなら問題ない」「そういう問題じゃないし、成績が良ければ睡眠不足でもいいという理屈にはならないからね」私が呆れて言うと、篠宮君は少しだけ困ったように黒縁眼鏡を押し上げ、それから机の中から例の青いシャープペンシルを取り出した。「これがあるから大丈夫だ」「三本百円のシャープペンシルに、睡眠不足を治す能力はないよ」「高梨にもらったものだから、多少は集中できる」「そうやって普通の文房具に変な能力を付け足さないで。メーカーさんも困るから」「メーカーには迷惑をかけていないと思う」「そういうところを真面目に返すのが篠宮君なんだよね」いつもの会話をして、少し笑う。それだけで、昨日から胸の奥にあった重いものが、ほんの少しだけ小さくなる。九条家の内部に、篠宮君の居場所を外へ漏らした人間がいるかもしれない。怖い。でも、私
「祖父が、高梨に会いたいらしい」昼休みの教室で篠宮君からそう言われた私は、箸でつまんでいた卵焼きを弁当箱へ戻し、たぶん自分でも相当嫌そうな顔をしながら、隣に座っている冴えない転校生の顔をしばらく見つめてしまった。つい先日は婚約者候補の西園寺綾乃さんと会ったばかりで、その前には記者が学校へ入り込み、さらにその前には篠宮君の本当の顔と本名を知らされているのだから、普通なら一か月どころか一年くらいかけて少しずつ起きてもいいような出来事を、ここ最近の私は一週間単位で浴び続けている。「……篠宮君」「何?」「九条家って、順番に一人ずつ私へ会いに来る決まりでもあるの?」「ない」「最初に美玲ちゃんが勝手に来たでしょう。その次に西園寺さんから連絡が来て、今度はお祖父さん。次は誰? お父さん?」「父はできれば最後にしたい」「否定しないんだ……」深いため息が出た。美咲が少し離れた席からこちらを見ていたけれど、最近は私と篠宮君が小声で何か話していても、無理に聞こうとはしなくなった。ありがたい。同時に、申し訳ない。でも今は、この話を美咲へ説明するところから始めたら、昼休みどころか放課後まで終わらない。「会いたいって、どういう意味?」私は声を落として尋ねた。篠宮君はスマートフォンの画面を見せようとして、一度手を止める。「見せてもいい?」「そこまで確認しなくてもいいって前にも言ったでしょう」「でも祖父からの連絡だ」「私に関する内容なら見たい」「わかった」最近の私たちは、こんなやり取りが増えた。以前なら篠宮君は「必要だから」と
第16話 婚約者候補から「一度、お会いしませんか」と連絡が来ました『突然のご連絡をお許しください。高梨紗季さんでいらっしゃいますか。九条蓮司さんの件で、一度お話ししたいことがあります。西園寺綾乃と申します』ベッドの上でその文章を三回読み返した私は、四回目を読む前にいったんスマートフォンを伏せ、それから十秒も経たないうちにまた手に取って、結局五回目まで読んでしまった。どう見ても意味は変わらない。西園寺綾乃。今日まで名前すら知らなかったのに、放課後に突然現れた週刊誌の記者から「九条蓮司の婚約者候補」と聞かされ、そこから数時間しか経っていない相手が、今度は本人のほうから私へ連絡してきた。「……どうして私のアカウント知ってるの」最初に浮かんだ疑問がそれだったことに、自分でも少し呆れた。九条家と同じような世界にいる人なのだから、調べようと思えば私のSNSくらい簡単に見つけられるのかもしれないけれど、だからといって気持ちのいいものではない。以前の私なら、どうしただろう。たぶん一人で悩んだ。返事をするか、無視するか、検索して相手のことを調べるか、それでも答えが出なくて美咲へ相談するかもしれない。でも今は。スマートフォンを持ち直し、篠宮君とのメッセージ画面を開いた。『起きてる?』送信。一分もしないうちに既読がついた。『起きてる。どうした?』早い。この人、私から連絡すると毎回反応が早すぎる気がする。『西園寺綾乃さんから連絡来た。』送った瞬間。既読。そして。十秒。二十秒。返信が来ない。代わりに。