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偽の弟を選んだ姉、20年後に泣きつく

偽の弟を選んだ姉、20年後に泣きつく

By:  森崎駆Completed
Language: Japanese
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前世、僕こと平山一希(ひらやま かずき)は、実の息子として渋谷家に迎え入れられた。 だが、姉の渋谷雪乃(しぶや ゆきの)は、養子の弟・渋谷智史(しぶや さとし)を溺愛するあまり僕を陥れ、弟の発作が僕のせいだと両親に吹き込んだのだ。 それを鵜呑みにした両親は、僕を家から追い出した。 それから間もなくして、僕は路地裏で誰にも知られず、孤独に死んだ。 目が覚めると、渋谷家に引き取られたあの日へと戻っていた。 雪乃が両親の前に立ちはだかり、僕を指差して叫ぶ。 「こんなの弟じゃない!」 両親は失望に満ちた視線を僕に向け、そのまま背を向けて去っていった。 僕はその場に立ち尽くしたまま、自分が実の息子であることを証明する、生まれたときから身につけていたペンダントをポケットから取り出すこともなく、ただ黙って児童養護施設への道を歩き出した。 あれから20年、僕は国内屈指の内科医として名を馳せていた。 向かいに座る女が、震える声でカルテを差し出してくる。 「先生、お願いします……弟を助けてください」 カルテの氏名を見た瞬間、手が止まった。視線が、その患者のやつれた顔に釘付けになる。 しばらく見つめてから、彼女に視線を戻し、僕は告げた。 「この患者の診察は、お断りします」

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Chapter 1

第1話

前世、僕こと平山一希(ひらやま かずき)は、実の息子として渋谷家に迎え入れられた。

だが、姉の渋谷雪乃(しぶや ゆきの)は、養子の弟・渋谷智史(しぶや さとし)を溺愛するあまり僕を陥れ、弟の発作が僕のせいだと両親に吹き込んだのだ。

それを鵜呑みにした両親は、僕を家から追い出した。

それから間もなくして、僕は路地裏で誰にも知られず、孤独に死んだ。

目が覚めると、渋谷家に引き取られたあの日へと戻っていた。

雪乃が両親の前に立ちはだかり、僕を指差して叫ぶ。

「こんなの弟じゃない!」

両親は失望に満ちた視線を僕に向け、そのまま背を向けて去っていった。

僕はその場に立ち尽くしたまま、自分が実の息子であることを証明する、生まれたときから身につけていたペンダントをポケットから取り出すこともなく、ただ黙って児童養護施設への道を歩き出した。

あれから20年、僕は国内屈指の内科医として名を馳せていた。

向かいに座る女が、震える声でカルテを差し出してくる。

「先生、お願いします……弟を助けてください」

カルテの氏名を見た瞬間、手が止まった。視線が、その患者のやつれた顔に釘付けになる。

しばらく見つめてから、彼女に視線を戻し、僕は告げた。

「この患者の診察は、お断りします」

雪乃は束の間、言葉を失った。

「今、何て言った?」

僕はカルテを閉じ、彼女の前へと静かに押し返す。

「『お断りします』と申し上げたまでです」

診察室に重い沈黙が落ちる。雪乃は僕を睨みつけたまま、眉間の皺をより一層深く刻んだ。

車椅子に座る智史は、顔色こそ悪いものの、思ったよりも元気そうに見えた。

もう20年か。このふたりは、随分と恵まれた歳月を過ごしてきたらしい。

雪乃は渋谷グループの令嬢として、智史は家族全員から大切にされる存在として育っていた。

そしてこの二人は、きっと死ぬまで気づかない。目の前で眼鏡をかけているこの内科の主任医師こそが、かつて自分たちが家から追い出した、本物の跡取り息子だということに。

「あなたがこの街で一番の内科医だってことくらい、知ってるわ。予約を取るのも簡単じゃないって。でも、お金の心配はいらない。弟を治してくれるなら、いくらでも払うから」

雪乃はブラックカードを、机の上にそっと置いた。

僕はそれに一瞥をくれ、顔を上げて彼女を見る。

「病院には規則があります。それに、彼を診ないのは、症状が僕の専門外だからですよ」

「どういう意味?」

雪乃の顔に、再び戸惑いが浮かぶ。

「ちゃんと調べはついてるのよ。末期の心不全すら治した実績があるって。弟はただ心臓に雑音があって、たまに締めつけられるような痛みがあるだけ。それなのに治せないって言うわけ?」

智史が軽く咳き込み、雪乃の袖をそっと引いた。

「姉さん……もういいよ。俺のために、そんなに頭を下げないで……」

その仕草は、前世で僕に階段から突き落とされたと濡れ衣を着せた、あの時とまったく同じだった。

雪乃は胸を痛めたように、智史の手をきつく握り返す。再び僕へ向けられた眼差しには、刃のような鋭い光が宿っていた。

「平山先生、お金が足りないってこと?なら、別の提案をするわ。

今日、弟を診てくれたら、明日にでも、渋谷グループからこの病院の循環器内科へ6億円分の設備を寄付する。

この条件でどう?」

傍らにいた研修医たちが、思わず息を呑む。

だが、僕は眉一つ動かさなかった。

「渋谷さん。僕が患者を選ぶ基準は病状であって、お金じゃありません。弟さんは診ません。カードを持って、出ていってください」

雪乃は冷ややかに笑った。瞳に浮かぶ侮蔑は、もはや隠しようもなかった。

「ふん。要するに、治す自信がないだけでしょう。トップの専門医だなんて、しょせん名前負けってわけね」

「姉さん、もういいから……胸が、痛い……」

智史が胸を押さえ、苦しげに息を荒くする。

「智史!」

雪乃は血相を変え、慌ててボディガードに車椅子を押させ、診察室を出ていった。

出口までたどり着くと、彼女は振り返り、僕を一睨みして去っていった。

ふたりの姿が見えなくなったあと、僕はポケットの中にしまった、冷たいペンダントにそっと触れた。

翌朝。

回診を終えたばかりの僕の元へ、普段はいつもニコニコしている院長が、険しい顔つきで怒鳴り込んできた。

「平山、お前はクビだ」

僕はペンを止め、顔を上げて彼を見る。

「理由は?」

「ふん、理由だと?」

院長が鼻で笑う。

「昨日、渋谷社長にどんな態度を取った?医は仁術と言うだろう。お前にはプロ意識ってものがないのか。重症患者の診療を拒むとはな!」

僕の視線は自然と下へ滑り、彼の手首にある真新しい腕時計に留まった。

昨日までは、なかったものだ。

腑に落ちた。

「彼女から、いくら寄付をもらったんです?」

僕が淡々と尋ねると、院長の顔色が変わり、たちまち激怒した。

「何を言い出すんだ!これはうちの病院の理事会の決定だ!今すぐ荷物をまとめて出ていけ!」

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第1話
前世、僕こと平山一希(ひらやま かずき)は、実の息子として渋谷家に迎え入れられた。だが、姉の渋谷雪乃(しぶや ゆきの)は、養子の弟・渋谷智史(しぶや さとし)を溺愛するあまり僕を陥れ、弟の発作が僕のせいだと両親に吹き込んだのだ。それを鵜呑みにした両親は、僕を家から追い出した。それから間もなくして、僕は路地裏で誰にも知られず、孤独に死んだ。目が覚めると、渋谷家に引き取られたあの日へと戻っていた。雪乃が両親の前に立ちはだかり、僕を指差して叫ぶ。「こんなの弟じゃない!」両親は失望に満ちた視線を僕に向け、そのまま背を向けて去っていった。僕はその場に立ち尽くしたまま、自分が実の息子であることを証明する、生まれたときから身につけていたペンダントをポケットから取り出すこともなく、ただ黙って児童養護施設への道を歩き出した。あれから20年、僕は国内屈指の内科医として名を馳せていた。向かいに座る女が、震える声でカルテを差し出してくる。「先生、お願いします……弟を助けてください」カルテの氏名を見た瞬間、手が止まった。視線が、その患者のやつれた顔に釘付けになる。しばらく見つめてから、彼女に視線を戻し、僕は告げた。「この患者の診察は、お断りします」雪乃は束の間、言葉を失った。「今、何て言った?」僕はカルテを閉じ、彼女の前へと静かに押し返す。「『お断りします』と申し上げたまでです」診察室に重い沈黙が落ちる。雪乃は僕を睨みつけたまま、眉間の皺をより一層深く刻んだ。車椅子に座る智史は、顔色こそ悪いものの、思ったよりも元気そうに見えた。もう20年か。このふたりは、随分と恵まれた歳月を過ごしてきたらしい。雪乃は渋谷グループの令嬢として、智史は家族全員から大切にされる存在として育っていた。そしてこの二人は、きっと死ぬまで気づかない。目の前で眼鏡をかけているこの内科の主任医師こそが、かつて自分たちが家から追い出した、本物の跡取り息子だということに。「あなたがこの街で一番の内科医だってことくらい、知ってるわ。予約を取るのも簡単じゃないって。でも、お金の心配はいらない。弟を治してくれるなら、いくらでも払うから」雪乃はブラックカードを、机の上にそっと置いた。僕はそれに一瞥をくれ、顔を上げて彼女を見る。「病
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第2話
僕は何も言わなかった。ただ白衣を脱ぎ、丁寧に畳んで椅子の背もたれに掛け、机の上にある車のキーを手に取り、そのまま踵を返した。雪乃は病院ロビー中央の柱のそばに立ち、サングラスをかけて腕を組んでいた。明らかに、僕を待ち構えていたのだ。段ボール箱を抱えて歩いてくる僕を見ると、彼女はサングラスを外し、口の端に意味深な笑みを浮かべる。「平山先生、ずいぶんと早い退勤ね。昨日は私に堂々と歯向かっていたのに、今日は自分の職すら守れなくなったってわけ?」彼女は少し身を寄せ、声を落とした。「ふふ。今日からこの国では、どこの病院もあなたを雇わないわ」彼女は僕を見つめ、怯えた顔や、許しを乞う姿を期待していた。だが、僕はそんな素振りを見せることもなく、ただ静かに彼女を見返しただけだ。彼女は眉をひそめた。この反応が気に入らなかったらしい。「でも、最後の道を残しておいてあげる。渋谷家へ来て、弟の専属医になりなさい。24時間、いつでも呼び出しに応じられるようにしてね。弟を治せたら、一生安泰な暮らしを約束してあげる。どう?」僕は思わず笑ってしまった。「渋谷さん」彼女がわずかに戸惑う。「この世で金を持っているのは、渋谷家だけだとでも?」それ以上は何も言わず、彼女の脇をすり抜けて病院を出た。彼女は知らない。僕がこの病院の副院長で、市内有数の内科医というだけの存在ではないことを。「国の名医」と呼ばれる最高峰の名医にして、西京市にある平山医療グループを率いる平山清男(ひらやま きよお)の唯一の養子でもあるのだ。この公立病院へ来たのは、ただ腕を磨き、清男に課された試練をこなすためだった。国内医療界の頂点に立つのは、他でもない平山家なのだ。僕を医療界から締め出す?滑稽な話だった。夜、スマホを開くと、僕に関する話題が急上昇していた。#凄腕専門医、患者を見殺しか#市立第一病院・平山一希、収賄発覚の裏側#医の倫理を忘れた冷血な悪魔ネット上で拡散されていたのは、1本の動画だった。車椅子に座る智史は、憔悴しきった顔で終始胸を押さえている。傍らの雪乃が僕に懇願する。「先生、お願いします……弟を助けてください」そして画面が切り替わり、映るのは冷ややかな僕の姿。「……弟さんは診ません。カードを持って、出て
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第3話
電話の向こうが一瞬静まり返り、それからさらに高慢な笑い声が響いた。「ハハハハ!だったら最初からそうすればよかったのに」僕は雪乃の言葉を遮った。「ただし条件があります。この診察の様子を、ネットで生配信させてもらいます」電話の向こうの笑い声が、ぴたりと止んだ。「……配信?」彼女の声が冷たくなる。「あなた、今やネット中の嫌われ者よ。わざわざもっと叩かれたいっていうの?」僕は窓の外を眺めながら、ゆっくりと口角を上げた。「何百万人もの前で、渋谷家に頭を下げて診療します。それこそ、君が望んでいたことじゃないですか。それに、これはちょうどいい機会です。僕自身、公の場で名誉を挽回させてもらいます」雪乃はしばらく黙っていた。やがて、楽しそうに鼻で笑う。「あなたって、本当に扱いやすい犬ね。いいわ。そこまで恥をかきたいなら、好きにさせてあげる」「ただし」僕はそこで言葉を切った。「配信のことは、智史さんには絶対に知らせないでください。彼は患者です。大勢に見られていると知れば、動揺して容体に影響が出るかもしれませんし、万が一のことがあっても、僕は責任を負えません」雪乃は深く考えることもなく、あっさりと承諾した。翌朝。雪乃が指定した診察場所である、市民病院の最上階にある特別病棟へと向かった。入口には、見覚えのあるふたりの姿があった。50代前半くらいの男女が、ひとりずつ立っていた。男は長身で、チャコールグレーのカシミアコートを身につけている。女はネイビーのトレンチコートを着て、上品な佇まいをしていた。「あなたが、平山一希さん?」渋谷奈美枝(しぶや なみえ)が、穏やかな口調で尋ねる。僕は頷いた。「ええ、そうです」彼女は僕を上から下まで一瞥し、小さく頷いた。「智史の母です。あなたのお噂はかねがね伺っています。平山先生。智史は幼い頃から、私たちが手塩にかけて育てた子です。今日お呼びしたのは、私たちの誠意をお見せするためなんです」彼女はバッグから名刺を取り出し、僕に差し出した。けれど、僕は受け取らなかった。それでも彼女は、特に気を悪くした様子もなかった。「智史を治してくださるなら、名誉もお金も、すべてこちらで用意します。病院を解雇された件も、私の力でなかったことにしてみせます。
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第4話
その頃、ネット上ではすでに生配信が始まっていた。タイトルは【冷血医師・平山一希が公開謝罪――診察の様子を生配信】。渋谷グループが裏で手を回していたうえ、昨日の炎上もまだ収まっておらず、大勢のユーザーが怒りに任せて配信に押し寄せていた。配信開始から10分もたたないうちに、視聴者数は100万人を突破した。コメント欄には、罵倒や批判がものすごい勢いで流れ続けていた。【このクズ、やっと謝る気になったんだ。さすが渋谷グループ、今回はよくやった!】【このヤブ医者がどんな顔で謝るのか、最後まで見届けてやる】【智史くんがかわいそう……こんな最低な医者に診てもらわなきゃいけないなんて】智史はベッドに横たわったまま、相変わらず青ざめた顔をしていた。僕の姿を見るなり、怯えたように身をすくませる。「姉さん……」今、自分の姿が何百万人もの人間に見られていることを、彼は知らない。「大丈夫よ。あなたを診てもらうために、先生に来てもらったの」雪乃は智史にりんごを手渡すと、立ち上がって僕の前までやってきた。配信されていると分かっているからか、いつにも増して居丈高な態度だった。「ほら、早く弟を診なさい。治せなかったら、二度と医者としてやっていけないようにしてあげる」僕は相手にせず、そのままベッド脇の処置用ワゴンへ向かった。手袋をはめながら、雪乃に冷たい視線を向ける。雪乃は悔しそうに唇をかんだが、カメラの前ではそれ以上騒ぐことはできなかったらしい。鼻で笑うと、一歩下がって腕を組んだ。病室が静まり返る。僕は隠しカメラに背を向けたまま聴診器を手に取り、智史の胸に当てた。「息を吸って、吐いて」智史は言われたとおりにしながら、苦しそうな息を漏らした。眉間には深いしわが寄っている。コメント欄はたちまち、智史への同情と僕への罵倒で埋め尽くされた。僕は黙って聴診器を外すと、そばに積まれていた検査結果の束を手に取った。智史がこれまでいくつもの病院で受けてきた検査の記録だ。末期の心不全、心筋虚血。どのページにも、深刻な診断名がずらりと並んでいる。僕は1枚ずつ、じっくりと目を通していった。読み進めるうちに、眉間のしわが少しずつ深くなっていく。五分ほどたった頃、僕は検査結果の束をベッドの上に放り出した。手袋を外し、振り返る
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第5話
「今、何て言ったの?」雪乃の表情が一変した。僕を睨みつけたまま、眉間に深くしわを寄せる。「それ、本気で言ってるの?」僕はカルテを閉じ、机の端へ戻した。「本気です。病気ではない、と言いました」病室に、数秒の沈黙が落ちる。智史が軽く咳き込み、喉の奥から絞り出すような弱々しい声で言った。「姉さん……もういいよ。平山先生には、本当に分からないのかもしれない。困らせないであげて」雪乃は智史の手を握り返しながら、僕に向かって冷ややかに笑った。「ねえ、智史の今の顔色が見えないの?複数の大病院で検査を受け、海外の専門医からも診断を受けているのに、あなたの口にかかれば病気じゃないってわけ?治せる自信がないなら、正直にそう言えばいい。こんな言い訳を並べる意味が分からないわ」配信のコメント欄には、すでに非難の言葉が殺到していた。【この医者、どうなっているの?末期心不全が病気じゃないなんてあり得る?】【あれだけ持ち上げられていたのに、病気かどうかすら判断できないのか?】これまで黙って座っていた父が、口を開いた。「平山君、君の手に負えず、診られないというなら、それは無理強いしないが、息子が病気ではないと断じるのは、あまりに軽率な結論じゃないか」口調は強くはなかったが、威圧感のある声だった。母も、ため息まじりに言葉を継いだ。父よりも口調は柔らかかったが、言葉には棘があった。「平山先生。智史が病気じゃないとおっしゃるなら、これまで智史を診てきた専門医たちは、全員見立てを誤ったということになりますけど」僕はすぐには言い返さず、ベッド脇に椅子を寄せて腰を下ろした。「渋谷社長、奥様。これまでの診断がすべて正しいと思っているなら、ひとつだけ考えてみてください。その症状を、智史さん本人が装っている可能性はありませんか?」智史の指が、シーツをわずかに握りしめた。ほんの小さな動きだったが、僕は見逃さなかった。父親の顔から、すっと表情が消えた。「平山君。言っていいことと悪いことがあるぞ。智史は幼い頃から、ずっと私たちのそばで育ってきた。病気のふりをする理由が、どこにあるというんだ」僕は椅子の背にもたれ、彼を見つめた。「もし信じられないなら、これまで彼を診てきた医師をここへ呼んで、直接問い詰めれ
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第6話
土屋先生の瞳が、一瞬激しく揺れ動いた。「平山先生、それは侮辱です!そんなことは断じてしていません!渋谷様、奥様。この男は、医師としての私の良心を侮辱しているんですよ!」智史もゆっくりと上体を起こした。顔色はひどく悪く、唇も青ざめている。声には、悔しさと怒りがにじんでいた。「平山先生。俺のことを嫌うのは勝手です。でも、どうして土屋先生まで巻き込むんですか。俺が仮病だと言うなら、証拠はあるんですか?」「証拠、ですか」僕はポケットからスマホを取り出し、ゆっくりと録音データを再生した。病室に、智史の声が流れ始める。「平山先生、あなたの腕がいいことは分かっています。でも、俺の病気は、実際にはそこまで深刻じゃないんです。明日の診察では、両親と姉に、俺は精神的な刺激を避けて絶対安静にしなければならない状態だと説明してほしい。それだけでいいんです。姉が寄付する設備とは別に、俺からも1億円払います。あなたなら、どちらを選ぶべきか分かりますよね」録音が終わる。病室は、壁の時計の秒針が聞こえるほど静まり返った。録音されていたのは、昨日、智史が僕に直接持ちかけてきた話だった。前世の僕は、彼が医師を買収し、病状を偽っていたことをすでに知っていた。だが、当時は証拠がなく、家族も病に苦しむ智史の言葉ばかりを信じていた。だから彼が僕を訪ねてきた時点で、何を言い出すかは予想できていた。あらかじめ録音しておいたのも、そのためだ。土屋先生の顔が、みるみる青ざめていく。両親も同時に、ベッドの上の智史へ目を向けた。父の顔には驚きと怒りが浮かび、母は信じられないものを見るように智史を見つめていた。雪乃も口を開いたまま、完全に言葉を失っている。コメント欄は一瞬静まり返ったあと、一気に荒れ始めた。【これ、渋谷智史の声?めちゃくちゃ元気そうじゃん!】【1億円払って、家族に嘘をつくよう医者を買収しようとしたってこと?】【これのどこが今にも死にそうな病人なんだよ】智史の顔から、さっと血の気が引いた。録音が終わる頃には、目元がすでに赤くなっていた。「父さん、母さん、姉さん……話を聞いてください……っ」智史はうつむき、肩を震わせた。「確かに、平山先生に、あの話を持ちかけました。でも、俺にも事情があったんです。
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第7話
2分もしないうちに、病室の外が騒がしくなった。廊下の向こうから、女性の泣き叫ぶ声が近づいてくる。次の瞬間、病室の扉が勢いよく開いた。白髪交じりの髪を振り乱した年配の女性が、よろめくように飛び込んできた。着古した上着を羽織り、顔は涙でぐしゃぐしゃだった。泣き腫らした目を真っ赤にし、怒りと悲しみに顔をゆがめている。後ろから病院の警備員と看護師が追いかけてきたが、女性は制止する手を振り払い、そのまま僕に詰め寄った。「平山一希!息子を返して!」女性は僕を見つけるなり駆け寄り、白衣の胸元を両手でつかんだ。荒れた手には、思いがけないほどの力がこもっていた。「息子があれほど苦しいと訴えたのに、あんたはろくに検査もしないで帰したんでしょう!昨夜、息子は亡くなったのよ……病院に運ばれた時には、もう手遅れだったって……あんたが、あんたが息子を殺したの!」女性は泣き叫びながら、僕の白衣を激しく揺さぶった。女性の爪が僕の手の甲をかすめ、鋭い痛みが走った。視線を落とすと、手の甲には2本の引っかき傷ができ、赤い血がにじんでいた。雪乃は腕を組んだまま、わずかに口元をゆがめた。「平山先生。これがあなたの言う、医師としての良心なの?」声には、隠しきれない嘲りがにじんでいた。「自分の判断で患者を死なせておいて、まだ人のことを責める余裕があるなんてね」雪乃に寄りかかっていた智史も、わざとらしくため息をついた。「平山先生。もっと早く自分の間違いを認めていれば、あの方の息子さんも助かったかもしれませんね」両親は、何も言わなかった。父はうつむいたまま湯飲みに口をつけ、まるで自分には関係のないことのように振る舞っている。母も顔を背け、窓の外を眺めていた。コメント欄は、再び激しく荒れ始めた。【症状を訴えてたのに、ろくに検査もせず帰したってこと?】【最低すぎる。病院もこの医者も、徹底的に調べるべきでしょ】【単なる医療ミスじゃ済まないだろ。実際に患者が亡くなってるんだぞ】僕はその場に立ち尽くし、女性に白衣をつかまれるままになっていた。抵抗もせず、振り払おうともしない。ただゆっくりと顔を上げ、父へ視線を向けた。女性は声を上げて泣き続け、やがて全身を震わせながらその場に崩れ落ちた。その時、病室の扉が再び開いた。黒いスー
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第8話
つかまれた白衣の襟元を軽く整えてから、僕は女性の正面へと歩み寄った。彼女はボディガードに両腕を押さえられ、椅子に押さえつけられている。全身の震えはまだ収まっていなかったが、涙はすっかり止まっていた。「昨夜、息子さんが息を引き取ったと、あなたはそう言いましたね。それなのに、今は葬儀の手配すら放り出し、一般人が立ち入れないはずのこの特別病棟まで押しかけて騒ぎ立てている。そういうことですか」一拍置いたのち、言葉を継いだ。「息子さんが本当に僕の患者だったというなら、教えてください。名前は?診断名は?そして僕が処方した薬は何でしたか?」女性があからさまに動揺し始めた。僕と目を合わせることを恐れるかのように、視線がせわしなく泳ぐ。「む、息子は……」口ごもる彼女の唇は乾ききっていた。「心臓の病気で……」「心疾患にも種類があります。心筋梗塞ですか?心不全ですか?不整脈ですか?それとも別の疾患ですか?」「そ、それは、とにかく心臓病なんだから……」「では、僕が処方した薬の名前は?」「そ、そんなの、私が覚えられるわけないでしょう!とにかく、あんたが息子を殺したのよ!」喚き散らす声は次第に勢いを失い、先ほどの気迫は見る影もない。配信のコメント欄の風向きも、すでに変わり始めていた。【自分の息子が飲んでいた薬の名前も言えないの?さすがに嘘くさくないか】【心臓病としか言えないって……種類すら分からないのかよ】答えに詰まり、焦りを募らせた女性は、突然弾かれたように椅子から立ち上がった。ボディガードの拘束を振りほどき、再び僕へと飛びかかってくる。「もう死んでもいい!あんたも道連れにしてやる!」僕は身をよじってその突進をかわした。彼女は勢い余ってよろめく。だが、乱暴に伸ばされたその手は止まらず、僕の白衣のポケットを強くつかんだ。その拍子に、ポケットの奥にしまっていたペンダントが床に落ちた。硬い床にぶつかって乾いた音を立て、留め具が外れる。中から、小さく折りたたまれた古い写真が滑り落ちた。その瞬間、母の目が大きく見開かれた。みるみる顔から血の気が引き、床に落ちた写真を、信じられないものを見るように呆然と見つめる。その目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。「こ、これは……あなた、どうしてこれを……
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第9話
「配信……?」その言葉を聞いた瞬間、智史の顔から最後の血の気すらも引き、土気色になった。彼は弾かれたように顔を上げ、部屋の隅々を血眼になって見回した。まるで今になって初めて、隠しカメラの存在に気づいたかのように。その見開かれた目には、隠しようのない恐怖と絶望が色濃く浮かんでいた。土屋先生は、分析結果の紙を見つめたまま、やがてがっくりとうなだれた。病室に、重苦しい沈黙が落ちる。そして、ついに智史がベッドから崩れ落ちた。「父さん、母さん……お願いです、話を聞いてください……」床を這うように父の足元まで近づき、ズボンの裾を必死に握りしめた。「違うんです、わざとじゃない……ただ、あなたたちを失うのが怖かっただけなんです……本物の跡取りが戻ってきて、俺の居場所が全部奪われてしまうのが、ただ恐ろしくて……」大粒の涙が、ぼろぼろと止めどなく溢れ落ちる。だが今度は、誰もその涙を拭ってやろうとしなかった。父は足元で泣き崩れる智史を、冷え切った目で見下ろした。その眼差しには、嫌悪の色がにじんでいた。「仮病なら、みっともなくすがりつくのはやめろ」父親が冷たく一歩後ろへ下がると、ズボンの裾は智史の震える手からするりと抜け落ちた。「渋谷家は、お前を20年もの間育ててきた。もう十分に面倒を見た。明日、法務部に指示を出して、お前名義の資産、不動産、信託基金、すべてを清算させる。これまで渋谷家から搾り取ってきた分は、一銭残らず返してもらうからな」彼は短く息を吐き、きっぱりと言い放った。「渋谷家は、恩を仇で返すような恩知らずを養う気は毛頭ない」智史の顔は、深い絶望の色に染まっていた。力なく床に座り込み、頬にはまだ涙が残っていたが、泣くことさえ忘れたようだった。母もまた彼を見つめていた。その視線に、かつての慈しみは微塵も残っていない。「あなたのその架空の病気のせいで、私は夜も眠れず、藁にもすがる思いであちこちの医者を探し回ったのよ。そのせいで……実の息子だと気づくことすらできなかった」彼女の声は、深い失望に震えていた。「智史。あなたのその浅ましい本性が、私には恐ろしくてたまらないわ。これから先は、どこでどう生きようと、勝手にすればいい」言い切ると同時に、全身から気力が抜け落ちたように肩を落とし、疲れ果てたよ
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第10話
僕は清男のそばへと歩み寄った。彼は口を挟むことなく杖をついて静かに立ち、僕が過去の因縁に決着をつける様子を見守っていた。その目には、安堵の色と、深い愛情が浮かんでいた。「父さん、帰りましょう」僕がそう声をかけると、清男はゆっくりと頷いた。それから顔を巡らせ、いまだ呆然としている渋谷家の人々を、氷のように冷ややかな目で一瞥した。「今日、この時をもって、我々平山医療グループは渋谷家との一切の取引を停止する。皆さん、せいぜいお元気で」ボディガードたちに守られながら、僕たちは彼らを残し、特別病棟を後にした。あの日の生配信は、またたく間に全国を騒然とさせる大ニュースとなった。だが、事態はそれだけでは収束しなかった。智史はその日のうちに渋谷家から放り出され、巨額の詐欺容疑で告訴された。彼が仮病を装うために長年ジギタリスなどの劇薬を乱用し続けた結果、その心臓にはすでに不可逆的な器質的障害が生じていたのだ。20年間、周囲を騙すために偽り続けた病が、今度こそ逃れられない本物の病となって、彼の残りの人生を蝕んでいくことになった。配信から三日後。あの病室で騒ぎを起こした女性の身元が、ネットユーザーによってほどなく特定された。四方八方からの批判と圧力に耐えかねた彼女は、ついに警察へと自首した。彼女は自身のSNSで謝罪動画を公開し、涙ながらに真実を告白した。息子の死など最初からでたらめで、あの鬼気迫る台詞も振る舞いも、すべては渋谷家から金を積まれて演じた三文芝居だったのだと。その動画が決定打となり、世間の怒りは完全に爆発した。渋谷グループの株価は連日ストップ安となり、わずか数日で数百億円という莫大な時価総額が煙のように吹き飛んだ。そしてこれこそが、清男がずっと待ち望んでいた絶好の機会だった。平山家と渋谷家の間に横たわる因縁は、僕一人の私情などとは比べものにならないほど、黒く根深いものだったのだ。渋谷家はここ数年の間、卑劣な手段を用いて水面下で平山医療グループの医療資源を不当に奪い続け、さらにはいくつもの中核研究チームを引き抜くという暴挙に出た。あの日、清男がわざわざ自ら病院へと乗り込んできたのは、単に僕の後ろ盾となるためだけではない。この千載一遇の好機を逃さず、渋谷家を打ち倒すためでもあったのだ。それから半月もたたず
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