تسجيل الدخول俺とラナンは、宿屋『沙帝夢楼』のワインが眠る地下貯蔵庫へと足を運んでいた。
カビと熟成されたアルコールの匂いが充満する薄暗い石造りの部屋。 そこで紫のターバンを巻き、ギラギラとした欲深そうな目を光らせる立派な口髭の男がいた。 何やら、サッドと密会を交わしているようだ。 男の細く筋張った指には、これ見よがしに金ピカの宝石指輪がはめられていた。「本当に、このような血生臭いガラクタに大金を払っていただけるとは……いやはや、感謝感激でございますなァ。どれも欲の皮の突っ張った冒険者どもから、二束三文でひん剥いてやった呪具ばかりですじゃ!」
マージルから聞かされた。男の名はモヤネロという。
サッドの話によれば、この自由自治領で手広く商売をしている商人らしい。「ああ。思っていたよりも良い品が揃っていて満足しているよ」
薄明かりに照らされた地下室の床。
そこには、モヤネロが持ち込んだ武具が一式が並べられている。 何れも禍々しい瘴気を放迫りくる大量のマッド・コンストラクト。 泥の魔物の群れ――。 肉体を削る過酷な負荷と、戦士として培ってきた『定石』の消去を感じながら、俺は二つの呪具を振るう。「破ッ!」 本来であれば、特別な『二刀流のスキル』を宿していなければ決して扱えないはずの連撃。 だが、今の俺を突き動かしているのは、世界から与えられた都合の良い力ではない。「|恩恵《スキル》なんて上等なもの、俺には初めから無い……」 右手の剣で泥刃を弾き、その強烈な反動を強引な身体の捻りへと変換する。 そこへ左手の鎌が命を啜る感覚を乗せ、常識外れの速度で死角から致命の一撃を叩き込む。「反動も呪いの痛みも……全部、俺の刃に乗れ」 剣と鎌。 重心も間合いも全く異なる二つの呪具が、泥と血に塗れた実戦の中で、ひとつの変則的な太刀筋として編み上げられていく。 決して美しくはない。「……上等だ……」 右手に握る『リスキーソード』。 絶大な攻撃力を誇りながらも、与えたダメージが強烈な衝撃となってそのまま自身の身体へと跳ね返してくる。 一方、左手に携えた『鮮血の鎌』。 強力な闇属性の波長を帯びる代償として、持ち主の生命力と魔力を際限なく吸い尽くそうと貪欲に唸る。「ぐゥ……ッ!」 一振りごとに骨を軋ませる反射の激痛と、血の気が引くような搾取の|眩暈《めまい》。 その二つの呪いがもたらす相反する苦痛すらも強引に噛み合わせ、ひとつの軌道へと編み上げていく。 それは理不尽な運命に抗うための果てしない試行錯誤の末に、己の肉体だけで掴み取った俺だけの『剣技』だった。「……どうしたんだい? その程度でへばるなら、あの剣の飢えには到底耐えられないよ」 イオの楽しげで、それでいて底冷えのする挑発が、朦朧とする意識を無理やり現実に引き戻す。&
俺は魔王城やゴルベガス、いや大陸からも離れた『東の孤島』にいる。 ここはかつて、俺が追手との戦いの後に運ばれた館の場所。 イオが言うには、ここは世界の理から外れた『忘れられた場所』なのだという。 窓の外を見下ろせば、森や建物といった景色が脈絡なく不自然に並び、まるで作りかけの巨大なジオラマのような歪な空間が広がっている。「ガルア、君には言い忘れていたが、ここは『特別な場所』だ」「特別な場所?」「ゴルベガスが『表の本拠地』なら、ここは『裏の本拠地』という意味さ」「どういう意味だ」「ゴルベガスは、ボクたちが世界の上で暴れ回るための表舞台。対して、ここは神様すら見放したゴミ溜めさ。でもね、だからこそ世界の修正も届かない……ボクたちだけの『聖域』になる」 イオの言っていることは、正直なところ皆目理解できない。 俺はベルタとの死闘後、しばらくゴルベガスで休息をとっていた。 だが、傷が癒えた頃合いを見計らったように、彼女に連れられて再びこの孤島の館へと足を運ぶことになったのだ。「さて、君には特訓をしてもらおうと思っている」「特訓だと?」「そうさ。君が腰から外しているアレイク、それを使いこなすための特訓といえばいいのかな」「……どういう意味だ……俺に何をさせようというんだ」 結局、俺は流されるままにここまで来てしまった。 イグナスのパーティを追放されて以来、俺の人生は制御不能な濁流に翻弄され続けている。 魔族に拾われ、魔王軍として戦ううちに、俺の身体はもはや『人間』としての境界線すらあやふやだ。 故郷を人質に取られている以上、魔王イオの命令には逆らえないが、自分の内側で脈打つ『得体の知れない力』を感じる。 それが何より恐ろしいのだ。 手に馴染み始めた魔剣アレイクの重みが、俺がもう二度と『ただの戦士』に戻れないことを冷酷に告げている。 そんな気がした。そう、俺はこのままこのルートに乗るしかな
主を失った魔王城の回廊は、ひどく冷たく、不気味な静寂に包まれていた。 魔王として君臨したイオたちは、すでに本拠地を別の場所へと移した後だった。「……もぬけの殻か……」 残されているのは、破壊された城の残骸だけのはずだった。 そう、ただの『空き箱』になっているはずだったのだ。「シャァァッ!!」「チッ……!」 突如、頭上の梁から飛び降りてきたリザードマンのスピアでの一閃。 私は半身を捻って間一髪で躱した。 着地の隙を狙うように、今度は真正面から棍棒を構えたオークが、そして両サイドの死角からは短剣を握った数匹のゴブリンが躍り出てくる。「邪魔だ――『深紅の爆炎』ッ!」 私は青いローブを翻し、即座に中級の火属性魔法を放った。 深紅の爆炎が広範囲に散開し、オークとゴブリンたちを纏めて吹き飛ばす。 本来なら、このような低級の魔物などこの一撃で消し炭になるはずだ。 しかし――。「ギャギャギャッ! 効かねえよ!」 爆煙を突き破り、小柄なゴブリンどもが炎を纏ったまま突進してきた。 全身に軽度の火傷を負いながらも、その敏捷なステップと突進速度は全く落ちていない。 直後、地響きを立ててオークもそれに続く。「バカな……ゴブリンやオークが中級魔法を耐え抜いたというのか?」 私は驚愕に目を見開いた。 目の前にいるのは、かつてあの出来損ないの偽物――ゲレドッツォに従っていた低級の残党どもだ。 個々のステータスは取るに足らない『ザコキャラ』のはず。 それがどうだ。防御力、敏捷性、そして何より魔物特有の恐怖による逃走本能が完全に書き換えられている。 まるで、高度な訓練を受けた精鋭部隊のような連携とタフネス。「あの女……イオめ! 去り際にこのゴミ屑どもにどんな強化を掛けたというのだ!」
ベルタを討ち果たした夜、俺は意識を失った。 目覚めた俺は、全身を満たす不気味な感触に戦慄している。「……俺は生きているのか……それにこの溢れる力は……」 魔剣『アレイク』に生命力を致死量まで絞り尽くされたはずだ。 だが、今はどうだ。 枯渇したはずの器の底から、冷たい水が湧き出すように生命力がとめどなく溢れ出ている。 限界のない、無限の体力――これは一体何だ?「……ここは?」 ゆっくりと上体を起こす。 視界に広がったのは、見慣れぬ豪奢な白い天井と壁だった。 ここはサッドが経営する宿屋『沙帝夢楼』の客室のようだ。 気付けば、俺は清潔なベッドの上に寝かされている。「おや、目覚めたようだね。大役、ご苦労だったよ」 声のした方へ顔を向けると、窓際に一人の少女が立っていた。 藤色の髪を揺らすその姿に、俺は思わず息を呑んだ。 絶対的な魔力の気配で理解した。イオだ。 しかし、その装いは玉座の間にいた時の軽装とはまるで違っていた。 意匠そのものは、光の勇者が装備する神々しい鎧の形状と完全に一致している。 だが、その色彩だけが、光の理を真っ向から否定するように禍々しい漆黒と毒々しい紫で完全に塗り潰されていた。 神聖なる勇者の武具を奪い、魔力で強引に闇の属性へと染め上げたような不気味さはあるが、完成された美しさを放っている。「……魔王……」「おや、ちゃんと魔王と呼んでくれるんだね。嬉しいよ」 その異形にして高貴な姿をまじまじと見つめていると、イオはふふっと小さく喉を鳴らした。「――どうかな。似合う?」 彼女はまるで、新しい服を自慢する少女のような無邪気さで僅かに首を傾げて微笑んだ。 だが、その瞳の奥には冷たい深淵が覗いている。「…&hel
ガルアが冷たい石畳に倒れ伏した直後、ゼイクは慌ててその身体を抱え起こそうとした。「くそっ……なんて重さだ」 持ち上げようとした腕の筋肉が悲鳴を上げる。 ガルアが身に纏う呪いの鎧『パープル・ミラージュ』は、装備者以外の者が触れれば岩塊のような異常な重量を帯びる代物だった。 戦死者から高価な武具を剥ぎ取ろうとする人間の強欲を嘲笑うため、魔族の呪術師が悪意をもって仕組んだ極めて悪辣な罠である。「ガルア! しっかりしなさい!」 ラナンが血相を変えて駆け寄り、ガルアの青ざめた頬を叩く。 しかし、彼の瞳は固く閉じられ、呼吸はひどく浅い。 右手に握られた魔剣アレイクが、彼の生命力を致死量ギリギリまで絞り尽くしていた。 ダミアンの無念を晴らすため、共に死線を超えてくれたこの不器用な戦士を、ここで死なせるわけにはいかない。 背後の屋敷からは太い柱が焼け落ちる轟音が響き、猛烈な熱波が庭園の木々を焦がし始めていた。 一刻の猶予もない。「俺が強引に担ぐ。お嬢さん、君は退路の確保を――」 ゼイクが力任せにガルアを引きずろうとした、その時だった。 不意に黒煙が割れ、二つの巨大な影が庭園へと躍り出た。「おいおい、勝手に死なれちゃ困るぜ」 煤で汚れ、刃こぼれした曲刀を提げたワーウルフと、岩山のような巨躯を誇る亜種トロル。 その異形の姿を認めた瞬間、ゼイクの全身に戦慄が走った。 毒蛇は咄嗟にガルアから手を離すと深緑の片刃剣を抜き放ち、切っ先を突きつけた。「魔物だと……!? ベルタの追手か!」「待って! 彼らは敵じゃないわ!」 殺気を放つゼイクの前に、ラナンが両手を広げて割り込んだ。「地下闘技場に潜入していた、私たちの仲間よ。フサーム、それにハンバル! 無事だったのね!」 ラナンの必死の叫びに、ゼイクは驚愕を隠せないまま剣を構えた姿勢で二人を凝視した。 ワーウルフと呼ばれたフサームが、鼻先を鳴らして不機嫌そう
『……ガァ……ガッ……グッ……!』 袈裟懸けに切り裂かれた金色の巨体。 俺は全身に返り血を浴びる。 斬られたゴルトアヌビスは、華のような鮮血を噴き出しながら石畳の上へと崩れ落ちた。「……はぁ……ふぅ……はぁ……」 荒い息を吐きながら俺は剣を下ろす。 アレイクが命を啜った影響で、猛烈な倦怠感と目眩が俺を襲う。 この胸を締め付ける重さは剣の呪いのせいだけではないだろう。 哀れなベルタを、俺のこの手で斬ったのだから。 ――血の海に沈むゴルトアヌビス。 命の灯火が消えゆく中、彼女を縛る強制力が解けたのか。「……ベルタ……」 その体は光の粒子を伴って、元の美しいサキュバスの姿へと戻っていった。「ありが……とう……やっと、私は死ねるのね」 血まみれのベルタは弱々しく、けれどどこか憑き物が落ちたような安らかな笑みを浮かべた。 俺はフラフラとその場に座り込み、ベルタに言った。「やっと死ねる?」「そう……これで私は、この下らないシナリオから退場よ。もう踊らなくていいのよ」 ――シナリオ。 与えられた役割だの、絶対的な支配だの。 シナリオ以外にも、俺はずっと聞き慣れない言葉を聞き続けている。 世界共通の認知はこうだったはずだ。 平和だったある日、魔王ドラゼウフが現れイリアサン王国への侵攻を宣言。 それに抗うため、勇者と俺達は魔王打倒のために数々の死線を潜り抜けてきた。 それが世界の正義だと、自分たちの使命だと信じて疑わなかった。「……踊らなくていい&h
俺たちは今、大型鳥類モンスター『ロックバード』の背に乗り、上空から死地を目指していた。 本来なら人間を空から強襲し、捕食する獰猛な魔物だ。 強靭な鉤爪と風属性の魔法を操り、俺も過去の冒険で何度か手痛い反撃を受けた経験がある。 そんな危険な怪鳥を足としていた。「まさか、人間様と肩を並べて空を飛ぶ日が来るとはな」 煤鉄色の毛並みをしたワーウルフが、不機嫌そうに俺を睨みつける。 名はフサーム。腰には細身の曲刀『ムーンリーパー』を下げている。 彼は牙や爪に頼る獣ではなく、剣術を修めた戦士の
「勇者イグナス――彼は、その称号に相応しい人格、技量、器を兼ね備えていたかね?」 琥珀色のワインを弄びながら、サッドは唐突にイグナスの名を口にした。 かつての仲間が『勇者』に相応しい人物であったか。その問いに対し、俺は少しだけ思考を巡らせた。 イグナスの剣技も魔法も、間違いなく超一流だった。勇者と呼ばれるに足る『強さ』は、確かにあいつの中にあった。「……勇者と呼ぶに値する強さは、確かにあった」 俺は正直にそう答えた。 しかし、その言葉を聞いたサッドの肩が小さく震えた。それは、煮えくり返るような哄笑の予兆だった。「――ハッハッハッハッ! 傑作だね。あの程度の小童を
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……!!」 ――あの日、勇者イグナスを殴り倒し、魔族の少女と共に村を出奔してから数日が経っていた。 俺は未だ呪われた装備に身を包まれたまま、当てもなく深い森の中を駆けずり回っていた。「いたぞ! 勇者殺しだッ!」「逃がすな! あの首は金塊の山だぜ!」 イグナスは死んだ。 そう……俺が殺した。あの女魔族、ラナンを助けるために。 『勇者殺しの大罪人』という甘美な
「ぐうゥ……ガ、ガルアめ。スカルヘルムを渡したのがマズかったか」 人気のない納屋の隅で、勇者イグナスは自らの胸を押さえ、血を吐きながらうずくまっていた。 とある塔のダンジョンで手に入れた『スカルヘルム』。 人の頭蓋骨を模したその不吉な兜。 最高クラスの防御力を誇る代償として、装備者の精神を蝕み『混乱』を引き起こす副作用があるのではないかと、イグナスは密かに疑っていたのだ。 そもそも、イグナスがガルアを仲間に引き入れたのは序盤の冒険で立ち寄った村でのことだ。 村一番の剣の使い手――そ







