ログイン「ぐうゥ……ガ、ガルアめ。スカルヘルムを渡したのがマズかったか」
人気のない納屋の隅で、勇者イグナスは自らの胸を押さえ、血を吐きながらうずくまっていた。
とある塔のダンジョンで手に入れた『スカルヘルム』。 人の頭蓋骨を模したその不吉な兜。 最高クラスの防御力を誇る代償として、装備者の精神を蝕み『混乱』を引き起こす副作用があるのではないかと、イグナスは密かに疑っていたのだ。そもそも、イグナスがガルアを仲間に引き入れたのは序盤の冒険で立ち寄った村でのことだ。
村一番の剣の使い手――その肩書き通り、ガルアは優秀な前衛だった。 だが、冒険のステージが進むにつれ、イグナスはその存在をひどく疎ましく思い始めていた。 これといった派手な特技や魔法スキルを持たず、ただ愚直に前衛で『肉壁』となって戦うだけの地味な存在。 それがガルアだった。「……胸骨とアバラ、完全に逝っちまったな」
敵のパラメータが跳ね上がる後半の冒険において、前衛でダメージを受け続けるガルアを回復させるためのMPやアイテムの消費は、日に日に激しくなっていった。
更には物理戦士であるが故に、武器や防具を最新のものにアップデートし続けるための資金も馬鹿にならない。 コストパフォーマンスの悪さに苛立ったイグナスは、各ダンジョンで拾った強力だが売値のつかない『呪いの武具』を、ガルアに無理やり装備させるようになった。 呪われたとしても、教会の設備やミラの魔法で解除すればいい。 所詮は『使い捨ての盾』だ。イグナスはそう安易に、そして残酷に割り切っていた。「装備は防具だけにしておくべきだった。あの『カタストハンマー』なんていうふざけた武器まで渡したのが間違いだった……ッ」
最初は兜から。次は盾、鎧……。
イグナスの悪意は、システムが許す限りエスカレートしていった。 呪いの防具で身を固めたガルアが、その副作用でパーティの足を引っ張るたび、イグナスは彼を口汚く罵倒した。 最初はコスト削減と面白半分の『遊び』だった。 だが、それは次第にガルアをパーティから自発的に脱退させるための、陰湿なパワハラへと変わっていったのだ。 イグナスは、とにかくガルアを枠から外したかった。そして今日、念願叶ってようやくパーティから追放できたというのに――このザマだ。「……クソッ! 次は武闘家を仲間にしなきゃな。装備に金もかからねェし、前衛での火力も期待できる。そんなコスパの良いやつを……」
激痛を堪え、イグナスはどうにか立ち上がろうともがく。
早くミラを呼んで、高位の回復魔法をかけてもらわなければ。――カッカッ……。
その時、納屋の入り口から静かな足音が聞こえた。
警戒して顔を上げたイグナスだったが、足音の主の姿を認めると安堵の息を漏らした。「お前か……。丁度良かった、早く回復を……」
――ビビィィィィッ……!!
言葉の途中で、イグナスの心臓を不可視の電撃が貫いた。
雷属性の魔法。 それが至近距離から、容赦なく勇者の急所を撃ち抜いたのだ。 イグナスの視界が急速に闇に塗り潰され、意識がシステムの底へとエラー音を立てて沈んでいく。 心臓の鼓動が、急速にゼロへと収束していくのを感じた。――死。
それは即ち、この箱庭世界からの永遠の退場を意味していた。
「な、何故、お前が……?」
それが、神に選ばれたはずの主人公が残した最後の言葉だった。
世界を救うべき輝ける勇者は、誰にも看取られることなく、深い、深い闇へと落ちていく――。【――SYSTEM MESSAGE:GAME OVER――】
***
その頃、俺は女魔族の腕を引き、闇に紛れて急ぎ足で村を出ていた。
今はとにかく迷宮の森へと入り、追手を差し向けてくるであろう村人やジルたちから逃れ、身を隠すことを優先した。 目的地などない。ただ、呪いの防具が立てる重苦しい金属音を響かせながら、当て所なく野道を歩き続けていた。「……いい加減、その手を放してよ」
不意に、後ろを歩く女魔族が冷たい声で言った。彼女はあからさまに視線を逸らしている。
言われてみればその通りだ。助け出したとはいえ、いつまでも敵対種族の手を引いている義理はない。「……すまん」
俺は小さく謝罪し、その手を放した。それは即ち、彼女の解放を意味していた。
「どこへなりとも行くがいい」
「あんた、私を殺さなくていいの? 私は村を焼くつもりだったし、何よりあんたを殺そうとしたのよ?」 「…………」俺は女魔族の言葉を黙殺し、再び重い足取りで前へと進んだ。
行き先は決めていないが、これから自分の身に起こり得る『イベント』の想像はついていた。 勇者イグナスに重傷を負わせ、魔族を連れて逃亡したのだ。怒り狂ったイグナスが追撃してくるかもしれない。 あるいは、王国から『勇者を裏切った大罪人』として強力な刺客が送り込まれるか。最悪の場合、国中の賞金稼ぎが俺の首を狙ってくるだろう。 少しの悔恨はある。だが、自分の意志で選んだ結果だ。その時は甘んじて罰を受けよう。俺はそう、固く決心していた。「ちょ、ちょっと待ちなさい」
「……何だ」 「あんた……私があの村に火をつけようとした『理由』……知りたいんでしょう?」その言葉に、俺はピタリと足を止めた。
確かに彼女は言っていた。『友達を殺された』と。その詳しい事情には、胸の奥でずっと引っかかっていた。「あんた達が嬉々として殺した『青の暴君』って呼ばれてるドラゴン……あの子の本当の名前は、サピロス。私の、たった一人の友達だった子よ」
そうか……あの美しい蒼竜が、彼女の友達だったのか。
だが、あの『青の暴君』と呼ばれるドラゴンは、勇者パーティとして退治せねばならない明確な理由があった。 迷宮の森に誤って入った村人たちが、次々とあの竜に殺されたと、村長から直々に「あのドラゴンは罪のない村人を殺した。だから俺たちは退治したんだ」
「そりゃ、殺されるようなことをしたからよ」 「どういう意味だ?」殺されるようなこと?
村人たちは、凶暴なドラゴンに襲われた可哀想な犠牲者ではなかったのか。 女魔族は俺を真っ直ぐに見据え、静かに、だが確かな意思を持って言った。「……ついてきなさい。真実を見せてあげる」
俺は言われるがまま、彼女の背中を追い、再び迷宮の森の最深部へと足を踏み入れた。
***
森の奥深く。俺たちは『青の暴君』……いや、サピロスが倒れた場所へと戻ってきていた。
巨大な竜は既に息絶え、冷たい骸と化している。 討伐から数日も経っていないため、そのサファイアのような鱗は腐敗することもなく、皮肉なほどに美しい輝きを保っていた。「サピロス……」
女魔族の少女は巨大な骸に歩み寄り、ポロポロと涙を流した。
やがて、そっと涙を拭うと、振り返って俺に言った。「あそこ……サピロスの骸の後ろに、不自然に盛り上がっている場所があるでしょ」
言われてみれば、竜の巨体の陰に隠れるように、一部の地面が盛り上がっている。
討伐した時は戦闘の余韻で全く気づかなかった。 俺が近づいて調べてみると、そこには土ではなく、加工された石が無造作に重ねられていた。「石が積まれているな」
「面倒だけど、その石をどかしてごらんなさい。あんたたち人間が欲しがる『面白いもの』があるわ」彼女の指示通り、丁寧に一つずつ石を取り除いていくと――。
「こ、これは……」
なんと、そこには地下へと続く隠し階段が現れたのだ。
恐る恐る階段を降りると、そこには広めの小部屋が存在していた。 驚くべきことに、壁一面がサピロスの鱗と同じ、美しい青色の石材で造られている。「この迷宮の森にはね、遥か昔『サファウダ』という国が栄えていたの」
「サファウダ?」 「大昔に栄えていた国よ。強力な魔導の力を持っていたそうだけど、歴史から完全に消し去られたらしいわ」 「……初めて聞いたな……」歴史から完全に消し去られた、幻の王国。
何故そんな国が歴史の表舞台から葬られたのかはわからない。 しかし、ここまでの話で理解したことは一つ。 この広大な迷宮の森に、一つの国が丸ごと存在していたのだろう。「サピロスは、サファウダの国で飼われていたドラゴン。そして、この場所はサファウダの女王『ブルーニア様』が暮らしていた、お城の跡地だったらしいわ」
「幻の国の女王ブルーニア……やけに内情に詳しいじゃないか」 「サピロスが教えてくれたの。言葉じゃなくて、あの子の記憶を通してね」どうやって魔族の少女と古のドラゴンが意思疎通を図ったのか、その経緯はわからない。
だが、すべての線が繋がった気がした。 この古代遺跡の伝説を知る村人の一部が、盗掘や墓荒らしの目的でこの森の深部へ侵入した。 そして、この秘密の部屋を何百年も守り続けてきた『門番』であるサピロスに、排除されたのだろう。 それが、クエストの裏に「これは……」
青い部屋を見渡した俺の視線が、祭壇のような場所に置かれた一冊の書物に釘付けになった。
それは装丁までが深い青色で統一された、古めかしい記録書だった。 不思議と埃一つ被っていない。 表紙には何やら文字が書いてあるが、古代の文字のようで読めない。「もういいでしょう。あんたには特別に真実を見せてあげたけど、これ以上の詮索はやめて。サピロスが浮かばれないわ」
ラナンの言葉に従い、俺は無言で隠し部屋を後にすることにした。
だがその時、何かに操られるように無意識のうちにその『青い記録書』を手に取り、懐へと収めていた。「そういえば……お前の名前を聞いていなかったな」
階段を上り終え、俺は背中越しに尋ねた。
「敵であるあんたに、教える必要がある?」
「……それもそうだな」俺が自嘲し、一人で迷宮の森から立ち去ろうとした、その時だった。
「……待って……」
「……何だ」 「気が変わったから教えてあげる。私はラナン……ラナン・シャルト」 「名前があったのか」 「一応ね。あなたは?」 「俺はガルア……ガルア・ブラッシュ」 「ガルアか、いい名前ね」 「お前のも悪くない。いい名前だ」背中へ投げられたその名前を、俺は深く脳裏に刻み込んだ。
――ラナン・シャルト。 彼女の名前を胸に反芻しながら、俺は呪われた装備の異様な重みを感じつつ、迷宮の森を抜けた。 木々の隙間から差し込む光が、辺りがすっかり夜明けを迎えたことを告げている。 空はどこまでも青く晴れ渡り、小鳥のさえずりが聞こえる、平和な朝の風景。 だが、世界の裏側に触れてしまった俺の心は、その青空とは裏腹に少しも晴れ晴れとしたものではなかった。迫りくる大量のマッド・コンストラクト。 泥の魔物の群れ――。 肉体を削る過酷な負荷と、戦士として培ってきた『定石』の消去を感じながら、俺は二つの呪具を振るう。「破ッ!」 本来であれば、特別な『二刀流のスキル』を宿していなければ決して扱えないはずの連撃。 だが、今の俺を突き動かしているのは、世界から与えられた都合の良い力ではない。「|恩恵《スキル》なんて上等なもの、俺には初めから無い……」 右手の剣で泥刃を弾き、その強烈な反動を強引な身体の捻りへと変換する。 そこへ左手の鎌が命を啜る感覚を乗せ、常識外れの速度で死角から致命の一撃を叩き込む。「反動も呪いの痛みも……全部、俺の刃に乗れ」 剣と鎌。 重心も間合いも全く異なる二つの呪具が、泥と血に塗れた実戦の中で、ひとつの変則的な太刀筋として編み上げられていく。 決して美しくはない。「……上等だ……」 右手に握る『リスキーソード』。 絶大な攻撃力を誇りながらも、与えたダメージが強烈な衝撃となってそのまま自身の身体へと跳ね返してくる。 一方、左手に携えた『鮮血の鎌』。 強力な闇属性の波長を帯びる代償として、持ち主の生命力と魔力を際限なく吸い尽くそうと貪欲に唸る。「ぐゥ……ッ!」 一振りごとに骨を軋ませる反射の激痛と、血の気が引くような搾取の|眩暈《めまい》。 その二つの呪いがもたらす相反する苦痛すらも強引に噛み合わせ、ひとつの軌道へと編み上げていく。 それは理不尽な運命に抗うための果てしない試行錯誤の末に、己の肉体だけで掴み取った俺だけの『剣技』だった。「……どうしたんだい? その程度でへばるなら、あの剣の飢えには到底耐えられないよ」 イオの楽しげで、それでいて底冷えのする挑発が、朦朧とする意識を無理やり現実に引き戻す。&
俺は魔王城やゴルベガス、いや大陸からも離れた『東の孤島』にいる。 ここはかつて、俺が追手との戦いの後に運ばれた館の場所。 イオが言うには、ここは世界の理から外れた『忘れられた場所』なのだという。 窓の外を見下ろせば、森や建物といった景色が脈絡なく不自然に並び、まるで作りかけの巨大なジオラマのような歪な空間が広がっている。「ガルア、君には言い忘れていたが、ここは『特別な場所』だ」「特別な場所?」「ゴルベガスが『表の本拠地』なら、ここは『裏の本拠地』という意味さ」「どういう意味だ」「ゴルベガスは、ボクたちが世界の上で暴れ回るための表舞台。対して、ここは神様すら見放したゴミ溜めさ。でもね、だからこそ世界の修正も届かない……ボクたちだけの『聖域』になる」 イオの言っていることは、正直なところ皆目理解できない。 俺はベルタとの死闘後、しばらくゴルベガスで休息をとっていた。 だが、傷が癒えた頃合いを見計らったように、彼女に連れられて再びこの孤島の館へと足を運ぶことになったのだ。「さて、君には特訓をしてもらおうと思っている」「特訓だと?」「そうさ。君が腰から外しているアレイク、それを使いこなすための特訓といえばいいのかな」「……どういう意味だ……俺に何をさせようというんだ」 結局、俺は流されるままにここまで来てしまった。 イグナスのパーティを追放されて以来、俺の人生は制御不能な濁流に翻弄され続けている。 魔族に拾われ、魔王軍として戦ううちに、俺の身体はもはや『人間』としての境界線すらあやふやだ。 故郷を人質に取られている以上、魔王イオの命令には逆らえないが、自分の内側で脈打つ『得体の知れない力』を感じる。 それが何より恐ろしいのだ。 手に馴染み始めた魔剣アレイクの重みが、俺がもう二度と『ただの戦士』に戻れないことを冷酷に告げている。 そんな気がした。そう、俺はこのままこのルートに乗るしかな
主を失った魔王城の回廊は、ひどく冷たく、不気味な静寂に包まれていた。 魔王として君臨したイオたちは、すでに本拠地を別の場所へと移した後だった。「……もぬけの殻か……」 残されているのは、破壊された城の残骸だけのはずだった。 そう、ただの『空き箱』になっているはずだったのだ。「シャァァッ!!」「チッ……!」 突如、頭上の梁から飛び降りてきたリザードマンのスピアでの一閃。 私は半身を捻って間一髪で躱した。 着地の隙を狙うように、今度は真正面から棍棒を構えたオークが、そして両サイドの死角からは短剣を握った数匹のゴブリンが躍り出てくる。「邪魔だ――『深紅の爆炎』ッ!」 私は青いローブを翻し、即座に中級の火属性魔法を放った。 深紅の爆炎が広範囲に散開し、オークとゴブリンたちを纏めて吹き飛ばす。 本来なら、このような低級の魔物などこの一撃で消し炭になるはずだ。 しかし――。「ギャギャギャッ! 効かねえよ!」 爆煙を突き破り、小柄なゴブリンどもが炎を纏ったまま突進してきた。 全身に軽度の火傷を負いながらも、その敏捷なステップと突進速度は全く落ちていない。 直後、地響きを立ててオークもそれに続く。「バカな……ゴブリンやオークが中級魔法を耐え抜いたというのか?」 私は驚愕に目を見開いた。 目の前にいるのは、かつてあの出来損ないの偽物――ゲレドッツォに従っていた低級の残党どもだ。 個々のステータスは取るに足らない『ザコキャラ』のはず。 それがどうだ。防御力、敏捷性、そして何より魔物特有の恐怖による逃走本能が完全に書き換えられている。 まるで、高度な訓練を受けた精鋭部隊のような連携とタフネス。「あの女……イオめ! 去り際にこのゴミ屑どもにどんな強化を掛けたというのだ!」
ベルタを討ち果たした夜、俺は意識を失った。 目覚めた俺は、全身を満たす不気味な感触に戦慄している。「……俺は生きているのか……それにこの溢れる力は……」 魔剣『アレイク』に生命力を致死量まで絞り尽くされたはずだ。 だが、今はどうだ。 枯渇したはずの器の底から、冷たい水が湧き出すように生命力がとめどなく溢れ出ている。 限界のない、無限の体力――これは一体何だ?「……ここは?」 ゆっくりと上体を起こす。 視界に広がったのは、見慣れぬ豪奢な白い天井と壁だった。 ここはサッドが経営する宿屋『沙帝夢楼』の客室のようだ。 気付けば、俺は清潔なベッドの上に寝かされている。「おや、目覚めたようだね。大役、ご苦労だったよ」 声のした方へ顔を向けると、窓際に一人の少女が立っていた。 藤色の髪を揺らすその姿に、俺は思わず息を呑んだ。 絶対的な魔力の気配で理解した。イオだ。 しかし、その装いは玉座の間にいた時の軽装とはまるで違っていた。 意匠そのものは、光の勇者が装備する神々しい鎧の形状と完全に一致している。 だが、その色彩だけが、光の理を真っ向から否定するように禍々しい漆黒と毒々しい紫で完全に塗り潰されていた。 神聖なる勇者の武具を奪い、魔力で強引に闇の属性へと染め上げたような不気味さはあるが、完成された美しさを放っている。「……魔王……」「おや、ちゃんと魔王と呼んでくれるんだね。嬉しいよ」 その異形にして高貴な姿をまじまじと見つめていると、イオはふふっと小さく喉を鳴らした。「――どうかな。似合う?」 彼女はまるで、新しい服を自慢する少女のような無邪気さで僅かに首を傾げて微笑んだ。 だが、その瞳の奥には冷たい深淵が覗いている。「…&hel
ガルアが冷たい石畳に倒れ伏した直後、ゼイクは慌ててその身体を抱え起こそうとした。「くそっ……なんて重さだ」 持ち上げようとした腕の筋肉が悲鳴を上げる。 ガルアが身に纏う呪いの鎧『パープル・ミラージュ』は、装備者以外の者が触れれば岩塊のような異常な重量を帯びる代物だった。 戦死者から高価な武具を剥ぎ取ろうとする人間の強欲を嘲笑うため、魔族の呪術師が悪意をもって仕組んだ極めて悪辣な罠である。「ガルア! しっかりしなさい!」 ラナンが血相を変えて駆け寄り、ガルアの青ざめた頬を叩く。 しかし、彼の瞳は固く閉じられ、呼吸はひどく浅い。 右手に握られた魔剣アレイクが、彼の生命力を致死量ギリギリまで絞り尽くしていた。 ダミアンの無念を晴らすため、共に死線を超えてくれたこの不器用な戦士を、ここで死なせるわけにはいかない。 背後の屋敷からは太い柱が焼け落ちる轟音が響き、猛烈な熱波が庭園の木々を焦がし始めていた。 一刻の猶予もない。「俺が強引に担ぐ。お嬢さん、君は退路の確保を――」 ゼイクが力任せにガルアを引きずろうとした、その時だった。 不意に黒煙が割れ、二つの巨大な影が庭園へと躍り出た。「おいおい、勝手に死なれちゃ困るぜ」 煤で汚れ、刃こぼれした曲刀を提げたワーウルフと、岩山のような巨躯を誇る亜種トロル。 その異形の姿を認めた瞬間、ゼイクの全身に戦慄が走った。 毒蛇は咄嗟にガルアから手を離すと深緑の片刃剣を抜き放ち、切っ先を突きつけた。「魔物だと……!? ベルタの追手か!」「待って! 彼らは敵じゃないわ!」 殺気を放つゼイクの前に、ラナンが両手を広げて割り込んだ。「地下闘技場に潜入していた、私たちの仲間よ。フサーム、それにハンバル! 無事だったのね!」 ラナンの必死の叫びに、ゼイクは驚愕を隠せないまま剣を構えた姿勢で二人を凝視した。 ワーウルフと呼ばれたフサームが、鼻先を鳴らして不機嫌そう
『……ガァ……ガッ……グッ……!』 袈裟懸けに切り裂かれた金色の巨体。 俺は全身に返り血を浴びる。 斬られたゴルトアヌビスは、華のような鮮血を噴き出しながら石畳の上へと崩れ落ちた。「……はぁ……ふぅ……はぁ……」 荒い息を吐きながら俺は剣を下ろす。 アレイクが命を啜った影響で、猛烈な倦怠感と目眩が俺を襲う。 この胸を締め付ける重さは剣の呪いのせいだけではないだろう。 哀れなベルタを、俺のこの手で斬ったのだから。 ――血の海に沈むゴルトアヌビス。 命の灯火が消えゆく中、彼女を縛る強制力が解けたのか。「……ベルタ……」 その体は光の粒子を伴って、元の美しいサキュバスの姿へと戻っていった。「ありが……とう……やっと、私は死ねるのね」 血まみれのベルタは弱々しく、けれどどこか憑き物が落ちたような安らかな笑みを浮かべた。 俺はフラフラとその場に座り込み、ベルタに言った。「やっと死ねる?」「そう……これで私は、この下らないシナリオから退場よ。もう踊らなくていいのよ」 ――シナリオ。 与えられた役割だの、絶対的な支配だの。 シナリオ以外にも、俺はずっと聞き慣れない言葉を聞き続けている。 世界共通の認知はこうだったはずだ。 平和だったある日、魔王ドラゼウフが現れイリアサン王国への侵攻を宣言。 それに抗うため、勇者と俺達は魔王打倒のために数々の死線を潜り抜けてきた。 それが世界の正義だと、自分たちの使命だと信じて疑わなかった。「……踊らなくていい&h
俺たちが武器を構えて歩みを止めると、ベルタは余裕に満ちた妖艶な微笑みを浮かべ薄い唇を開いた。「ボス戦には相応しい場所でしょ?」 ボスセン? 漆黒の翼を広げたベルタの口から出た妙な言葉の意味は分からなかったが、その表情はどこか余裕に満ちており自信ありげだった。 背後で燃え盛る屋敷から吹き付ける熱風が、彼女の金色の髪を妖しく揺らしている。「このときを待ちかねていたぞ」 俺の隣でゼイクが深緑の片刃剣をゆっくりと構えた。 ギリ、と柄を握りしめる音が静まり返った夜の庭園に異様に響く。
ベルタの私室を目指し、薄暗い屋敷の中を急ぐ俺たち。 屋敷内の使用人に擬態した魔物や操られた警備兵との戦闘を覚悟し、最大限に警戒していたが――。「おかしい。屋敷内にまるで人がいないぞ」「……ええ。私が『薄暮の催眠』で眠らせた衛兵以外、人の気配がすっかり消え失せているわ。地下の騒ぎに気づいて逃げ出したのかしらね」「――薄暮の催眠。催眠呪文か」「色々と魔法は覚えてるからね」 ラナンが油断なく周囲を見渡しながら、冷静に状況を分析する。 俺たちは微かな違和感を抱きつつも、目的の部屋の重厚な扉を勢いよく蹴り開けた。 そこには、グラスに注がれた赤い
屋敷の最奥にある、ひどく露悪的で豪勢な部屋。 足元には北方の雪山でしか狩れないという希少なスノータイガーの毛皮が敷き詰められ、壁際には悪趣味な黄金の甲冑がずらりと並んでいる。 天井から下がるシャンデリアは魔光石を惜しげもなく使い、夜の闇を真昼のように白々と照らし出していた。 この過剰なまでの贅沢はバルザットが、私の歓心を買うために貢いだものだ。「本当に……人間はバカよね」 ため息混じりに唇から漏れた声は、広すぎる部屋に虚しく吸い込まれていく。 黒檀の分厚い机には、山のような宝石や
闘技場の中央、オレとドビーダスの視線が激突する。 そこに、かつて同じ山を駆け回った親友としての情は微塵もなかった。「越えてはならない一線だと?」 「そうだ。お前は力を高めるために同胞を殺した」 オレは今、ドビーダスを明確な『敵』として見据えている。 新生魔王軍に反乱を目論む妖魔ベルタの駒となり、同族を屠って経験値を得る。 オレたち魔物には魔物なりの、過酷な世界を生き抜くための矜持とルールがあるはずだ。「ケッ! 人間の魔王なんぞに仕えてるテメェに言われたくないなッ!」 「……人間の軍門に下ったのは生きるためだ。だが、お前のように魂までは売っちゃいねェ」 ジリジリと間合い