LOGIN「ぐうゥ……ガ、ガルアめ。スカルヘルムを渡したのがマズかったか」
人気のない納屋の隅で、勇者イグナスは自らの胸を押さえ、血を吐きながらうずくまっていた。
とある塔のダンジョンで手に入れた『スカルヘルム』。 人の頭蓋骨を模したその不吉な兜。 最高クラスの防御力を誇る代償として、装備者の精神を蝕み『混乱』を引き起こす副作用があるのではないかと、イグナスは密かに疑っていたのだ。そもそも、イグナスがガルアを仲間に引き入れたのは序盤の冒険で立ち寄った村でのことだ。
村一番の剣の使い手――その肩書き通り、ガルアは優秀な前衛だった。 だが、冒険のステージが進むにつれ、イグナスはその存在をひどく疎ましく思い始めていた。 これといった派手な特技や魔法スキルを持たず、ただ愚直に前衛で『肉壁』となって戦うだけの地味な存在。 それがガルアだった。「……胸骨とアバラ、完全に逝っちまったな」
敵のパラメータが跳ね上がる後半の冒険において、前衛でダメージを受け続けるガルアを回復させるためのMPやアイテムの消費は、日に日に激しくなっていった。
更には物理戦士であるが故に、武器や防具を最新のものにアップデートし続けるための資金も馬鹿にならない。 コストパフォーマンスの悪さに苛立ったイグナスは、各ダンジョンで拾った強力だが売値のつかない『呪いの武具』を、ガルアに無理やり装備させるようになった。 呪われたとしても、教会の設備やミラの魔法で解除すればいい。 所詮は『使い捨ての盾』だ。イグナスはそう安易に、そして残酷に割り切っていた。「装備は防具だけにしておくべきだった。あの『カタストハンマー』なんていうふざけた武器まで渡したのが間違いだった……ッ」
最初は兜から。次は盾、鎧……。
イグナスの悪意は、システムが許す限りエスカレートしていった。 呪いの防具で身を固めたガルアが、その副作用でパーティの足を引っ張るたび、イグナスは彼を口汚く罵倒した。 最初はコスト削減と面白半分の『遊び』だった。 だが、それは次第にガルアをパーティから自発的に脱退させるための、陰湿なパワハラへと変わっていったのだ。 イグナスは、とにかくガルアを枠から外したかった。そして今日、念願叶ってようやくパーティから追放できたというのに――このザマだ。「……クソッ! 次は武闘家を仲間にしなきゃな。装備に金もかからねェし、前衛での火力も期待できる。そんなコスパの良いやつを……」
激痛を堪え、イグナスはどうにか立ち上がろうともがく。
早くミラを呼んで、高位の回復魔法をかけてもらわなければ。――カッカッ……。
その時、納屋の入り口から静かな足音が聞こえた。
警戒して顔を上げたイグナスだったが、足音の主の姿を認めると安堵の息を漏らした。「お前か……。丁度良かった、早く回復を……」
――ビビィィィィッ……!!
言葉の途中で、イグナスの心臓を不可視の電撃が貫いた。
雷属性の魔法。 それが至近距離から、容赦なく勇者の急所を撃ち抜いたのだ。 イグナスの視界が急速に闇に塗り潰され、意識がシステムの底へとエラー音を立てて沈んでいく。 心臓の鼓動が、急速にゼロへと収束していくのを感じた。――死。
それは即ち、この箱庭世界からの永遠の退場を意味していた。
「な、何故、お前が……?」
それが、神に選ばれたはずの主人公が残した最後の言葉だった。
世界を救うべき輝ける勇者は、誰にも看取られることなく、深い、深い闇へと落ちていく――。【――SYSTEM MESSAGE:GAME OVER――】
***
その頃、俺は女魔族の腕を引き、闇に紛れて急ぎ足で村を出ていた。
今はとにかく迷宮の森へと入り、追手を差し向けてくるであろう村人やジルたちから逃れ、身を隠すことを優先した。 目的地などない。ただ、呪いの防具が立てる重苦しい金属音を響かせながら、当て所なく野道を歩き続けていた。「……いい加減、その手を放してよ」
不意に、後ろを歩く女魔族が冷たい声で言った。彼女はあからさまに視線を逸らしている。
言われてみればその通りだ。助け出したとはいえ、いつまでも敵対種族の手を引いている義理はない。「……すまん」
俺は小さく謝罪し、その手を放した。それは即ち、彼女の解放を意味していた。
「どこへなりとも行くがいい」
「あんた、私を殺さなくていいの? 私は村を焼くつもりだったし、何よりあんたを殺そうとしたのよ?」 「…………」俺は女魔族の言葉を黙殺し、再び重い足取りで前へと進んだ。
行き先は決めていないが、これから自分の身に起こり得る『イベント』の想像はついていた。 勇者イグナスに重傷を負わせ、魔族を連れて逃亡したのだ。怒り狂ったイグナスが追撃してくるかもしれない。 あるいは、王国から『勇者を裏切った大罪人』として強力な刺客が送り込まれるか。最悪の場合、国中の賞金稼ぎが俺の首を狙ってくるだろう。 少しの悔恨はある。だが、自分の意志で選んだ結果だ。その時は甘んじて罰を受けよう。俺はそう、固く決心していた。「ちょ、ちょっと待ちなさい」
「……何だ」 「あんた……私があの村に火をつけようとした『理由』……知りたいんでしょう?」その言葉に、俺はピタリと足を止めた。
確かに彼女は言っていた。『友達を殺された』と。その詳しい事情には、胸の奥でずっと引っかかっていた。「あんた達が嬉々として殺した『青の暴君』って呼ばれてるドラゴン……あの子の本当の名前は、サピロス。私の、たった一人の友達だった子よ」
そうか……あの美しい蒼竜が、彼女の友達だったのか。
だが、あの『青の暴君』と呼ばれるドラゴンは、勇者パーティとして退治せねばならない明確な理由があった。 迷宮の森に誤って入った村人たちが、次々とあの竜に殺されたと、村長から直々に「あのドラゴンは罪のない村人を殺した。だから俺たちは退治したんだ」
「そりゃ、殺されるようなことをしたからよ」 「どういう意味だ?」殺されるようなこと?
村人たちは、凶暴なドラゴンに襲われた可哀想な犠牲者ではなかったのか。 女魔族は俺を真っ直ぐに見据え、静かに、だが確かな意思を持って言った。「……ついてきなさい。真実を見せてあげる」
俺は言われるがまま、彼女の背中を追い、再び迷宮の森の最深部へと足を踏み入れた。
***
森の奥深く。俺たちは『青の暴君』……いや、サピロスが倒れた場所へと戻ってきていた。
巨大な竜は既に息絶え、冷たい骸と化している。 討伐から数日も経っていないため、そのサファイアのような鱗は腐敗することもなく、皮肉なほどに美しい輝きを保っていた。「サピロス……」
女魔族の少女は巨大な骸に歩み寄り、ポロポロと涙を流した。
やがて、そっと涙を拭うと、振り返って俺に言った。「あそこ……サピロスの骸の後ろに、不自然に盛り上がっている場所があるでしょ」
言われてみれば、竜の巨体の陰に隠れるように、一部の地面が盛り上がっている。
討伐した時は戦闘の余韻で全く気づかなかった。 俺が近づいて調べてみると、そこには土ではなく、加工された石が無造作に重ねられていた。「石が積まれているな」
「面倒だけど、その石をどかしてごらんなさい。あんたたち人間が欲しがる『面白いもの』があるわ」彼女の指示通り、丁寧に一つずつ石を取り除いていくと――。
「こ、これは……」
なんと、そこには地下へと続く隠し階段が現れたのだ。
恐る恐る階段を降りると、そこには広めの小部屋が存在していた。 驚くべきことに、壁一面がサピロスの鱗と同じ、美しい青色の石材で造られている。「この迷宮の森にはね、遥か昔『サファウダ』という国が栄えていたの」
「サファウダ?」 「大昔に栄えていた国よ。強力な魔導の力を持っていたそうだけど、歴史から完全に消し去られたらしいわ」 「……初めて聞いたな……」歴史から完全に消し去られた、幻の王国。
何故そんな国が歴史の表舞台から葬られたのかはわからない。 しかし、ここまでの話で理解したことは一つ。 この広大な迷宮の森に、一つの国が丸ごと存在していたのだろう。「サピロスは、サファウダの国で飼われていたドラゴン。そして、この場所はサファウダの女王『ブルーニア様』が暮らしていた、お城の跡地だったらしいわ」
「幻の国の女王ブルーニア……やけに内情に詳しいじゃないか」 「サピロスが教えてくれたの。言葉じゃなくて、あの子の記憶を通してね」どうやって魔族の少女と古のドラゴンが意思疎通を図ったのか、その経緯はわからない。
だが、すべての線が繋がった気がした。 この古代遺跡の伝説を知る村人の一部が、盗掘や墓荒らしの目的でこの森の深部へ侵入した。 そして、この秘密の部屋を何百年も守り続けてきた『門番』であるサピロスに、排除されたのだろう。 それが、クエストの裏に「これは……」
青い部屋を見渡した俺の視線が、祭壇のような場所に置かれた一冊の書物に釘付けになった。
それは装丁までが深い青色で統一された、古めかしい記録書だった。 不思議と埃一つ被っていない。 表紙には何やら文字が書いてあるが、古代の文字のようで読めない。「もういいでしょう。あんたには特別に真実を見せてあげたけど、これ以上の詮索はやめて。サピロスが浮かばれないわ」
ラナンの言葉に従い、俺は無言で隠し部屋を後にすることにした。
だがその時、何かに操られるように無意識のうちにその『青い記録書』を手に取り、懐へと収めていた。「そういえば……お前の名前を聞いていなかったな」
階段を上り終え、俺は背中越しに尋ねた。
「敵であるあんたに、教える必要がある?」
「……それもそうだな」俺が自嘲し、一人で迷宮の森から立ち去ろうとした、その時だった。
「……待って……」
「……何だ」 「気が変わったから教えてあげる。私はラナン……ラナン・シャルト」 「名前があったのか」 「一応ね。あなたは?」 「俺はガルア……ガルア・ブラッシュ」 「ガルアか、いい名前ね」 「お前のも悪くない。いい名前だ」背中へ投げられたその名前を、俺は深く脳裏に刻み込んだ。
――ラナン・シャルト。 彼女の名前を胸に反芻しながら、俺は呪われた装備の異様な重みを感じつつ、迷宮の森を抜けた。 木々の隙間から差し込む光が、辺りがすっかり夜明けを迎えたことを告げている。 空はどこまでも青く晴れ渡り、小鳥のさえずりが聞こえる、平和な朝の風景。 だが、世界の裏側に触れてしまった俺の心は、その青空とは裏腹に少しも晴れ晴れとしたものではなかった。「おそらくはこれがそうでしょう」 ブルーニアは無数に並ぶ書棚の一つから、一冊の分厚い本を引き抜いた。 それは、血のように深いバーガンディ色の装丁が施された重厚な書物だった。「これは『創典のラディアント・ブレイブ』――あなたの物語です」「ボ、ボクの?」「ええ……大聖師が考えた、壮大な英雄譚のプロット集です」「英雄譚? ボクが歩んできた冒険が? ……今まで出会った人たちが、全部作りものだって言うのかい?」「その通りです」「ウソだッ!」 ボクはたまらず叫んでいた。 生まれ故郷で待つ父さんや母さん。 共に笑い、背中を預け合った仲間たち。これまで出会い、別れてきた沢山の人々。 嬉しいことも、悲しいことも、流した血の温もりでさえも……。 そのすべての出来事が、誰かの机上で書かれた『紛い物』だなんて……そんなこと絶対に認められるわけがない。「あなたの気持ちは痛いほど理解出来ます。でも、これが現実なのです」 ブルーニアは一切の感情を交えず、淡々とそう言うと本のページをめくった。 そこには、精緻なペン画で描かれたボクの姿があった。 身長や体重といった基本設定から、家族構成、好みの食べ物、果てはボク自身しか知らないはずの細かな心の機微に至るまで、びっしりと記されていた。「こ、これは……ボク……?」「あなただけではありませんよ。先ほど大聖師に連れ去られた老人や女性のデータもあります」「クロノ、シンイー……それにダミアンまで!」「後はご自身の目で確かめなさい」 ブルーニアから受け取った本は、ひどく冷たかった。 震える指でページをめくり続けると、ボクが冒険で出会った人々が次々と現れた。 戦ってきた凶悪な魔物、使ってきた武器や防具、ギリギリで命を繋いだ劇的な出来事。 全部が
大聖師は絶対的な詠唱を始める。 嫌な予感がするのに、体がまったく動かない。 これが『イベントの強制力』というやつなのかもしれない。 そう、バジリスクの魔眼に射すくめられたかのように石化状態さ。 ボクは指先一つ動かせず、ただ石像のように立ち尽くすことしかできなかったんだ。「消し飛べ! 『純白の審判』……!」 ヤツが最上位の聖属性呪文を放とうとした、その瞬間だった。 ――ズドォォォォンッ!! 空間全体を揺るがすような、凄まじい轟音が響き渡った。 ドラゴンやサイクロプスの咆哮ではない。 強大な呪文の爆発音。何か巨大なものが破壊されるときの音だ。「あ、あれは……?」 ボクが視線を向けると、先ほど大聖師が強引に弾き飛ばした『緋色の獄炎』が、遠くに見える巨大な建造物に直撃し、猛烈な炎を吹き上げていた。 それを見た大聖師の顔色が、一瞬にして蒼白になった。「……なッ! 弾いた魔力が直撃しただと!? あれはボクの最高傑作……未実装の『絶対の終焉兵器』を保管しているサーバーだぞッ!」 大聖師は頭を抱え、ワナワナと体を震わせている。 彼にとって、ボクたちなんかよりも遥かに重要なものが、あの炎の中に眠っているらしい。「あそこには膨大な工数を費やしたのだ。ここで失うわけにはいかん……ッ!」 大聖師はボクたちを完全に放置し、血相を変えて燃え盛る巨大倉庫へと飛んでいった。 奇跡的な偶然が重なり、ボクとブルーニアは何とか窮地を脱したのだ。「……信じられない強運ですね。どうやら、私たちに逃げるチャンスが巡ってきたようです」 大聖師が去った虚空を見つめながら、ブルーニアが静かに告げた。「う、うん……」
ボクの目の前に現れた女性は、ブルーニア・サファウダと名乗った。 彼女のまとう空気はどこか冷ややかで、底知れぬ深淵を覗かせるような静かな雰囲気があった。 だから、最初こそはボクは彼女に警戒心を持っていた。「体は大丈夫ですか?」「う、うん……」 その澄んだ声には、不思議と心安らぐ温かさがある。 まるで女神と会話しているかのように――。 だからこそ、ボクは少しづつ彼女に対する警戒の糸を緩め、無意識のうちにその言葉の奥へと引き込まれていくのを感じていた。 この異常な空間において、彼女の存在だけが唯一の確かな拠り所のように思えたからだ。「そ、それよりも……『エクスル』というのは?」「詳しく説明している時間はありません。まずはここから逃げることが先決です」「ま、待って!」「……どうしたのですか。時間は惜しいはずですが」「まだ、大事な仲間がいるんだ!」 そう、ボクにはクロノやシンイーという仲間がいる。 大聖師の悪意に呑まれた彼らを置いて、ボクだけが逃げ出すことなんて絶対に出来なかった。「彼らのことは諦めなさい。今はあなたの身を護ることの方が先決です」「で、でも……う……ぐッ!」 食い下がろうとしたボクの喉は、突如として降りた見えない恐怖によって強制的に塞がれた。 全身の血液が瞬時に凍りつくような悪寒。 肺に酸素を入れることすら許さない、這い寄るような死の気配が背後から立ち昇る。「……度し難いバグどもめ。僕の開発環境を汚すとは」 空間そのものを凍結させるような、大聖師の底冷えする声が頭上から降り注いだんだ。 見上げれば、静かな怒りを湛えた大聖師が恐るべき速度で降下してくるところだった。「あ、ああっ!」「削除を免れた旧世界の残骸め……この僕に牙を剥くか。身の程を弁えろ」 大聖師の顔は冷酷に歪み、その体からはおぞましい魔力が立ち昇っている。 空間そのものが彼を恐れ、歪んでいるかのように見えた。「もう一度……退きなさい!」 ブルーニアは静かに両手をかざし、二つの属性が入り混じった呪文を編み上げた。「――『灰銀のノイズ断頭刃』!」 彼女の掌から放たれたのは、激しいノイズを伴う鋭利な風刃と雷撃が交差する真空の刃。 その合成呪文が大聖師めがけて直進する。 ボクたちの世界
ボクは深く、どこまでも沈み込むような冷たい暗闇の中にいた。 あの薄暗い地下室で味わった死の冷たさがそのまま張り付いているかのように、激しい頭痛がガンガンと脳の奥底を揺さぶっている。 体を起こそうと力を込めたが無駄だった。 まるで分厚い粘液に全身を沈められ、四肢を拘束衣で縛り付けられているような、ひどく不快で息の詰まる感触――。 そうさ、ボクの自由は誰かに完全に奪い取られていたんだ。「物語の主役には『王道たる英雄』と『ヒロイン』が必要だ。予定外のイレギュラーは物語にはそぐわない」 その冷徹な声を聞いた瞬間、意識が急速に覚醒した。 間違いない、ボクの命を理不尽に奪ったあの男の声だ。 待って……ボクはあの薄暗い地下室で死んだハズではなかったのか。 いや、そうか……こうして思考し、痛みを感じている以上、ボクは間違いなく生きているんだ。 でも、ここは一体どこなんだろう? とそのときのボクは強く思っていた。「武闘家としてステータスや設定変更は完了した。残るは賢者クロノと……勇者イオ、お前だけだ」 ステータス? セッテイヘンコウ? ボクはこの時、その言葉の恐ろしい意味を完全には理解できていなかった。 兎に角、体を動かして現状を確認しなければ……。 そう思ってもがいたが、ダメだ。指先一つ、全く力が入らなかったんだ。「賢者は適当な街の|群衆《モブ》に降格させるとして……イオ、お前はどうするか?」「ぐっ……くゥ……」「運命は決まっている。お前の勇者としての権限は剥奪するのだ。新たな物語において、お前には魔獣を統べる役割を……そうだな『魔獣使い』をとして役割を与えよう」「や、やめろ……」「消されないだけマシと思え。お前はそれなりに『製作者』として気に入って
「イオ、その剣を渡すんだ」「ボクを知っているのか?」「ああ、とても。お前だけは、ボクの気まぐれで『女勇者』として作り上げたからね」 その小柄な男の第一声は、酷く平坦で感情の起伏が一切感じられないものだった。 サイネリア色の頭巾の奥で、そいつはにこやかに笑っている。 だが、その笑顔はどこまでも不自然だった。人間であるようで、人間ではないナニカ。 まるで精巧な作りの人形が、笑顔だけが顔面に貼り付けているだけのような異質で空虚な微笑み。 呼吸の気配すらない。瞬き一つしない。 圧倒的な魔力や闘気といった、強者が発するようなオーラとは根本的に異なる。 そこにあるのは、この世界のルールから完全に逸脱した『絶対的な法則』そのものだった。 その得体の知れない存在感。 ボクの全身の産毛が総毛立ち、即座に男の危険性を直感した。「来るなッ!」 魔剣アレイクの呪詛が、ボクの血管を這い回る毒のように生命力を啜り上げていた。 指先は氷のように冷たく、立っていることすら困難なほどに視界が明滅している。 だが、それ以上の――本能的な死の恐怖が、鉛のように重い肉体を無理やり突き動かした。 ボクは血を吐くような思いで何とか立ち上がり、手にした剣の柄を両手で固く握り直した。 冷たい石畳の床を蹴り、一切の躊躇なく、素早く、迅速に踏み込む。 それはお宝を奪う盗賊よりも、闇に潜んで標的を暗殺する忍者よりも遥かに速い斬撃。 勇者としての旅路の中、数多の死線を潜り抜けてきたボクが全てを懸けて放った必殺の剣閃。 空気を切り裂く鋭い風切り音が遅れて響くほどの、これ以上ない完璧な一撃だったはずだ。「そ、そんな!」 だけど……届かなかった。 いや、届くどころの話じゃない。まるで、住む次元そのものが違ったんだ。「だからァ、勝手に動かれちゃあ『シナリオ』が崩れるんだってば」 男はボクの刃が首筋に迫っても微塵の焦りも見せず、ひどく面倒くさそうにそう吐き捨てた。
ボクたちパーティから戦士のダミアンが抜け、次の目的地へ向かっていた。 そう『要塞都市バンガード』へと向かう道中でのことだった。 当時のパーティはそこにいる賢者クロノ、そして武闘家のシンイーを含めた三人だ。「……武闘家、だと?」 その言葉を口にした瞬間、ガルアの鋭い眼光が微かに揺らいだ。 何かをハッと思い出したように、彼は険しい顔で思わず声を漏らしたのだ。「どうかしたのかい?」「いや……アンタの仲間だったという、その『シンイー』という武闘家というのは?」 探るような彼の視線を受け、ボクは色褪せた記憶の中にある彼女の姿を思い浮かべた。「そうだね……凄まじい体術の使い手だったよ。真面目で正義感が強くて、敵に対しては一切の容赦がない、苛烈な闘気の持ち主だった」「……そうか」 ガルアは目を細め、何かを思案するように静かに息を吐き出した。 彼の様子に思うところはあったが、ボクは小さく目を伏せ、あえて深くは追求せずに再び過去の記憶の糸を紡ぎ始めた。「順調にいけば、次はバンガードだね」「いよいよ魔王城も近くなるってワケじゃの」 当時のやり取りを振り返りながら、ボクは言葉を切り、ランタンの揺らめく灯り越しにガルアを見つめた。 彼は真剣な眼差しで、ボクの紡ぐ過去の記録に耳を傾けている。「ガルア、キミは知らないだろうけど、バンガードは魔王城の目と鼻の先にある人間側の最後の砦だ。本来なら、明日の決戦に向けて悲壮な覚悟を固める場所のはずさ」「……ああ。魔王の脅威が迫る最前線だ、当然だろう」 ボクの問いかけに、ガルアは眉をひそめて重々しく頷く。 彼にとって、それはこの世界の『常識』なのだ。 だが、その常識こそが歪んでいるのだと、ボクは自嘲気味に笑って真実を告げた。「そのバンガードのメイン施設は命がけの闘いが行われる『巨大な地下闘技場』と、希少な素
迫り来る紅紫の毒炎が、視界のすべてを焼き尽くそうとしている。 死を覚悟したその瞬間――。 俺の全身を包む呪いの鎧『パープル・ミラージュ』が理の外側にある不吉な脈動を刻み始めたのだ。 ――ガギィィッ! キリキリキリッ!! それは金属の軋みを超えた、世界の『バグ』が発する悲鳴だ。 直撃するはずの『紅紫の毒炎鎖』が、俺の数センチ手前で目に見えない断層に衝突したかのように霧散していく。 いや、霧散したのではない。 鎧が放つ悍ましい紫光が、毒炎という『事象』そのものを喰らい無効化していた。
王都イリアサン。 ステンドグラスを通した七色の光が、冷たい大理石の床に幾何学的な模様を描き出している。 ここは光の神を祀る大寺院『シテン寺院』の最奥にして、選ばれた高位の者しか立ち入ることを許されない聖域である。 部屋の中央には、天を突くほど巨大な女神像が鎮座している。 これなるは、イリアサンを守護する『ルビナス』という女神を模ったものだ。 慈愛に満ちた微笑みを浮かべるその巨大な石像――。 しかし、私――ジルにはそれが世界そのものを管理するための『無機質な巨大魔法装置』のように不気味に思えてならなかった
「灰燼に帰しなさい――赤の火弾ッ!」 ラナンは有無を言わせず、両手から灼熱の火球を放った。 スキル『二連詠唱』による、タイムラグのない連続攻撃。 殺意の照準は、祭壇の中央で錫杖を構えるゲレドッツォへ正確に向けられていた。「ゲレドッツォ様!」「我らの命を盾とし、御身をお守りするのだァ!!」 火球が届くより早く、二匹のオークがゲレドッツォの前に飛び出した。 身を挺して肉の盾となった彼らに魔法が直撃し、紅蓮の炎がオークたちを包み込む。 断末魔すら上げず、彼らは文字通り灰となって崩れ落ちた。「イ、イカれてやがる……」 フサームが、信じられないもの
村に火を放とうとした女は、人間ではなく『魔族』だった。 事の重大さを重く見た俺とジルは、すぐさま村長へ報告に走った。 叩き起こされた村の屈強な男たちが集まり、気絶した女魔族を太い縄で厳重に縛り上げると、ひとまず空き家となっていた納屋へと放り込んだ。「これで、そう簡単には動けまい」「村長、こいつをどうします?」「うーむ……どうするもこうするもなァ……」 松明の明かりに照らされた村長の顔は、困惑に満ちていた。 魔族と云えど、その寝顔は人間のうら







