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第2話

作者: 苦いオレンジ
「お前さ、そういうどうでもいいことで意地張るのやめられないのか!」

岳は乱暴にドアを閉めて出て行った。

私は静かにソファへ座り、何重にも巻かれた包帯を外して、絆創膏を貼り直す。

もっと早く気づくべきだった。

彼と私は、そもそも住む世界が違う。

岳は、まともに包帯すら巻けない。

インスタント麺でさえ不味く作るような男なのに。

今回は「美味しいもの作ってやる」なんて言って、キャンドルディナーを全部用意していた。

オーストラリア産の高級リブアイステーキ。

ワイナリー直送のシャルドネ。

プライベートシェフ特製のケーキ。

きっと全部、高級レストランから取り寄せたものだ。

いちばん目立たないキャンドルでさえ、ハイブランドのアロマだった。

岳が苛立ってテーブルをひっくり返した。

私の三ヶ月分の給料に相当するものが、一瞬で床に散らばって無価値になった。

飛び散った赤ワインが壁を汚した。

そんな状況でも私は、「これじゃ大家さん、敷金返してくれないかも」――なんてことを考えていた。

散らかった部屋の中で、私は荷物をまとめ始める。

そして大家へ退去の連絡を送った。

ピコンッ。

送信した瞬間、背後から通知音が鳴った。

振り返る。

岳のパソコンがついたままだった。

本当はこのパソコンで一緒に映画を見る予定だったのだ。

八人ほどの小さなグループチャット。

管理人の遥が、私の送ったメッセージのスクショを貼っていた。

【うわ、ほんと貧乏くさい。敷金のこととか聞いてくるんだけど】

【あれ、私が持ってる中でも一番ボロい部屋なのに。あの子が住んだと思うと汚く感じるわ】

遥が、ずっと私が家賃を払っていた大家だった。

スクロールして上へ辿る。

チャットに貼られているスクショは、全部私のSNSだった。

初任給で岳に買ったペアのパジャマは、「露店レベル」と笑われ。

誕生日に岳が買ってくれたケーキは、実は遥の飼い犬の食べ残しだった。

私の人生の一つ一つが、このお金持ちたちにとっては、ただの悪ふざけのネタだった。

新しい会社へ入社した日。

誰かが匿名でバラの花束を送ってきた。

私は花粉アレルギーで、呼吸困難になって病院へ運ばれた。

顔が半分腫れ上がった私に、岳は親しげに頬を寄せて写真を撮り、「可愛い」と笑っていた。

でも、グループチャットの音声を再生すると。

聞こえてきたのは、遥たちの甲高い嘲笑だった。

「こんな豚みたいな顔によくキスできるね。マジで犠牲すご」

「遥さん、この賭け、川島さんかわいそすぎるって」

岳はただ、淡々と返した。

「遥が楽しければそれでいい」

その一言で、チャットは意味深な冷やかしで埋め尽くされた。

息が詰まる。

あの日のバラの花粉が、また鼻の奥へ入り込んだみたいに。

今になっても、遥は「大家」という立場で、白々しく私を気遣う。

【退去するの?次どこ住むの?どのエリアにも私、物件持ってるよ?】

【お気遣いどうも。来週、披露パーティーには来てね】

そう返した直後。

チャットはまた一気に流れ始めた。

遥が軽蔑したように言う。

「何その態度。どうせ自分が玉の輿に乗れると思ってるんでしょ?セレブ婚して大豪邸暮らし〜とか夢見ちゃってさ。岳?なんで黙ってんの。本当にあの子と結婚する気?」

ほどなくして、岳がビデオ通話をかけてきた。

「もうすぐ着く。あと、言っとくけど。俺はあいつと結婚なんかしない」

彼はマイバッハの運転席でハンドルを片手に回していた。

サングラスの奥に、鋭い目元が隠れている。

「でも、退去したんでしょ?じゃあ岳ん家住むしかなくない?」

その瞬間、岳は反射的にブレーキを踏んだ。

「......は?」

胸の奥に、嫌な予感が走る。

彼はすぐスマホを取り出し、遠隔監視アプリを開いた。

玄関前の防犯カメラ。

そこには、薄手の上着を羽織り、スーツケースを引きながらエレベーターへ向かう私の姿が映っていた。

――けれど彼は、一度も私に、本当の家の住所を教えたことがなかった。

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