INICIAR SESIÓN※「さぁ、みんな! 手を合わせて!」 ローズマリーの号令に、子供達だけでなく職員達も一斉に「いただきます」と声を揃える。 『チャーチグリム』の船員達も続いて手を合わせ、この二日間で食事の挨拶に慣れてきたクミンも一緒に頭を下げた。 今日のメニューは、訪問日恒例の『特製カレーライス』だ。 お腹が空いた子供達は、まるで飲むようにカレーライスを口に掻き込んでいく。「おかわり行ってこよー」「テメェは遠慮しろアホ」 真っ先に立ち上がったリンデンに、向かいに座るフェンネルが小声で野次を飛ばす。 そんな二人に子供達もクスクスと笑いながら、彼に続いて『おかわり』を所望する子達が順番に鍋の前に並び始めた。 ふと、クミンは目の前のグラスが空になっているのに気付く。 子供向けの味付けではあるが、意外と辛さが強かったのか知らぬ間に手が進んでいたらしい。 隣のユズリハに飲み物を頼もうかとも思ったが、麦茶の入ったピッチャーは自分の右側、左側に座る彼とは反対側にある。 ピッチャーに一番近いのは……。 「行くなら早く行けよ、鬱陶しい」 子供達に先を越されて尻込みし出すリンデンの腿を裏から引っ叩き、叩かれた本人は「やぁん」と気色悪い声を出して子供に笑われている。 フェンネルが手を伸ばしてくれれば簡単に届く距離だが。「!」 その時、あまりに見つめてくるクミンの眼差しに、フェンネルが気付いた。 再び視線がかち合い、やはり、クミンは戸惑ったように視線を泳がせてしまう。「…………」 しかし、現役で討伐隊として働く彼の洞察力は並大抵のものではない。 フェンネルは空になった彼女のグラスや、皿に残るカレー、本人の反応から、瞬時にクミンが何を望んでいるのかを察知した。 欲しいのは『これ』か。 フェンネルは自分の斜め前にある麦茶のピッチャーを見て、小さく溜め息を吐いた。 手を伸ばして、ピッチャーを手に取る。 瞬間、「あっ」と困った様なクミンの声を聞いたが、彼は無表情を貫きつつ、自分のグラスに麦茶を注ぎ足した。 しかし、彼はピッチャーを元あった場所の反対方向へ置くと、更にその先へと押しやる。「!」 突然手元にやって来たピッチャー。 クミンは目を輝かせ、次にわたわたと焦り、そっと立ち上がって両手でピッチャーを持ち上げた。 クミンはフェンネルを見る。 相変わら
※ 一方、外では賑やかに鬼ごっこが繰り広げられていた。「きゃーっ!」「リンちゃんが鬼になったぞ!」「にげろー! リンちゃんだー!」 子供達が騒ぎ立て、リンデンはニヤリと悪い顔で口角を上げる。「俺が鬼だぞーっ!」 総勢20人程の子供達が、蜘蛛の子を散らすように一斉にリンデンから逃げ出していった。 彼の身体能力が尋常でない事は、孤児院の職員達も周知の事実ではある。 だが実際、彼の能力で最も恐ろしいのは、その驚異的な『持久力』にあった。 リンデン程のフィジカルならば、子供達の走る速さなど一瞬で追い付けてしまう。 故に、彼は絶妙な距離とスピードを保ちつつ、その持久力で皆を平等に追い掛け回していた。 休憩したそうな子を見定め、今度はまだ体力の残る子を選んで走る。 最終的に一番逃げ続けた男の子に近付き、リンデンは壁に追い詰めて躙り寄った。 少年にとっては、息も絶え絶えに逃げてきた筈。 それなのに、少しずつ近寄ってくる青年は、呼吸を乱すどころか汗一つ掻いていない。「り、リンちゃん、バケモノすぎるよ……!」「へっへっへ〜、観念して次の鬼に……」 しかしその時、リンデンは腰回りに僅かな重みを感じる。 服の裾やベルトを掴み、リンデンの動きを封じようとした一人の少年が叫んだ。「逃げろ、ホップ!」「クヌギ……!」「え、何っ? や、やだぁ、動けないぞっ?」 驚いたリンデンだったが、咄嗟に機転を利かせて身動きが取れないフリをする。 その様子に、休憩で身体を休めていた子達が『今が好機』と言わんばかりにリンデンへと飛び掛かった。「みんな、かかれー!」「きゃーっ、お助けーっ!」 腰や背中、腹に膝など、子供達は数人掛かりでリンデンを抑えつけようとする。 追い詰められていた男の子も加わると、リンデンは子供達を敷いてしまわないよう位置に気を付けながら、芝生の地面へと寝転がった。「わーっ!」「どうだ、まいったか!」「リンちゃんの負け!」「あっはっは、降参、降参! やられたーっ!」 皆で寝転がり、笑い合う。 そしてまた起き上がり、誰かが叫んだ「ダルマさんが転んだ」にリンデンは「俺、鬼ね!」と笑った。 当然、彼は疲れた子供達から「だめーっ」とブーイングを貰う。 「なんで!?」と驚くリンデンの様子を、乳幼児用のベビールームから赤子の尻をゆっ
※「よく聞け、クミン。それらは、今は教える必要が無いんだ」「……何?」「私が若い頃は、『そんな教育』が必要だった時期もあった。大人達は皆が疲弊し、子供達を守る人間がとても少なかったからな」「………………」「でも、今は違う。あの子達は何に怯える事もなく、のびのびと暮らせている。危険から身を守る方法は中学部でも習うから、今のあの子達には、まだ必要無い。それだけの事なんだよ」 避難訓練は欠かさず週二で行っているけどな! そう胸を張ったローズマリーに、クミンは訝しげな目を向ける。 しかし同時に、少しだけ悲しくも思った。「…………」 己は何故、『身を守る術を学ぶべき』と思うのか。 どういう経緯でそう思うようになったのかも、自分自身には全く分からない。 ローズマリーの言う事は、きっと間違ってはいない。 この世界は確かに『平和』で、幼子が護身を学ぶ必要など無いのだろう。 だが、それでも、その平和を疑う心が、得体の知れない『不安』が、どうしても拭えないでいる。 かつての自分はどんな生活をしていて、どのように生きていたのか。 もっと純粋で、何も知らない子供だったなら……あの子供達のように、ユズリハに「一緒に遊ぼう」と強請る事も出来たのだろうか。「………………」 視線の先には、楽しそうに笑う彼等の姿がある。 いくら考えてみても答えは出ず、ただ静かに、クミンはカーペットへと視線を落とした。「……クミンも、一緒に遊んできたらどうだ?」「……知らないんだ。どうすれば良いのか……」「皆が教えてくれるさ」 すると、二人の下へ数人の女の子達が声を掛けてきた。 彼女達の内、一番背の高い子がローズマリーの袖を軽く引く。「院長先生」「やぁヒナゲシ。どうした?」「その子は、『どこ』の子なの?」 どこ、というのは、三つの孤児院の内、何処に所属しているかを問う質問だ。 指を差されたクミンは目を丸くし、ローズマリーは幼い少女の頭を撫でた。「ヒナゲシ、この子はクミンだ。リンと同じで、『友達に怪我をさせない訓練』をしなくちゃいけなくてな」 それを聞いた少女達は、クミンを見上げて少し悲しげな顔をした。「大変だね。リンちゃん、泣いてたの知ってる」 少女の言葉に、今度はクミンが戦慄する。「……『友達に怪我をさせない訓練』とやらは、そんなに厳しいものなの
※ 多目的教室に突然入ってきた青い肌の大男に、賑わっていた教室は一瞬にして静まり返る。「こ……こんにちは。先週振りの子もいますが……」 覚えていますか? ユズリハがそう問おうとした瞬間、教室内は瞬く間に阿鼻叫喚の『大合唱』が始まってしまった。 ユズリハはがっくりと肩を落として俯く。「……やっぱりなぁ……」「な、何故……」「毎月の恒例行事なんですよ」 毎月、というのは、月初めに必ず、新しく入所してくる『新入生』がいる為だ。 彼等が一人、二人と泣き出すと、皆がつられてパニックを起こしていく。 どうしてユズリハがこんなに怯えられるのか理解が出来ないクミンも、戸惑った様子で彼の背後からその光景を覗いていた。 そんな時、二人の後ろから入ってきたローズマリーがユズリハに座るよう促すと、突然子供達に向けて声を張り上げた。「皆、見ろ! 皆が泣くから、ユズ君も泣いてるじゃないか!」「!?」 その言葉にクミンが驚いてユズリハの顔を覗き込むが、ユズリハは「またかー……」とうんざりした顔でカーペットの床に腰を下ろす。 その間にもローズマリーはユズリハを指差し、子供達に向けて芝居がかった口調で訴えている。「早く友達になってあげないと、ユズ君は『独りぼっち』になってしまうぞ!」 すると、その言葉を聞いた子供達は、少しずつ声を抑えて泣き止んでいく。 鼻を啜る子、しゃくり上げる子、皆が様々に心を落ち着かせ、ユズリハを見つめている。「な……何が起こってるんだ?」「……彼等も元は『独りぼっち』でした。この孤児院で信頼できる大人や友達と出会えたからこそ、『独りぼっち』がどれほど悲しく辛い事なのか、ここにいる子供達で知らない者はいません」 ユズリハの説明を受け、胸を締め付けられるような息苦しさを感じたクミンは思わず胸元を掴む。 一方、「ユズ君が『寂しがって』るぞ!」と子供達を煽るローズマリーは、ぱっとユズリハに顔を向けた。「何してるんだ、ユズ君! 早く泣いたフリしろ!」「やっぱ『こうなる』のかー……」「ほら照れてないで、早く!」 急かすローズマリーの言う通りに、意を決したユズリハは俯いてわざとらしく目を擦り始めた。「……『えーん、寂しいよー』」「!?」 突然泣き真似をし出したユズリハにギョッとしたクミンを他所に、ローズマリーは子供達の反応を見な
※「院長先生!」「院長先生だ!」 マーガレット学習院。 『チャーチグリム』の一行が玄関での受付を行っていると、中庭で遊んでいた年長の子供達がローズマリー達を見つけて騒ぎ始めている。「みんなー! 元気かーっ!?」 気付いたローズマリーが中庭に手を振れば、ハキハキとした声で「元気ーっ!」と叫ぶ子供達の声が響いた。「うんうん、元気だな」 一行は受付で来院者名簿に名前を記入し、靴を脱いで上履き用のシューズに履き替える。 子供達に危険な装備や所持品は全て事務室に置かせてもらい、皆は決まった色の薄手の帆布で縫われたエプロンを着た。 順番に手を洗い、消毒液のスプレーを持つローズマリーに皆が手を差し出していく。 一人ずつ掌にスプレーを吹き付けていく彼女は、戸惑うクミンに近付き『消毒』の説明と必要性を説明した。「子供達は元気だが、同時に風邪を引きやすい。私達が守ってあげないとな」「……守る……こんな事で、守れるのか?」「当然だ。バイ菌から子供達を守るには、これが一番効果的なんだぞ」「ばいきん……」 クミンはローズマリーのスプレーを受け、言われた通りに手指全体に消毒液を馴染ませる。 『消毒液』という物に興味を唆られたのか、自分の手を嗅いだクミンは次亜塩素酸ナトリウムの独特な匂いに思わず「うっ」と身体を仰け反らせた。 それを見ていたユズリハが、小さく微笑んだ。「ローズマリー、彼女は『何処』へ?」「年長組さんだ。歳が近い方が学べる事も多いし、おままごとに混ぜてもらえたら社会勉強になる」 ユズリハは「成る程」と唸る。 確かに、おままごとは子供達にとって『人生で最初のコミュニティ』だ。 クミンにとっては、最高の『疑似社会』が体験できるだろう。「リンは外遊び担当、ユズ君と私は、年中、年少組さんを中心に屋内担当だ」「了解。フェンネルは今回も?」「アイツほど乳幼児組が得意な人間もそうは居ないからな」 ローズマリーは少し得意げに笑った。 ユズリハが視線を向ければ、既にフェンネルは長い髪を後頭部に結い直し、事務室に常備してある簪でしっかりと固定している。 何も分からないクミンは、そっとユズリハに近付き、彼のエプロン裾を掴む。「……不安ですか?」 そう問えば、彼女は言葉も無く頷く。 苦笑したユズリハに、ローズマリーもつられて微笑んだ。「さ
※ バスを乗り継ぎ、一行は『マーガレット学習院』を目指して足を進める。 その間、クミンには常に誰かが声を掛け、街の風景、人々の暮らし、歴史的な建造物や文化を、彼女に教えながら移動時間を過ごしていた。 『フェンネルに礼を言いたい』という彼女の気持ちも尊重しつつ、しかしフェンネルの心も知る他の乗組員達は、ローズマリーの指示でクミンが迂闊に近寄らないよう注意を払う。 そのお陰か、リンデン曰くフェンネルは落ち着きを保ち、クミンもそわそわしたり落ち込んだ様子を見せながらも、気ままにフェンネルに近付いたりせず大人しくローズマリーの引率に従っていた。「……どいつも、妙に気を回しやがって」 途中、リンデンの剣を調整するため寄った整備店で、受付を待っていたフェンネルが呟いた。 腕を組み、休憩用のベンチに腰掛けて壁に凭れる彼の横で、立ったまま商品棚を眺めていたリンデンが微笑む。「そんな事してないよ。クミンは『人間初心者』っぽいから、暴走しないように皆で注意してるだけ」「それが『余計だ』っつってんだよ。結局テメェも店まで付いてきやがって」「元々は俺の剣だもん。フェンネルだって、いきなりクミンがこっち走ってきたらビックリするでしょ? 先住猫ちゃんと新入り猫ちゃんは、お互い慣れさせてから合わせないと喧嘩するっていうし」「誰が『先住猫』だクソゴリラが」「ゴリラは猫ちゃん達を守りたいの!」 リンデンはフェンネルの隣に座り、眉間に皺を寄せて目を伏せる彼の横顔を覗き込む。「……フェンネルもさ。実はちょっと気付いちゃってるんじゃないの?」「……何が」「クミンは『バジルさん』と同じかも、って」 『バジル』。 その名を聞いて、フェンネルは更に険しい表情を浮かべた。 最後に逢ったのは五年前、リンデンが口に出した『バジル』とは、フェンネルにとって唯一の異母妹だった。 リンデンは目を細め、「大丈夫」と囁く。「怖くなんかない。人は変われるよ、フェンネル」「………………」「バジルさんも、ちゃんと変われたじゃん」「……アイツは俺の『異母妹(いもうと)』だからな」「クミンも俺達の『妹』だよ。ローズマリーさんが決めたんだから、大丈夫」「……ふん」 相変わらず視線は床を見つめたまま、フェンネルは鼻を鳴らす。 だが、それでも彼は、確かに彼が少しずつ警戒と『恐怖心』を解