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第204話

Auteur: 十一
実験室——

「朝日、暗算が得意でしょ?このデータをさっと計算してくれる?急いでるの!」真奈美が声を張る。

だが朝日は忙しそうに手を動かしたまま、顔も上げずに答えた。「パソコンで計算してよ、今は手が空いてない……」

「やめてよ、こっちの方が大事なんだから。ほら、見てよ、すぐ終わるから、数分もかからないわ!」

真奈美が食い下がると、朝日は向かいの実験台を軽く顎で示した。「彼女に頼みなよ、できるから」指された先には凛がいた。

前回、みんなの前で見事に誤りを修正したときのことは、今でも記憶に新しい。

ただ一人、珠里だけは、あれはただの偶然だったと、まぐれ当たりに過ぎないと信じて疑わなかった。

「どうしたんですか、真奈美さん?手伝いましょうか?」凛が自ら声をかけると、

「ああ、お願い、これを見てくれないか……」真奈美はすぐに返事をして、手元の資料を差し出した。

二分後――「終わりました。結果は内部ネットワークで送りました」凛が淡々と告げた。

真奈美が驚きの声をあげる。こんなに早いなんて――

朝日は手を止め、急ぎの仕事も放り出して、真奈美に向かって手を伸ばした。「ちょっと見せて……」

「さっき計算してって言ったのに、忙しいって言って断ったくせに。終わった途端にまた計算しようって……無駄なことして!」真奈美は呆れたように彼をにらんだ。

だが朝日はそんな文句には全く構わず、黙々と計算を始めた。

それを見た博文は、すぐに時計を確認し、タイマーをセットする。

「……よし。何分かかった?」

博文は答えた。「2分5秒」

凛も、ほとんど同じくらい――2分ちょっとしかかかっていなかった。

朝日は目を輝かせ、まるで宝物でも見つけたかのように凛をじろじろと見つめた。「暗算習ってたの??」

「……珠算なら?」

「いつからそんなこと覚えたんだ?」

「5歳?それとも……6歳?すみません、昔のことすぎて覚えてないんです」凛は少しきまり悪そうに頭をかきながら答えた。

朝日はごくりと唾を飲み込んだ。「それで……終わり?」

「えっ!他に何か必要なのですか?」凛は首を傾げた。

「……」本当に腹が立つ!

博文は目を輝かせ、意気揚々と前のめりになった。「俺も金子先生に速算を習ってるんだ。凛、比べてみない?」

その瞬間、実験室にいた全員の視線が一斉に彼へと注がれた。

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