LOGIN月子はきょとんとした。ただ眠れって、本当にそれだけ?この前会った時、隼人は無理やりキスをしてきた。そして今日は、予想外のことばかり。だから月子は彼を怖れて、もっとひどいことをされるんじゃないかと考えてしまった。それなのに、隼人はただゆっくり休めとしか言わなかった。一樹に誰かにつけられていると聞いてから、それが隼人だと分かるまで、月子はずっとぐっすり眠れていなかった。さらに忍から電話があってからは、事態は想像もしない方向へ進んでいった。静真が人を遣って自分を監視していたこと。子供たちが隼人に連れ去られたこと。急いで車で駆けつけたら、彼が静真と殴り合っていたこと。そして、隼人の過去の話を聞いてしまったこと……月子は徹夜でS市からJ市へ飛んできたのに、早朝からずっと衝撃的な出来事の連続だったから、この時いくら月子がタフでも、心も体もへとへとで、もう限界だった。隼人にそう言われると、急にどっと疲れが押し寄せてきた。一樹は隼人に追い返されてしまった。車でここに入ってくるとき、警備がかなり厳しいことは分かっている。今の心と体の状態では、子供たちを連れて逃げるなんてできっこない。それよりは、まず体力を回復させて、それから方法を考えた方がいい。たとえば、隼人を怒らせないように、うまく話し合うとか。そうすれば、何か道が開けるかもしれない。とにかく、隼人が本当に自分と子供たちをここに閉じ込めておくなんて、月子は信じたくなかった。そう思って、月子はもう無駄な抵抗はやめて、彼の手を払いのけると、目を閉じて眠る準備に入った。しかし、目を閉じていても、隼人の視線がずっと自分に注がれているのが分かると彼女はとてもリラックスなんてできなかった。そもそも、見つめられて寝ること自体がプレッシャーに感じるし、相手が今縺れ合っている元カレならなおさらだ。月子は仕方なく目を開けた。すると、隼人の手が宙でぴたりと止まっているのに気づいた。自分に見つかったから、慌てて止めたんだろう。月子はビクッと震え、布団にくるまったまま後ずさりして彼を睨みつけた。「何するつもり?」隼人はとても気まずそうに手を引っ込めて、「お休み」と言った。月子は言った。「あなたが出ていかないと、眠れないでしょ」今日の出来事で、月子は隼人という人間が分からなくなっていた。
「俺の何が怖いんだ?」「静真に銃を向けてた姿も、有無を言わせない冷たい態度も怖い。それに、すべてが私の知らないあなたであることが怖いの……なにもかも、私の想像を超えてて……あなたの考えも、どこまでする人なのかも、全然分からない。だから、怖いの」そう言いながら、月子の目には涙が滲んできた。隼人の目にも涙が浮かんでいた。彼は唇をきつく結び、月子の方へ歩み寄った。190センチという長身の彼は、まるで山のようだった。月子は170センチを超える身長だけど、それでも体格差は歴然としていた。隼人が目の前に立つと、彼女の体はすっぽり隠れてしまうほどだった。それにここは隼人のテリトリーだ。彼がしたいように、何でもできてしまう……隼人が黙ったまま、じりじりと距離を詰めてくる。そのせいで、月子の恐怖はさらに増していった。彼女は後ずさるしかなかった。でも月子が一歩下がると、隼人はすかさず一歩詰めてきた。とうとう月子は壁際に追い詰められ、隼人に完全に囲まれてしまった。月子の瞳が激しく揺れた。目の前にいるのは隼人だから自分を傷つけたりはしないはず。でも、彼の見知らぬ恐ろしい一面が頭をよぎると、心臓が口から飛び出しそうだったから、彼女は目に涙を溜めながらも、強い警戒の色を浮かべていた。そんな彼女をみて隼人は完全に打ちひしがれたかのように言った。「月子、本気で俺がお前を傷つけると思ってるのか?」月子は震える声で言った。「しないって言えるの?もし私を傷つけるつもりがないなら、どうしてこんな所まで追い詰めるの……」この前みたいに、有無を言わさずキスをして、唇を噛み切って。あんな風に、力ずくで押さえつけるみたいに……隼人は手を伸ばし、彼女の頬に触れた。指先が目尻をなぞると、その瞳が充血しているのが分かる。目の下には隠しきれない隈ができていて、その顔には疲れと不安、そして恐怖が滲んでいた。「すまなかった。一睡もさせてやれなくて。朝早くから、俺と静真がやりあうところを見せて……今度はまた、俺と二人きりで向き合わせるなんて……」そう話し終わらないうちに隼人は突然月子の腰を抱えて持ち上げた。抱き上げた瞬間、彼女が以前よりずっと軽くなっていることに気づいた。彼女の頬はこけ、その目にも隠せないほどの疲労が浮かんでいるのだった。1年前
一樹も体を鍛えていて、たぶん格闘技も習っているだろう。でも、屈強なボディーガードの前では、武器でもない限り無力だったから当然のように連れて行かれてしまったのだ。一方で、一樹がいなくなっても、誰もその場には近づけなかった。この家の主人である隼人が怒っていたからだ。普段は怒らない人が、ほんの少し怒りを見せただけでも、それはまるで嵐のようだった。月子はK市にいた頃、静真との身分の差を分かっていた。なぜなら彼は、自分の欲望や嫌な部分を隠そうとしなかったからだ。静真の考えは、その横暴な態度に全部表れていた。でも、隼人は違う。彼は落ち着いていて、感情を表に出さない。会社でも部下に対して、威圧的な態度を取っていなかった。だけど、それでも彼には社員全員を黙らせるには十分な風格があった。だが、彼はそれを表に出さなかった。取引先と会う時も、どんな話題にも合わせることができた。隼人は何事もそつなくこなし、人間関係もうまく立ち回る。だから、周りからは落ち着いていて、懐の深い、成熟した強い男だと思われていた。そのおかげで、彼に会った人はほとんど、彼を褒めたたえた。でも、完璧な人間なんていない。隼人の落ち着きは、彼の心の奥深さを物語っていた。本当に隼人を理解できた人はいなかったのだ。彼の心の壁は、それほど厚かった。月子は、今それを痛感している。8ヶ月も一緒にいたのに、隼人の本当の壁を乗り越えられたことは一度もなかったのだ。そして今、その壁の向こう側がほんの少しだけ見えた。たったそれだけでも、彼女は背筋が凍るほどの圧迫感に直面したのだった。かつて、静真が隼人のことを「いい人じゃない」「上っ面だけの男だ」と罵っていたのを、月子には理解できなかった。でも、今ならわかる。隼人は、自分を偽るのがとてもうまい。必要なら、上品で穏やかな人にだってなれる。でも状況が悪くなれば、容赦なく牙を剥いて攻撃的になるのだ。そんな隼人は、ちょっと指示するだけで、一樹を目の前から消し去ることができた。彼のほんの少しの行動で、月子は権力がもたらす圧迫感を痛いほど感じた。隼人の破壊力は、彼女の想像をはるかに超えて恐ろしかった。フリーリ・レジデンスで8ヶ月間一緒に暮らした隼人は、温かくて、包容力があった。人間味のある、目の前の彼とは全く違う人にように
それを聞いて隼人の表情は、目に見えてさらんいこわばっていた。でも、その深く鋭い眼差しからは感情を読み取ることはできず、ただ黙って二人を見つめているだけだった。そして彼はふと、二人がつないでいる手に視線が落ちた。自分だけの彼女だったはずが……どうして他の男に手を握られているんだ?そんなこと、許されるはずがない。「鷹司社長。もう一つ言っておきます。月子の子供は、あなたの子供ではありません。だからあなたに親権はないんですよ。母親である月子が自分の子供を連れて帰るのは当たり前のことです。あなたの許可なんていりません」一樹は感じていた。月子は、静真に対する時のように、隼人には強気に出られない。どうしても受け身になってしまい、彼のペースにのまれがちだ。でも、さっき近づいた時に聞こえてきた言葉を思い出すと、一樹は隼人が本当に女性の扱いが下手だと思った。こんな状況では、なによりもまず月子の考えを優先してあげることがが先決だろう。彼女を喜ばせてから、いいタイミングを見計らって少しずつ詰め寄れば、チャンスを見出すことができるはずだ。だから、とりあえず月子の警戒心を解いて、ゆっくり攻めていくべきだ。しかも隼人は少なくとも静真のように嫌われているわけでもなければ、元カレという有利な立場にいるんだから月子の彼に対する態度も違うはずだ。だが、残念なことにこの兄弟は二人ともそういった面での知恵が欠けていた。隼人がまだマシなのは、自分を省みて改善しようとするところだ。何一つ変わろうとしない静真とは違う。それもあって、違う行動をとっているように見えるのだが、結局隼人のやることは、静真のしていることと大して変わらないのだ。一樹の言葉を聞いて、月子は彼が一緒にきてくれたことに心から感謝した。何はともあれ、一樹は頭の回転が速く、すぐに状況を理解したうえで話を進めてくれるから、隼人を前にしても、彼がいれば自分は気持ちをしっかり保てるのだ。なぜだか分からないけれど、隼人のあんな姿は見たくないし、あんな言葉は聞きたくなかった。心が大きく揺さぶられてしまうからだ。それに、彼の今まで知らなかった一面を見てしまって、月子はまだそれを消化しきれていなかったのだ……そう、ここまで変わり果てた隼人を受け入れるのには、時間が必要だった。そこを一樹に言われ
でも、やっぱりどこか距離感を感じてしまうのだった。だから、彼女はつい及び腰になってしまているのだ。しかも、今はもう別れた仲だから、彼女からすればどうしても一歩引いてしまうのが、正直な気持ちなのだ。なにより今の月子には、そんな恋愛にのめり込む気力がもうなくなっていて、ただ穏やかで、ありふれた毎日を過ごしたいという気持ちの方が強いわけだから、一樹と付き合うような軽い関係のほうがちょうどいいのだ。そう思って月子は自分の手を引き抜き、隼人がそれ以上触れるのを拒んだ。「ごめん。私今、一樹と付き合ってるから」それを聞いて、隼人の表情が一瞬こわばった。「月子、それは嘘だろ」それを言われて、月子はカッとなった。「私が一樹と付き合い始めた途端に追いかけてきて。きっと、誰かに見張らせてたんでしょ。彼とキスしてるところも、撮られてるんじゃないの?キスまでしてるのに、嘘なわけないでしょ?鷹司社長。私のプライベートな決定まで口出しをしないでもらえる?」隼人は彼女の拒絶に満ちた顔を見て、絶望的な気持ちになった。でも、もう失う自分にはものはないのだと思って言った。「お前の選択は尊重する。だけど、俺もお前を諦めない」そう言われて月子は、きょとんとした。「諦めないって、どういうこと?」隼人は彼女をじっと見つめ、さらに本心をさらけ出した。「俺の人生に、お前がいないなんて考えられないんだ、月子。俺だって佐藤さんに負けないくらい、お前を幸せにできる自信がある。二股をかけられたってかまわない。だから、俺も選択肢にいれてくれ」口ではそう言ったものの、隼人の心の中では決めていた。必ず一樹を追い出してやる、と。どんな手を使ってでも、月子の心も体も、自分のものにしてみせる。だが、月子は考えもせず断った。「そんなのできるわけないでしょ」そう言われて、隼人の胸に痛みが走った。「どうしてダメなんだ?ほんの少しのチャンスも、くれないのか?」月子は、なぜダメなのか分かっていた。隼人のことを、本気で愛していたからだ。本当に好きだったからこそ、もう一度彼に触れられたら、心が動かないはずがない。肌が触れ合うだけで、昔のことを思い出してしまう……それは紛れもなく「本当に好き」という気持ちなのだ。だからこそ、また心が掻き乱されてしまたら、疲れ果ててしまうだけなのだ。そう思
月子は眉をひそめた。「状況が違うじゃない。そんなの比べようがないでしょ」「愛してるかどうかって話だよ。お前は静真の方が好きなんだ。あいつがお前にとって、初めて本気で好きになった相手で……俺はちがう。後から出会った男だから」それを聞いて、月子はぎゅっと拳を握りしめた。「鷹司社長、そんな風に比べるのはやめて。あなたと一緒にいた時、私は精一杯の気持ちで向き合ったつもりよ。あなたが静真を自分と比べたら、自分を貶しているだけでなく、私が二人を天秤にかけて気持ちを弄んだひどい女だと言っているようなものじゃない……そもそも出会ったきっかけが違うんだから、比べられるわけがないでしょ?」その言葉に隼人の顔色が一瞬で変わり、その表情にはありありと苦痛が浮かんでいた。月子は呆然とした。こんなに感情をあらわにする隼人を見るのは、初めてだったからだ。自分、何か彼を傷つけるようなことを言ったかしら?本当のことを言っただけなのに。でも、隼人の苦しそうな様子を見ていると、胸が締め付けられて息も詰まりそうになり、彼女は顔をそむけた。すると突然彼女は、隼人に腕を掴まれた。以前はあんなに熱かった彼の手が、今はひどく冷たい。その冷たさに月子はびくりと震え、思わず隼人の手のひらを見た。そこには全く血の気がなかった。もしかして、足の怪我で血を失いすぎて、体温まで下がってしまったのだろうか?隼人の声に、月子ははっと我に返った。「月子、俺は静真が妬ましい。どうしてあいつがお前に先に出会ったんだ。なぜ俺じゃなかったんだ。もっと早く、お前を見つけられていれば……」それを聞いて月子の心は、激しく揺さぶられた。「あなたが静真に嫉妬……」隼人といえば、落ち着き払っていて、気品があって、控えめな人だ。周りから見れば、まさにエリート中のエリートだった。それもあって、月子は、自分と隼人の間にある差をずっと感じていた。先ほど車でこの広大すぎる別荘に近づいたときも、改めて二人の隔たりを痛感したのだ。それは、権力という彼が生まれ持ったもので、努力で埋められるものではない。もともと、隼人の立ち位置は多くの人にとって手の届かない存在なのだ。それに、彼は静真の兄でもある。二人は不仲だが、いつも冷静なのは隼人の方で、兄としての落ち着きと威厳を保っていた。彼は静真の子供じみた挑発など、まる







