Share

元夫の後悔をよそに、天才妻は御曹司と溺愛婚
元夫の後悔をよそに、天才妻は御曹司と溺愛婚
Author: 歓乃

第1話

Author: 歓乃
「柚葉さんが戻ってきたんだって?奥さんはどうするんだよ?」

家の前に着くと、ドアは少しだけ開いていて、夫の谷口智也(たにぐち ともや)と、彼の親友の声がかすかに聞こえてきた。

仕事から帰ってきた谷口凛(たにぐち りん)は、思わずドアを開けようとした手を止めた。

「柚葉さん」って?自分のプロジェクトに2週間前からアドバイザーとして参加している専門家・小林柚葉(こばやし ゆずは)も、同じ名前だったはず。

なんて、偶然なんだろう。

一方で、智也はその問いただしに対して何も答えなかった。

「智也、言わせてもらうけどな。もう何年も柚葉さんのことが忘れられないんだろ?そのくせ、自分は質素な生活をして、毎月6000万円も彼女の研究費につぎ込んできたじゃないか。

向こうは今じゃ立派になって、帰国してからは国家プロジェクトの特別専門家だぜ?彼女にちょっと競合の情報を流してもらえれば、ホシゾラ・テクノロジーでの社長の座も安泰ってわけだ」

それを聞いて、凛はぱっと顔を上げた。その目には信じられないという色が浮かんでいた。

彼女は何かの聞き間違いじゃないかと思った。

6000万円?

智也が毎月くれる生活費はたったの6万円なのに。他の女には、毎月6000万円も渡しているわけ?

でも、家の中から聞こえる会話はあまりにも鮮明だった。その一語一句が耳に突き刺さり、そして、智也もその事実を否定しなかった。

その一瞬、凛はショックで息ができなくなるほどだった。

すると突然、智也が立ち上がり、腕時計に目を落とした。「もうこの話はよそう。柚葉を困らせたくないんだ。俺、今から柚葉を迎えに行かないと。テーブルはそのままでいいよ、どうせ凛が帰ってきたら片づけるだろうし」

「おいおい、智也。奥さんは、すごくいい人じゃないか。家のことちゃんとやってるし、ご両親と妹さんの面倒まで見てくれるんだぞ。それでも何とも思わないのか?」

智也の答えが知りたくて、凛は息を殺して、聞き耳を立てた。

だが智也は冷たく言い放った。「俺が好きなのは、凛みたいな家庭に縛られてる女じゃない。昔からずっと、柚葉みたいに仕事にすべてを懸けて輝く女が、俺のタイプなんだ」

その言葉は、ナイフのように凛の胸に突き刺さった。

彼女の目はみるみる赤くなり、手も震えだした。

「じゃあなんで最初、奥さんにアタックしたんだよ?しかも結婚までして」

「あの頃、柚葉が俺を置いて、どうしても海外に行くって聞かなくて」

「それじゃただ柚葉に当てつけるために結婚したっていうのか?」

それに対して、智也は何も言わず、まるで認めたようだった。

「それで、柚葉さんが帰ってきたから、彼女と離婚するってわけか?」このとき、親友はもう凛を「奥さん」とは呼ばなくなっていた。

そう聞かれ、智也はまた黙り込み、しばらくしてから、彼は口を開いた。「確かにお前の言う通りだ。凛は俺の世話をよく焼いてくれる。ここ数年、持病の胃痛も起きてないし、家族のことも全部よくしてくれてた。おかげで、家のことで困ったことは一度もない」

智也はホシゾラ・テクノロジーの跡継ぎというわけじゃない。社長の座に就けたのは、半分は無理な接待で勝ち取ったようなものだ。だから、若い頃に胃を悪くしていた。

それを心配した凛は、朝は早く起きて、夜は時間通り家に帰り、彼に体を労わる料理を用意してあげていた。

智也が残業の時は、彼の会社まで食事を届け、それから自分の研究所に戻るようにしていた。

結婚して4年間、彼女はそんな毎日を続けたのだ。

そして今日、4年がかりで秘密裏に進めてきた「マイクロチップ開発プロジェクト」が、ついに成功したのだ。

研究所はまもなく、技術の実施企業を公募する予定で、実用化されれば、社会にとっても大きな貢献となるだろう。

そしてプロジェクトの責任者である凛は、巨額の報酬と、国際的な評価が約束されていた。

だから、彼女は一刻も早く家に帰って、この良い知らせを智也と分かち合いたかった。

そして家に帰る途中、ボーナスでどんなプレゼントを買うかまで考え、ホシゾラ・テクノロジーの社長である智也にふさわしい、高価なものを選んであげようとしていたのだ。

そんな凛の耳に、智也の言葉が響く。「でも、柚葉みたいに優秀で輝いている女性を、結婚で縛りつけるなんて、俺にはできないからな」

その瞬間、彼女は愛される者とそうでない者の残酷な差を思い知った。

涙が抑えきれずに頬を伝い、そのしょっぱさが唇に広がった。

家の中から玄関に向かう足音が近づいてくるのが聞こえて、凛はとっさに廊下の角に身を隠した。

さらに足音が遠ざかってから、凛はゆっくりと家の中に入った。すると、リビングのテーブルの上がめちゃくちゃに散らかっているのが目に入った。

どうやら、智也は自分を妻としてではなく、使用人として見ているようだ。

そう思うと、家を片付ける気力もまったくなくなり、凛は全身の力が抜けて、ただ横になりたいと思った。

でも、ベッドに横になっても少しも眠れず、これまでの出来事が次々と頭に浮かんでくるのだった。

智也と初めて会った時、彼は雨に濡れていた。そのとき、自分はたまたま傘を持っていて、傘をさしてあげた。

次に会った時、自分はバスに乗り遅れそうになっていた。すると、智也がたまたま車で通り、乗せてくれた。

それからというもの、二人は頻繁に顔を合わせるようになった。

恩師の二宮史哉(にのみや ふみや)が亡くなった時、智也がそばにいてくれた。

育った児童養護施設を訪ねた時も、一緒に来てくれたのは智也だった。

プロジェクトが中断し、仕事を失った時も、智也は自分を抱きしめて、「大丈夫だよ」と言って、プロポーズしてくれた。

月給わずか18万円の平社員になった時も、智也は、「それだってすごいよ」だと笑って頭を撫でてくれた。

……

夜中になって、凛はようやくうとうとと眠りについた。

そして朝6時。智也の朝食を作る時間になると、彼女の体内時計が、いつものように彼女を目覚めさせた。

疲れきった目をこすりながら、凛は目を開けた。

手をかざしてみるとベッドのもう片側は冷たく、ゲストルームの布団も使われた形跡はなかった。

昨夜、智也は帰ってこなかったのだ。

そう思った瞬間、玄関で電子ロックの開く音が聞こえて、

凛は振り返った。

帰ってきた智也は、当たり前のように上着を彼女に渡し、抱きしめようと一歩近づいたが、何かを思い出したのか、その動きをぴたりと止めた。

「昨日は親友と集まって、タバコと酒の臭いがついちゃったから、洗ってからにするよ」

以前の智也なら、外での付き合いから帰ってくると、いつも凛をぎゅっと抱きしめて、「こうすると、帰ってきたって感じがする」と言っていた。

そうやって凛はぼんやりと思い出した。智也に最後に抱きしめられたのは、もう2週間も前のことだということに気が付いた。

この2週間、同じベッドで寝ていても、お互いに背を向けて眠るだけだった。智也は仕事で疲れているから、簡単なハグさえしてくれなくなったのだなと、彼女は思っていた。

そして、柚葉が帰国したのも、ちょうど2週間前のことだった。

なるほど、予兆はとっくにあったんだ。

そう思って凛は目を伏せ、長いまつげが、その瞳に浮かんだ悲しみをそっと隠す。

一方、ソファにどっかりと腰を下ろした智也は、散らかったテーブルを指さした。「なんで片付けてないんだ?」

「昨日は体調が悪くて、すぐ寝ちゃったの」そう言ったとき、食べ残しのにおいがした。きれい好きな彼女は、やはりテーブルを片付けずにはいられなかった。「片付けてたら朝ごはんを作る時間ないから、自分で何か頼んで食べて」

そう言われ智也は、そこで初めて凛の異変に気づいた。

結婚して4年、彼が出張でない限り、凛は必ず食事を作ってくれた。少なくともおかず数品に汁物がつき、毎週の献立が被ることはなかった。

今朝はどうしたんだ?

「もしかして、俺が昨夜帰らなかったから怒ってるのか?」智也は急に真剣な声で呼びかけた。「なあ、凛ちゃん」

だが、その呼びかけに、凛の胸はさらに苦しくなった。

智也は優しくて、話し方が上手な男だった。付き合い始めた頃、不意に耳元で、「凛ちゃん?」と囁かれ、彼女はいつも恥ずかしくて耳まで真っ赤になった。そして耳元で囁くのは人前でしないでほしいと彼によく言ったものだった。

あの頃は智也も彼女の気持ちを気遣ってくれたものだった。

それからしばらく二人は仲睦まじい生活を送り、智也も、いつも「凛ちゃん」と優しく呼びかけてくれていたのだった。

「ほら、凛ちゃん、機嫌を直せよ。お前の言うこと、ちゃんと聞いてるだろ?親友との集まりでも、酒は飲まなかったし」智也は手を伸ばし、凛の後頭部を優しく撫でた。「ご飯作らないならそれでも構わないさ。俺はシャワーを浴びてくるから」

凛は小さく、「うん」とだけ答えて、彼の方は見なかった。

それを見て智也は眉をひそめ、心の中の疑問を口にせずにはいられなかった。「凛ちゃん、今日何か変だぞ」

「寝不足なの」凛は無理に笑みを作ると、シャワーに行くように促した。すると、智也は突然シルクのスカーフを取り出した。ロゴを見て、かなり高価なものだと一目で分かった。

「昨日の帰り道にたまたま見つけて、お前に買ったんだ」彼はそう言って渡すと、バスルームに入っていった。

凛は柔らかなスカーフを握りしめてしばらく呆然としていたが、それをバッグに入れ、研究所へ向かった。

一方、「マイクロチップ開発プロジェクト」は史哉の死によって一度中断したが、再開後は凛が責任者となった。機密保持のため、史哉の妻・二宮杏(にのみや あん)が口利きをしてくれて、表向きは竹内グループの事務職員ということになっていた。

だから智也は未だに、凛のことを月給18万円の平社員だと思い込んでいるのだった。

しかし実際のところ、彼女は毎日家から竹内グループへ向かい、東門から入り、広大なテクノロジーパークを通り、西門へと抜けていた。そこには、研究所が手配した専用の運転手が待っているのだ。

その日、凛は研究室にいても一日中上の空だった。夕方近くになって、教授の佐野克哉(さの かつや)が心配そうに尋ねてきた。「今夜、小林さんと食事だから、機嫌が悪いのかい?」

「小林柚葉ですか?」凛は顔を上げた。

克哉はとても驚いた顔をした。

「覚えてたのか!君は旦那さんのこと以外、誰にも興味がないのかと思ってたよ。もうみんなは顔を合わせているんだ。君たちだけだよ、まだ会ってないのは。これ以上会わないと、和を乱してるって思われかねないぞ」

凛は眉をひそめた。

自分は智也に出会った時、彼が失恋の痛みを抱えていることには気づいていた。でも、その相手が誰なのかは知らなかった。

智也の心の傷に触れたくなくて、一度も尋ねたことはなかった。

そして、彼もこの4年間、一度もその女性の話をしなかった。まるで、そんな人はいなかったかのように。

だから、もう過去のことなのだと思っていた。誰にだって、過去の一つや二つはあるものだから。

でも昨日、知ってしまった。智也は忘れるどころか、陰でその女性のためにお金と労力をつぎ込んでいたのだ。

そう思うと、凛は何も言わなかった。

すると克哉は困ったように唇を噛んだ。彼は、凛が柚葉を快く思っていないことを知っていた。このプロジェクトは凛の恩師の、そして今では彼女自身の血と汗の結晶だ。

そこに、赤の他人が足を踏み入れられたら誰だって嫌なはず。そんな成果だけを横取りしにきた人間に、席を一つ譲ってあげるだけでも、十分すぎるほど寛大だと言えるだろう。

それなのに今、その相手と食事に行けと言われれば、それは少し、酷な要求かもしれない。

それでも克哉は、忠告せずにはいられなかった。「今回は断らない方がいい。でないと、松田さんがご機嫌を損ねかねない」

松田英樹(まつだ ひでき)は研究所の最高責任者で、柚葉の母方の祖父でもあった。

この関係は、凛もアシスタントの高木梓(たかぎ あずさ)がこっそり話しているのを聞いて知っていた。

そしてチームのメンバーも皆、柚葉が突然加わったことを快く思っていなかった。彼女の経歴が素晴らしいのは確かだ。しかし、この研究所に入れる人間で、優秀じゃない者などいるだろうか?

みんなが4年間、必死で頑張ってきて、あと数ヶ月で成果を発表できるという、まさにそのタイミングだった。

そこへ柚葉が、外部専門家という肩書きで割り込んできた。開発プロセスには一切参加していないくせに、成果だけは横取りしようというのだ。それはまるで、論文を提出する直前に、全く貢献していない第二著者の名前を加えろと言われるよりも、不快なことだ。

だからこそ、凛はずっと、外部専門家がプロジェクトの中枢エリアに入ることを許可していなかった。そして彼女は研究所での仕事が終わればすぐに家に帰っていたので、柚葉はまだ彼女に会ったことすらなかった。

凛はマジックミラー越しに、外の様子を眺めた。

すると柚葉が白衣を脱ぎ、ブラウンの本革のコートを羽織るのが見えた。彼女は栗色の髪をかきあげ、高そうな白いクロコダイルのバッグを肩にかけた。

今朝、智也がくれたスカーフと、同じブランドのものだ。

それに気が付いた凛は、思わずバッグからスカーフを取り出した。そして何かがおかしい、という不安が胸をよぎった。

ちょうどその時、アシスタントの梓がノックして部屋に入ってきた。彼女は凛が手にしているスカーフを見て、驚いたように言った。「先輩、ボーナスでそこのバッグ、買ったんですか?」

「ううん」凛は目の前の梓を見て、少し不思議そうに付け加えた。「バッグは買ってないわ」

梓は言った。「あ、スカーフが見えたから、てっきりバッグを買ったのかと思いました。普通、このブランドのスカーフって、バッグ買った人にしか出してないんですよ」

「バッグを買った人限定?」そう聞き返しながら、凛の胸がぎゅっと締め付けられた。

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • 元夫の後悔をよそに、天才妻は御曹司と溺愛婚   第477話

    行けるなら、とっくに行ってる。会えなかったから、ここに来たのだ。胡桃は柚葉を睨みつけた。「返さないってことね?じゃあ外で叫ぶから」胡桃なら本当にやりかねないと思った百合と隆平は、はっと息を呑んだ。柚葉は腹を括る。「好きにすればいい。でも、私のお腹には智也の子どもがいるってことを忘れないで。万が一、子どもになにかあったら、責任を取ってもらうから。お金が欲しい?それとも人生が終わってもいいの?」胡桃は彼女のお腹へ視線を落とした。「ああ、そうだった。不倫の末にできた子がいたんだっけ」「いい加減にして!」あまりの怒りで下腹部が痛んだ柚葉は、慌てて手で押さえた。「智也と凛さんは離婚したの!私の子にはちゃんと父親がいるんだから!」「籍が入ってなきゃ父親がいないのと一緒のことでしょ?産めば?大きくなったら、周りから何て言われるか楽しみだね。母子家庭の……」パシッ!柚葉が胡桃の頬を張り飛ばした。胡桃も一瞬で激昂し、そのまま柚葉の髪をつかんだ。取っ組み合いの喧嘩が始まりそうになる。しかし、ここは他人の家だ。多勢に無勢、隆平と百合に引き剥がされた胡桃は、結局最後まで柚葉に攻撃を当てられなかった。柚葉のお腹の痛みが激しくなる。「お父さん、お母さん、病院に連れてって……」柚葉は顔を歪めて腹を押えた。柚葉の両親は慌てて救急車を呼ぶ。柚葉の演技ではないと分かった胡桃は、すぐにおとなしくなった。本当に子どもになにかあったら、自分では責任が取れない。柚葉は両親に付き添われながら、救急車で運ばれた。胡桃も少し恐怖を感じながら、タクシーを止めて後を追う。病院では、前回も柚葉を診察した医師が、腹痛を訴える柚葉を見て、顔をしかめていた。「前回、すぐに詳しい検査を受けるように言いましたよね?なのに、なぜ来なかったんですか?」柚葉は下腹部を押えながら答える。「忙しくて……」医師の語気が強まった。「どんなに忙しくても、胎児とご自身の身体を最優先に考えてください。ともかく、今回は絶対に全ての検査を受けてくださいね」柚葉の両親はすぐさま柚葉に検査を受けさせることにした。そして、医師が2日の入院が必要だと告げる。柚葉は智也に電話をかけた。「智也。今日、胡桃ちゃんが来たんだけど、それでお腹の子がびっくりしちゃったみたいで

  • 元夫の後悔をよそに、天才妻は御曹司と溺愛婚   第476話

    「なんでここを知ってるの?」真っ青になった柚葉は、両親に聞かれることを恐れて大急ぎで外に出ると、すぐに家のドアを閉めた。松田家から戻って間もなく、柚葉は20億円以上もの賠償金を払わなければならないことを両親に白状していたのだ。その日の夜、隆平は容赦なく柚葉の頬を叩き、百合は慰めることもせず、ただ泣き崩れていた。柚葉は一晩中眠れなかった。両親も同じく、一睡もできなかった。翌朝、柚葉の両親は貯金口座のキャッシュカード、不動産の権利書、嫁入り道具だったものから宝飾品、そして柚葉のために蓄えてきた結婚資金まで、ありったけの資産をテーブルに並べる。しかし、不動産を2軒売ったとしても、合計で2億円ほどにしかならず、返すべき額には到底届かなかった。柚葉の両親は食べることも眠ることもままならないほど追い詰められた。大学教授として生きてきた二人にとって、人に頭を下げて金を借りることは、誇りを捨てるようなこと。それでも柚葉を見捨てるわけにはいかず、裁判になる前に解決策を探るしかなかった。柚葉は両親が借金のために同僚に電話している姿を目にしていた。だからこそ二人には何一つ逆らわなかったし、両親も今は柚葉のお腹の子のことを考える余裕すらなかった。そんな状態で胡桃が現れたので、柚葉はひどく動揺したのだった。この口の悪い女が何を言い出すか分からない。とにかく、両親だけは巻き込みたくなかった。柚葉は胡桃の腕をつかみ、そのまま階段のほうへ引っ張ろうとした。しかし、胡桃がその腕を振り払う。「何するのよ!親に知られるのが怖いの?だったら最初から人の旦那に手を出して、他人のお金で贅沢なんかしなきゃよかったでしょ!」胡桃の声は大きすぎた。それに、古いマンションだけに、防音は良くないし、しかも柚葉の両親は近所づきあいも深い。こんな話を聞かれたら、面子は丸潰れだ。柚葉は慌てて胡桃の口を塞ぎ、必死に警告する。「いい加減にして」胡桃が頷いた。柚葉が半信半疑で手を離した直後……胡桃が叫ぶ。「人の家庭を壊したこの愛人女!お金を返して!」その声は、マンション全体に聞こえるほどの大きさだった。カチャリと音がした。ドアが開き、柚葉の両親が顔をだす。顔色は悪く、疲れ切った表情をしている二人。柚葉は胡桃を殺してやりたい衝動に駆られた。柚

  • 元夫の後悔をよそに、天才妻は御曹司と溺愛婚   第475話

    母親の責める言葉を、智也は黙って受け止めるしかなかった。ひと言たりとも言い返せない。ただ、子どもの頃のように、うつむいて謝るだけ。「父さん、母さん。本当にごめん」「『結局父さんと母さんが心配してるのは、自分たちの老後のこと』あの一言が、何より私たちを傷つけたのよ!」そう言い残すと、梨花はそのまま足早に家を出ていった。健吾は智也を見つめ、もうこれ以上責めるのは可哀想だと思い、静かに肩を叩く。「母さんの様子を見てくるよ。仕事は辞めたなら仕方ない。またやり直せばいいだけだ」両親が去っていった。いつも家族の喧嘩では気配を消していた胡桃が、おそるおそる口を開く。「お兄ちゃん、もし私が凛さんに頼んだら、柚葉さんから取り戻したお金を分けてもらえるかな?」20億円以上だ。もし一割でも分けてもらえたら、2億円も手に入る。頭が割れそうに痛く、心もすっかり疲れ切っていた智也は、適当に答える。「さあな」「じゃあ、私が行ってお願いしてみる!」働く?自分が働くなんて、絶対にあり得ないんだから!胡桃は南山ヒルズ9号棟へ向かった。遠目に大型犬の姿が見えたため、胡桃は近くにあった石を手に取り、警戒しながら近づき、凛に会わせろ、自分の義姉に会わせろなどと、大声で叫んだ。柚葉の本性を知ってからというもの、誰が本当に自分に良くしてくれていたのか、胡桃はようやく理解していた。凛は高価な差し入れを何度も持ってきてくれたが、柚葉はいつも智也の金を使い、いい顔をするだけだった。何度目かに声を上げた時、番犬が牙を剥いて飛び出してきた。胡桃は石を投げたが、犬はより激しく追いかけてくる。二度も転び、膝は擦り剥けて痣になった。完全に怖気づいた胡桃は、そのまま家に帰った。家へ戻ると、怖さと悔しさで涙が止まらない。これから自分は、どうすればいいのだろう。頼みの綱である兄は、もう自分を養ってなどくれないし、両親は年金があるが、それは彼ら二人の生活のためのもの。結局、困るのは自分だけ。海外留学?今となっては夢のまた夢。全部、柚葉というあの女のせい……柚葉のことを思い出した胡桃の瞳に、憎しみの色が宿った。翌日、胡桃は柚葉に会うためウォーターフロント・コートへと押しかけた。管理室に行き、部屋番号を告げると、管理人が胡桃に尋ねた。「内見ですか?」この時初め

  • 元夫の後悔をよそに、天才妻は御曹司と溺愛婚   第474話

    「一体、何があったっていうのよ?」梨花は必死に問い詰めた。「柚葉のことがあったから?それなら子どもは諦めて、柚葉と縁を切ればいいじゃない。あんな疫病神とは、きっぱり関わりを断つべきなのよ!」子どもをどうするかという問題を理由に、智也と柚葉の関係をずるずる引き延ばしにしていたことを、梨花は後悔した。健吾が厳しい表情で口を開く。「原因はそれだけじゃないんだろう?」私生活の影響はあるだろうが、ここまで事態が大きくなるとは考えにくい。景山グループが大切に育ててきた幹部候補を捨ててまで、解雇を選んだからには、それ相応の理由があるはずだ。智也は静かにうなずく。「それだけじゃない」胡桃が訊ねた。「じゃあ、一体何が理由なの?」智也は言いたくなかった。両親がその理由を知れば、また凛を責めるかもしれないし、また凛のもとへ行って余計なことを言うかもしれない。しかし健吾は勘づいた。「凛が、お前たち3人の揉め事を世間に広めたのか?」智也は立ち上がる。「凛のせいじゃない。最初から最後まで、悪かったのは俺だから」健吾は確信した。「やはり凛なんだな」梨花が悲痛な面持ちを浮かべる。「あなたたちは夫婦だったのに……別れてまで、なんでこんなことをするのかしら?凛はどうしてそんなに冷たいのよ」「母さん」智也は眉をひそめる。「だから凛のせいじゃないって言ってるじゃないか。全部俺が悪かったんだ。それに、結局父さんと母さんが心配してるのは、自分たちの老後のことだろ?今は、家も車もあるし、胡桃にだってある。俺はこれから凛と住んでいたあの家で暮らせばいい。これまでと何も変わらないんだよ」「何も変わらない」その言葉が梨花を追い詰めた。彼女はゆっくりとうなずく。「そうね、何も変わらない。あなたがこれまで稼いだお金なんて、私たちの家を買う以外は全部、柚葉っていう疫病神につぎ込んだんだものね。あなたは何年も、あの女のために働いていたようなものじゃない!それに、稼いだお金だけじゃない。あなたの将来まで、あの女に壊されたのよ!」智也はただ瞳を伏せ、反論することはできなかった。「私たちが、お金のことしか考えていない親だと、本気で思っているの?智也、そんなことを言うなんて……親として、これほど情けないことはないわ。もし本当にお金だけが目当てだったなら、今まであなた

  • 元夫の後悔をよそに、天才妻は御曹司と溺愛婚   第473話

    すでに退職手続きを進めていた智也は、その日のうちにデスクの私物をまとめて会社を後にした。最近、谷口家の人々は南山ヒルズ11号棟で暮らしていた。智也のことが心配だったこともあるし、住み込みの家政婦もこちらにいたからだ。夕方、智也が定時に帰宅すると、一家は思わず驚いた。ここしばらくの彼は、目が回るほど忙しく、毎日深夜に帰宅し、夜が明ければまた会社へ向かう。そんな生活が続いていた。智也の後ろには浩もいて、その手には智也のデスクにあった荷物が抱えられていた。それを見て事態を察した健吾の顔から、一気に血の気が引いていく。「会社を辞めたのか?」梨花と胡桃も驚いて立ち上がった。しかし、二人はすぐに現実を受け入れられなかった。智也がうなずく。「ああ。今日、景山グループの本社に行って、退職手続きを全て終わらせてきた」「どうしてなの!」まだ納得できていない梨花が、慌てて問い詰めた。「会社に解雇されたの?それとも自分から?」智也は眉間を揉みながら、ソファーに腰を下ろした。その顔には疲弊の色が浮かんでいる。「会社から自分で辞めるようにと言われた」「言われたからってそんな簡単に辞めちゃうわけ?」胡桃が目を見開いて叫んだ。「馬鹿じゃないの?」「何も分かってないのはお前だ」智也は即座に言い返す。しかし、説明するのも面倒だった。代わりに健吾が口を開く。「会社に解雇されれば、経歴に傷がつくが、自主退職なら最低限の体裁は守れるんだよ」胡桃は唇を尖らせた。「でも、お兄ちゃんに仕事がなくなったら、私たちはどうなるの?」智也は頭痛をこらえるように目を閉じた。「父さんたちは年金があるし、俺だって自分一人くらいなら食べていける。でも胡桃、問題はお前だ。そろそろ仕事を探せ。俺はもう……」「なんでよ!」胡桃は自分が働く日が来るなんて、一度も考えたことがなかった。智也は顔を上げ、苛立ちをあらわにする。「なんでって、俺はお前の親じゃない。兄っていうだけで、お前の面倒を一生見る義務なんてないんだよ」胡桃は青ざめたまま首を振る。「でも、これまでずっと面倒を見てきてくれたじゃん……」「昔はそうだったけど、今は違う。胡桃、自分の人生は自分で責任を持て。それでも親のすねをかじって生きたいなら、父さんと母さんが毎月の年金を全部お前に渡すかどうか聞いてみろ。とにかく

  • 元夫の後悔をよそに、天才妻は御曹司と溺愛婚   第472話

    「それは、もうお前には関係のないことだ」騒ぐ役員たちには目もくれず、智也は竜太郎と景山姉弟を静かに見据えた。竜太郎が尋ねる。「どうしたんだね?」智也は、悠真の方を見て言った。「もし次期社長が悠真さんだということであれば、田中を使い続けていただけないでしょうか?彼は非常に優秀な秘書です。私は競業避止義務に署名しているため、今後2年間はこの業界に戻ることはできませんし、彼が私の内通者になるようなことも、絶対にありません。ですが、田中がホシゾラ・テクノロジーの運営システムを誰よりも理解しているんです。彼がいれば、悠真さんが会社を把握するまでの時間を大幅に短縮できると思います」智也はこの数日間、考え続けていた。自分が傷つけてきた人間は、あまりにも多い……それは、浩も例外ではなかった。自分が会社を離れれば、浩は徐々に重要な仕事から外され、居場所を失う。そうしたまま辞職に追い込まれ、退職せざるを得ない未来が目に見えていた。悠真はじっと智也を観察した。この男を「悪」と言うべきなのか……確かに、この男がやったことは許されない。だが、部下や秘書にはいつも穏やかに接し、自分が窮地に立たされても、周囲の人間に逃げ道を残そうとしている。そして、この期間、ホシゾラ・テクノロジーで聞いた智也への評価も、決して悪いものではなかった。それなのに、私生活では妻を顧みず、結婚中に別の女性と関係を持った。極悪人というほどではない。だからこそ余計に、気持ち悪さが残る。悠真がホシゾラ・テクノロジーを引き継ぐことは、智也の処遇を話し合った時点ですでに決まっていた。悠真が竜太郎を見ると、竜太郎も頷いた。「いいだろう」智也は小さく息をついた。そうして、会議は終了した。智也が最後に会議室を出ると、外で待っていた浩が慌てて駆け寄ってくる。「何か……状況は変わりましたか?」智也は力なく鼻で笑った。変わるわけがない。組織が腐れば人は去り、悪者には誰もが集まって石を投げるものだ。もし離婚だけで終わっていたなら、まだ挽回の余地はあったかもしれないが、今は違う。財産分与を巡る訴訟まで抱えているのだ。景山グループにとって自分はもう、いつ爆発するか分からない時限爆弾。そんな人間を抱え続ければ、会社まで傷つく。誰がどう考えても、切り捨てることを選ぶだろう

  • 元夫の後悔をよそに、天才妻は御曹司と溺愛婚   第8話

    凛が家に帰ると、もう夜の8時だった。智也はソファに座り、暗い目つきで彼女を見つめていた。「なんでこんなに遅いんだ?」「あなたは、なんでこんなに早いの?」凛は不思議に思った。智也は毎日、柚葉を職場まで迎えに行っているはずなのに。智也は眉をひそめた。「俺が最近、帰りが遅いことを責めてるのか?」「まさか」凛がカバンを置くとすぐに、智也が仕事をやめる件について聞いてきた。「退職届は出したわ」彼女は自分に水を一杯注ぎ、ゆっくりと飲んだ。「引き継ぎとかの手続きに、1ヶ月はかかるの」「お前の仕事に、引き継ぎで1ヶ月もかかるような内容があるのか?」智也は凛の痩せた横顔を見ながら、何度も

  • 元夫の後悔をよそに、天才妻は御曹司と溺愛婚   第7話

    「凛さん、何を見ていらっしゃるんですか?」「今、あっちから誰かに見られていた気がします」「え?」と理恵がそちらを見たが、人影はなかった。「もうエレベーターに乗ったみたいです」と凛は言った。「エレベーターって、あっちの?」理恵が指差すと、凛は頷いた。それを見た理恵は、緊張した面持ちでゴクリと喉を鳴らした。あそこは社長専用のエレベーターなのだ。理恵のオフィスのドアの前に来ると、凛はドアプレートに、「人事部ヴァイスプレジデント」と書かれているのを目にした。昇進したんだ。凛はにっこり笑って言った。「中村さん、御昇進おめでとうございます」「ありがとうございます」

  • 元夫の後悔をよそに、天才妻は御曹司と溺愛婚   第6話

    「それで?彼に、私と離婚するように言ったの?」凛の問い返しは、柚葉の痛いところを正確に突いていた。この2週間、柚葉は何度もそれとなく話を振っていた。でも、智也は離婚するそぶりを見せない。それどころか、今まで通り、いえ、今まで以上に優しくしてくる。まるで自分が不倫相手みたいじゃない。愛されていない方が、邪魔者。よく言ったものだ。もともとは、凛の方が、自分と智也の間に割り込んできたのだ。大学の頃、智也はあんなに自分を愛してくれていた。それは誰の目にも明らかだったのに。それが、留学のことで喧嘩したのがきっかけで、智也がどこの馬の骨とも分からないような女と結婚するなんて、思って

  • 元夫の後悔をよそに、天才妻は御曹司と溺愛婚   第5話

    「先生、どうしてか聞かないんですか?」凛は涙を拭うと、杏をソファに座らせ、お水を取りに行った。杏が言った。「智也から聞いたわ。子供のことで喧嘩して、昨夜は帰ってこなかったって。彼はまだ子供を欲しがらないの?」凛は首を振った。「今回は、私が欲しくないんです。彼は私に仕事を辞めて妊活に専念して、家で専業主婦をしろって言うんです」「私より考えが古いわね!」杏は腹が立って仕方がなかった。「あの男は出世して偉くなったから、あなたを見下してるの?よくもまあそんな態度がとれるわね。プロジェクトが発表されたら、どれだけの人があなたに会いたがると思ってるの。私の夫が手塩にかけた愛弟子を、使用

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status