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第7話

Author: タマタツ
凪杜は深く息を吸い、胸の中の重苦しさを押し殺してから、絃葉の隣に横になった。

「会社がどんどん大きくなって、俺もますます忙しくなった。君に構う時間すら取れなくなって......」

声は低く、どこか作られたような優しさを帯びている。

「絃葉、何か欲しいものはあるか?何でもいい。何か罪滅ぼしをさせてくれ」

家、車、宝石、バッグ――

普通の女性が欲しがるものは、だいたいそのあたりだろう。

けれど、それらは絃葉にとって生まれた時から当たり前にあるものだった。

何一つ、欲しいとは思わない。

彼女が欲しかったのは、ただ一つ――彼の心。

なのに、その心はとっくに別の誰かに与えられていた。

「そうね......」

絃葉は少し考え、淡い声で言う。

「欲しいものは特にないかな。ただ......会社の名義だけど、本当は結婚五周年の日にあなたに譲るつもりだったの。書類とか面倒だし、私が持っていても仕方ないから」

その言葉に、凪杜の心臓が強く打ちつけられた。

「会社を......俺に?」

「ええ」

彼女は静かに頷く。

20歳の時、絃葉は自ら名義人となり、数億円の債務保証を引き受け、彼のためにすべてのリスクを背負った。

そして25歳になった今――

彼女はただ、この男から離れたいだけだった。

会社も、彼の名義の資産も、何一つ興味はない。

彼女が欲しかったのは、最初から金ではない。

――金ならいくらでもある。

一生どころか、次の人生でも使い切れないほど。

視線が重なった瞬間、凪杜はあからさまに動揺した。

瞳が揺れ、わずかに怯む。

「どうして急にそんなこと言い出すんだ?俺に渡して......その、怖くないのか?」

言い終わる前に、スマホの着信音が鳴り響いた。

絃葉がちらりと画面を見る。

予想通り、野々花だった。

凪杜は少し離れて電話に出る。

相手の言葉を聞いた瞬間、彼はすぐに立ち上がり、上着を掴んだ。

「落ち着け。子どもに影響が出るのはまずい。すぐ病院に連れていく」

慌ただしくドアへ向かい、ふと思い出したように振り返る。

「絃葉、円藤が腹痛で病院に行くって言うから、送ってくる」

絃葉はいつものように穏やかに答えた。

「いいよ。お腹の子が大事だもの、行ってあげて」

その一言に、凪杜は一瞬言葉に詰まる。

思わず弁解するように言った。

「彼女はシングルマザーで、子どももいて妊娠中だ。いろいろ不便だから......ちょっと手伝うだけだ」

そう言い残し、立ち去ろうとする。

「凪杜」

絃葉の声は静かだったが、背中に針のように刺さる。

「彼女、次々に子どもを産んでるのに......お子さんの父親って一体誰かしら」

その瞬間、凪杜の心臓が跳ねた。

足がぴたりと止まる。

振り返った彼の目には、隠しきれない動揺が浮かんでいた。

「......それは彼女のプライベートだ。上司として、踏み込みすぎるのはよくない」

絃葉はごく薄く笑う。

「そんな顔しないで。ただの雑談よ。大事な部下なんだし、気にかけるのも当然でしょ。ほら、早く行ってきて」

その言葉に救われたように、凪杜は急いで出て行った。

絃葉は窓辺に立ち、黒いポルシェが野々花を乗せてゆっくりと門を出ていくのを見送る。

ふと、胸にわずかな後悔がよぎる。

――何をしているんだろう。

もう離れると決めたのに、どうして最後の仮面を剥がそうとするのか。

大人の世界は、本来もっと暗黙でいいはずだ。

目が熱くなり、彼女は厚いカーテンに顔を埋めた。

肩が静かに震える。

その時、日野から電話が入った。

声には緊張が滲んでいる。

「お嬢様、検査結果が出ました......あまり良くありません」

絃葉の胸が沈む。

「どういうこと?」

「検体から、慢性的なヒ素中毒の反応が出ています。初期症状は、めまい、頭痛、嘔吐、下痢、吐き気などで......」

全身の血が一瞬で凍りついた。

「......何ですって?」

「お嬢様の状況はかなり危険です。今すぐお迎えに――」

絃葉は目を閉じ、すぐに開く。

指が白くなるほど握りしめられていた。

「いいえ。それよりすぐに解毒剤を手配して。帰るのは......今じゃない」

電話の向こうで数秒の沈黙。

「......承知しました」

通話が切れる。

絃葉の顔色は一気に青ざめた。

思い返す。

自分が貧血によるめまいや吐き気に悩まされ始めたのは――野々花が那乃葉を産んで復帰してから。

あの時、彼女は余った鉄剤と「妊活用サプリ」を渡してきた。

「これ、貧血にも効くし、妊娠にもいいよ」

そう言って、強く勧めてきた。

凪杜の両親からのプレッシャーもあり、焦っていた絃葉は藁にもすがる思いで、その日から服用を始めた。

その後も、野々花は何度もそれを持ってきた。

断続的に――3年間。

絃葉の視線が、ドレッサーの上の瓶に止まる。

それは、野々花が二人目を妊娠した時に渡してきた鉄剤だった。

彼女はそれを手に取り、無機質な瓶をゆっくりと回す。

そして、迷いなくバッグに入れた。

日野が解毒剤を持ってきた時、絃葉はその瓶を渡した。

そして三日後。

結果は、予想を裏付けた。

そのカプセルには、微量のヒ素が混入されていた。

長期間服用すれば、めまいや吐き気、失神を引き起こすのは当然だった。

もし彼女が元々薬嫌いで、適当にしか飲んでいなかったのでなければ、今頃、もう生きていなかったかもしれない。

野々花は、彼女を殺そうとしていたのだ。

背筋を冷たいものが駆け上がる。

指先が冷えきる。

だが、まだ間に合う。

日野の用意した解毒剤はよく効き、体内の毒はすぐに抜け、症状も消えた。

あと20日。

家の中の整理はほぼ終わった。

捨てるものは捨て、処分するものもすべて片付けた。

――次は、人だ。

あの鉄剤の瓶は捨てなかった。

そのまま野々花の部屋のベッドサイドに置き、同じものとすり替えた。

すべて終えると、絃葉は親友の細谷悠(ほそや ゆう)に電話をかける。

「悠、ちょっと会える?頼みたいことがあるの」

「えええ!?」

電話の向こうで大げさな声が上がる。

「絃葉、どうしたの!?旦那さんをほったらかして、やっと私と遊ぶ気になったの?!」

絃葉は思わず笑った。

「バカ言わないで。一時間後、いつもの場所でね」

電話を切る。

笑みは残っていたが、目は少しだけ滲んでいた。

――本当に、馬鹿だった。

「良き妻」になるために、何度も友人の誘いを断り、気づけば自分の世界は彼だけになっていた。

もう、そんなことはしない。

失ったものを、少しずつ取り戻していく。

焦らなくていい。

現実を見た今、残るのはただ別れだけ。

バッグを手に取り、彼女は家を出た。

かつてよく通ったカフェへ。

約束の時間より早く、悠が現れる。

栗色のショートヘアに、黒いキャミソールワンピース、サングラスをかけたその姿は相変わらず派手だった。

風のように駆け寄り、絃葉を強く抱きしめる。

「で、何頼みたいの?」

絃葉は唇をわずかに上げ、彼女の耳元で囁いた。

「一人用意して。凪杜を誘惑させたいの」

その瞬間、悠の目が大きく見開かれた。

「ちょっと待って......え?本気で言ってる?」

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