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第8話

Author: 芝崎聞
私の許可を得てから、和真はようやく前の椅子に腰を下ろした。

「璃央、静香がお前に送った動画のことは分かってる。あの時は少し酒が入っていて、避けきれなかっただけだ。だが今はもう、静香もあの子もまとめて追い出した……」

私は小さく遮った。

「要件だけ話して。手短にね。仕事がある」

和真は唇を噛み、言い淀みながらも視線を逸らさずに言った。

「……すまない、璃央」

すまない。

その四文字を聞いた瞬間、私の心臓が小さく跳ねた。

結婚して五年間、一度も聞いたことがなかった言葉。

ああ、和真も謝ることができるのか。

彼は伏し目がちに、真摯な声音で続けた。

「この数年、お前に辛い思いばかりさせた。だがお前が去って初めて気づいたんだ。お前がどれほど俺にとって大事だったか……もう一度やり直せないか?」

ペン先が止まり、私は視線を上げた。

和真は緊張で手のひらに汗をにじませ、私の答えを待っている。その必死さが余計に滑稽に見えた。

「何?和真は家政婦ひとり雇う金もないの?それとも、元妻を呼び戻して、またお茶くみでもさせたいわけ?」

和真の顔が一瞬で固まり、慌てて言葉を継いだ。

「違う!そんな意味じゃない、璃央……俺は本当にお前に幸せになってほしいんだ」

私は冷たく笑った。

「和真、人を敬うことを覚えてからにして。話はそれから」

彼がなおも何か言おうとしたその時、私の指示を受けたカオスがタイミングよく扉を開け、室内に入ってきた。

「和真さん、もうお帰りください。次回からは必ず社長の許可を得て、応接エリアでお待ちください。二度と勝手にオフィスへ押し入らないように」

その出来事から間もなく、私はジュエリーの晩餐会の招待状を受け取った。

人脈が商売人にとっていかに重要か、私はよく分かっている。

当日の夜、私は身支度を整え、金髪碧眼のイケメン秘書・カオスを伴って会場へ向かった。

だが思いもよらぬことに、そこで見知った顔と再会してしまう。

和真。

彼も私に気づき、グラスをそっと置いてこちらへ歩み寄ってきた。

反射的に背を向けて退こうとした、その時。

会場のライトが私を照らし、場内が静まり返った。

背後から和真の声が響いた。

振り返ると、彼は片膝をついていた。

指先で赤いボックスをゆっくり開いた。

「璃央……今、俺はみんなの前でお前への愛を
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