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第9話

Author: 芝崎聞
会場がざわつき、視線が一斉に私に注がれ、次の言葉を待っているのが痛いほど伝わってきた。

私は小さく息を吐き、静かに言った。

「ごめんなさい、受け取れないわ」

空気が一瞬で冷え込んだ。

隣にいたカオスが一歩前に出て、軽口を叩くように和真へグラスを掲げた。

「すみませんね、和真さん。社長にはもう同伴者がいますから。僕の立場を奪わないでくださいよ」

そう言うと、彼は私の手を取って、そのまま振り返りもせず歩き去った。

和真は慌てて会場を飛び出し、ついに外で私の手首を強く掴むと、抑えきれない感情をぶつけてきた。

「璃央、この五年間で……一度も俺に心を動かしたことはないのか?本当にそこまで冷たくできるのか?」

私は彼の手を振り払い、冷えた声で答えた。

「和真、勘違いしないで。もしあの時、あなたが彼に似ていなかったら、私が結婚なんてしたと思う?」

和真は思わず固まり、「似てる?誰に?」と問い返した。

私は鼻で笑った。

「あなたには関係ない」

そう言って私は助手席に滑り込み、ドアを乱暴に閉めた。

窓にしがみついた和真の瞳には深い傷つきが宿っていた。

「じゃあ……お前は俺のそばにいたのは、全部……別の男の影を追っていただけなのか……?」

私は無表情のまま窓を上げた。

カオスがアクセルを踏み込むと、車は夜の街を切り裂くように走り去った。

この一件のあと、私は長いあいだ和真の姿を見なかった。

そんなある朝、会社に向かうと、扉の前にどこか見覚えのある子どもが立っていた。

その子は私を見るなり瞳を輝かせ、駆け寄ってきて、抱きつこうと両手を伸ばした。

私はさりげなく後を下がった。

彼はその仕草に気づき、しょんぼりと腕を引っ込めた。

顔は真っ黒に汚れ、髪はぼさぼさ、服はしばらく替えていないようで、ズボンには穴まで空いている。

しばらく見つめて、ようやくその顔立ちから拓哉だと気づいた。

私は片眉を上げて言った。

「……ゴミ拾いでもしてきたの?」

もしこれが以前だったら、拓哉の性格なら間違いなくかんしゃくを起こして怒鳴り返しただろう。

だが今は、耳まで赤くし、気まずそうに俯いた。

「……ママに捨てられたんだ」

私は予想していたように頷いた。

静香が和真を怒らせたのだろう。自分の身すら危うい彼女に、息子を構う余裕などあるはずがない。

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