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第504話

Author: こふまる
雅子が市政府幹部に深々と頭を下げた。「実験用トラックに細工が施されていた件については、必ず徹底調査いたします。市政府との協力において、データ捏造や偽装承認などの行為は絶対に行いません」

雅子が珍しく建前の言葉を口にしながら、夕月に視線を向ける。その瞳に笑みが浮かんでいた。「夕月さん、本当に大きなサプライズをありがとう」

雅子の口では表面的なお世辞を並べていたが、内心は憤怒で煮えくり返っていた。

部下たちの虚偽工作について、夕月は恐らく以前から把握していたのだろう。これだけ多くの人々が見守る場で、あらゆる嘘を公然と叩き潰すタイミングを待っていたのだ。もはや雅子に庇い立てする余地はなく、事態の展開は完全に彼女の制御を離れていた。

公衆の面前での捏造事件暴露により、雅子は完全に後手に回ってしまった。

量子科学は本来彼女のものだった。社内の人間も大部分が彼女の息のかかった者たちだ。この連中が上を欺き下を瞞いたのは、大部分が彼女の責任でもある。

そう考えると、雅子の表情がますます険悪になっていく。

両手を固く握りしめながら、心の中で毒づいた。

この無能な愚か者どもめ!

市政府幹部と夕月の会話の断片が、雅子の耳に容赦なく飛び込んでくる。

「……徹底調査……」

「……責任追及……」

断片的な言葉を拾うたびに、雅子の背筋に寒気が走った。

夕月の視線が雅子に注がれる。

「楼座社長、徹底的に調査すべきだと思いませんか?」

公衆の面前で態度表明を迫られた雅子は、顔に作り笑いを浮かべた。「部下の不正は当然徹底調査すべきよ。夕月さん、あなたの能力は信頼してるわ。ただ……残された時間はもうあまりないけれど」

夕月が淡々と答える。「センサー購入の承認文書に関わった人間を、全員洗い出します」

そう言いながら、彼女の視線が綾子と量子科学の他の管理職たちの顔を順番に舐めるように見つめた。

「私の下で働きたくない人は、今すぐ辞めてもらって構わないわ。でも汚名返上したいなら、三ヶ月でプロジェクトを完成させなさい。その時は、相応の報酬を渡すから」

夕月の瞳が綾子に釘付けになった。「安井顧問、今回の件であなたがどんな役割を果たして、どんな立場にいたか、自分が一番よく分かってるでしょ。今すぐ答えて——辞めるの、残るの?」

綾子の胸が苦しくなった。周囲から刺すような視線が彼
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Comments (1)
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良香
何故不正をしながら、これほど傲慢でいられるのか。誰かをスケープゴートにして、利益だけ貪るクズどもが。 あと、綾子。橘グループに入ったとて、地獄かもしれんぞ。
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