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第53話

Author: こふまる
ヘルメットの下で楓の顔が青ざめていたが、誰の目にも届かない。

幸い、発進したばかりで速度は出ていなかった。

悠斗はガソリンタンクに体を打ち付け、ヘルメットがメーターパネルに当たった。

「うっ!ゲホッ、ゲホッ!」

胸を強く打った悠斗は、激しく咳き込んだ。

「悠斗!ちゃんと掴まって!しっかり座るのよ!」

楓は悠斗が無事なのを確認し、密かに胸を撫で下ろした。

彼女は悠斗の服の背中を掴んで持ち上げ、正しい姿勢に座り直させた。

「大丈夫だよ!」

悠斗は頭を上げ、ヘルメットを直しながら、夕月と美優に聞こえるように大声で叫んだ。

「もう!何てドライバーよ!」

楓が文句を言う中、さっきぶつかりそうになった車も停車していた。

運転手はハンドルを握りしめたまま、窓越しに怒鳴った。「逆走してんじゃねーよ!」

「子供乗せてるの見えないの?てめぇ!」

相手の運転手は呆れた様子で、「カスタムバイクで子供を乗せるなんて、命知らずもいいとこだな!」

楓は中指を立てて相手を挑発した。

悠斗も楓の真似をして、運転手に向かって中指を立てた。

へこんだガードレールから苦労してバイクを引き出した楓は、壊れたヘッドライトを見て腹が立った。

夕月の惨めな姿を見に来たのに、逆に恥を掻かされた形だ。

運転手との言い争いに気が進まなくなった楓は、すぐさまエンジンを吹かし、その場を走り去った。

二人の姿が見えなくなると、夕月の高鳴っていた鼓動も次第に落ち着いていった。

「美優、上に戻って片付けを続けましょう」

これからは、悠斗に何が起ころうと、自分には関係のないこと——

悠斗が楓に懐く姿を見て、夕月は最悪の事態を覚悟していた。

この間、夕月は美優とホテル暮らしを続けていた。

部屋探しは、賃貸であっても簡単な話ではなかった。

立地、間取り、住人の質、すべてを考慮に入れなければならない。

夕月はようやく見つけた小さな物件を、美優の将来の通学を考えて、購入しようと決めた。

桜都証券のアプリにログインすると、約16億円の資産が凍結されているではないか。

赤井が夕月からの電話を受けた途端、切り出した。

「藤宮さん、私も今朝方連絡を受けたところです。内部者取引の疑いで告発があり、証券取引所が16億円ほどの資金を凍結したとのことです。

この資金は橘社長からの送金ですから、
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Comments (1)
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千恵
赤井は、涼が紹介してくれたんだよね?? 優秀じゃないな 赤井は。
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