LOGIN蓮がここへ戻ってきたのは、確かめたいことがあったからかもしれない。この二年、どこで間違えたのか。それを知りたかった。宗介も、今回のことをすべて知っていたわけではなかった。琴子が人に頼んで、凛と蓮の相性を見てもらったことは知っていた。ただ、それ自体は別におかしいとは思っていなかった。佐原家では昔から、そういう縁起や日取りを気にしていた。結婚のような大事なことはもちろん、仕事でも契約の日を選ぶことがあるくらいだった。琴子から聞かされていたのは、凛と蓮はあまり相性がよくなく、一緒になれば苦労するかもしれないという話だけだった。それに、二人が一緒になれば、蓮のほうが我慢することが多くなるとも言われたらしい。琴子は、それが気に入らなかった。息子ばかりが気を遣うような関係など、母親として納得できるはずもない。できることなら、蓮のほうが大事にされてほしいと思っていた。そのことで琴子が家で何度も不満をこぼしていても、宗介は特に口を出さなかった。もともと、息子の恋愛にまで細かく口を挟むほうではなかった。蓮は昔から明るく、多少好き勝手にするところはあったが、家族を困らせるようなことはほとんどなかった。この二年は琴子とぶつかっていたものの、仕事は順調だった。宗介も会食の席で蓮の会社を褒められることが増え、息子がうまくやっていることを内心では喜んでいた。琴子とのことも、宗介が何度か電話をかけて様子を聞いた程度だった。そのたびに蓮は、放っておいてくれ、ちゃんと分かっているからと答え、宗介がなおも話を続けようとすると電話を切った。夫婦が、いざとなれば金を止めればいいと思い始めた頃には、蓮はもう親に頼らずやっていけるようになっていた。仮に困ることがあっても、蓮には湊という頼れる相手もいた。今となっては、金のことで蓮に言うことを聞かせるのも無理だった。宗介は眉をひそめた。「何があったにしても、もう少し落ち着いて話せないのか。母さんだって、お前のためを思ってやったことだろう。少しくらい家族の気持ちも考えてやれ」目を赤くした蓮は、宗介をまっすぐ見た。「無理だよ。あんなことまでしておいて、それでも母さんの気持ちを分かれって言われても、俺には納得できない。俺は今でも凛が好きだ。凛に好きになってもらうまで、あれだけ時間がかか
蓮が家に顔を見せるのは、ずいぶん久しぶりだった。リビングにいた琴子は、入ってきた蓮を見るなり勢いよく立ち上がった。「蓮、やっと帰ってきたのね!もうお母さんのことなんて忘れたのかと思ったわよ!」琴子はこれまで、これといって苦労をしたことがなかった。蓮も以前は、母は少し世間知らずで、何でもいいほうに考える人なのだと思っていた。だから、まさか凛にあそこまでしていたとは思いもしなかった。琴子が手を伸ばしてきたが、蓮はさりげなく身を引いた。ちょうどそこへ、書斎から浩介と宗介が出てきた。宗介はリビングにいる蓮を見るなり、眉をひそめた。「やっと帰ってきたか。まったく、いつまで家を空けるつもりだったんだ。外のほうがそんなに居心地いいのか?」浩介は蓮を一瞥すると、すぐに玉希へ目をやった。何があった、と問いかけるような視線に、玉希は小さく首を振った。先日の食事では、蓮はもう家には戻らないと言い切っていた。それが突然帰ってきたのだから、何かあったと思うのも無理はなかった。玉希も気が気ではなかった。二階へ上がってしまおうかとも思ったが、このまま離れるのも心配で、結局その場に残った。蓮はそんな二人には構わず、琴子へ向き直った。「母さん。何年か前、凛の家族に金を渡したこと、あるよな?」琴子の表情が一瞬だけこわばったが、すぐに口元を歪めた。「文太さんが何度もうちに来たのよ。来るたびに、結婚はいつだ、式はいつだって、そればっかり。しまいには結納金の話まで持ち出してきたの。まだ何も決まってないうちからお金の話なんて、普通じゃないでしょう?あの家、みんなお金のことしか頭にないのよ。あなたとは合わないわ」「凛が家族とうまくいってないの、知ってただろ。それなのに、なんであの人に金を渡した?金を渡しただけならまだしも、そのことを持ち出して凛まで傷つける必要があったのか?」琴子は鼻で笑った。「あなたには分からないでしょうけど、あの子がどこまで本気なのか見ておきたかっただけよ。だいたい、実の親とあそこまでこじれるなんて、普通じゃないでしょう。向こうにだけ問題があるとも思えないし。そんな状態で結婚したって、うちとうまくやっていけるとは思えなかったのよ」蓮は疲れ切った顔で琴子を見た。「じゃあ、なんで凛にあんなものまで浴びせた
凛は、驚くほど落ち着いていた。表情にも声にもほとんど変化はなく、その静けさがかえって蓮にはつらかった。胸の奥が締めつけられ、息をするのも苦しくなった。凛はそのまま続けた。「私もちゃんと考えたの。二年前、何も言わずに離れたことは悪かったと思ってる。でも、この二年どうだったかは、あなたも分かってるでしょ。これから先、あなたに合う人が現れたら、その人と幸せになって。もう、そっとしておいて。私、疲れたの」」声は落ち着いていたが、暗い車内で凛の肩はかすかに震えていた。遥たちにさえ話したことのないことを、ここまで口にするだけで精いっぱいだった。蓮は何か言おうとしたが、しばらく声が出なかった。「凛……本当に、もうやり直せないのか?」「振り返っても、思い出すのはつらかったことばかり。もう戻りたくないの」蓮はしばらく目を閉じたまま動かなかった。凛もそれ以上は何も言わず、静かにドアへ手を伸ばした。「小切手、琴子さんに渡しておいてくれる?真理が迎えに来てるから、二人もそろそろ帰ってね」そう言って車を降りると、向かい側でハザードランプを点けていた車へ足早に向かった。立ち止まれば振り返ってしまいそうだったし、少しでも歩みを緩めれば、こぼれそうな涙まで蓮に見られそうだった。凛はそのまま足早に歩き続けた。けれど涙は堪えきれず、頬を伝って雨に紛れ、路面へ落ちていった。車に乗り込むと、凛はそのまま目を閉じた。「どこでもいい。とにかく早く出して」真理は何も聞かなかった。向かいの車に蓮が乗っていることにも気づいていたし、二人の間に何かあったことくらいは察していた。そのまま車を出し、すぐにその場を離れた。「うち来る?」真理は、このまま凛を一人で帰すつもりはなさそうだった。「大丈夫。美月のこともあるでしょ?次の交差点で降ろして。家まで歩くから」そこから凛の家までは、歩いて帰れる距離だった。「こんな雨の中、歩いて帰るつもり?うち来なよ。美月と少し遊んでたら、気も紛れるかもしれないし」美月のふっくらした頬を思い浮かべると、凛の表情が少しだけ和らいだ。凛はその言葉に甘えることにして、シートに身を預けた。バックミラー越しの凛の顔は、まだ少し疲れて見えた。「今日、蓮さんのところに行ってたの?」「
「このお金、ずっと返せないままだったの。琴子さんに返しておいて」凛は小切手を差し出した。「返すのはこれだけ。もしそのあとも父にお金を渡してたなら、それはもう琴子さんと父の間の話だから。そこまでは知らない」この一枚だけは、どうしても返しておきたかった。琴子に、凛と蓮の手切れ金だと言われた金だった。そんなものとして受け入れるつもりはなかった。差し出された小切手を、蓮は受け取ろうとしなかった。玉希がその小切手に目を落とし、凛を見た。「さっき言ってた、母に『縁起が悪い』って言われた話……あれ、どういうこと?」「前に一度、琴子さんに誕生日を聞かれたんです。何時ごろ生まれたのかまで聞かれて、それから二日後くらいに、有名な人に見てもらったって言われました。蓮とは相性が悪いって。それに、前世からよくないものを背負ってるから、結婚したら蓮まで不幸になるって」凛はかすかに苦笑した。「そんなの信じられないって断ったんです。そしたら次に会った時、『お祓いだから』って、いきなり動物の血を頭からかけられて……」血をかけたあと、琴子は手を叩きながら声を上げて笑った。周りにいた女性たちまで一緒になって笑い、凛を見る目にも露骨な蔑みが浮かんでいた。あの日、どうやって家まで帰ったのかは、ほとんど覚えていなかった。ただ、体に染みついた生臭い匂いがなかなか取れず、何度も体を洗ったことだけは覚えていた。それで終わったわけでもなかった。後日、琴子から電話があり、凛がきちんと協力しなかったせいでお祓いがうまくいかなかったから、もう一度やり直すと言われた。話を聞き終える頃には、玉希は目を見開いたまま何も言えず、蓮も黙り込んでいた。これだけのことがあったのに、凛は蓮に一つも話していなかった。蓮の手が、かすかに震えていた。「どうして……俺に何も言わなかったんだ?」「お母さんが、あなたは全部知ってるって言ったの。あなたに黙って、こんなことをするわけがないって」凛は小さく息を吐いた。「そこまで言われたら、もうあなたに聞こうとも思わなかった。本当に疲れてたの。もう何もかも嫌になってた。あの頃は、もしかしたらお母さんの言う通り、私たちは合わなかったのかもしれないって。結婚しても、きっとうまくいかないんだって思ってた」凛が望んでいた
凛が話したことは、蓮も玉希もまったく知らなかった。琴子も家では、その話を一度もしていなかった。口にしていたのは、凛は気が強くてわがままだとか、我が強すぎて結婚には向かないとか、蓮とは合わないとか、そんな話ばかりだった。何度も聞かされるうちに、蓮もすっかり聞き飽きていた。最初の頃はそのたびに言い返し、凛はそんな人じゃないと何度も言った。それでも琴子は受け入れず、家事を蓮のほうが多くやっていたのも気に入らなかった。今では蓮がほとんど家に帰らなくなり、琴子はますます腹を立てていた。凛が東都を離れていた二年間、夜が更けると、どうしてあんなに簡単に離れていけたのかと、凛を責めたくなることが何度もあった。蓮には、二人が別れるほどのことがあったとは思えなかった。琴子と凛がぶつかった時も、蓮はいつも凛の側に立っていた。琴子をかばったのは一度だけだった。琴子が体調を崩して退院したばかりだったため、その時くらいは凛に少し譲ってもらえればと思ったにすぎなかった。それなのに、凛は振り返りもせず去っていった。二年以上一緒にいた時間まで、凛にとっては簡単に捨てられるものだったのか。蓮は何度もそう考えた。アメリカまで会いに行った時も、凛を諦めきれない一方で、どうしてここまで冷たくできるのかと、腹が立つこともあった。帰国してからずいぶん経っても、凛のほうから会いに来ることは一度もなく、蓮にはそれが余計に冷たく感じられた。けれど今、凛の口から初めて事情を聞かされ、蓮の瞳がわずかに揺れた。その反応を見て、凛は頬に残った涙を拭った。この話をしたくなかったのは、文太や恭子のことまで話さなければならなかったからでもあった。二人のことで、凛はこれまで何度も恥ずかしい思いをしてきた。琴子と最後に会った時、凛は初めて、文太が金を受け取っていたことを知らされた。しかもその代わりに、凛と蓮をきっぱり別れさせると文太が約束したことまで聞かされた。あまりにも信じられず、凛は家に戻るとすぐ文太を問い詰めた。ところが文太は少しも悪びれず、佐原家からの結納金だと思えばいいと答え、まともに取り合おうともしなかった。それでも何度も問い詰めて、ようやく金の行き先が分かった。文太は、その金を穆の事業に回していた。穆にはまだ立て直す見込みがあると考え、そのた
玉希は、蓮に聞かせるつもりでわざとその話を出していた。今のままでは、蓮がどれだけ凛のことを思っていても、その気持ちは伝わりそうになかった。何をしても何も言わず、肝心なことほど口にしなかった。そんな蓮を見ていると、玉希はもどかしくて仕方なかった。凛は思わず蓮に目を向けた。蓮はハンドルを握り、まっすぐ前を見ていた。長い睫毛が目元に影を落とし、横顔は相変わらず整っていた。凛は少し眉を寄せた。「『ドルフィン2』のために作ったの?あのチップ」「ああ」「じゃあ、もしうちがS2に声をかけなかったら?」蓮は小さく笑った。「相沢グループなら、新しいチップが出れば当然チェックするだろ。俺のも、そのうち目に入ると思ってた。もし見つけてもらえなくても、こっちから知らせる方法はいくらでもあったしな」蓮が開発したチップは、最初から「ドルフィン2」に合わせて作られたものだった。市場にもっと性能のいいものがあったとしても、「ドルフィン2」との相性まで含めれば、簡単に代わりが見つかるものではなかった。凛は思わず蓮を見た。そこまでしていたとは、知らなかった。「もし、もっといいものが見つかったら?S2とは組まなかったかもしれないでしょ」「それはない」蓮は迷いなく言った。「そっちがこれまで出した家事ロボットは全部調べた。データも何晩もかけて一つずつ見比べた。性能だけなら上はあるかもしれない。でも、そっちの製品にここまで合うチップはない」あまりにも当然のように言われて、凛は返す言葉を失った。「……どうして今まで言わなかったの?」蓮はちらりと凛を見たあと、また前を向いた。「言ったところで、嫌がると思った。仕事にまで俺とのことを持ち込まれるの、好きじゃなかっただろ」蓮もそれは分かっていた。それでも、何かきっかけを作らなければ、凛ともう一度関わることさえできなかった。隣で運転する蓮は、以前よりずいぶん痩せていた。頬も少しこけ、横顔の線まで前より鋭く見えた。それ以上見ていられず、凛は窓の外へ顔を向けた。目の奥が熱くなり、にじんだ涙を指先でそっと拭った。少し掠れた声で、凛は口を開いた。「二年前、あなたのお母さんが私のところに来たの。私には悪いものがついてるとか、前世からの因縁があるとか言って、お祓いまで受けさせ







