Share

第3話

Penulis: キラキラ猫
タクシーで帰宅した遥は、音を立てないよう忍び足で身支度を済ませ、母と結衣が眠る寝室を覗いた。

母が眉を寄せ、寝息のような小声で囁く。

「こんなに遅かったの?お腹空いてない?ご飯でも作ろうか?」

そう言って起き上がろうとする母を遥は慌てて制した。

「もう食べたから大丈夫。寝てて」

母が再び布団に入ったのを確認して、遥は息をついた。

遥の仕事の邪魔にならないよう、母は普段から結衣と同じ部屋で寝ている。

立花家が破産した後、遥は母と娘を連れて、会社から少し離れた場所にある築古の団地に移り住んでいた。

遥はキッチンの電気もつけず、薄暗がりの中でカップ麺にお湯を注ぎ、スマホの画面を眺めた。

社内掲示板は、例外なく「九条湊」の話題で持ちきりだった。

遥のスマホの画面も、湊の情報で埋め尽くされている。

突然の新任社長、しかもあれだけのイケメンだ。

掲示板には社員たちが隠し撮りした湊の写真が溢れていた。

湊の経歴も詳しく掘り起こされていたが、どれもこれも輝かしいものばかりだ。

遥の目は、ある一文に釘付けになった。

【大学時代は苦学生として働き、卒業後は家族の支援を一切受けずに会社を設立。アジア最年少で富豪ランキング入りを果たし、九条グループ唯一の正統後継者となる……】

苦学生?

あの数年間、遥は彼を貧乏人だと思い込み、彼のプライドを傷つけないよう必死に気を使い、お金を渡す時でさえ彼が傷つかないよう注意を払っていたというのに。

あれは全部、大財閥の御曹司による「お遊び」だったのだ。

遥はかつて湊が言い放った言葉を思い出した。

「俺にとって、立花なんてどうでもいい存在だ」

確かにそうだった。

昔から、二人は住む世界が違っていたのだ。

彼は孤高で成績がいい、帝都大学に首席で合格したエリートだ。

彼女はわがままで、勉強も嫌い。定員拡大で辛うじて滑り込んだ芸術学部の落ちこぼれだ。

今も昔も、何も変わらなかった。

同じ会社の上司と部下という関係であっても、湊は雲の上の存在であり、彼女のような平社員には決して手の届かない存在だ。

心臓に鈍い痛みが走る。

カップ麺の湯気が立ち上り、彼女の視界を白く曇らせた。

遥は掲示板を閉じ、麺を大口で啜り込んだ。

翌日。

健太が社内チャットで、残業に関する新たな通達を発表した。

深夜0時以降の残業は原則禁止となり、そして深夜残業代はカットされることになった。

深夜まで残る社員は少ないため、影響を受ける者はほとんどいない。

だが、遥の顔色は優れなかった。

隣の席の同僚、秋山楓(あきやま かえで)が小声で話しかけてくる。

「遥ちゃん、これじゃあお給料、だいぶ減っちゃうんじゃない?」

楓は、遥の状況を知る数少ない存在だ。

最初は遥のことを、若いくせにガツガツ働いて点数稼ぎをしているのだと誤解していたが、事情を知ってからは同情的だった。

遥の給料は、二人分の薬代、家賃、生活費、そして借金の返済に消え、手元にはほとんど残らない。

深夜残業代は、彼女にとって貴重な収入源だったのだ。

それがなくなれば、遥は収入の一部を失うことになる。

楓は遥の肩を突っついた。

「思い切って社長に相談してみたら?事情を話して頼めば、今月だけでも見逃してくれるかもしれないよ?」

湊に頼む?

何と言えばいい?

たかだか数万円の残業代のために生活が苦しいんです、お願いしますと、彼に頭を下げろというのか?

たとえ湊が聞いてくれたとしても、遥自身のプライドがそれを許せない。

遥はため息をついた。

「ううん、大丈夫です。何かバイトでも探します。

それに、早く帰って娘といられる時間が増えると思えば、それも悪くないですし」

娘の話になり、楓の声が弾んだ。

「そういえば、うちの子がサイズアウトした服があるんだけど、結衣ちゃんにいらないかな?

一度しか袖を通していないものもあるし、もしよければ……」

以前の「立花お嬢様」なら、古着など見向きもしなかっただろう。

だが今は違う。彼女自身が着ている服さえ、破産前に買ったものだ。新しい服を買う余裕などどこにもない。

遥は笑顔で答えた。

「ありがとうございます、楓さん、子供服はお古のほうが生地も柔らかくていいって言いますし、嬉しいです」

楓の実家は裕福で、ポルシェで通勤しているようなお嬢様だ。

彼女が「一度しか袖を通していないもの」と言うなら、間違いなくハイブランドの新品同様だろう。

持ち帰って洗濯すれば、結衣にいい服を着せてあげられる。

楓は遥が素直に受け取ったことに安堵したようだった。

恩着せがましくなるのを恐れていたが、新品を買って気を遣わせるより、これなら角も立たない。

同じ会社にいる以上、湊との接触を避けたくても、避けられない時がある。

昨夜の睡眠不足を引きずりながら、遥がコーヒーを淹れようと給湯室に入ると、そこには圧倒的な威圧感を放つ男が立っていた。

給湯室は決して狭くはない。だが、湊の長身と鍛え上げられた肉体が発するプレッシャーが、空間の酸素を奪っているかのような錯覚を覚えさせた。

今さら引き返すわけにもいかず、遥は覚悟を決めて視線を伏せた。

「社長、おはようございます」

「ああ」

湊の視線が淡々と遥を掠めたが、それ以上話そうとする気配はない。

かといって、立ち去る気配もない。

遥は手早くアイスコーヒーを作り、逃げるように給湯室を出ようとした。

その背に、湊の冷たい声が投げかけられた。

「企画書の修正は終わったのか?」

遥はカップを持つ指に力を込め、一歩後ずさりした。

「はい、終わりました。後ほどお持ちします」

その怯えようは、まるで湊が猛獣か何かであるかのようだ。

湊は冷たく言い放った。

「必要ない。メールで送れ。

仕事以外で、君と関わるつもりはない」

その声は、氷のように冷徹だった。

彼は重心を後ろにかけて立ち、長い脚をラフに伸ばし、ポケットに手を突っ込んでいる。

その気だるげな姿でさえ、まるで絵画のようだ。

遥の視線は無意識に、彼の足元から上へと移っていった。

仕立ての良いスラックスに、一目で高級ブランドとわかるベルトだ。

その姿は、ため息が出るほど洗練されていた。

実家が破産したとはいえ、遥の目は肥えている。

彼が身に纏うものの総額が、数百万円は下らないことぐらい一目瞭然だった。

ふと、彼女の視線が無意識のうちに、そのベルトの下あたりに留まってしまった……

無視できないほどの存在感だ。

一瞬見ただけで頬がカッと熱くなり、彼女は慌てて視線を逸らした。

付き合っていた頃、二人は若さに任せて貪り合い、あらゆるプレイを試した。

結衣ができたのも、そんな無茶がたたった結果の、予期せぬ妊娠だった。

だが授かった以上、それは天からの贈り物だ。

あの子は大切に育てていくと決めている。

さらに視線を上げると、湊の首筋に赤い痕が残っているのが目に入った。

それがどういう状況でつけられたものなのか、大人なら誰でもわかる。

以前の湊は、人に見られるのを嫌がり、首にキスマークをつけるのを嫌がっていたはずだ。

それなのに今は、堂々とそんなものを会社で見せびらかしているのか。

それもそうだ。

湊のような男なら、女に不自由することなどないだろう。

学生時代ですらそうだったのだ。ましてや今、大財閥の御曹司という肩書きまで手に入れた彼に、言い寄る女は後を絶たないだろう。

遥は心の中でため息をついた。

湊が関わりたくないと言うなら、それは彼女にとっても好都合だ。

胸の奥に走る棘のような痛みを押し殺し、遥は努めて明るく笑ってみせた。

「良かったです。私も同じ考えですので。

仕事以外で、社長と関わるつもりはありません」

Lanjutkan membaca buku ini secara gratis
Pindai kode untuk mengunduh Aplikasi
Komen (1)
goodnovel comment avatar
関山麻美子
500話以上読んでいます
LIHAT SEMUA KOMENTAR

Bab terbaru

  • 再会した元カレ上司は、私の愛娘の父親でした   第968話

    「それ、私を脅してるの?」琴子は信じられないような顔で蓮を見た。「一生結婚しないって言うなら勝手にすればいい。でも、あの子と結婚するのだけは絶対に認めないわ!」さっきの披露宴でも、凛は琴子に少しも遠慮していなかった。あれだけ気の強い娘が嫁に来たら、この先も何かと面倒が増えそうだった。琴子には、どうしても凛を受け入れる気になれなかった。それに、蓮が琴子にこんな口を利くことも、昔はほとんどなかった。これも凛の影響に違いない。琴子はそう決めつけていた。蓮はしばらく琴子を見つめてから、静かに口を開いた。「俺が言ってるのはそこじゃない。凛が俺と付き合ってたってだけで、母さんがあいつにあんな言い方したことを言ってるんだ」琴子にとって、蓮の結婚相手は自分が認められる女性でなければならなかった。相手がどう思うかより、自分が気に入るかどうかのほうが大事だった。そして凛だけは、どうしても気に入らなかった。蓮が一生結婚しないと言ったことも、琴子は本気にはしていなかった。今はまだ凛に夢中になっているだけで、あと数年もすれば考えも変わる。その頃には、きっと凛のことだって忘れている。凛のために一生独身を貫くなんて、そんなことが本当にできるはずがない。琴子はそう思い込んでいた。蓮は、これ以上何を言っても無駄だと思うと、急にどっと疲れが出た。披露宴で凛に向けられたあの冷たい視線を思い出すと、胸の奥がまた鈍く痛んだ。琴子にも、自分にも腹が立った。それでも凛には、少しくらい自分の言い分を聞いてほしかった。それなのに凛は、最初からいつか別れることまで考えていたのではないか。そんなことまで思ってしまった。別れたばかりなのに、もう別の男と連絡を取ろうとしていた。自分のことなんて、もうどうでもいいのではないか。そんなふうにさえ思えた。息苦しくなり、喉の奥にかすかに血の味がした。蓮はネクタイを緩め、大きく息を吐いた。……「本当に行っちゃうの?」「àl'aube」の本社で、遥は凛から差し出された退職届を見つめ、寂しそうな顔をした。けれど、凛が昔から向上心が強く、やりたいことには迷わず挑戦してきたこともよく知っていた。「うん。先生からも何度も連絡をもらってたし、今度こそ向こうで勉強を続けるって決めたの

  • 再会した元カレ上司は、私の愛娘の父親でした   第967話

    相沢グループがここまで成長してきたことなら、遥たちが誰よりもよく知っていた。琴子の言葉などまともに取り合う気にもならず、遥は笑って流した。ただ、あそこまで言われれば、凛も黙ってはいられなかったのだろうと、遥には分かっていた。蓮は険しい表情のまま席を立つと、琴子のいるテーブルへ大股で向かった。凛は気にした様子もなく、手元のカップに口をつけていた。遥は声を潜めた。「海外に行くこと、蓮さんにはまだ言ってないの?」「遥は?あの時、海外に行くって湊さんに言った?」遥は一瞬言葉に詰まった。もちろん、言っていなかった。あの頃は海外で医師を探すことで頭がいっぱいだったし、湊とはもう別れていた。よりを戻すつもりもなかったのだから、わざわざ自分の予定を知らせようとも思わなかった。凛もきっと同じだったのだろう。ここまで迷いなく準備を進めていたのなら、蓮への気持ちにも、もう区切りをつけていたようだった。蓮は琴子のところまで行くと、その腕をつかんで連れ出そうとした。けれど琴子は椅子に座ったまま、すぐには立とうとしなかった。「あの子があなたに言いつけたんでしょ?やっぱりそうだったのね!」「真理から聞いた」琴子は言葉に詰まった。今度は真理にまで腹が立ってきたらしい。九条家と佐原家は親戚同士なのに、真理はいつも他人の肩ばかり持っていた。こんな時くらい自分たちの味方をしてくれてもいいのに、と琴子は腹を立てた。蓮は冷えた声で言った。「まだここで揉めるつもりなら、俺は別に構わないけど」その表情を見て、琴子もさすがに蓮を怒らせたと気づいた。これ以上ここで騒ぐのはまずいと思ったのか、ようやく席を立った。「喧嘩なんてする気ないわよ。一週間も顔を見てないのに、会って早々そんな言い方するの?ここにいたくないなら、もう帰りましょ」蓮は琴子をちらりと見ただけで、先に歩き出した。琴子も慌ててそのあとを追い、二人はそのままホテルを出ていった。同じテーブルにいた美和は、呆れたように首を振った。「あの人、本当に誰のことも気に入らないのね。しっかりした子は気に入らない、そうじゃない子も駄目。あれじゃ、子供たちだって結婚できないわよ」「ほんとよね」美和が凛を気に入っていたのも確かだった。けれど、それ以上に腹

  • 再会した元カレ上司は、私の愛娘の父親でした   第966話

    本当に、今夜は何もできそうになかった。真理は妊娠したばかりで、まだ安定期にも入っていなかった。朝からあれだけ式の予定をこなしてきただけでも十分大変だったのだから、誠もこれ以上無理をさせる気はなかった。誠のそんな言い方に、真理は耳まで赤くなった。入籍した日の夜も、誠はその日が二人の初夜だと言い張り、少し羽目を外しすぎた。そのせいで、あとが大変だった。あの時、真理は結婚式を挙げた夜こそ自分にとっての初夜だと言ったのだが、誠はそれなら両方とも初夜でいいと平然と言ってのけた。初夜が二回あるなんて、そんな理屈を堂々と言えるのも誠くらいのものだった。真理はまだ披露宴の料理をほとんど口にしていなかった。着替えを済ませて会場へ戻ると、遥たちも真理を待っていたらしく、テーブルの料理にはほとんど手をつけていなかった。席はあらかじめ決めてあったはずなのに、戻ってみると、凛と蓮の間が二人分ぽっかり空いていた。真理は首をかしげた。「あれ?私たち、ここだっけ?」蓮は口元を引き結んだまま、顔色も冴えなかった。凛は平然と答えた。「私が席を替えたの。二人はここでいいよ」もう蓮とは必要以上に関わらない。そんな凛の意思が、態度にもはっきり表れていた。実は凛は、すでに海外へ行く航空券を取っていた。学生の頃、先生からはそのまま現地に残って、さらに勉強を続けないかと声をかけられていた。けれど当時は湊の件もあり、相沢家から帰国するよう強く言われ、途中で学業を中断していた。今度こそ、途中になっていた勉強をやり直すつもりだった。遥にはもう話してあり、会社のことも任せることになっていた。数年かけて、もう一度じっくり勉強に向き合い、自分を磨きたいと思っていた。もともと、いつかやりたいと思っていたことの一つだった。ただ、蓮と付き合っていた間は、離れることにどうしても迷いがあった。けれど今は、もうその迷いもなかった。出発日も決まり、向こうでの準備もほとんど整っていた。この予定を知っていたのは、遥たちほんの数人だけだった。真理は席につくと、何気ない調子で言った。「さっき千田さん、息子さんを紹介したいって言ってたでしょ?気が合いそうなら、一度会ってみてもいいんじゃない?」「まあ、縁があればね。何か月かしたら考えるわ」今の

  • 再会した元カレ上司は、私の愛娘の父親でした   第965話

    その日の真理は薄化粧で、笑うとぱっと表情が明るくなり、いっそう可愛らしく見えた。美和も思わず目を輝かせた。美和はもともと、見た目がきれいで、さっぱりした性格の若い女性が好きだった。ひとしきり笑った真理は、凛や紗月、それに新郎側の二人と一緒にその場を離れた。ところが歩き出してすぐ、背後で琴子が鼻を鳴らすのが聞こえた。美和は聞こえなかったことにして、楽しそうに息子へボイスメッセージを送り、せっかくのチャンスなんだから絶対に逃さないようにと念を押していた。真理は凛の手を握ったまま、笑いをこらえるのに必死だった。「千田さんってほんと面白いわね。琴子さん、すっかり機嫌悪くなってたじゃない」「別に怒らせたかったわけじゃないわ。今まで黙ってたのは、蓮さんのことを考えてただけよ」普段の凛は、蓮本人にだって言いたいことは遠慮なく言っていた。琴子に何も言わずにいたのは、年長者だったことに加え、最初は穏やかで品のある人に見えたからだった。けれど、もう蓮とは別れていた。今さら琴子に遠慮する理由もなかった。真理はまだ笑いをこらえながら言った。「結婚式って、こんなに楽しいものなのね。これなら、何回か結婚してみたくなるかも」隣にいた誠が、にこりと笑った。けれど、その目は少しも笑っていなかった。「へえ。じゃあ次は誰と結婚するつもりだ?」「誠さんがもう少し年取ったら、今度はもっと若くて格好いい人にしようかな」「そうか」誠はそれだけ返した。新郎側の二人は、どちらも現役の軍人だった。ちょうど休暇が取れたため、今回の式に参加していた。二人には、誠の笑顔を見ただけで機嫌を損ねたのが分かったらしい。一人がそっと一歩後ろへ下がった。「真理さん、俺ちょっと用事を思い出したんで、先に失礼します」それを見て、もう一人もすぐに口を開いた。「俺も失礼します。凛さん、紗月さん、行きましょう」四人は逃げるようにその場を離れ、気づけば部屋に残っていたのは誠と真理だけだった。真理は、背後からじっと見られているような気配を感じた。そっと振り返ると、誠が黙ってこちらを見つめていた。真理はごまかすように笑った。「あはは……今のなし。冗談だから、冗談」「真理、俺が年上なのがそんなに嫌か?」誠は一見おおらかな男だったが、こう

  • 再会した元カレ上司は、私の愛娘の父親でした   第964話

    琴子はこれまで、凛のような娘に会ったことがなかった。若い娘なら、ひと目見ればだいたい何を考えているか分かるものだと、琴子はずっと思っていた。佐原家の力を借りて、仕事でも立場でも有利になりたい――結局はそれだけで、凛も同じだと思い込んでいた。同じ女同士なのだから、凛の考えていることくらい簡単に分かるつもりでいた。それなのに今さら、自分の前で何をそんなに気取っているのか。琴子はふんと鼻で笑い、年齢を感じさせないほど白く滑らかな手で、髪を軽く整えた。「凛さん、そんなこと言ってるけど、あなたの会社、本当に蓮に何ひとつ助けてもらってないって言い切れるの?」凛は琴子を静かに見返した。これまでは蓮の母親で、年長者でもあるからと、それなりに気を遣ってきた。こんなことで蓮を困らせたくもなかった。けれど、もう二人は別れていた。今さら琴子に何を言われたところで、心を乱される理由もなかった。凛はわずかに目を細め、冷ややかな視線を返した。「相沢グループが佐原家に頼っているとお思いなら、どうぞ好きに調べてください。うちのグループに、佐原家から一円でも資金が入ったことはありません。それに、àl'aubeとアンサンブルのことなら、琴子さんは息子さんをずいぶん高く見てるんですね。まあ、ずっと専業主婦だった琴子さんに仕事のことが分からなくても、仕方ないかもしれませんけど」琴子の表情がさっと変わった。何か言い返すより先に、真理が口を挟んだ。「『àl'aube』はうちの兄だって関わってないのよ。蓮さんならなおさら関係ないわ。前に蓮さんから工場を売る話を持ちかけられた時だって、凛が断ったんだから」琴子は思わず目を丸くした。真理はのんびりした調子で続けた。「『àl'aube』も『アンサンブル』も、蓮さんに助けてもらわなくたってちゃんとやっていけてるの。琴子さん、本当にこの件に蓮さんは関わってないわよ」琴子は何も言えなくなった。真理にそこまで言われれば、信じないわけにもいかなかった。それまでは、凛の仕事がここまでうまくいっているのも、蓮が陰で手を貸しているからだとばかり思っていた。そうでなければ、凛一人であれほど順調に事業を広げられるはずがないと思っていた。佐原家の祖父でさえ凛をすっかり気に入り、いつ家に連れてくるのかと

  • 再会した元カレ上司は、私の愛娘の父親でした   第963話

    再び蓮を目の前にすると、凛は思っていたほど平静ではいられなかった。朝から晩まで一緒に過ごしてきた相手だけに、互いのことは知りすぎるほど知っていた。視線や仕草を見れば、蓮が何を言いたいのかもすぐに分かった。だから、最近の蓮がかなり疲れていることにも気づいていた。以前のような明るさも余裕も、すっかりなくなっていた。今日は披露宴のためにきちんと身なりを整えていたからまだましに見えたものの、それでも隠しきれない疲れがにじんでいた。それでも、凛は情に流されたくはなかった。隣にいた紗月が口を開いた。「ほんとに、もう一回だけチャンスあげる気ないの?」「何のチャンスよ。蓮さんに?それとも、また蓮さんのお母さんに好き放題言われるチャンス?」このまま付き合いが続けば、いずれ結婚を考えるようになるのは自然なことだった。けれど、結婚となれば話は別だった。少なくとも凛たちのような家では、結婚すれば嫌でも相手の家族と付き合っていかなければならなかった。凛は落ち着いた口調で言った。「蓮さんのお母さんだって、その気になればいくらでもやり合えるわ。でも、なんでそんなことのために、わざわざ私が時間も気力も使わなきゃいけないの?」何より、そんなことを繰り返していれば、二人の関係そのものが少しずつ駄目になってしまうように思えた。またいつか、あの日と同じように、蓮が事情も確かめないまま母親の肩を持つことだってあるかもしれなかった。そうなれば、結局一人で抱え込むことになるのは凛のほうだった。紗月は呆れたように息をついた。「ほんと、こういう家の人たちって、恋愛するだけでも大変ね。私みたいにしがらみがないほうが、よっぽど気楽だわ」「藤堂さんとは、最近どうなの?」「たまに一緒にご飯食べて、手つないで、たまにキスするくらいかな」最近、朔は二人の関係をはっきりさせようとは言わなくなっていた。二人ともそれ以上は何も言わず、今の関係をそのまま続けていた。凛はふっと笑った。恋愛に関しては、紗月のほうが自分よりよほど割り切っていた。凛は何かと先のことまで考えては不安になり、もともと面倒なことから逃げるところもあった。答えを出しにくいことや、どうしていいか分からないことがあると、つい避けたくなってしまった。思えば、最初は蓮から逃げ

Bab Lainnya
Jelajahi dan baca novel bagus secara gratis
Akses gratis ke berbagai novel bagus di aplikasi GoodNovel. Unduh buku yang kamu suka dan baca di mana saja & kapan saja.
Baca buku gratis di Aplikasi
Pindai kode untuk membaca di Aplikasi
DMCA.com Protection Status