LOGIN1年後、「写真に写らなかった人」は2回目の展示を迎えた。展示最終日、白夜が南市に戻ってきた。彼は事前に連絡してこなかった。最後の来場者が出て行ったあと、私に入場券を差し出した。「まだ席はあるか?」「閉館したよ」「明日は?」「今日は最終日」彼は頷いた。耳が風で赤くなっていた。「そっか。残念だな」私は体を横にずらして、道を空けた。「最後の10分だけね」この1年間、私たちの連絡は少なかった。彼は時々、学校の改修後の写真を送ってきたり、再検査を忘れないように知らせてくれたりした。私が返事をすることもあれば、しないこともあった。彼は一度も急かさなかった。父が書類偽造で処分を受けてから、実家は長い間静かだった。母は2度、私を訪ねてきた。1度目は私が冷たいと怒鳴り、2度目は一緒にご飯を食べてくれないかと聞いてきた。私は断った。罰を与えたいわけじゃない。まだ心の準備ができていないだけだ。白夜に対しても、同じだった。変化は、何度か謝ったり、何度か雨の中で待ったりしたくらいで生まれるものじゃない。時間がかかるものだ。同じ選択を迫られる場面で、その人が何度も違う方向へ歩いていくことが必要なのだ。会場の中央には、新しい写真が並んでいた。どの写真に写っている人も、みんな正面を向いていて、隅に隠れている人はいない。白夜は、私一人で写っている写真の前で足を止めた。「いつ撮ったんだ?」「先月」「きれいだ」「写真だけを褒めてるの?」彼は一瞬戸惑い、私を見つめた。何かを言いたそうなのに、線を越えるのを怖がっているようだった。「人のほうが、もっときれいだ」私は笑った。「前より口がうまくなったね」「1年間、練習したから」「誰と?」「工事現場の同僚」私は思わず声を上げて笑ってしまった。彼も笑った。閉館後、同僚が記念写真を撮ろうと言い出した。私はいつもの癖で一番端へ行こうとして、一歩踏み出したところで止まった。「喬子さんは企画の責任者なんだから、真ん中に立ってください」そう言われて、私は中央に立った。白夜は画面の外にいて、私たちのためにシャッターを押してくれた。撮り終わると、同僚が彼に手を振った。「手伝ってくれた人も、1枚残らないと」彼
離婚届が受理された日、白夜は私を引き止めなかった。役所を出ると、彼は書類の入った封筒を私に差し出した。中には財産分与の資料と家の鍵、それから胃カメラの再検査の予約票が入っていた。日付は2か月後だった。「医者が、先延ばしにすればまずいって言ってた」「あなたが予約したの?」「前に取ってたんだ。行くかどうかは君が決めればいい」彼はそう言って、手を離した。取っておけとも言わない。それを口実に、何かを約束させようともしなかった。私は予約票を封筒に戻した。「ありがとう」交差点の信号が青に変わった。彼はその場から動かなかった。私が数歩歩いたところで、後ろから彼の声がした。「喬子、俺、しばらくこの街を離れようと思ってる」私は振り返った。「どこへ?」「海外だ。会社の学校改修プロジェクトがあって、6か月間の駐在を申し込んだ」以前の彼なら、3日出張するだけでも、生活の細々としたことを全部私に任せていた。今は、そんな遠くへ行こうとしている。「どうして?」「ここにいたら、どうしても君に会いに行ってしまいそうだから」彼は私を見た。その目には疲れと、それから自制の色があった。「君はやっと自分のために生き始めたんだ。俺がまた重荷になるわけにはいかない」私はファイルを握ったまま、何も言えなかった。「展示が終わったら、南市に残るのか?」「当分は残るつもり」「わかった」彼は頷いた。「じゃあ、行くよ」彼は本当に背を向けて歩き出した。私が呼び止めるのを待つことも、私の心が揺れていないか振り返って確かめることもなかった。私は道端に立ち、彼の背中が人混みに溶けていくのを見ていた。胸のどこかが、小さく崩れていった。その夜、静玖が私を呼び出した。彼女は家の合鍵をテーブルに置いた。「これ、前に白夜からもらったもの」私は手に取らなかった。「彼に返すべきだよ」「連絡が取れないの」彼女は苦笑した。「私の連絡先、全部消されちゃった」私は顔を上げた。「喧嘩したの?」「ううん」静玖はしばらく黙っていた。「喬子さん、前の私は、彼に世話を焼かれるのが好きだった。離婚して一人になるのが怖くて、何度も彼を頼った。彼は断らない人だってわかってたし、あなた
「写真に写らなかった人」展示会当日、祐介が婚約者を連れてやってきた。彼は展示を見に来たわけではなく、私を待ち伏せするためだった。「姉さん、ローン会社から、姉さんが連帯保証人を解除したって連絡が来たんだ。このままだと家が買えなくなる」「私は一度も保証人になったことなんてない」「父さんが、姉さんの身分証のコピーを使ったんだ」私の視線は両親へ向かった。二人は祐介の後ろにいて、気まずそうに目をそらしていた。私はすぐに理解した。父は誰かに頼んで私の署名を偽造し、先に書類を提出してローンの枠を押さえ、後から私に追認させようとしていたのだ。ローン会社から本人確認の連絡が来た時、私はすぐに異議を申し立てた。母が私の腕をつかんだ。「書類はもう出しちゃったんだから、サインだけすればいいでしょ。調べられたら、父さんだって責任を問われるのよ」「間違ったことをしたなら、責任を取るべきでしょ」父は顔を真っ青にして怒鳴った。「お前は実の父親を警察に突き出すつもりか?」「私は本当のことしか言わない」祐介の婚約者はそばに立っていたが、顔色はどんどん悪くなっていった。「祐介、家は全額自分で払ったって言ったよね?」祐介は慌てて言い訳した。「姉は金があるんだ。昔から何だって俺にくれたから」私は彼を見た。この瞬間まで、彼はまだ、私の持ち物にはもともと自分の分があると思っているのだ。展示を見に来ていた人たちが、少しずつ集まってきた。母が泣き出した。「苦労して育てた娘が、出世したら家族を捨てるなんて」母は私をどう追い詰めればいいのか、よくわかっている。昔なら、周りの視線がこちらに向いただけで、私は折れていただろう。私はマイクを手に取り、流れていた展示の紹介を止めた。「皆さん、すみません。今日はもう1枚、写真を追加させてください」私はスマホをスクリーンにつないだ。大きな画面に、黄ばんだ家族写真が映し出された。両親が祐介の手を引いて、中央に立っている。画面の右端、鉢植えの後ろから、私の顔が半分だけ見えている。母は写真を確認すると、すぐに接続ケーブルを抜こうとした。私は彼女の前に立ちはだかった。「この写真を撮った時、私は5歳でした。カメラマンは私に気づかず、両親も教えてくれませんでした。
両親が南市を訪ねてきたのは、開店1週間前のことだった。母は入ってくるなり、私の腕をつかんだ。「いつまで駄々をこねるつもり?」店内にはまだお客さんがいたから。私は母の手を振りほどかなかった。「外で話そう」「ここで言えないことなんてないでしょ。夫を置いてよその土地に来て、白夜に祐介の家の頭金まで払わせないなんて。あんたには家族というものが目に入らないの?」母は声を張り上げた。父が保証書をカウンターに叩きつけた。「祐介の頭金はもう払った。残金の支払いが来週までなんだ。ここにサインしなさい」私は書類を開いた。私が結婚前から所有していたマンションを抵当に入れるという内容だった。署名欄には、私の名前まで代わりに書かれていた。「こんな書類、私は認めない」母の顔がこわばった。「祐介は実の弟よ」「だから?」「あんたには家もあるし、仕事もある。弟は結婚したばかりで大変なの。一度助けて何が悪いの?」店内が一瞬で静まり返った。昔なら、こんな言葉を聞くと、まず恥ずかしくなっていた。親不孝だと思われないか。両親に恥をかかせないか。弟の結婚に悪い影響が出ないか。そんなことばかり気にしていた。でも今度は、私は保証書を破いてゴミ箱に捨てた。「彼の家のことは、彼自身が責任を取るべきでしょ」母が手を振り上げた。その手が振り下ろされる前に、誰かが止めた。白夜が私の横に立ち、母の手首をつかみ、すぐに手を離した。「お義母さん、ここには監視カメラがある」「あんた、こいつの味方をするの?もともとはあんたがお金を出すって言ったんでしょ!」母は白夜に食ってかかった。「俺が言ったことです。喬子には関係ありません」「じゃあ、あんたが出しなさいよ」「もう彼女の代わりに、勝手に決めたりしません」母は私を指さした。「あんた、白夜に何を吹き込んだの?この恩知らず、昔からずる賢くて、弟に譲ることもできないなんて」私は笑いがこみ上げてきた。私の子ども時代は、母の口の中では、いつの間にかそんな話にすり替わっていた。「中学3年間の奨学金は祐介に渡した。大学時代のバイト代は家の借金の返済に充てた。結婚してからは、毎月10万円の生活費を振り込んでた。祐介が車を買う時は160万円出した。起業に失敗した時は
私は外に出なかった。白夜は通りの向かいに、30分ほど立っていた。同僚が聞いてきた。「あの人、喬子さんを待ってるんじゃない?」「違うよ」「ずっとこっちを見てるけど」「人違いだと思うわ」私は画集を抱えて倉庫に入った。再び出てきた時、彼の姿はもうなかった。入口に傘が1本置いてあった。柄にはメモが結びつけてある。【天気予報では、夜に雨が降るらしい】私はその傘を忘れ物預かり所に入れた。私の働いている店は、古い写真館を改装した、写真館の機能を兼ね備えた書店で、店名は「南本屋」だった。1階は本を販売し、2階ではお客さんの古い写真を修復している。私が最初に担当した企画は、「写真に写らなかった人」というものだった。近所の住民から古い写真を集め、いつも画面の外で家族の世話をしてきた人たちの話を記録する。洗濯をする母、家族の写真を撮る父、長年店を守る妻、弟や妹の学費を払う姉。彼らは誰かの話の中には登場するのに、自分の姿を残すことはほとんどない。同僚になぜこのテーマにしたのかと聞かれると、私は答えた。「写っていないからって、存在しないことにはならないから」開店準備は忙しかった。毎日朝早く家を出て、夜遅く帰る。借りたアパートには、ベッドを一つ置いただけ。不思議なことに、ここ数年で一番よく眠れたのは、この忙しい時期だった。夜中に静玖のために車を手配してほしいと頼む人もいない。弟に送金しろと急かす人もいない。もう少しだけ我慢してほしいと、誰も私に求めない。白夜は3日目にまた来た。今度は通りの向かいには立たなかった。一番安い雑誌を1冊買い、隅の席で午後いっぱい読んでいた。閉店の時間になり、私は彼のところへ歩いていった。「もうすぐ閉店だけど」「ああ」彼は雑誌を閉じた。「近くのホテル、どこも満室だった」「はい?」「どこか泊まれる場所がないかと思って」「スマホで調べればいいでしょ」白夜は言葉に詰まった。私が振り返って電気を消そうとすると、彼が急に呼び止めた。「家の魚、人にあげた」私の足が一瞬止まった。あの水槽の魚は、静玖が彼に贈ったものだった。彼はとても気に入っていて、毎日自分で餌をやっていた。「私には関係ない」「寝室のシーツ
家を出て10分後、白夜から最初の電話がかかってきた。私は出なかった。それからの2時間、彼は47回も電話をかけてきた。最後の一回に、私は応答ボタンを押した。電話の向こうはとても静かで、彼の呼吸だけが聞こえた。「今どこにいる?」「南市行きの新幹線の中」「次の駅で降りろ。迎えに行く」「明日、仕事なの」「仕事は休めばいい」「休まない」彼はしばらく黙った。「わかった。俺が南市に行く」「白夜、協議書にサインしたら送って。他のことはしないで」「サインしない」「なら、訴訟を起こす」彼の呼吸が乱れた。「喬子、俺たちはまだそこまで行ってない」私は車窓の外を流れていく明かりを見つめた。「とっくに来てたよ。ただ、前の私がそれを認めたくなかっただけ」私は電話を切り、彼の番号を着信拒否した。後になって静玖から聞いた話では、あの夜、白夜はリビングで一晩中座っていたという。静玖は荷物をまとめ終え、出ていく前に彼に尋ねた。「追いかけないの?」白夜は言った。「彼女はただ怒ってるだけだ」静玖は離婚協議書を彼の前に押し出した。「彼女、共有預金も取らず、自分の服と本だけ持って出て行った。腹いせで出て行く人が、そこまできれいに準備できるわけないと思う」白夜は何も言わなかった。彼は家の中で私が残したものを探し始めた。クローゼットに私の服はなかった。浴室に私の歯ブラシもなかった。冷蔵庫の上にあった家族カレンダーは、はがされていた。そこで彼はようやく気づいた。ガス代をいつ払えばいいのかも、管理会社の電話番号も、家の予備の鍵がどこにあるのかも、自分は何も知らないことに。彼は書斎の机の引き出しを開け、1冊の青いノートを見つけた。最初のページには、彼の胃薬の服用量が書いてあった。2ページ目には、彼の両親の健康診断の日付。その後ろには、静玖の誕生日、祐介の試験、母の血圧、父が食べられないものまで記されていた。一人につき、1ページずつ。ただ、私自身のことだけがなかった。ノートの最後には、病院の付き添い確認書が挟まっていた。緊急連絡先の欄に、看護師が代わりに書いていたのは【なし】だった。白夜は病院に電話した。付き添いのおばさんは、私のことを覚えていた。「あの